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ドブネズミたちに捧げる歌7

■2227/04/24 06:06


 サイドカーにレオノーレだけをのせて、一速のままゆっくりと走る。瓦礫とガラクタをじゃりじゃりと踏み荒らし、低速走行ならではの心地よさを味わっていた。


 昨晩、あたりの日が暮れてから置き去りにした拠点を発見した。道中に食らった川渡りの足止めのせいで、予定に大幅な遅れが発生していたのだ。当初の予定では昨日の昼前には到着しているはずであった。幸い川事件以降はとくに大きな足止めもなく、速度を上げて走りぬくことはできたが。

 誰かに荒らされることも、害獣の侵入もなく、大事な野営道具はすべて無事。このあたりは嵐の影響がなかったようで、地形が大きく変形していることもない。

 防風防水、しかも防火処理まで施された、ベルナディットたち三人が大切に使ってきたテント。マイナス二十度程度までならなんとか耐え凌ぐことのできるシュラフ。調理器具。レーションの予備。大容量の設置式大型EEチャージャー。そしてジョセフィーヌの予備バッテリー。

 ファイエットとアディーのふたりが絶賛、回収作業中である。ベルナディットとレオノーレは別行動中だ。


 もうひとつの目的。レオノーレの失せモノ探し。


「レオノーレの探し物って結局なんなの」

「時計だ。懐中時計」

「へぇ……お爺ちゃんの形見って言ってたっけ。旧時代のやつ?」


 こくんと頷くものの、右隣のサイドカーに座ったレオノーレは地面付近にせわしなく視線を這わせたままだ。

 そんな小さなものが見つかるだろうか。失くしてからすでに結構な時間が経っている。一晩で地形を変えてしまう、瓦礫とガラクタで溢れかえる大地。見つかったとすれば、奇跡にも等しいのではなかろうか。

 襲われているレオノーレを助けてからの逃走経路を遡っているものの、正直ほんとうにこの辺りを走ったのかも、定かではない。ジョセフィーヌの速度には追いつけまいと分かっていても、警戒してぐねぐねと走りまわったのだ。


「見た目は?」

「金色の塗装がしてある。時計と同じ色の長い鎖がついていて、あとは……裏面に二一二三、for E・N & I・Nの手彫りらしき旧文字……」

「百年くらい前か」


 刻印の文字は百年前でも、時計そのものは旧時代のものだという。ベルナディットの音楽装置のように、レオノーレの祖父もまた上の代から受け継いだものなのかもしれない。

コンパスを確認しながら進んでいく。目的の場所はもうすぐそこだった。


「このあたりかな」

「ああ。あそこだ。あの建物の下で休憩していたら、ローマンベルグの警察隊に襲撃を受けた」


 そしてベルナディットに襟首をわしづかみにされた、と言葉をつづける。つくづく、助け甲斐のないネオだ。

 ジョセフィーヌを停めてエンジンを切ると、とたんに静けさがやってくる。まだ気温の上がり切らない冷たい風が、防護マスクに覆われていない額を撫ぜた。

 そそくさとサイドカーを降りたレオノーレに、ベルナディットも続く。ひび割れが目立つ地面に、元は建物だったのかもしれない灰色の欠片がいくつも散らばっていた。大小さまざまなそれは文明の残滓、使い道は思いつかない。


 廃墟の周りをうろうろと探すレオノーレとは別の視点で探す。レオノーレはレオノーレの記憶を、ベルナディットはベルナディットの記憶を。それぞれに探したほうが効率が良いだろう。見つかるかどうかは別として。

 たしかこの角度で侵入して、軍服の群に突っ込んだ。避けきれなかった二、三人を跳ねたことを覚えている。軍服を轢いた勢いのまま、声を荒げた男のほうへ向かい、レオノーレをサイドカーに放り投げた。

 あのとき轢いた奴らの生死はしらない。生きていようと死んでいようとどうでもいいことだが、死体が置き去りにされていなくて良かったと思うことにする。白骨化の進んだ腐った死体など見たくはない。死肉を喰らう鳥は内臓を好み、骨までは持っていってはくれないのだ。


 レオノーレの軍服を左手で掴み、宙を舞うようにして右側のサイドカーに放り投げた。もしも本当にあの騒動で落としたのだとすれば、そのときのタイミングがもっとも可能性が高いだろう。

 つま先でコンクリートのクズをかき分け、それらしきものを探す。


「時計、時計……時計……あ」


 見つからないだろうなと顔をあげたとき、朝日に反射したのか瓦礫の山が光った。崩れたコンクリートに、金属片や素材が不明の物体が埋もれている。先ほど光ったのはどのあたりか。

 ブーツの硬いつま先で山を崩していく。ただ単に金属片に朝日が反射しただけなのかもしれない。ぱらぱらと零れた砂や小石が黒いブーツを白く汚す。一際大きなコンクリートブロックが転げ落ちた時、それも一緒に転がり落ちてきた。


「ビンゴ」


 手のひらに収まるほど小さな、金色の薄い懐中時計。塗装が剥げかけてはいるものの、繊細な彫金が施されたそれは美しい一品だった。懐中時計から伸びるちぎれた鎖。裏返すと、レオノーレが言っていた手彫りの『二一二三 for E・N / I・N』も確認できる。E・NとI・Nは名前だろうか。

 胸元につけたインカムの本体を弄って、レオノーレにチャンネルを合わせる。


「レオノーレ、見つけた」


 返事を待つまでもなく、背後から聞こえた足音に振り返る。幾日も行動を共にしていたせいで、こいつの足音にも馴染んでしまった。こいつを拾った夜、足音に警戒して銃を向けたのが嘘のようだった。


「これでしょ?」


 何度も頷き、ふらふらと近寄ってくる。朝日を正面にして眩しいのか、それとも別の理由か。眩しそうに細めた両の目と、相も変わらず不思議な揺らぎを放つ瞳。

 差し出しされた手にそっとのせてやれば、大事そうに胸元に寄せる。時計はまるで、意思をもってそこに隠れていたかのようだった。瓦礫で傷ついても、鎖がちぎれても、本当の持ち主を待っていたのだろう。


 レオノーレの手の中でパカと開かれたそれを覗き込む。外装に施された彫金がかすむほど、その文字盤は美しいものであった。三本の針はどれも動きを止めている。


「壊れてんの?」

「元から動かないんだ。爺ちゃんが譲り受けたときにはもう動かなかったと言っていた」

「ふーん」


 大した理由はない。その時計を大事にしているレオノーレのためだとか、そうことではない。ただ、その古い手巻きの時計が美しかったから。ベルナディットが、その時計がふたたび時を刻む瞬間を見たいと思ったから。それだけ。


「直そうか、それ」


 嬉しそうに細められていたレオノーレの目が今度こそ歪んだ。感情を押さえつけるように淡々と自分の状況を語ったあの夜でさえ、泣きはしなかったくせに。

 震えた声でレオノーレが言う。


「…………ありがとう、ベルナディット」


 礼は直ったときでいいよ。そう言いながら、目をそらした。



■2227/04/25 12:45


 レオノーレの懐中時計を直すのはクエットサルミンに帰るまでお預けとなった。ジョセフィーヌや装備類のための工具は揃っていたが、時計に使用できるような精密用工具は持ち合わせていなかったのである。早くあの美しい手巻き時計が動く様を見たかったのだが、仕方あるまい。

 レーションだけという寂しい食事ではあるものの自身も昼食を済ませた。ならば、愛しの相棒にもご飯をやらねば。


「ナーディ、まだー?」

「まーだー。あと三十パーセント」

「え、多くない?」


 手のひらからもっていかれる体内オルドは、残量メーターの数字が上がっていくのに対して、みるみる減っていく。

 そろそろ休憩にしようかと止まった際、EEバッテリー残量を確認して度肝を抜かれた。まだ昼だというのに、残量数値が二十パーセントを切っていたのである。メーターの故障かとも思ったが、どうやらそうでもないらしく、明らかに燃費の悪さが問題であった。

 往路でも減りが早いとは思っていたけれどここまでではなかった。回収した野営荷物は重く、人間ひとり分ほどの重量にもなる。ジョセフィーヌはいま、五人もの人間をのせて走っているようなものだ。出発前の改造と、増えた重量。原因はどちらも、か。


 水陸両用化よりも先に、燃費の悪さを改善しなければならない。低燃費改良といえば、やはりジモンだろう。速度は出せなくとも、ジモンの改良したバイクは丸一日だって走ってみせる。さらにいえば、ジモンのバイクは強い。衝撃に強く、この荒野を何日も走り続けてなお、一切の不具合がなかったこともざらなのだ。


 体内オルドがすっからかんになるまで食われることはなにも問題ないが、このままでは九十パーセントに届くかも怪しい。オルドが空に近づくにつれて、身体の虚脱感も激しくなってくる。


 八十七、八十八、八十九……よし、九十いった。そこからなんとか九十二までメーターを上げて、ジョセフィーヌの食事は終わった。


 そして案の定、動かなくなる左足。


「仮眠とる」


 はーい、と返事をしたのはファイエットか、それともアディーか。オルドが枯渇した影響で猛烈な眠気に襲われながら、よたよたとなんとかサイドカーにもぐりこんだ。

 二、三十分も眠ればある程度回復する。そうすれば左足も動くし、またクエットサルミンに向けて走ることができる。遠征のたびに繰り返しているものの、オルドの枯渇による虚脱感は一向に慣れなかった。


 【エンドオブオルド】とはつくづく不可思議な物体だ。過去には人類を含めた生物を殺しつくさんと猛威を奮っていたくせに、いまや体内から枯渇するとまともに動けないまでになるとは。

 しかし、オルドがいまだ害あるものであることも間違いない。定期的に体外へ放出できなければ、病を発症する可能性だってある。なければ死ぬ。ありすぎても死ぬ。


 外気のオルドを取り込むために、防護マスクを外して目を閉じた。オルドを無害なものに変えるためのEE器官。その処理能力に劣るフォーマーのための、大切なそれ。しかし、マスクをしていても、この身体にはオルドが蓄積している。本当はなんの意味もないのかもしれない。

 生物や植物が環境へ適応するために身体を作り変えるのと同じように、世界中に蔓延するオルドもまた、進化を続けているそうだ。過去に使用されていたフィルターすら、いまは使えない。フィルターを簡単に通過できてしまうほど、オルドの粒子は小さくなった。


 なければ死ぬ。ありすぎても死ぬ。


「私もここにいていいか」

「……ダメっていってもいるんでしょ」


 すでに半分ほど眠りの世界にいざなわれているなか、レオノーレがごそごそとサイドカーの上段に乗り込んできた。眠りを妨げないのならそれでいい。


「マスク、本当にしなくていいのか」


 マスクを必要としない、ネオの問い。ベルナディットは返事をしなかった。

 ベルナディットやファイエット、アディー。ジモン、クリストハルト。多くのフォーマーはマスクをしなくともコロニーの外で生きていける。生きるか死ぬかの変換効率だけをみれば、そこらのネオと、きっとなんら変わりはない。ただ、多くのフォーマーは死ぬ可能性を少しでも減らすために防護マスクを着用する。

 マスクをしているだけでフォーマーだとバレるから。そんな理由で防護マスクをしないフォーマーだっている。マスクをしようがしまいが、死ぬときは死ぬのだから。


 人類を死に追いやり、無理やり身体を作り変え、挙句のはてに人種差別まで生み出した。なければ死ぬ。ありすぎても死ぬ。【エンドオブオルド】はそういうものだ。


 オルドがあろうとなかろうと、どうせこの世界はクソッタレなんだけど。



■2227/04/25 20:23


レオノーレのネズミ捕獲練習のために、ここ数日は毎夜まともな晩飯にありつけている。焼くか煮るかの二択しかないベルナディットたちと違い、レオノーレは早々に飽きがきたらしく、今晩はレオノーレ手製の料理を味わった。

 とはいえ、さほど手の込んだものではない。そこらに生えていた大きめの葉に、ハーブと塩をすり込んだ肉を包み、蒸し焼きにしただけ。“煮る”と“焼く”では味が変わるように、蒸し焼きにしただけでいつもとは違う旨さがあった。肉は柔らかく、噛むと肉汁が溢れ出る。ハーブが臭み消しになっているらしく、防腐用として慣れ親しんだ香りも良いアクセントとなっていた。

 試しに、と同じく蒸し焼きにしてみたランボの実も大成功であったと言えよう。水分の少なさ故、一部が焦げ付いてしまったことは残念だが、それはそれとしても旨いのはたしかである。ランボの実そのものが味気ないのは仕方ないとして、それでも蒸すことによってか、ほのかな甘みがでた。


 各自の補給や翌日の準備、ジョセフィーヌの充電を終え、四人で焚火を囲んでいる。


 ジョセフィーヌの補給は三回に分け、現在は満タンだ。それでも明日の昼前にはまた二十パーセントをきるだろう。やはり燃費の改善は急務である。

 雲に覆われた夜空は真っ黒で、風に混ざるのは湿った匂い。一雨きそうだった。初日のような幸運に見舞われることなどそうはなく、今夜もまた寒空の下での就寝となる。テントで耐えられる程度の雨ならいいが、豪雨ともなるとそうはいかない。寝ているあいだに身体が濡れることは、死ぬことと同義。夜間の見張り番は重要な仕事だ。


「ねぇ、レオノーレさぁ」

「……ん?」


 断熱用のマットを地べたに敷いて仮眠をとっていたアディーが、ふと呟いた。目覚めたばかりか、それともまだ夢うつつか。ゆったりとしたアディーの声を聞くだけで、なんとなくこちらまで眠たくなってくる。

 まだ水分が残っていたらしい薪が、火花を散らしながらパチン、パチン、とはぜる。崩れ落ちたものが、芯まで真っ赤になった熾火の海へ落っこちた。


「しばらくクエットサルミンに留まるんだよね?」

「ああ、行く当てなどないからな」

「そっかぁ」


 少しの沈黙。静けさ。焚火と、風に揺れる葉。バカな虫が、美しい火に魅入られて自ら飛び込んでいった。

 少しの逡巡。ベルナディットとファイエットが吐き出す煙草の煙。べったりとした不快な夜空に消えていく。

 それじゃあさ、と言葉を絞り出したアディーの声だけが、どこか大きく聞こえた。


「兄ちゃんの仕事、手伝ってあげてよ」

「……私にできることなら、喜んで」


 一瞬呆けた顔をしたレオノーレは知らないだろう。アディーのその言葉は、この子が差し伸べた勇気だということを。“クリストハルトの仕事”を手伝うことの意味を。

 アディーはベルナディットが思うよりもずっと大人だ。可愛い妹分だけれど、結局のところ歳だってひとつしか変わらない。

 ベルナディットはいまだ、レオノーレを自身の中でどのように位置づけたら良いものかを分かっていなかった。否、考えようとすることさえ、放棄していたのかもしれない。レオノーレは偶然助けた女だ。レオノーレは成り行きで行動を共にすることになった女だ。レオノーレは貧弱だ。レオノーレは美人だ。レオノーレは、レオノーレは、レオノーレは……


 レオノーレはネオだ。


 ネオは人類の優位種だ。ネオはクエットサルミンの敵だ。ネオはフォーマーを馬鹿にしている。ネオはフォーマーを汚らわしいものだと思っている。ネオはフォーマーを忌み嫌う。ネオはフォーマーを傷つける。ネオはフォーマーを虐げる。ネオは、フォーマーを殺す。


 ネオはベルナディットからたくさんのものを奪ってきた。母を、平穏を、身体を、そして生きる尊厳を。


 ネオは嫌いだ。ファイエットも、アディーも、きっと同じように、ネオが嫌いだ。

 じゃあ、レオノーレは?

 レオノーレは嫌いじゃない。貧弱で、外で生きるための術を何ひとつ知らないけれど、なによりもジョセフィーヌの話を聞いてくれる。だから、嫌いじゃない。

 ここまで考えたところで、ベルナディットにとってレオノーレがどんな位置にいるのかなんて、分かりやしなかった。


 焚火の炎がうつる、レオノーレの瞳。グレーに渦巻くオレンジは、焚火の色か、それとも彼女のもつ色か。


「こいつがクリスの暴走車に耐えられると思う?」

「さあね、吐くんじゃない?」


 ファイエットが飛ばした冗談に、ベルナディットも付き合う。お互いアディーの言う“クリストハルトの仕事”が盗賊業でないことなど分かり切っていた。


 クリストハルトのEECは妹のアディーと同じく水を扱う。しかし、彼の普段の仕事は生活用水施設ではなく、空気浄化施設の機械屋さんである。EE器官の機能に劣るフォーマーたちを守る、クエットサルミンの命綱。日々変質を続けるオルドにたいして、今の時代にどれほどの効果が認められるのかは分かっていない。研究や開発を進めるための設備も、効果を確かめるためのデータも足りない。けれどそれ以上に、“コロニー内の浄化機能”はフォーマーたちの心の依り代なのだ。安心できる場所などないこの世界で、唯一命の危険を感じないで済む故郷。

 住民たちに受け入れられることが難しいであろうレオノーレが、その空気浄化システムに携わることの意味はけして小さくない。


 アディーはレオノーレをただの居候ではなく、クエットサルミンの住民として受け入れられるように手助けすると、そう言っているのだ。


 反発も大きいだろう。空気浄化システムの改良に携わるクリストハルトや、代表の息子であるジモン。彼らと違い、アディーの持つ影響力などごく僅かだ。それはベルナディットやファイエットも同じこと。だからこそ、兄であるクリストハルトの手を借りても、レオノーレの力になるというのが、アディーの言葉に隠された優しさと勇気だった。


「お、おい。仕事というのはもしかして、お前らがやっている盗賊業のことか!?」

「フォーマーは意地汚いからねぇ、使えそうな人材はなんでも使うの」

「そそそそんなこと、私にできるか!」


 断熱マットから身を起こし、アディーが焚火を木の枝でつつく。パラパラと崩れた真っ赤なそれのなかに、手に持った枝を放り込んだ。


「と、まあ、冗談はさておき。アディー、なんで突然レオノーレを受け入れようと思ったの」


 ファイエットの真剣な声に、アディーはいつも通りの穏やかな顔で笑って見せた。

 相談してくれても良かったのに、と思ったのはベルナディットもファイエットも同じだろう。


「んー。心から受け入れようと思ったわけじゃないよ。この人ネオなんだよなぁってモヤっとすることもたくさんある……でもね」

「でも?」


「兄ちゃんが、レオノーレが美人だって騒いでたから。それだけ!」


 クリストハルトが言っていたから。


 アディーらしい理由で、そしてフォーマーらしい理由だ。

 フォーマーとして生まれた者のなかで、いったいどれだけの人間が“遠い未来”を考えられるだろう。ただ今を生きるために必死なドブネズミは、いつだってこの瞬間を少しでも良くするために生きるのだ。

 レオノーレのためじゃない。兄のため。しいては、アディー本人のために導き出された答えだったのかもしれない。


 クリストハルトがレオノーレを美人だと言ったから。その美人を兄の隣に置いてやろうと思ったから。そうすれば、兄が喜ぶかもしれないから。兄が喜べば、アディーが嬉しいから。


「お、おい……私は本当に、盗賊なんて野蛮な真似は……」

「はいはい、高尚なネオ様はその綺麗なおててを汚さなくても構いませんよ、っと!」


 吸殻を焚火にくべ、ファイエットが勢いよく立ち上がる。明日に備えて、眠る時間。ベルナディットもファイエットに倣って立ち上がった。

 焚火のそばに座り込んだままのレオノーレをつま先でつつく。


「ほら、高尚なネオ様も寝るよ」

「その呼び方はやめろ!わかったから蹴るな!」


 ベルナディットとレオノーレのやりとりを見て、アディーが小さく笑った。テントをくぐりながら、ファイエットも笑った。しぶしぶ立ち上がったレオノーレも笑った。


 だから、ベルナディットも笑った。


 雨はまだ少し遠くに。夜が明けるまで、どうか降らないでいてくれると良い。そして明日も、どうか笑って生きていられると良い。


 焚火の明かりでぼんやりと照らされたレオノーレの金髪に、この人がネオでなければ良かったのに、なんてどうしようもないことを思った。



■2227/04/28 09:00


 バラダース付近の海は表面に浮かぶ黒い油と、死骸が腐ったような臭いが特徴だ。そこから西へと走り続ければ、海に浮かぶ油は次第に少なくなり、腐った臭いもまた潮風へと姿を変える。

 瓦礫と廃墟が散らばる荒野の向こう側に、平らに均された廃塩田と丸いドーム型のコロニーが見えれば、クエットサルミンはすぐそこだ。


 夜明けに出発してから四時間と少し。前日も、前々日も、ここまでの道のりに大きな障害はなかった。いらぬ警戒をしてしまうほどに順調だったと言える。


『あれぇ?通れそうじゃない?』


 インカムを通して聞こえたアディーの声に、目を凝らして前方を注視する。が、残念ながらベルナディットはアディーほど目が良くないのだ。砂ぼこりが舞っている様子しか見えない。


『アディー、望遠鏡かして……えぇ、なにあれ』


 ファイエットの言う望遠鏡とは、アディーに持たせたフィールドスコープのことである。盗賊稼業のために持たせているのだが、元はバードウォッチング用のものである。想定された用途と違う、ということは理解しているのだが、ベルナディットを含め誰一人として“バードウォッチング”が何かを分かっていない。いや、分からないわけではない。バードをウォッチするのだ。それはわかる。しかし、なぜ旧時代の人間は鳥を見ようと思ったのか。

 そもそも、鳥なぞ観察して何になるというのだろう。旧時代の鳥は空を飛んでいたのだと聞いたことはあるが、やはり旧時代の人間たちの間でも空を飛ぶ奇怪な生き物は物珍しかったのだろうか。


 ベルナディットの知る鳥と言えば、この荒野でも時々見かけるアイツしかいない。

 ふさふさとした羽毛を全身に生やし、鋭いクチバシと翼を持ち、ひび割れだらけの荒野を豪速で駆け抜ける、獰猛なアイツ。長い脚から繰り出される力は相当なものであるらしく、一般的なEE機関搭載車など平気で追い越していく。

 こちらから手を出さねば襲ってくることもないが、ひとたび敵対してしまえば死ぬまで追いかけて来る。そして、主な食料は動物の死肉。共食いすら厭わない様子から、フォーマーたちにさえ嫌われている。

 とはいえ、アイツらはフォーマーの貴重な資源でもある。鳥から毟った羽は寝具や服などに加工され、命懸けで捕った卵は高栄養のご馳走なのだ。


 その鳥を見るためのフィールドスコープを覗き込んだファイエットは、先ほどから不可解な声を出しながら唸っている。


「で、通れるの?」

『通れる、とは思う、けど……うーん、マジであれなに?』


 先ほどから会話に出てくる“通れる、通れない問題”。


 往路で大変な苦労をした、あの川のことである。必死に架けた鉄骨の橋はジョセフィーヌの重さに耐えきれずに一部が崩落しているはずだ。川を避けて迂回することも考えたのだが、あの川がいったいどこから湧き出て、どこまでつながっているかの予測がつかなかった。ゆえに、ひとまずは川の手前まで行ってみようとという結論に落ち着いたのだ。


 荒れた大地はここを通り過ぎてから数日で、また少し形を変えているようだった。いったいどこからどのようにして転がってきたのか、巨大な鉄の塊が地面に半分埋まっている。行きにはなかった、と思うが、定かではない。

 風が強いせいで、今日は砂ぼこりが一段と激しい。煙るような黄色い視界のなかを突き進んで行くと、ファイエットの言う『あれ』が見えてきた。


『なにあれ、鉄骨?』

「突き刺さってるね」

『でも川はなくなってるよ』


 ひび割れのないコンクリートにジョセフィーヌを停める。


 数日前までごうごうと音をたてていた濁流はどこへ消えたのか。この地には水の一滴すら残っていない。

 本当にあの川がここだったのかさえ疑ってしまいそうになる。しかし、コンパスに示された座標の数値は間違えてはいない。数日前まで、ここには確かに川があったのだ。


「川が流れていた跡すら残っていないな……」

「閉じたのかなぁ」


 レオノーレの言う通り、地面には“くぼみ”すら見当たらない。知らないうちに地震でもあったのだろう。奈落のように口を広げていた亀裂や大穴が、一晩で閉じてしまうことは珍しくなかった。

 川が忽然と姿を消したことも驚きだが、もうひとつ謎のオブジェも完成している。


「突き刺さってるというか……」

「生えてる、な」


 そう、生えている。

 地面から鉄骨が四本、生えているのだ。


「あれ、橋かなぁ」

「だろうね……」


「くく、あはは!」


 突然笑い出したレオノーレにあっけにとられていると、おもむろにその足を鉄骨のオブジェに向けた。


「すごいな、外の世界は!」


 さび付いた柱に触れ、その高くも低い頂点を見上げる。地面に埋まっている部分はさほど多くないのだろうと考えると、体内にオルドを巡らせて力をこめれば、片手でも倒せてしまうかもしれない。奇跡のバランスで、奇妙に突き刺さった鉄骨のオブジェ。


「ローマンベルグを飛び出してから、何度も何度も、もう死ぬのだと思った。コロニーの中がいかに安全で、外の世界がいかに恐ろしくて、そして私がどれほど無知で愚かだったのかを思い知った」


 レオノーレが拳で軽く小突けば、さび付いた鉄骨はカンカンと気味の良い音を返してくれる。


「地球はいまだ怒り狂い、地上に生き残る生命を駆逐せんとする。その中でさえ、自ら生き残る術を見出していく。人間はすごいな。あのとき、川を渡るなんて無謀だと思った。こいつらはなんて馬鹿なんだろうとも思った」


 失礼な、と呟いたファイエットの声は、それでも軽く楽しそうな響きを含んでいた。

 レオノーレは、カン、カン、と何度も鉄骨を叩く。それでも、オブジェは立ち続け、その頂点を空へと突き立てている。


「こうして、死にかけた大地に爪痕を残す……すごいな。お前らはすごいよ」


 振り返ったレオノーレが笑う。マスクを必要としないネオが、分厚いマスクで鼻下を覆うフォーマーに笑いかける。それはひどく眩しい。ベルナディットにはやはり少し眩しすぎたから、軽く目を細めて、マスクの下で笑い返した。


 ベルナディットたちが先へ進もうとしたから、この鉄骨はこうしてあり得ない形へと姿を変えた。レオノーレはそう言う。

 たしかに、川を渡ろうとしなければ、かき集めた鉄骨たちはどこかに横たわったまま錆て朽ちていただろう。けれど、このオブジェを作り上げたのは三人ではない。レオノーレの探し物、というきっかけがなければ、惜しい惜しいと嘆きながら、三人は野営荷物を諦めていたかもしれない。諦めることなく取りに戻ったとしても、あの日に出発しなければ川に遭遇することはなかったかもしれない。


 だから、ベルナディットは口を開いた。


「レオノーレも、でしょ」

「…………ああ」


「じゃあ、ミュージシャンになったきっかけに、署名でもしますか!」


 ファイエットの無駄に大きな声に、何秒か首を傾げる。レオノーレの横に並ぶように鉄骨に向かい合ったファイエットの背中に、とりあえず訂正の言葉を投げかけた。


「ファイエット、ミュージシャンじゃなくてアーティストね」

「それそれ。ま、同じようなもんでしょ」


「ねぇ、私、字書けないー」


 字を書けないと言いながら、アディーも鉄骨の前に立つ。仕方がないから、ファイエットとアディーがやると言うから、ベルナディットも鉄骨に向かった。

 アディーのサインのために、レオノーレとファイエットが地面につま先で文字を書く。


「アディーの綴りはこれでいいのか?」

「いや、それ愛称だから……アディーの綴りはこれね」


「アイ……デル……ハート……なるほど、だから“アディー”か」


 アイデルハート。けれど、誰もが彼女をアディーと呼ぶ。彼女の父が、愛情をこめて“アディー”と呼んでいたから。


 アディーの両親はどちらもクエットサルミン出身のフォーマーだった。アディーもまた、ベルナディットが母を失ったように、両親を失っている。

 フォーマーたちが生きていく上で、文字の知識は必ずしも必要なものではない。だから文字を書けない者はクエットサルミンでも珍しくはなかった。


「サインって、名前だけでいいの?」

「日付とか書いとけばいいじゃない?」

「言い出しっぺのくせに適当かよ」


 ファイエットの物言いに軽く笑って、錆だらけの鉄骨にナイフで傷をつけていく。こんな傷なんて、きっとまたすぐに錆に覆われて見えなくなってしまうのだろう。否、その前に嵐や竜巻で飛ばされてしまうかもしれない。

 そう分かっているはずなのに。こんなことは意味がないと分かっているはずなのに。


 どうしてこんなにも、わくわくしてしまうのだろう。


 厳しい大地にのまれ明日にも死ぬかもしれない。それでも必死に生きるフォーマーがここにいる。この鉄骨を地面に突き立てたのは、自分たちだと、ドブネズミだってここで生きているのだと。まるで、叫ぶように。

 鉄骨に刻む小さなサインは、きっとベルナディットたちそのものだ。すぐに消えてなくなってしまう。この地にのまれて死んでいく。


 かりかりと文字を刻むレオノーレの手の動きは、明らかにサインのみのそれではない。肩越しにのぞき込む。


「くく、旧時代語って。このカッコつけめ」

「あ、おい、見るな!」


 署名の後に言葉が続く。

『TO THE BEST OF YOU GUYS』

 最高のお前らへ、か。ファイエットもまだ何かを刻み続ける。アディーは地面に記された自分の名前をなぞりながら、丁寧に刻み込む。


 BERNADETTE 28 Apr 2227


 もう一度、ナイフの先を向けた。私はここにいる?いや、違う。大事な友へ?いや、これも違う。

 荒野で踊る、黄色い砂ぼこり。消えた川。ひび割れた地面。竜巻で友人が死に、亀裂に落ちて兄貴分が死に、瓦礫に押しつぶされて仲間が死に、そしてネオに母が殺された。それでもここが、ベルナディットの生きる大地だから。


 真っすぐに立つ、四本の錆びた柱。アディー、ファイエット、レオノーレ、そしてベルナディット。それぞれに、ひとつ。


『BERNADETTE 28 Apr 2227』

『I WILL LIVE HERE』



 ここで生きていく。



■2227/04/28 15:14



『結局、食料の追加はなかったね』

「ま、たまには良いんじゃないの」

『だね。ナーディ、帰ったらまたジョセフィーヌいじるんでしょ?』


 インカム越しにだらだらと会話を続けながら、クエットサルミンへの道を進む。もう数分としないうちに、丸いドームが見えてくるだろう。しかし、随分と風が強い。


「改良しないといざとなった時に命取りでしょ、この燃費」

『あはは、じゃあしばらくはお出かけなしでのんびりしますか』

『あ、ナーディ!お風呂の改造もしたい!』


 あの小さい風呂、トランスフォームするの?と聞けば、変な魔改造しないでよ!とファイエットの叫び声が返ってくる。


 クエットサルミンに近づくほどに、風の匂いが変わっていく。だんだんと強くなる、潮の匂い。バラダースの海は近くにいるだけでも体に悪そうだが、クエットサルミンの海だってけして安全ではない。けれどそれは、故郷のにおいだった。

 強く吹いた風がジョセフィーヌを横から叩き、ベルナディットの前髪をかきあげる。雨よりも強い、嵐の匂いが混じっていた。


『なんか、やーな風……』


 前方に雲はない。とすれば、後ろから迫ってきているのか。嵐が来る前に、クエットサルミンに帰れると良いのだが。


Tips:


設置式大型EEチャージャー:ベルナディット謹製魔改造EEチャージャー。携帯を前提としたEEチャージャーを、あえて大型に改造することで充電容量を広げている。設置式のものといえばEE機関が一般的であるが、ベルナディットはEE機関の変換効率の悪さが嫌いなのである


懐中時計に刻まれた文字:それはなにを意味するのか。そして、誰に向けられたものなのか


体内オルド枯渇による虚脱感:EE神経にオルドを巡らせることで、新人類たちは身体能力を向上させる。常に体内を巡る微量のオルドは、無意識下ですら常時、身体能力の補助を行う。そのため体内のオルドが枯渇した際、猛烈な虚脱感や睡魔に襲われる


フォーマーのマスク:旧人類たちはウイルスを体内に取り込むことを防ぐため、常に防護マスクを着用してきた。それと同じように、EE器官の機能に劣るとされるフォーマーは、少しでも病発症の可能性を減らすために防護マスクを着用する。しかし、進化と変異を続けるエンドオブオルドに対し、その効果がどこまで認められるかは定かではない。防護マスクの着用はフォーマーであることの証でもあり、マスクを着用したコロニー外の人間には何をしても良いと考えるネオも少なくない


クリストハルトの暴走車:クリストハルトはどんな乗り物さえもピーキーなチューンを施す。非常に乗りにくく、走りにくい。本人でさえもときどき乗りこなせない


空気浄化システム:バルタザール・ローマンベルグが開発したコロニー用大規模空気浄化システムを応用したもの。変異を続けるエンドオブオルドに対抗するため、それらの整備・改良を行う者たちは常に新たな挑戦を強いられる。オルド変換効率がネオと大差ないフォーマーが多い為、防護マスク同様、そのシステムにどれほどの効果があるのかは誰もしらない。しかし、大事なのはシステムによる空気の浄化ではないのだ。この安らぎを知らぬ大地の中で、ただひとつ安心して眠るためのシンボルなのである


レオノーレは美人:レオノーレは美人


旧時代語:それは旧時代、英語と呼ばれた世界共通語であった。大地の誅罰や生存聖戦のさなか、国や人種という概念は次第に淘汰されていった。文化や言語が混ざり合い、旧時代の面影を残しながら文明もまた新たな時代へと踏み出している


I WILL LIVE HERE:ここで生きていく。刻まれた文字を読む人間もまた、己の言葉を刻むのだろう

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