前世のわたし
短編に同じお話あります
これでよかったのだと思えた。
なにもこの手には残らなかったけれど、貴方が幸せならそれでいいのだと。貴方とその横の彼女が思い合って笑えるのであれば、それでよかった。わたしが、そこに居られなくても。
幼馴染みとして小さい頃から一緒にいて、なんとなく恋人になって、なんとなくこのまま結婚するのだと思っていた。それは貴方も一緒だったのかな。
わたしは、頭が悪かったし家も貧乏だったから、貴族とはいえ働きに出るしかなかった。学園生活に憧れはしたけれど、必死に勉強しても学園に入れるほどの知識は持てなくて、だから貴方がくれる手紙を楽しみにしていたの。
どんどん落ちぶれていく家を母と弟は見捨てて、出来の良い弟を欲しがった高位貴族のお家に行ってしまった。わたしは人のいい父が見捨てられなかったし、そもそも母からなにも期待されていないわたしは付いて行っても邪魔だろうから家に残った。
そんなわたしの唯一の楽しみが、貴方からの手紙だった。家格が合わないと言われてもなにも変わらずに接してくれて、わたしが好きだと言ってくれた。
学園のパーティーにも、婚約者として出席して欲しいって言ってくれて舞い上がっていたのかもしれない。
パーティーのために、いつも以上に頑張った。せめて貴方の隣にいても恥ずかしくないように、貴方の好きなわたしで居られるようにしなければ、って。
頑張って中古だけどドレスを買って、母が残していった錆びた首飾りと指輪を磨いて、貴方が迎えにきてくれるのを待った。今までで一番、綺麗なわたし。父も綺麗だと褒めてくれて、とっても嬉しくて、だけど、貴方はわたしを見て眉を顰めるだけだった。
似合わないのかと不安になったけど、父が言った言葉を支えにして初めてと言っていいパーティーに参加して、現実を見た。
誰も型落ちのドレスを着ている女の子はいなかった。
首飾りも、指輪も、付ける人が付ければ高価に見えただろうけど、わたしなんかが付けたところでジャンク品にしか見えない。
婚約者にエスコートされて、会場に入った瞬間に訪れた静寂。すぐに元に戻ったけど、近くの女の子達のクスクスと笑う声に恥ずかしくなって、逃げ出したくなった。
すっと身を引いたわたしを庇うわけでもなく、離れていった貴方を見て、余計惨めになって早く帰りたくなったけど、貴方が居なければ帰る手段もない。一人になれる場所を探してバルコニーに出た。
クスクスと笑う声が、憐むような視線が、馬鹿にしたような表情が頭から離れない。
泣きたかった。でも父が綺麗だと言ってくれたこの姿で泣きたくない。
「姉さん?」
聞き覚えのある声に顔を上げると、驚いた表情の弟がいた。そして、わたしの格好を見て顔を顰めた。
「そんな格好でなにをしているの?」
答えたかったけれど、声を出したら泣いてしまう。ぎゅっと手を握り締めて涙を堪えた。
「か、彼が誘ってくれたの。婚約者としてパーティーに参加して欲しいって。」
「その言葉を信じて、そんな格好で?」
「だって、初めてだったの。嬉しかったの。」
ため息が聞こえた。
「姉さん、あいつは優しいやつじゃないよ。姉さんのことも婚約者だなんて思ってない。婚約者だって思ってたらこんなところにいる姉さんを放っておいて、他の令嬢と踊ったりしない。」
「それにね、姉さん。婚約者としてって言われたなら、ドレスもアクセサリーもあいつが送ってくれたはずだよ。自分で用意なんてさせない。」
涙が堪えきれなくなりそうで、余計にこの場から逃げ出したくて。だけど、好きだっていってくれた貴方を信じたくて。
ふと、他の女の子と踊っている貴方を見て何かがストンと落ちた。優しい顔で、温かい目で女の子を見つめる貴方。わたしは見たことがなかった。わたしのことを見つめる目は、そう言った類じゃなかった。
相手の女の子も、キラキラしていてとても愛らしくて何もかもがわたしと違う。
こんな古ぼけたドレスを着て、必死にアクセサリーの錆び取りをして、そんなわたしじゃ貴方の隣には立たないのだとはっきり分らされた気がした。
認めたくなかった弟の言葉が、胸に刺さる。
弟の言葉は、きっと真実なんだろうな。
痛いのを我慢して、なにも悟られたくなくて、これ以上何か言われたら泣いてしまいそうで、手をより一層グッと握って弟に言った。
「ねぇ、家に帰るから伝えておいてくれる?」
「伝言は分かったけど、最後に挨拶くらいしにいく?そのあと送るよ」
「ううん、これ以上惨めな思いを、したくないの。それに貴方だってお相手がいるでしょう?わたしなんかの相手をしていてはだめよ。一人で帰れるわ。」
何か言いたげだったけど、相手にしなければいけない女の子がいるのも事実なようで、また、と挨拶をして弟は去っていった。
またなんて、ないのにね。この会場だから会ってしまったけど、母はわたしと交流を持つことを許さないだろうし、わたしもパーティーに参加することなんてもうないから。
入ったときは、注目されてしまったけど出るときは誰の視界にも入らなかったようでそっと会場から去ることができた。
歩いて帰るには遠すぎる距離だけど、手段がないわたしは歩いて帰るしかない。
履いていたヒールも邪魔。ドレスも邪魔。ヒラヒラしたレースも、古ぼけたアクセサリーも全部邪魔。
ヒールを脱いで、綺麗だと言ってくれた父には申し訳ないけどドレスも歩きやすいように縦に割いて、アクセサリーは何か価値があるかもしれないからそれだけを持って、ただ歩いた。
小石を踏んで足の裏が裂けても、足がもつれて転んでもただ歩いた。悲しかったけど、不相応にも貴方の婚約者として立とうとしたわたしが悪かったのだ。
心も痛い、体も痛い。
もう歩けない。
夜空を見上げると星がキラキラしていて、このまま消え去りたいと思った。昔、母が一度だけ読んでくれた絵本に、《この世を去った人は星となりわたしたちを見守ってくれているのだ》と、そう書いてあったことを思い出して歩くのをやめた。
「わたしも、星になれるのかなぁ」
見守りたい人なんて、いないのに。
人が良くて誰かれ構わず助け、自分が窮地に立たされた時に誰にも助けてもらえなかった父。
そんな父を見捨てて、高位貴族の元へ行った母。
何もかもがわたしと違った弟。
唯一、こんなわたしでも愛してくれると思った貴方。
わたしの掌の世界には、こんなちっぽけな人数しかいないのに、誰一人としてわたしが見守らなくたって生きていく。時は進んでいく。
いつの間にか、道から逸れて大きな木の根本に座り込んでいた。
空に手を伸ばして、星になりたいと思ったけれど、きっとわたしなんかじゃ星にはなれない。
父を助けたくて、父の元に残った。
母に邪険にされたくなくて、母を見送った。
弟は、わたしと違うから愛されていた。
貴方は、貴方は他の女の子を愛している。
わたしは、愛されたかった。
働き詰めの父から、わたしがいるから頑張れるのだと言われたかった。
家を出た母から、わたしとの離別を悲しんでほしかった。
高位貴族に見染められた弟に、慕われたかった。
貴方に、あの女の子のように愛されたかった。
「わたしは、ないものねだり、ばっかりだわ。」
欲しいものを欲しいと言わなくなったのはいつだろう。顔色ばかり伺って、なんでもないように笑って見せて、もうわたしには何にもないのに。
今日この日のために頑張ったわたしの体は、もうボロボロで、その上心までズタズタになって、だけど、この星空の下で死を迎えられるのであれば、それが幸せなのだと思う。
父は、わたしがいなくなったら困るのかな?きっと、微々たるわたしの力なんか父のためになっていなかっただろうし、むしろ食い扶持が減る分喜ぶかもしれない。
母は、わたしがいなくなっても悲しむこともないだろうなぁ。弟も、きっとそう。
貴方は、もうわたしのことなんて忘れてしまっているかな。綺麗なドレスにアクセサリーに、全部持ち合わせている子の方が貴方のためになるものね。
何か一つでもあったらよかったなぁ。
まぶたが、重い。
もし、わたしなんかでも見守ってくれている誰かがいるのなら、わたしの代わりにどうかわたしの家族を見守ってください。頭の悪い、なにもできなかったわたしだけど、もうないものねだりなんてしないから。
最後に見えたのは、流れる星。
最後に聞こえたのは、馬車の音?
もう、まぶたは持ち上がらない。