1.夢の中で別れた彼女
「愛想が尽きました。別れましょう」
彼女の一言に、俺は静かに頷く。
学校の屋上で始まった別れ話はその一言で終焉を迎えた。
……はぁ、何でこんなに惨めな気分になるんだろう。俺は別れたって構わない、そう思っているはずなのに。
隣の男が寡黙な彼女の心を代弁してくれたので、なぜ愛想を尽かされたのかは理解している。
何でも、付き合った後も一切構ってくれない俺に日々心をすり減らされたとのことだ。
そんな彼女の側に居続けたのが、今彼女の隣にいる男らしい。
そりゃ別れを切り出されて当然だよな。元はといえば彼女に告白されたから断れずに惰性で付き合っていただけで、好きでも何でもなかった。好きでいてくれる人へと流れるのは自明の理だ。
でも何故だろう、心がチクチク痛む気がする。
「では、そういうことなので。さようなら」
彼女は、目に涙を一杯に浮かべて、男に肩を抱かれながら去っていった。
哀愁漂うその姿に、心の痛みは加速する。
……なんで、フった側がそんな顔をするんだよ。
「元気でな、元カレさん?」
対して男は、振り向きざまに意地汚い笑顔を浮かべながらそう言った。
その笑顔も俺をムカムカさせる。寝取ってやったぞと言わんばかりの、優越感に浸った笑み。
そんな彼女らの方へ、思わず手を伸ばしかけてしまった。
……何やってんだろ俺。好きでもない彼女と別れてせいせいしているはずなのに。
ああそうか。俺も、あいつのこと好きだったんだな。
まぁ今気付いても遅いんだけど。
全て終わってしまった、今。
◆
「……何なんっだよ、今の夢!!」
午前六時五十五分。あと五分で目覚まし時計が叫び出す時間だ。
やけに生々しい悪夢を見てしまったばかりに、アラームが鳴る前に起きてしまった。涙が頬を伝っていくのを感じる。
……マジで何であんな夢見たんだよ、俺彼女とかいたことないぞ? 友達でさえ一人しかいないからな? 自慢じゃないけど! いや自慢なわけあるかぁ!
いやそれは別に気にしてないんだよ、一人でも十分楽しいし! 問題は何故あんな場面を夢に見たのか、ということだ。どうせならもっと甘々な夢が見たいよ。夢の中くらいはそんな幸せを味わわせろ!!
なんだよ、別れ話って……そんなの!
「胸糞悪すぎんだろおおぉぉぉ!!!!!!」
目覚まし時計の代わりに、俺の叫び声が部屋にこだました。
「巻斗ー! 起きてんなら降りて来なさーい!!」
母親の叫び声は家中にこだました。
朝っぱらから声が大きいな。いや俺が言えた義理じゃないか。
あーあ、騒ぎすぎたせいでベッド脇の写真立ても倒れてんじゃん。
ボロ神社で屈託のない笑顔を浮かべる俺を起こしながら、ズキズキと痛む頭を掻きむしった。
この少年はまだ酸いも甘いも知らないんだろうな、今の俺は酸いしかしらないけど。
それはともかく、起きたことを気付かれたので仕方なく部屋から出る。
ドアを開けると、ちょうど隣の部屋から妹の未稀が出てくる所だった。
未稀は、俺の顔を見た途端顔をしかめ、ボソリと呟いた。
「お兄ちゃん、朝からうるさい。起きちゃったじゃん」
ですよねー。ごめんなさい。
妹に平謝りしつつ、リビングへ降りると、母さんが朝食の用意をしていた。
叫んでいた理由を聞かれたので、簡潔に説明する。
「へー、朝から酷い夢を見たものね」
「でもそんなことあり得ないよね。お兄ちゃんぼっちだから、そもそも彼女出来るわけないじゃん」
未稀の横槍! 俺にクリティカルダメージ!
「妹よ、俺は断じてぼっちではない。友達はちゃんといるぞ、一人な!」
「それはぼっちと言っても差し支えないんじゃないかな?」
「未稀、朝からお兄ちゃんのことからかわないの!」
母さんの助け舟により一命をとりとめた。妹もしっかりして欲しいものだ。友達ってのは量じゃなくて質だというのに。まぁどっかの本の受け売りなんだけどねこれ。
「それと巻斗! 万が一彼女が出来たとしたら絶対に逃がすんじゃないわよ。あんた交友関係狭いんだから、付き合ってくれる人なんてそうそういないだろうし」
万が一って何だよ万が一って。母の助け舟今ので沈没したぞ。
「……分かってるよ。あんな思いをしたくないし」
とはいえ、母の意見には完全同意。彼女から別れを告げられるという経験は、ただの夢だというのに、かなり俺の心を抉ってきた。現実であんな体験をしたら生きていけないんじゃないかな。
もし彼女が出来たら、別れる隙なんて与えてなるものか。そう決意した朝だった。
◆
「……で、何これ」
学校に着いた俺の手に握られていたのは、一通の手紙だった。淡い桃色の封筒に、ハート型のシール。こっそり中を確認すると、可愛らしい丸文字で『放課後、話があるので校舎裏に来てください』とだけ書いてあった。差し出し人は不明。
うん。これは、もしかしなくてもラブレターだね。下駄箱に入っている手紙といえば、果たし状かラブレターのどちらかだろう。恨みを買うようなことはした覚えがないし、希望的観測でラブレターだと思い込みたい。シールがハートだし、ラブレターとして送ってないなら差し出し人に小一時間説教しなきゃいけないよな。
……それにしても、決意してからの流れが早すぎないか?
別れ話の夢を見たのは今朝。下駄箱にラブレターが入っていたのも今朝。偶然にしては出来すぎている気もするが、そんな現状にいまいち舞い上がれないような夢なのが憎い。
これが告白する夢を見た後だったなら、フラグ回収が早いと思いつつも喜んでいたのかもしれない。でも今回の夢はその逆で、付き合った後いろいろあって最悪の結果になった後の話。
まぁ複雑な気持ちになるよね。
「はぁ。ほんと、なんであんな夢見たんだろう?」
呟きつつも、教室に入る。既に何人か登校していたが、ぼっちの俺には関係のないことだ。あ、ぼっちって認めてしまってるじゃん俺。
現在クラスで騒いでいるのは陽キャグループ。人に興味のない俺は全然名前を覚えていない。高二に進級したばかりって理由もあるけど。ていうかそもそも始業式は昨日だぞ。通常授業が始まってすぐにラブレター出すってどうなんだろうか。意外とスタンダードだったりするの? 初めてだから全然わからん。
その横には、何やら真剣な面持ちで本を読んでいる少女が一人座っていた。周りの喧騒を一切気にしていないようで、一人の世界に入っているように思える。俺と同じだな、親近感。
……そういえば、夢に出てきた彼女ってこんな感じの子だったな。肩の上あたりで切りそろえられた髪に、日焼けとは無縁そうな白い肌。眼鏡の奥の目は丸く可愛らしいが、知性も感じる。
総評:かわいい。
夢の中の彼女と重なるからか、やけに愛おしく感じてしまう。
こんな彼女がいたら胡乱げには扱わないと思うんだが、夢の中の俺は馬鹿なのかな? 夢では正常な思考が出来ないって言うし、馬鹿なんだろうな。いくら俺だとしてもこんな可愛い子が彼女なら愛でまくると思う。
「マッキー、何ずっと水谷さんのこと眺めてんだ?」
少女の方をボーっと眺めていると、後ろから声をかけられた。
振り向くと、そこにいたのは立花智弘。俺の唯一の友達だ。
イケメンでスポーツも勉強もそこそこ出来るし、アニメなどへの理解もある完璧人間。もちろん彼女持ち。
俺の本名は荒川巻斗というのだが、それをもとにしたニックネームで呼んでくるのは彼だけだ。
「ああ、おはよう。それで? 水谷さんって誰?」
「お前……。水谷さんは一年の頃も同じクラスだったろ、何で知らないんだよ。お前の人嫌いもよっぽどだな」
「人の名前覚えるの苦手なんだよ。何で偉人でもない人の名前を大量に覚えなくちゃいけないのって思ってしまうからさ。ほぼ関わりないのに」
「はぁ、相変わらずだな。まぁいいか。水谷さんっていうのはそこで本を読んでいる子で、本名は水谷栞。つってもあんま喋らない子だから俺もそれくらいしか説明出来ないけどな」
そう言いながら、智弘は俺がさっきまで眺めていた少女を指した。
「へぇ、あの子、そんな名前なんだ。うーん、なんか勿体ないな。あんな可愛い子の存在を認知していなかったなんて。……って、どうした?」
俺がそう呟くと、智弘は何故か口を抑えて目をキラキラさせていた。乙女か。
「おま、それってまさか……」
「まさか?」
「恋……したのか?あのマッキーが……?」
「あのって何だよ。恋したことないのは確かだけどさ。でもかわいいって思っただけだぞ?」
「マッキー……そうか、やっとか。やっとなのか、マッキー……」
智弘のやつ、今度は体を震わせてやがる。俺の言葉なんて一切届いちゃいない。
「マッキー!! お前にもやっと春が来たんだなマッキー! おう、俺はお前の恋を全力で応援するぞ! 水谷さんはちょっと……彼女とタイプが違いすぎて……俺もどうすりゃいいかは分からん。しかし、マッキーなら何とか出来るって信じているぞ! 水谷さんは物静かな所がマッキーとはお似合いだと思う。だから、ファイトだマッキー!」
俺のニックネームを連呼しながら親指を立てる智弘。その迫力に圧倒された俺は、こくこくと頷くことしか出来なかった。いや何で泣いてるの智弘くん。そんなに涙脆いキャラじゃないでしょ。
……しかし、なるほど。これが恋ってやつなのか? 確かにクラスメートを可愛いって思ったことなんてこれまでない。これが初めての経験なので、恋なのかどうかなんて何も分からない。しかし妙に心が昂る気がする。
その後も、俺は事あるごとに水谷さんのことを目で追ってしまった。智弘の発言にも影響されているのかもしれないが、とにかく水谷さんのことが気になって仕方ない。
数学の授業で当てられ、震え声で答えた水谷さん。声が小さいと指摘した教師に殺意が湧いたのは言うまでもない。許さんぞ梅田先生、担任だからって自己紹介抜きで授業に入るなんて。教師の自己紹介で一時間潰れた他の授業を見習いやがれ。それはともかく、水谷さんって昼休みの弁当も一人で食べるみたい。黙々と食べるさまに少し哀愁を感じてしまった。ちなみに俺も一人だ。智弘は彼女と一緒に食べるからね。
◆
そして放課後。ずっと水谷さんのことを考えていたとしても、ラブレターのことを忘れることはなかった。なんなら、この手紙の差し出し人が水谷さんだったらな、という妄想を繰り広げたりしていた。都合のいい妄想なのは分かってる。でもこれくらいは夢を見させてくれ! あ、別れ話の夢はどっか行ってください。
そんな事を考えながら校舎裏へと進む。一歩歩くごとに体が強張るのを感じる。
本当にラブレターだよね? 信じていいよね? 今告白されに行ってるんだよね?
……とは言ってもだ。告白されるとして、その返事はどうしたらよいだろうか。朝は了承一択だと思っていたけど、俺に好きな人が出来てしまった。でもなー、断ったからといって水谷さんと付き合えるわけでもないしなー。悩む……。
結局、答えを出せずに校舎裏に着いてしまった。
本来は答えを出す必要すら無かったんだけど。
何故なら、校舎裏で待っていたのは水谷さんなのだから。
初連載!ということで、1話です。
これから頑張って参りますのでよろしくお願いします!