12.思い出の味
「おお荒川、やっと来たか! ……って、その子は誰だ?」
「おじさんおはよう。えっと、この子は俺の彼女の水谷栞。栞、彼はこの店のオーナー兼店長のおじさんだ」
「初めまして、水谷栞と言います。今日はよろしくお願いします」
「よろしく……。って、荒川に彼女ぉ!?」
何故か、栞をバイト先のおじさんに紹介することになった。
ことの発端は昨日のデートの帰り。明日バイトがあるという話をしたら栞が来たいと言い出したので、連れてきてみたのだ。
この喫茶店はおじさんの気まぐれで開いたり閉まったりするような自由な店なので、彼女を連れてきても問題ないだろうという魂胆だ。おじさんもこれが本業ってわけじゃないし。
「驚いた……。お前、一切浮いた話がないから少し心配だったんだぞ……?」
「それみんなに言われるなぁ……」
「あの……。一日中ここにいてもよろしいでしょうか」
「え、一日中居るつもりだったの?」
場所を確認したらすぐに帰ると思っていたから驚いた。ちょっと紹介するだけのつもりだったのに…。
「別に構わないけどな……。この店はいつも俺一人でやってて、たまに荒川が手伝いに来てくれるくらいだから」
「そうなんですね。じゃあ、今日は長居失礼します」
「ほんと気まぐれだよなー、おじさん」
「まぁこの店の経営は半分趣味みたいなもんだからな」
「客観的には本業の方が趣味っぽいのに」
「馬鹿言え。これでも俺は本気で取り組んでんだかんな」
そう言って腕に力こぶを作るおじさん。ボディビルダー並みの体型なので、その迫力も随一だ。
「もの凄い筋肉ですね……。本業っていうのは、その筋肉が関係してくるのですか?」
「うーん、そうと言えばそうだし、違うと言えば違うっていうか……」
「……どっちなんですか?」
「まぁ、どうせこれからも荒川と一緒にここに来るんだろ?それならいずれ分かるようになるさ」
「はぁ」
どうにも釈然としない様子の栞。そんな栞を見兼ねてか、おじさんは厨房へと入っていった。
「本業じゃねぇっつっても、力を抜く気はさらさらねぇからな。どれ、サービスに一品作ってやるよ」
「そんな、そこまでしていただくわけには……」
「荒川にはお世話になってんだ。その彼女に礼を尽くすのは道理って奴だろ」
「まぁ、おじさんは気のいい人だけど、やると決めたことに関しては頑固だからさ。大人しく戴いちゃってよ」
「巻斗くんがそう言うなら……。恐れ入りますが」
しばらく二人でテーブルに座って待っていると、厨房からおじさんが出てきた。
料理が完成したようだ。
「荒川! 出来たぞー!」
「はーい!」
俺の主な仕事は接客全般。厨房にはおじさんしか立たない。その代わり、それ以外の仕事は俺が担っているのだ。というわけで、料理を栞の元へと運ぶ。
「あ、ミートスパゲティか」
厨房に入ると、俺にとって思い入れの深い料理が完成していた。それを持って行くのだが、何故かおじさんも付いてきた。
「お前、この店に来た時はいっつもこれ頼んでたもんな。彼女さんにも食べさせてやりてーだろ?」
栞の前に料理を置くと、唐突におじさんがそう言い出した。
「え?この店に来た時って……。バイトじゃなくてですか?」
「ああ。こいつ、この店の元常連なんだよ」
「まぁな」
俺は塾帰りにここへよく寄っていた。塾の日は学校が終わってすぐに向かっていたため、夕飯が食べられなかったのだ。
大抵は帰ってから食べるのだが、両親が不在の時にたまたま訪れたこの喫茶店のミートスパゲティにどハマりし、何度も訪れるようになったのだ。
そのことを話すと、栞は興味深げにミートスパゲティを見つめ出した。
「なるほど。つまりこれは、巻斗くんの好みの味……」
「そういうこった。何かの参考にしてくれ。荒川の胃袋掴んで、自分のモノにすんだぞ!」
「はい、ご配慮ありがとうございます!」
栞の目に火が灯った。
まさかこいつ、俺の胃袋を完全に掌握する気なのか!
弁当で虜にするだけじゃ飽き足らず、喫茶店の料理にまで手を伸ばすとは……。
そんなにされたら、もう……!
「俺、栞なしじゃ生きられなくなる……」
「それでいいんじゃないですか?」
「いいのか……?」
栞は、すまし顔でそう言い放った。
そして再び真剣な表情になり、ミートスパゲティを口にする。
「……何ですかこれっ!? 今まで食べたミートスパゲティの中でも1番美味しいです!」
「な? これはリピーターになっちゃうだろ?」
コクコクとうなずく栞。
それを見て、おじさんは照れ臭そうに頬を掻く。
「別にこれが看板料理ってわけでもねぇんだが……。やっぱり、舌が似てるんだろうな」
「いや、全人類を虜にする味だと思うけどな」
「私と、巻斗くんの舌が、似てる……。えへへ」
冗談抜きで美味しいので、もっと人気になってもいいはずなんだけどな。
やっぱり気まぐれでオープンするからいけないんだろうか。
それはそうと、栞がにやけ顔のまま固まってしまっている。
目の焦点が合っていないようなので、呼びかけてみるが、反応がない。
「栞ー? 栞!! 大丈夫か?」
「はっ!? ……あれ、私は今一体何を……?」
「戻ってきたか。良かった」
何度も呼びかけた甲斐あって、引き戻すことに成功した。
おじさんはその様子に苦笑い。
「……お前ら、もはやバカップルだな」
「何とでも言え。俺は栞とイチャイチャ出来ればそれでいい」
「イチャイチャ……巻斗くんと、イチャイチャ……」
俺が変な台詞を吐いたせいで、栞が恍惚な表情になってしまった。
「……コーヒー淹れてくる」
その空気に耐えられなくなったおじさんは、フェードアウトしてしまった。
◆
開店後、数時間が経った。
現在時刻は午後2時。昼食を食べに来た最後のお客さんが、帰っていった。
「はぁ、疲れた……」
「お疲れ。栞ちゃんのことばっか見てたのによく仕事完遂出来たな」
「だっていつ栞がナンパされるか心配で心配で……」
ガハハと笑うおじさん。
こっちはずっと気もそぞろだったというのに、余裕そうなのが恨めしい。
今栞は外から見えない席に座っているが、開店時は窓側の席にいた。
おじさんは気の所為だと言うが、そのせいでいつもより客が多い気がしたのだ。
何せ可愛い栞が外から丸見えなのだ、普通釣られて入ってしまうだろう。俺だったら入る。
そんな状況なので、栞が今にも絡まれないかと心配してしまうのは火を見るより明らかだ。
そこで、途中で栞に席を移ってもらったり、栞の方を眺めている客に
『あの子可愛いでしょ? 実は俺の彼女なんですよ』
と牽制をしたりと対策を続けていたら、いつもの数倍は疲れてしまった。
「初めての彼女が愛しいってのは分かるが、お前は気にしすぎなんだよ」
「そうは言ってもさ。1人だけだけど本気で殴りかかってきた奴もいたんだぞ。暴行事件にならないように諫めるの大変だったんだからな」
「本当に危なくなったら俺が出てたよ。ありゃ序の口だ。そもそもずっと彼女自慢してるお前が悪いんだからな。非リアを煽ってるようにしか見えねぇし」
「そっか、そう捉えられることもあるのか。接客業って怖ぇな……」
「俺はそれに気付かないお前が怖いよ」
おじさんは、カウンターに顎を乗せてぐたっとする俺の頭をわしゃわしゃと撫でる。
「まぁでも、栞ちゃんはニヤニヤしてたよな。いちいち紹介されて」
「でも煽りになるなら牽制は辞めておくか。指摘あんがと」
「彼女を大切にしたいのはわかるが、それで視野を狭めちゃ元も子もないぞ。分かったな、荒川!」
そう言って俺の背中をバンバンと叩いた。
「なぁ、本当は何かあったんだろ?」
「どゆこと?」
突然おじさんが声色を変えて呟いたので、思わず聞き返してしまった。
「……いや、お前って絶対ここまで1人に固執するような奴じゃないだろ。付き合いが3年以上もあるとそれくらい分かるんだよ。何かあったんだろ? お前を根本から変えるような、何かが」
「ああ、そういうことか」
俺が何故こんな風に変わったのかという心当たりは一つしかない。
あの、思い出しただけで吐き気を催すような、悪夢だ。ただの夢のはずなのに、トラウマレベルで俺の心に根付いている、彼女と別れる悪夢。
その悪夢が、栞への独占欲へと結びついているのは明白だ。
だが、こんな荒唐無稽な話をしてもよいのだろうか。
まぁいいか。おじさんは別に悪い人じゃないし、そろそろ吐き出しておかないと胸が苦しくてたまらない。信じてもらえるとは思わずに、話すだけ話してみるか。
「……夢を、見たんだ。ちょうど、栞に告白された日の朝に」
「夢? それだけでこんなに変わっちまうのか?」
「確かにあれはただの夢だ。しかし、俺にとっては心に深く刻まれたトラウマでもある」
そう前置きをして、自分の心の内をぶちまける。
「その夢ってのは、正真正銘の悪夢。彼女が他の男に奪われる、という夢だ」
話し始めると、言葉が勝手に紡がれていくのを感じた。
これまで堰によって止められていた水が、一気に流れ去るような感覚。
その流れに任せて、どんな夢だったのかを出来るだけ詳しく説明した。
誰が、どんな表情で、何を言ったのか。その時、俺はどういう感情だったのか。
思い出せる分は全て話した。
「……やけに、詳しく覚えてんだな」
「この夢はなー。やけにリアルな悪夢だったから、印象が強いのかも」
おじさんは、少し考える素振りをした。
ここまで真剣な表情をすることはなかなかない。俺の話に、何か思うことがあったのだろうか。
「それ、案外ただの夢じゃねえのかもな」
「え?」
「予知夢ってやつだよ。知らねぇか? 夢に見たことがその後現実に起こったりする、アレだよ。正夢なんかとも呼ばれてる」
「予知夢、か……」
確かに、夢を見たその日に告白っていうのは出来過ぎている気はする。
でもな……。超能力者でもないただの一般人の俺が、そんなの見れたりするのかね……。
「まだピンと来てないようだな。だがな、俺は予知夢の線は絶対にないとは言い切れないと思うぞ」
近くの椅子にどっかと座り、俺に睨みを利かせるおじさん。その迫力にやられ、思わず唾をゴクリと飲み込んでしまう。
「だってな、その夢の中の荒川の言動は、俺が心配していた荒川の未来像そのものなんだよ」
「俺の、未来像?」
「ああ、ちょっと前のお前に彼女が出来たなら、確実にそうなっていただろうな」
そうとだけ告げると、おじさんは睨みを解き、また俺の頭を撫でた。
「でも今のお前なら大丈夫だろ。彼女のこと、好きなんだろ?」
「ああ、大好きだ」
「ならそれでいい。そう思ってんなら、夢の中の荒川……いや、ちょっと前の荒川とは随分かけ離れている。その気持ちと彼女のこと、大事にしろよ」
「言われなくても、愛でまくるよ」
「その意気だ!」
おじさんは、親指を立てて俺に翳した。
◆
次の日の弁当の時間。いつものように空き教室で弁当を食べ始めるのだが……。
「栞! これ、ミートスパゲティじゃないか!?」
弁当箱の中に、思い入れのある一品がどんと鎮座していた。
「巻斗くんの好みだって聞きましたので。どうぞ、お食べください」
麺にソースを絡ませ、ジュルリと啜る。
「……!!! 再現度高すぎない!? 美味っ!!!」
「おじさんのレシピ通りに作ってみたので、そのおかげですね。巻斗くんの喜ぶ顔が見れて、嬉しいです」
「おじさん、栞にレシピ教えたのかよ……。俺は一品も教わったことないのに。まぁ料理なんて出来ないからそれでいいんだが」
「私が作るので、料理の心配は不要ですよ」
何はともあれ、俺の中での美味しいミートスパゲティの順位が、更新されることになった。
おじさんの作ったミートスパゲティとかわいい彼女の作ったミートスパゲティ。同じ味なら、栞に軍配が上がるのは必然だよね?




