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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

彼女は猫のように

作者: 氷上人鳥

 ある日、僕に突然、妹ができた。

 と言っても、親が新たに産んだ訳では無い。

 我が家は僕と母との二人暮らし、いわゆる母子家庭だった。父は僕が幼い頃に死別し、僕が高校生となる今に至るまで、母は女手一つで僕を育ててくれていた。

 そしてその日、母が再婚したのだ。

 我が家にやって来たのは、母とそう変わらない年齢に見える男性と、おそらくまだ小学生と思われる幼い少女。


「君の事は彼女から聞いているよ。これからよろしく頼む」


 義父となる男性が朗らかに僕に挨拶するその後ろで、少女は身を隠すようにじっとこっちを見ていた。


「ああ、すまないね。この娘はご覧の通り人見知りでね。ほら、挨拶しなさい」


「あ、あの……」


 その娘は今にも泣きそうな顔でわずかに声を出すと、また義父の後ろに隠れてしまった。


「ははは。こんな娘でも、仲良くやってくれると嬉しい」


「はい、もちろんです」


 根拠は無いが、何故か彼女とは上手くやっていけそうな気がしていた。



「……」


 視線を感じる。

 兄妹となってから数日。彼女は時々、僕を離れた所からじっと見てくるようになった。

 悪意や警戒と言った感じは無く、純粋にこちらを観察しているようだ。


「……」


 僕はそちらをちらっと見て確認すると、何事も無かったように振る舞う。

 当然だが、僕には年の近い女の子と生活を共にした経験は無い。だから、彼女への対応は完全に手探り……なのだが、彼女の様子はあるものを思い起こさせた。


(あの娘、なんかすごく猫っぽいんですよね)


 女の子との付き合い方は分からないが、猫との付き合い方なら多少の知識がある。

 まだ人に慣れていない猫は、無理にこちらから近付くと警戒し、打ち解けるのが遠のいてしまう。なので慣れるまでは好きにさせておいた方が良い。

 僕はそれを実践し、こちらからは声も掛けず、気にしないふりをし続けた。

 すると、日を追うごとに義妹は僕との距離を詰めて来た。まるで日単位で"だるまさんが転んだ"をしているみたいだった。



「どうかね? 娘とは上手くやっているかね」


 義父も僕達の様子が気になるらしく、会話のメインは義妹との関係であった。


「順調、なはずです。まだ会話はできていませんが」


「それは本当に大丈夫なのかね?」


「ええ。こう言うのは、急いでも仕方ありませんから」


「ふむ、そんなものかね」


 こっちは初めからだが、義父とは良好な関係を維持できている。


「ところで、お母さんを知りませんか?」


「彼女なら、友人と旅行に行くと言っていたよ」


「え?」


 おかしい。

 母は元来、旅行を楽しむような人物では無い。それどころか、行動を共にするような親しい友人がいるなんて話も聞いた事が無い。

 何かが引っ掛かるが、再婚によって余裕ができたと考えれば、そこまでおかしな話でも無いのだろうか。


 そして普段通りの生活をしつつ、様子を見続ける事約一ヶ月。


「……あの、お兄ちゃん」


「どうかしましたか?」


 始めて義妹の方から話し掛けて来た。どうやらここでの生活にも慣れてきたようだ。

 まだぎこちないながらも、彼女は少しずつ僕と話してくれるようになった。


「……私みたいなのが急に現れて、迷惑じゃありませんでしたか?」


 どうやら彼女は、僕に迷惑をかけまいとして近付くのを躊躇っていたらしい。


「そんな事はありませんよ。じっとこっちを見てる様子が、何か猫みたいで可愛らしいなと思ってた位ですよ」


「猫、ですか……それならそれで……」


 僕の言葉に、彼女は不思議な返答をしつつ、何か考え事をしているみたいだった。


 対人関係において、やはり言葉が交わせると言うのは大きい。

 その日を境に、僕と義妹との関係は急速に近付いていった。


「お兄ちゃん」


「どうしました?」


 義妹は僕自身の事に強い関心があるらしく、僕に関する様々な事を聞いてきた。

 それ自体は特に問題無いが、どうも"それ以外"に関する興味が、子供にしては無さすぎるようにも感じられた。


「お兄ちゃんにとっての幸せって、何ですか?」


 今日はまた随分と哲学的な問いが来た。

 でもちょうど良い。この際だから、慎重に言葉を選び、危険の回避を試みる事にした。


「そうですね。僕にもまだ、何が幸せかなんてのは分かりません。でも、一つ気付いた事があります」


「気付いた事、ですか?」


「幸せと言うのは、自分の為に自分で見つけるものだと言う事です」


「?」


 義妹は僕の言葉の意味が分からないらしく、首を傾げている。


「例えばですが、誰かの為にずっと生きるのは、とても不幸な事だと思うんです。なぜなら、それだと生きる意味が、言い換えれば自分の幸せが他人に依存したものになり、結果的に他人に支配される人生になるからです」


 この子だけじゃなく、人は皆、他人に依存しきってしまうと、自分の幸せを見失うのではないだろうか。生活や経済的な意味ではなく、心の拠り所として、他人がいないと成り立たない在り方はやはり間違ってると思う。


「だから他人の意見ではなく、自分の意思で。どんなに遠回りしても、自分の手で見つけるのが大事だと思います」


「……そう、ですか」


「ごめんなさい、難しかったですね。要は、あなたの幸せはあなたの中にあって、それはあなた自身にしか見つけられない、と言う事です。今は分からないかも知れませんが、いつかきっと見つけられます」


「私の、中に……」


 僕の言葉がどれだけ届いたかは分からないが、どうやら納得はしてくれたらしい。

 それに、懸念していた僕への依存の兆候も見られなくなり、兄妹として程よい距離感を保てるようになった。


 それからしばらくが経ち、新しい家族の形に皆が慣れてきたある日。

 その日は珍しく、家に義妹の姿が無かった。


「少し良いかな? 大事な話があるんだ」


 普段は穏やかな表情が多い義父が、真剣な表情をして僕に話し掛けてきた。隣にいる母は、何故か暗い顔をして俯いている。


「はい、何ですか?」


「まずは感謝させてもらおう。君は実に良くやってくれた。まさかこんな短期間であそこまで仕上げてくれるとは」


「何の話ですか?」


「娘の話だよ……そうか、すまない。結果として君を騙す形になってしまったね。せめて真実を語ろう」


 そこから聞かされた話は、まさに晴天の霹靂な内容だった。


「実はそもそも、私達は結婚をしていない。とある条件の下に、一時的に共同生活をする契約をしていたんだ」


「一体何の為に?」


「あの娘を、他人との生活に慣れさせる為だ。私は身寄りの無い子供を集め、子供が欲しい家庭に"譲渡"する事を生業としている」


「それって……」


 人身売買。

 まさか僕が、そんなとんでもない世界の住人と接する日が来るなんて、想像だにしていなかった。


「ああ。先に言っておくが、警察等に通報しても無駄だよ」


 非合法である事を隠そうともしない辺りが、更なる闇の深さを感じさせる。


「私が今預かっている子供の中で、彼女だけは他所の家庭に譲渡できる状態では無かったんだ。それは君も体感してきただろう」


「だから、結婚を偽装してまで僕に彼女の相手をさせたんですか……お母さんは知っていたのですか?」


 母に振ってみたが、さっきと同様、俯いたまま微動だにしない。


「もちろん知っているさ。この契約を了承し、報酬を受け取っている」


「……そうですか」


 いろいろな感情が混ざり過ぎて、だんだん感覚が麻痺してきたが、これだけは聞いておかなければならなかった。


「彼女は、これからどうなるんですか?」


「譲渡会に出て、どこかの家庭に迎え入れられる。そこから先は、私にも分からない」


「譲渡会って……」


 世の中には、野良猫を保護し、人に慣れさせた上で里親を探す活動があると聞く。

 こいつにとって、人の命は、猫のそれと同列なのだろう。もしかしたら、もはや慈善活動のつもりなのかも知れない。


「報酬はすでにこの家庭の講座に振り込んである。予定より早く完了した謝礼も追加しておいたよ」


「そうですか。それで、あなたはいつまでここにいるのですか?」


「君への説明が終了したその時点で、私のここでの役目は終わりだ。もう会う事は無いだろうが、君達の幸運を祈っているよ」


 そう言って、人攫いは我が家から立ち去った。


「……ごめんなさい」


 久しぶりに二人きりになった後、母が涙を流しながら僕に謝ってきた。

 僕は母にかける言葉が見つからなかった。


 結局僕は、全てを忘れる事にした。

 ある日突然妹ができる、そんなゲームをプレイしたのだと自分の記憶を書き換えた。日常生活も、母との付き合いも以前のまま。

 ただ少しだけ、我が家の経済状況に余裕ができただけである。


 それから、六年の歳月が過ぎた。

 僕は大学に進学し、卒業後、無事就職する事ができた。

 仕事も少しずつ慣れ、社会人としての生活が軌道に乗り始めたある日、母が死んだ。

 元より母はそれほど活動的な性格では無かったが、あの日以来一層弱り、最後まで僕に謝り続けていた。

 分かっている。

 僕が幼い時からずっと一人で頑張り続け、()()を引き受けたのだって、結局は僕の為だ。母を責めるつもりなんて、始めから僕には全く無い。

 天涯孤独となった僕はしばらく何もできず、一人、家で塞ぎ込んでいた。


 インターホンが鳴っている。


 新聞か宗教の勧誘だろうか?

 今その対応は、はっきり言って辛い。放っておけば諦めて帰ってくれるだろう。

 五分後。まだ鳴り続けている。

 これは営業じゃ無いなと判断し、仕方なく僕はドアを開けた。


「!」


 僕は驚きの余り、呆けた情けない顔を晒しながら、しばらく動けなかった。


「あの……猫を、飼いませんか?」


 そこにいた人物は、唐突にそう言い放った。


「なぜ……ここに?」


 僕はその一言を絞り出すのがやっとだった。


「昔、ある人が私に教えてくれたんです。幸せは自分の中にある、そしてそれは自分にしか見つけられない、と」


 成長期の六年を経た割にはあまり大きくなっていないその女の子には、かつてのおどおどした様子は無い。


「だから私は、私の為に、私自身の幸せを手に入れる為にここに来ました」


「でも、今の家庭は……」


「大丈夫です」


 彼女の話によると、あの後本当に譲渡会に送られ、とある家庭に迎え入れられた。

 ただ幸いな事に、そこでは本当の娘のように、愛されながら育てられた。

 そして、中学を卒業したら自由しても良いと言う約束を取り付けていた、らしい。


「……そうでしたか」


 始めは猫のような娘だと思い、猫のように突然いなくなり、かと思えば猫みたいな扱いを受けている事を聞かされた。そして今日、猫として我が家に戻って来た。

 ほんのわずかな間一緒にいただけの、忘れるとまで決意したあの娘が。まさかこんなに立派に育って帰って来てくれたと言うのに、こんな所で落ち込んでなんていられない。


「僕も、自分で決断しないと、ですね」


 せめて、ほんの一時でも兄だった者として恥ずかしく無いように。

 掴み取ろう、まだ見ぬ自分の幸せを。彼女と一緒に、自分の手で。

 その為にも、まずはこの言葉から始める事にした。


「おかえり」


「ただいま、お兄ちゃん」

 最後までお付き合いいただき、ありがとうございます。

 分割しようかとも思いましたが、どこで切ってもしっくり来なかったので、完全短編でお送りしました。

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