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ドブネズミたちに捧げる歌5

■2227/04/17 15:02


「なるほど……フォーマーズコロニーを狙っての襲撃とは……」


 ネオというのは、どうやっても我々を傷つけたいらしい、と代表のラオが続けた。ラオは現在四十七歳、そろそろ四十八になる。フォーマーたちの大コロニー一斉離脱、ローマンベルグ事変の際に赤ん坊だった。

 彼の両親はローマンベルグからこの地に逃げてくる途中で亡くなったという話をジモンから聞いていた。


 レオノーレが事情を説明しているあいだ、ベルナディットはちょっとそれどころではなかった。一度聞いた話だから興味がない、というわけではない。クエットサルミンの一員として、代表らと共に真剣に考えなければ、とも思う。

 思うのだが、それどころではない。


「ここが君の父親とやらに割れているとも思えないし、住民の避難は現実的じゃない。どう思う、ジモン」

「とりあえず、武装できる面子には事情を話しておいたほうが良いよな」

「一般民には黙っておくのが得策ですかね。無駄に不安を煽るだけだろうし」


 ジモンもクリストハルトも真面目な顔をしていた。

 話し合いに身が入らないのはベルナディットだけだと思っていたが、ファイエットとアディーも何か言いたげにレオノーレのことをちらちらと見ていた。それどころではないのはベルナディットだけではない、よかった。いや、良くない。良くはないのだが、それどころではない。


「ところで、なんでお前たちはそわそわしてんだ」

「アディー、真面目に聞け」


「いや、むしろなんでジモンとクリスは落ち着いてられんの……」


 ファイエットの言葉に思わずうなずいた。なぜ落ち着いていられるのか。男のくせに。

 お互いに親友と公言している二人であるが、ときおり周囲から「いつ結婚するのだ」というようなからかいを受けている。まさかとは思うが、本当にふたりは女に興味がないのだろうか。


「じゃあもう単刀直入に言うけど……あんた、風呂入っただけで変わりすぎじゃない?」

「………は?」


 狭いベルナディットたちの部屋に集まった全員の目がレオノーレを向いた。眉をしかめ、なにを言っているんだ、と言いたげな顔をしているのが三人。ジモンと、クリストハルトと、レオノーレ本人。ラオはジモンと似た相貌を崩してにこにこしていた。


「もともと美人だなとは思ってたけど……なにその金髪」

「……母親譲りだ」

「なんかくすんだ薄茶色だったじゃん……」


 すらりとした体躯に、白い肌、流れるような美しい金の髪は小さな部屋のライトを反射して煌めいていた。通った鼻筋、赤く艶めく唇、やはり印象的だったのは焦点の合いにくいグレーの瞳。

 美人とはこういう人間のことを指すのだと、ベルナディットは初めて知った。


 ローマンベルグからの旅路で随分と汚れてしまっていたらしく、風呂に入らせたら驚くほど化けた。それだけのことである。バラダースからクエットサルミンまでの道のりで薄茶色に見慣れてしまったからか、くすんだ茶から金への変貌は目を見張るものがあった。

 もしレオノーレがクエットサルミンに住まうフォーマーであったなら、コロニーの外には絶対に出してもらえなかっただろう。美しいフォーマーの女は、サマーカットの男どもの餌食になる。ベルナディットの母親のように。


「どうでもよすぎて腹が鳴ったんだが」

「クリスの腹はいつも鳴ってるでしょうが、この妖怪腹減り兄妹(ハングリーブラザー)!」

「私とばっちりー!お腹は空いてるけど鳴ってないよ!」


 ハングリーブラザーとファイエットのやりとりを聞いて、レオノーレがふふっと笑った。緩やかに弧を描いた口元から覗く歯は綺麗に揃っていて、欠けたところなどひとつもない。ジモンのように、バイクで転んで前歯が欠けていることもなければ、クリストハルトのように、ジモンに殴られて折れた鼻が鷲鼻になっていることもない。


「うん、レオノーレさんは美人だね。ジモンくんがナーディをお嫁さんに貰えないなら、レオノーレさんみたいな子を連れてきてくれるとお父さんは嬉しいよ」

「うっせぇバカ親父!俺がナーディの旦那とかナーディが可哀そうすぎんだろ、アホが!」

「たしかに、それは私が可哀そうすぎる」


 レオノーレがまた笑った。冗談でもフォーマーの嫁話など嫌だろうに。


「気にしなくていいよ」

「なにがだ」

「ジモンの嫁って話。わかってると思うけど冗談だからね」


「問題ない。ベルナディットの恋人に横恋慕したりしない」


 恋人じゃないんだけど、と呟くと、それを聞いたジモンがこちらをみてにっと笑った。笑うと欠けた前歯がよく見える。恋人にするなら前歯が欠けていなくて、殴られて鷲鼻になっていない人がいい。


「まぁ、年齢的にナーディを嫁にとれんのは俺とクリスくらいしかいないけどな!」

「私、ジモンもクリストハルトも嫌なんだけど」

「は!?ジモンはともかく俺はいい男だろ!」


 実際問題、長生きすることが難しいクエットサルミンのフォーマーにとって結婚相手というのはとても限られている。生まれた子どもが高い確率で短命であるという事実は、やはり足を竦ませる。コロニーを構えたところでフォーマーズコロニーの人口が伸びないのは、そういった事情が少しずつ絡み合っているからだ。

 人口が多く、大コロニーと取引を続けるバラダースは、フォーマーズコロニーのなかでも非常に貴重な存在と言えるだろう。


「まぁ嫁婿話は置いといて……ところでレオノーレさん、君の父親とやらが求めていたものに心当たりは?」

「遺産、と言っていた。たしかに私は祖父と母を事故で亡くしているが……遺産と呼べるようなものはすべて叔母に……唯一祖父から受け取った形見といえばこれしか」


 レオノーレがコートの内ポケットを探った。なんどかごそごそと手を動かし、今度は両脇のポケットに、スラックスの両ポケット、そしてまたコートの内ポケットに戻る。その表情から血の気が引いていくのが見て取れた。


「ない……」

「それは……あー、まずいんじゃねぇの?」

「もしあんたの親父さんとやらが探しているものがそれだとしたら……いやな予感はするな」


 ジモンの言葉にクリストハルトが続ける。その“遺産”がネオにとってどれほど重要なものなのかはわからないが、フォーマーズコロニーに害が及ぶようであれば危険だろう。

 事実、レオノーレの父親はフォーマーズコロニーへの襲撃を繰り返しているのだ。詳細はレオノーレにも分からないようだが、関連している可能性は大いにあるとみて良い。レオノーレの父親が危険人物であり、クエットサルミンにも害が及ぶかもしれないことは、誰にだって想像できた。


「警察隊に追われている最中に落としたのかもしれない……」


 四千キロにも及ぶ長旅である。その道中、スコールや竜巻にも巻き込まれていたようだし、追われているときに落としたというのはじゅうぶんに考えられる。

 ぎゅっと目を閉じたレオノーレが、二度、大きく息を吸った。細い吐息が震える音。


「レオノーレにとって大事なもの?」

「あぁ……爺ちゃんからの、唯一の形見だった。資産的価値があるとは思えないが……」


 ちらりとファイエットとアディーの顔を伺うと、同じことを考えているのが分かった。ファイエットがベルナディットの顔を見て、アディーの顔を見て、最後にレオノーレの顔を見て、肩をすくめた。

 これはレオノーレの為ではない。たまたま利害が一致しただけだ。祖父の形見が相手に渡れば、クエットサルミンが危険に晒されるかもしれないとか、それもちょっと違う。


 レオノーレは大事なものを探しにいく。

 すでに相手方の手に渡っていたらどうしようもないが、まだどこかに落ちている可能性だって捨てきれない。


「それじゃ、探しに行きますか。アディーとナーディも同じこと考えてるでしょ?」

「まぁねー」

「バラダース方面くらいだったら往復でもそんなにかからないしね」


 探しに行く価値は大いにある。

 レオノーレは大事なものを探しにいく。ベルナディットたちは大事なものをとりにいく。


「なにより」

「置き去りにした野営荷物の回収!」


「お前らそれが本音だろ!」


 当たり前である。置き去りにした拠点には耐火性のテントや、マイナス二十度程度まで耐えられるシュラフ、予備のレーション、炊事道具、ジョセフィーヌ用予備バッテリーなどの重要なものがそろっているのだ。

 予備レーションなどの消耗品は補充がきくが、そのほかのものは長年細々と集めた大事なものである。稼ぎが少なく、資源の乏しいクエットサルミンでは、これらを一式そろえるためにどれだけの労力を要するか、考えたくもない。特にジョセフィーヌ用予備バッテリーは今年ようやく完成したばかりであり、部品集めだけで相当な時間がかかった。絶対に回収したい。


 レオノーレは大事なものを探しにいく。ベルナディットたちは大事なものをとりにいく。赤ん坊でもわかる簡単な方程式。


 ジモンが立ち上がり、大きな声で言った。


「仕方ねぇなー!ジョセフィーヌの改造、手伝ってやんよ!」


 ありがとう、ジモン大好き!と言えば、前歯の欠けた兄貴はにっと笑ってベルナディットの頭を乱暴に撫でた。



■2227/04/19 15:17


 満足のいく出来である。


「見ていて惚れ惚れするな」

「……だね」

「二人乗りにするために拡張されたサイドカーとバランスをとるために増設した大型サイドケース……燃費の向上を図って拡張したEEエンジンと、その分スマートに改良したインジェクション……剛性を重視したスイングアーム……」


 サイドカーに元から設置していたシートを若干手前に出し、その後部、一段高いところにもうひとつ座席を増設した。サイドカー自体の拡張はしたが、シートの増設によってどうしても荷台スペースが狭くなったため、シート下と背部のトランクスペースを確保。積載重量に耐えられるように剛性の向上も図った。

 サイドカーのみの改造ではどうしてもバイク本体とのバランスが崩れたため、本体に大型サイドケースを増設し積載量も上げている。本体のメインフレームとスイングアームを変え、EEエンジンとインジェクションを改良、サスペンションやホイールなどの足回りも弄った。


「これをたったの二日でとか……俺ら天才じゃね?」

「……試運転、超気持ちよかった」

「それ、な」


 改良されたジョセフィーヌはまた一回り大きくなっていた。

 近づいてタンクを撫で、イグニッションキーを差し込む。メーターの針がウィーンと回り、戻ってくるのを待ってセルスタートでエンジン始動。


 キュルルル!ヴォヴォヴォヴォ!


 ギアがニュートラルに入っているのを確認して、アクセルをゆっくりとあけていく。


 ヴォォォォォォン!


「ウヒョーーー!やっぱり新しいマフラーの音やべぇぇぇ!」

「だよね、だよね!超良い音する!」


 ジモンとふたりで感動に打ち震えていたら肩をたたかれた。ジョセフィーヌの音で足音がまったく聞こえなかった。


「うるさくなってない!?」

「良い音になってるって言って」

「常々思ってたけど、年々うるさくなってるからね、ジョセフィーヌ」


 この音の良さが分からないとは、ファイエットもまだまだである。見た目通りお子様ということだ。

 その目やめて、と肩に軽いパンチを食らって、よろけるふりをして笑った。


「とりあえずこっちの準備も終わってるよ。レーションとかミントタブレットとか。アディーは銃器のお手入れ。ただひとつ問題があって」


「私は絶対に着ないぞ!」


 ということ、とファイエットに言われたが、どういうことか全くわからない。説明してほしい。とりあえず会話があまり聞こえないので、ジョセフィーヌのエンジンを切った。荒野を乗り回すのが楽しみすぎる。


「あれだな、帰ってきたら俺の愛車のトランスフォームだな」

「本気でやるつもり?」

「あったりまえだろ!浪漫だよ、浪漫!エンジンを積んだ鉄の塊が空を飛ぶんだぞ!めちゃめちゃかっけぇだろうが!」


 幼いころからジモンと話していた。

 クエットサルミンの元になった廃墟に残されていた旧時代の本に、空を飛ぶ“飛行機”というものが記されていたのだ。構造や仕組みの理解は出来るが、鉄の塊が宙に浮いて飛ぶなど、あまりにも荒唐無稽な話だった。

 それでも、ジモンはそれを作りたいのだという。荒唐無稽だと思う。自分たちの技術や知識だけで、鉄の塊を空に浮かべようなどと笑ってしまうような話だと。でも、ジモンの言葉を聞いていると、出来るような気になってしまうのだ。

 ジモンとベルナディットがいれば、ネオがつくるEE機関搭載自動車よりも速く走る車を作れる。死と隣り合わせの世界を生き抜くための小道具だって、おもちゃの銃に殺傷能力を持たせることだって、塩田を使用せずに苦みのない塩をつくる製塩システムだって、なんだってつくれる。


 じゃあ、明日、気ぃつけてな。にっと笑ったジモンに手を振って、笑い返した。

 ジモンとだったら、ベルナディットは空を飛べる気がした。


「で、レオノーレはなにを駄々こねてるの」

「ジャンバー着たくないんだって」


「この警察隊の制服は私の唯一残された誇りなんだ!絶対に脱がないからな!」


 ジャンバーを持ったアディーに追いかけまわされているレオノーレは、見た目に反して子供のようである。アディーとレオノーレ、背の高いふたりの追いかけっこには違和感しかなかった。


「まぁいいんじゃない?ヒーターはコートの下に着て、インカムだけ取り付ける感じで」

「じゃあ靴だけヒーター機能つけた硬化ブーツに履き替えてもらおうか」

「というかアレ、アディーに遊ばれてるだけでしょ」


 アディーに声をかけると、レオノーレとの追いかけっこをやめて素直にこちらに走ってきた。今日もうちの末っ子は可愛い。

 少し離れたところから、レオノーレがこちらを伺っている。警戒しなくとも、べつに無理やり服を脱がせたりしない。風呂掃除のときに前科はあるが、あれもコートを剥ぎ取っただけだ。別に素っ裸に身ぐるみを剥いだわけではない。

 レオノーレが着ているローマンベルグ警察隊の制服は生地も縫製も上等でしっかりしており、四千キロの旅に耐え抜き、ジモンに投げられても破れることはなかった。衝撃から身体を守るという点では、クエットサルミン製のジャンバーより安全性は高い。ならばわざわざ着替えさせることもない。


 ジャンバーにつけたベスト型のヒーターと、襟元のインカムを外す。手招きをすると、ゆっくりと近づいてきた。警戒している野犬のようである。野犬にしては、金の毛皮が綺麗すぎるが。


「それ脱がなくてもいいから、中にこれ着て。で、これは襟にでも付けといて」

「これは?」

「こっちはヒーター。あったかくなるやつ。で、こっちはインカム。あんまり距離があるとタイムラグがあるけど、離れたところでも会話ができる」


 渡されたインカムをしげしげと眺め、イヤホンを耳に掛ける。ベルナディットたちのインカムとはすでに同期されているらしく、電源を入れるとすぐに繋がった。

 あまり事情が分かっていなさそうなレオノーレを中心に、三人が十メートルほど距離をとる。通信ボタンを押すと、聞きなれたピポンという電子音が鳴った。


『あー、あー、こちらベルナディット。レオノーレ、聞こえてる?』

『えっとねぇ、本体にある緑のボタンを長めに押してー、そう、喋ると繋がるよ』


『す、す、すすすすごいなこれは!』


 うわ、うるさ、声でか……

 興奮しているところに水を差すのもなんだと思って、無言で音量を下げた。


『緑のボタンの横にある三角のボタンわかるー?上のやつが音量アップ、下のやつがダウン。で、あとなにかあったっけー?』

『本体のサイドにあるダイヤルが集音感度の調節。いまゼロになってるから、通信切ったら回してみて』


 通信を切って、挙動不審なレオノーレをしばし観察する。本体をしばらく弄り回していたかと思うと、肩がびくんと跳ねるのが見えた。

 集音機能は単純明快、周囲の音を集めて拡大するだけである。盗賊稼業の際に便利だろうと思って付けたのだが、いまのところあまり使い道はない。しかも感度の調整がなかなか難しく、低すぎると聞こえないし、上げすぎると耳が壊れそうになる



 あと数十分もすれば太陽も落ちて暗闇が訪れるだろうという時間帯。コロニーの天井、ドームの向こう側はすでに薄っすらと暗くなり始めている。

 地平線の向こうが赤く染まる、ほんの少し切なくなるような時間のなかで、ベルナディットは両手で顔を覆っていた。


「……光ってる……」

「光ってるねぇ」

「そんな機能はつけてない……」


 でも光ってるよぉ、と相も変わらず間延びした声でアディーは言った。

 そう、光っている。射撃はやったことがないというレオノーレのために、ファイエットと同じ改造EE機関電気警棒を贈呈した。元になっている警棒はEE機関を搭載した使い勝手の悪いシロモノだが、こちらは魔改造EEチャージャーを搭載している。使用者のEECを拡散させずに筒身のなかで威力を増幅させる魔改造警棒。熱や炎を拡散させるファイエットが使用すれば高温を纏う。拡散しないため、対象に直接触れなければ刺激は与えられないが、そのぶん体内のオルド消費量も少なくて済む。

EECは電撃のコントロールだと言っていた通り、筒身からバチバチと静電気のようなものが漏れている。ファイエットが使えば熱を増幅させ、レオノーレが使えば電気を増幅させる。


「おぉ、これは……!」


 ファイエットの改造警棒と同じく、ベルナディットはこれに光る機能などつけていない。でも光っている。

アディーはにこにこしているし、レオノーレは嬉しそうだし、ファイエットは爆笑している。別に光ったからといってとくに不利益はないのだが、こうもピカピカとされるとあまり格好良くない。


「これは、格好いいな!ベルナディット!」

「あ、さいですか……」


 レオノーレの感性だと格好いいらしい。なら良かった……のだろうか?隣で過呼吸になりそうなほど笑っているファイエットをぶん殴って、目に痛いほどの光量は見ないふりをすることに決めた。眩しいし、目に痛いし……

 ベルナディット謹製の光る棒を嬉しそうに眺めるレオノーレを呼ぶと、振り返った拍子に彼女のブロンドに夕日が反射した。警棒といい、金髪といい、随分と眩しい女だ。


「落とさないでよ」

「お?うぉ、おっと!」


「ナイスキャッチ」


 投げ渡したそれもまた、ベルナディット謹製の護身具である。

 射撃の経験はないそうだが、持っていて損になるものではない。元は拾い物のオモチャではあるものの、当たり所が悪ければ人間の命すら奪える代物。ついでにマガジンも投げ渡す。


「M92。そっちは三十連予備マガジン」

「銃、か」

「そ。ハンドガン。狙った的に当てるのは難しいけど、けん制にはうってつけだから」


 レオノーレに渡したそれはベルナディットやファイエットの所持するものと同じ、M92を模したエアガンである。廃墟を探索しているときに未開封だったものを見つけたのだ。

 ベルナディットたち三人がそれぞれ所持している銃器はすべてが元オモチャであり、実際に鉄の弾が飛び出すホンモノはいまだお目にかかれていない。たとえオモチャであったとしてもあれだけの殺傷能力を有するのだから、本物の威力を想像するだけでも恐ろしい。

 ちなみに、レオノーレに渡したものはアディーのお下がりである。アディーが愛用するのはボルトアクション式のスナイパーライフル。その単純な構造は、アディーが作る雑な氷の銃弾と非常に相性が良かったらしく、ときおり驚くような威力を発揮する。メイン機のほかにもH&K USPのエアガンも持たせている。百連の予備マガジン付き。


 いざというときのために試し撃ちくらいは必要だろうと、四人そろってクエットサルミンの外に出てきた。

 黒いTシャツに黒いツナギというベルナディットもどうかと思うが、ファイエットに至ってはオーバーTシャツにホットパンツという、外の世界を舐め腐った格好である。肌寒さにジャンバーを羽織ってくれば良かったと、ふたり揃って後悔したあとだ。アディーはちゃっかり上着を羽織ってきやがった。


 コロニーから漏れ出る明かりのお陰で、夜とはいえ、何も見えないほど暗くはなかった。もちろん、試し撃ちにうってつけである相手の姿もよく見えている。


「そう、この状態で構えて、狙って、引き金を引く。ア―ユーオッケー?」

「わ、わかった……」


 ファルチキフが群生している中に身を潜めて、なにやら地面を嗅いでいる野犬を注視する。膝をついて両手で銃を構えるレオノーレの手は小刻みに震えていた。

 クエットサルミンの周辺でよく見られる野犬は、どいつもこいつも痩せこけて、旨くもないくせにやたらと好戦的なのだ。クエットサルミンの男たちがときおり討伐に出るが、駆逐できることもなく、気づくと数を増やしている。厄介な奴らだ。


「なーに緊張してんの」

「だまれ」


 呆れたような声を出すファイエットと裏腹に、レオノーレの声は手と同様かすかな震えを滲ませていた。

 初めて撃つ銃器への緊張か、それとも命を奪うことへの緊張か。レオノーレの額から流れる冷や汗を見るに、おそらく後者であろう。

ファイエットも、アディーも、ベルナディットも、もう数えきれないくらいの命を奪ってきた。野犬どころか同じ人間の、同じフォーマーの命でさえ。食べるために、生きるために、そうするしか手段がなかったから。けれど、フォーマーをいたぶるネオたちと違い、殺戮を楽しんだことなど一度してありはしない。

 レオノーレの緊張は分からないでもない。理解もできる。ただ共感できないだけだ。初めてこの手で人間を殺した時ですら、ベルナディットに躊躇いはなかった。


 レオノーレの指は動かない。


「別にアレの脳天を撃ち抜けって言ってるわけじゃない。ただ銃を撃つ感覚だけ試してみればって話だし、初めてでまともに当たるとも限らない。アンタが狙いを外したところで、どうせアディーが殺すんだから」


 ファイエットのどこか棘を含んだ言葉のとおり、アディーもスナイパーライフルを構えている。音に反応した野犬は逃げることなく、こちらに向かって牙を剥くだろう。そうなった時の保険であり、アディーであれば確実に撃ち抜くであろうという確信もある。

 野犬はクエットサルミンにとって正真正銘の害獣だ。レオノーレは護身具の試し撃ち。アディーはいつも通り、野犬の駆除。それだけのことだ。

 重ねるように、ファイエットが言う。


「アンタが撃てなくても、アディーが撃つ。アディーが外しても、アタシが燃やす。あの犬はいつか、クエットサルミンの子どもを食らう」

「レオノーレ。これはただの試し撃ち。無理に当てなくてもいい」


「だまれと……言っている」


 ご要望通り、口をつぐむ。ちらりとこちらをみたファイエットが肩をすくめてみせた。

 ふぅ、はぁ、と何度か深呼吸を繰り返す。先ほどまで地面の匂いを執拗に嗅いでいた野犬が、飽きたのか目的を達したのか、頭を上げてくるりと背を向けた。残念ながら生物相手の試し撃ちは出来そうにない。無駄な時間を食うくらいならば、適当な的でもこしらえてやれば良かった。

 ベルナディットもファイエットも諦めて立ち上がろうとしたとき、軽い発砲音とともに野犬の濁った悲鳴が響いた。


「おー、撃った」

「撃ったねぇ」

「しかも当たった」

 

 銃撃による衝撃で飛び跳ねた犬の身体が、ビクンと大きく痙攣し、そのまま地面に転がった。動く様子はない。


「え、死んだ?」

「どこ撃ったの?あたま?」

「んー、足、かなぁ」


 銃を構えた姿勢のまま、レオノーレも動かない。それを横目に三人でやいのやいのと言い合うが、そのあいだも撃たれた犬が動き出す気配はなかった。立ち上がったファイエットに続いて、警戒は解かずに犬へと歩み寄る。

 近くに寄っても犬は動かない。アディーの言う通り、たしかに犬の後ろ脚に小さな弾痕がある。傷口から細く血が流れ出していた。目ヤニだらけの汚い目と、口から投げ出された長い舌。白く泡立った涎が地面を汚している。


「なんでこいつ動かないの……」

「致命傷、なわけないよね」


 痛みで気絶しているとも思えない。その程度で気を失うような軟弱な生き物であれば、今ごろクエットサルミンの連中に皆殺しにされている。

 いまだ茂みのなかから出てこないレオノーレと、動かなくなった野犬、小さな弾痕。そんな機能はつけた覚えもないのに、煌々と光っていたレオノーレの魔改造警棒。


「感電した?」


 まさかね。もし本当にそうだとしたら、レオノーレのEEコントロール能力はすさまじく繊細で、そして適格だ。アディーの雑な氷の弾を壊すことなく、ほんの微量、しかし犬一匹を感電させるだけの力をこめたということ。

 大股で茂みに戻り、相変わらず微動だにしないレオノーレの手から改造エアガンを取り上げた。


「な、にを」

「なにを、って、こっちが聞きたいよ……銃も壊れてないし」


 軽く確認したところ、銃が狂った様子もない。カシャン、カシャン、と弄ったあと、そのまま適当な方角に向けて発砲した。やはり、別段おかしなところは見受けられない。


「なにした?」

「……お前らが撃てと言うから、撃っただけだ」

「いや、そういうことを聞いてんじゃなくてさ。撃つとき、なんか変なことした?」


 レオノーレの視線が動かない犬に向いたかと思うと、そのまま地面に吸い込まれるように目を伏せた。コロニーの人工的な光を、長いまつげが跳ね返す。


「EECを、少し……痺れされば、殺すことも……ない、かと」


 星空を見上げて、はぁー、と大きくため息をついた。偶然ではなく故意、か。

 レオノーレが優秀なのか、それともこいつがネオだからなのか。どちらにしろ、ベルナディットが夜空に吐き出した一言は変わりなかったであろう。



「お前……天才かよ」


Tips:

ローマンベルグ事変:物語からおよそ四十年前に起きた事件。ネオによる差別と弾圧に耐えきれなくなったローマンベルグのフォーマーたちが決起し、故郷であるローマンベルグから離脱した。EO器官不全を起こしやすいフォーマーたちにとってそれは、命懸けの選択であった。しかし、いつの時代も人間は誇りを失っては生きていけないのだ


ハングリーブラザー:クエットサルミン名物の妖怪、腹減り兄妹。いつでも腹を空かしているのは、本当は誰もが同じ。地獄を生き抜くフォーマーはたくましい


ジョセフィーヌの爆音:もう少し静かにできないこともない


光る棒:カッコいい(ダサい)


M92:ベレッタモデル92。イタリアベレッタ社製の自動拳銃。作中に登場する遊戯銃は主人公によって各箇所が改造されており、元の形を保っていない


H&K USP:ドイツH&K社製の自動拳銃。以下同上


アディーの作る雑な氷の弾:雑


野犬:長く太い四肢を持つ四足哺乳動物。好戦的な性質の為、コロニー周辺では駆除の対象とれている。肉は筋張り、独特の臭みがある。摂取すると消化不良を起こし、下痢や吐き気に見舞われる。最悪の場合死に至る可能性もあるため、よほどのモノ好きでない限り食べない



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