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ドブネズミたちに捧げる歌3

ネズミは案外うまい


■2227/04/13 07:09


 日が昇ってから、気温が一気に上がった。今日は暖かくなりそうだ。雨が降ることもなさそうだし、スコールや竜巻さえなければ距離も稼げるだろう。

 まだ眠そうな目をしたアディーが、焚火をガシガシと踏んで火を消していた。これだけ暖かければ、焚火もいらない。


「ファイエット、火ちょうだい」

「ん。あたしも一本ちょうだい」

「ん……」


 紙巻の煙草に火をつけて、一口。深く吸い込むと、肺に軽くずんっと煙がのしかかる。クエットサルミンで作られる、数少ない嗜好品である。大コロニーの軍人が持っていたものを吸ったことがあったが、重たすぎて具合が悪くなったことを覚えている。フィルターが違うのだ。防護マスクにも使用されているフォーマーのフィルターは、やたらと質が良い。バラダースがフォーマーのコロニーでありながらファームで食料を購入できるのは、このフィルターをサマーカットに卸しているからである。

 焚火のヤバい煙が消えたあとは煙草の煙が漂う。どっちも体に悪いな、と思うも、あの焚火のほうが殺傷能力は高そうだと自分に言い訳をした。


 朝の気だるい雰囲気は嫌いじゃない。朝ごはんを食べたり、前の晩のうちに終わらなかった補充作業をしたり、目が覚めるまで各々だらだらと過ごす。

 そっとネオ女を伺うと、ばっちり目があってしまった。そらすのも可笑しいと思って、しばらくネオ女の目を見つめてみる。

 目があっているのだか、あっていないのだか、よくわからなくなるグレーの目。明るいところでみると、不思議な色彩をしている。グレーの瞳のなか、中心に向けて夕焼けのようなオレンジ色が漂っている。日暮れの焚火みたいに、オレンジ色が揺れている。

 しばらく見つめていたら、ついっと顔ごと逸らされた。むすっとした態度をとっているかと思いきやジョセフィーヌに興味を示したり、感じの悪いことを言ったと思ったら夜中にお礼を述べたり、どうにもよく分からない。良い奴かどうかはわからないが、悪い奴ではないのかもしれない。なによりもジョセフィーヌに興味を持ったくらいだ。見どころはある。


 サマーカットのネオたちはもっと嫌な目をしていた。汚いものを見る目をした奴もいた、蔑んだ目をした奴もいた。フォーマーをいたぶって遊んでいるとき、害獣を追い払うように攻撃したとき、怒っていても笑っていても、あいつらの目はいつも濁ったようにほの暗く輝いている。

 殺したって食えもしないフォーマーをいたぶるのは、あいつらにとってそれが楽しいことだからだ。あいつらは、ネオは、ネオとして生まれたその日から優位者なのだ。たとえ大コロニーのなかで劣った存在だとしても、フォーマーという必ず自分より劣った人間が存在する。

 心に余裕があるネオはフォーマーを攻撃しない。「そんな奴ら放っておけ」と、フォーマーで遊ぼうとする同僚を諫めたりもする。ベルナディットはそれも屈辱だった。

 旨い飯で腹が満たされた人間は、廃墟に潜むドブネズミを食ったりしない。見かけたら嫌な顔をして放っておく。汚いな、と見ないふりをする。いつだって腹を減らしている動物は、ドブネズミだろうとなんだって食う。鬱憤がたまっている野犬は、ドブネズミをいたぶって遊ぶこともある。


 フォーマーはドブネズミだ。


「で、どうするか決めた?」

「………あぁ」


 フィルターの根元まで吸い終わった煙草の火を、地面に押し付けて消す。ついでに靴の底でぐりぐりと押し付けて、一ミリも残さず消し去った。

 アディーはファイエットの肩にもたれかかりながら、レーションをかじっている。うちの末っ子は、相変わらず自由で食いしん坊だ。

 ネオ女が、すぅと大きく息を吸う音が聞こえた。マスクもしていないし、臭かっただろうな、昨日から。


「レオノーレ、私の名前だ」


 火が完全に消えた真黒な焚火跡を見つめながら、ネオ女改め、レオノーレは滔々と語り始めた。感情をこめないよう淡々と、よどみなく。グレーの瞳の中、オレンジ色が揺らめいた。



 大陸に現存する大コロニーは六つ。空気ろ過装置を開発したバルタザール・ローマンベルグが作ったコロニー【ローマンベルグ】、EECを用いて周辺のコロニーをまとめ上げた【ブレム】、北の要塞と呼ばれる軍事大コロニー【ネオモスコール】、大陸を東西で両断する大山脈の向こう側にある謎多き【ノーベルベジン】と【シャポンランド】、そしてベルナディットたちにも馴染み深い【サマーカット】。

 六つの中でも、ローマンベルグはもっとも文化や技術が発達したコロニーと言われており、人口もおそらく群を抜くだろう。

 レオノーレはローマンベルグの警察隊員だったのだという。そして、彼女の父もまた、警察隊の要人であり、ローマンベルグを支える中枢の人物である。そんな彼は、数年前から突如として人が変わったように、横暴なふるまいをするようになった。ローマンベルグが所有するファームに、小コロニーへの食糧融通を禁止させ、ローマンベルグ周辺に住み着いたバカボンドたちを軒並み処刑、翌年にはフォーマーの小コロニーであるカロンを襲撃させた。現在はブレムより北の沿岸にある小コロニー、クックヘルムへの襲撃を計画しているのだという。

 レオノーレは、その父から逃げてきた。


「悪魔のような形相で、何かを渡せと迫ってくる父が怖くて、私は家を飛び出した」

「え、アンタそれでこんな遠くまで来たの!?」

「いや……さすがにそれは違うが……家を出てしばらくは、友人のところで寝泊まりをしていた。でも……でも……本当に突然だった……仕事が終わって友人宅に戻ると、彼女は……死体になっていて……私は、友人を殺害した罪で捕まりそうになった……私じゃないんだ、本当に……このままだと私も殺されると思って、私は友人を殺した犯人を捜すこともせずに、逃げ出した……」


 言葉は途切れながらも、レオノーレは感情を押さえつけるように表情を変えないまま語った。

 豹変した父親、殺された友人、謂れのない罪。そんなのどう考えても父親が犯人じゃん、と思ったが、さすがに意地が悪かろうと思って黙っていた。


「そんなの、どう考えてもアンタのお父さんが犯人でしょ」


 と思ったらファイエットが言った。ベルナディットの気遣いを返してほしい。

 レオノーレは、ファイエットのほうを見て頷いた。ため息をひとつ吐き出して、再び口を開く。


「ここに来る途中、フォーマーのコロニーに駆け込んだが、明らかに襲撃を受けた後だった。父がもともと襲撃計画を立てていたのか、私を探すために荒らしたのかは分からない」

「ねぇ、レオノーレ、さん?……は、どうやってここまで来たの?歩いてきたわけじゃないよねぇ」

「私のことはレオノーレで構わない。君はアディーといったか……普通の乗用車だよ。君たちの三輪バイクほど上等なものじゃない、いたって一般的なEE機関を積んだ車だ。それに水や食料をいくらか積んでいたのだが、竜巻に巻き込まれて……私では修理できなかった」


 この大陸は、旧時代にユーラシア大陸と呼ばれた地である。ローマンベルグは旧時代で言うウクライナ付近、クエットサルミンやバラダースはイラクやイランという国だった。四千キロを超す距離を、レオノーレは乗用車で走ってきたのだという。

 ベルナディットたちのジョセフィーヌと違い、屋根があるぶんだけ車内泊ができるが、装甲や足元も脆い車では、随分と過酷な旅だっただろう。

 道を阻むのは瓦礫ばかりじゃない。獰猛な野生動物もいれば、スコールや竜巻も頻繁に起こる。地殻変動で大きな地震もしょっちゅうあるし、そのせいで地面にぱっくりと亀裂ができたりもする。装甲車だって、完璧に安全な旅はできないのだ。


「廃墟に身を隠しながら逃げていた時に、君たちに助けられた」

「なるほどね。で、なんで話してくれる気になったの?」

「……父は明らかにフォーマーの小コロニーを狙って襲撃している。君たちも無関係じゃないだろう?」


 レオノーレはほんの少し言いよどんで、ファイエットから目をそらした。そのファイエットは、おそらくマスクの下でニヤニヤしている。

 ファイエットとレオノーレ、なんだかんだ仲良くなれるのではないか、そう思いながら二本目の煙草を咥えた。すっと伸ばされたファイエットの手に顔を近づけて火をもらう。これを失敗すると前髪が燃える。自分のオイルライターを使えばいいのだが、なんとなく煙草の火はファイエットからもらうのが習慣になっていた。


「その……闇雲に逃げていただけで、行き場所がないんだ。だから、その、君たちのコロニーでしばらく世話になりたい」

「ま、いいでしょう!いいよ、アディーとナーディもいいよね?」

「いいよぉ」


 ぐっとサムズアップしたアディーに合わせて、ベルナディットも無言で親指を上げた。



■2227/04/13 9:00


「アップファート!」


 気合を入れようと思って大きな声で叫んだが、走り出しが重たすぎてびっくりしてしまった。それもそうだ。人間が四人も乗っているのだ。野営道具を積んでいないとは言え、人間の重さだけでも合計二百キロ近いのだ。


「ベルナディット、これは……私はどこにつかまればいい……」

「ナーディでいいってば。えっとね、横のとこに掴むやつあるから。わかんなければ私の肩でもいいけど、あ、腰はやめてね、くすぐったいから」


 言ってから少し後悔した。ネオはフォーマーの身体なんか触りたくないだろう。

あわあわと手を彷徨わせたあと、そっとレオノーレの手が肩に置かれた。くすぐったい。掴むならもっとぎゅっと掴んでほしい。遠慮されるとくすぐったい。いや、遠慮しているというより、接地面積を減らしたいだけかもしれないけど。ぞわぞわする、と思った瞬間、大きな瓦礫を踏んづけて車体がガクンと跳ねた。


「のぉわ!ナーディ、安全運転!ふらふらしないで!」

「くすぐったいの!レオノーレ、くすぐったい!」

「わ、わ!すまない!どぅわっ!あぶな!」


 レオノーレが慌てて手を離したタイミングで、また車体が揺れる。騒ぐファイエット、慌てるレオノーレ、悶絶するベルナディット、大笑いするアディー。

 姦しい旅の始まりであった。



 そもそも、ジョセフィーヌは三人乗りである。運転者、タンデムシート、サイドカー。ファイエットの決定にあっさりと従ったのはいいものの、大きな問題がひとつ。

 もう一度言おう。そもそも、ジョセフィーヌは三人乗りである。定員は三人である。運転者、タンデムシート、サイドカー。ベルナディット、ファイエット、アディー、そしてレオノーレ。ひとり余る。ひとりを荷物のように荷台に括り付けるわけにもいかない。

 いろいろと試行錯誤を繰り返した結果、ファイエットを荷物にすることになった。いや、荷台に括り付けたわけではない。その案も出たが、さすがに我らがリーダーに対してお遊びが過ぎる。


「ぬわぁ!ほん、と!勘弁して!怖い怖い!ちょっとアディー!手離さないでってば!」


 重量や体格を考慮した結果である。仕方ないのだ。だってファイエットが一番小さいのだから。

 一番背の高いアディー、アディーとそこまで変わらないレオノーレ、一般的な体格のベルナディット、そしてリトルドラゴン。体格で言えば、ベルナディットが荷物でも良かったかもしれないが、残念ながらジョセフィーヌはベルナディットしか運転できない。

 結果として、タンデムシートにレオノーレ、サイドカーにアディー、そしてアディーの膝の上にファイエット、という形に落ち着いた。

 乗り慣れているアディーがタンデムシートでも良かったのかもしれないが、ネオであるレオノーレにフォーマーであるファイエットを抱えさせるのは、ふたりの心理的疲労が大きそうだった。タンデムもなかなかに身体的接触が多いが、丸一日膝の上に抱えられるよりかはマシだろう。

 試しに今日は一日このスタイルで走り、どうしてもレオノーレがタンデムに慣れないようであれば、また考えるほかあるまい。


■2227/04/13 13:45


 バラダース近辺からクエットサルミンまで、ジョセフィーヌであれば二、三日ほどかかる。距離で言えばおよそ千五百キロ。最短距離を休まずに行けば二十時間ほどだろうが、ノンストップで走り続けられるほどこの大地は優しくない。行きと帰りで道の形状が変わっていることなど日常茶飯事だ。

 それでも、この距離を二、三日で移動するのは驚異の速度といえるだろう。EE機関搭載の装甲車や乗用車は最高速度三十キロから四十キロ。フル充電で六時間ほどしかもたない。予備のバッテリーやサブエンジンを駆使したところで、ジョセフィーヌの速度には追い付けない。

 野営地を出発して四時間。いつもであれば三百キロほど進み、ジョセフィーヌの充電の為に休憩をいれるところである。


「百二十キロってところかな」

「えっ、なんでそんなに進んでないの!?」

「ファイエットがぴーぴー騒ぐからでしょー」


 アディーの言う通りである。なにかあるたびにファイエットが怖い怖いと騒ぐせいで、何度も途中で足止めを食らった。


「アディーがふざけて手離すからでしょうが!」

「だって面白かっ……痛い痛い!たたかないでよー」


 騒いでいるふたりは放っておいて、ベルナディットはジョセフィーヌの充電を続ける。手のひらから肘を伝って肩へ、胸にじわっと冷気が広がり、首筋から背筋にかけてゴソっとオルドが抜けていく。

 そこまで走っていないが、充電できるときにしておいたほうが良い。コロニー外にいるときは、いつだって万全を期すに越したことはないのだ。

 この世界は、どんなに気をつけていたところで、全力で命を奪いに来る。慕っていた兄貴分のひとりが、大きな野犬に食われるところを見た。屈強なおっちゃんが、地震で崩れた瓦礫に埋まり、ただの赤い血になったところを見た。健康だったはずのおばさんが、突然オルド病を発症して死ぬところを見た。つい一時間前まで息をしていたのに、つい三十分前まで喋っていたのに、つい五分前まで笑っていたのに、ほんの少し目を離した隙にみんな死んでいった。


 メーターが九十八パーセントで止まった。体内のオルドが、あと二パーセントだけ足りなかった。体の末端まで力が抜ける。あぁ、左足動かないな。

 まぁいいか、と呟きながら、サイドカーに座り込んで目を閉じる。仮眠は大事。出発の時間になったら、ファイエットかアディーが起こしてくれるだろう。


 この世界はクソッタレだ。グランダーテルという宗教団体の言う通り、この大地そのものが神だというのなら、神様はもっとクソッタレだ。ベルナディットは神など信じない。歩いているだけで命を奪おうとする神なんて信じられるはずもない。

 たとえネオの男どもに犯されそうになっても、たとえ野犬に食われそうになっても、たとえ瓦礫に潰されかけても、絶対に、絶対に神になど祈ってやらない。信じられるのは、自分と、ファイエットと、アディーと、クエットサルミンのみんなだけだ。


 斜め後ろからネオ女の……レオノーレの視線を感じたが、ベルナディットはただ目を閉じて、幼馴染たちの笑い声を聞いていた。



■2227/04/13 19:37


 真っ暗になってしまった。


 普段であれば、すでに野営地を決めて晩御飯にありついているはずである。

 原因はふたつ。ひとつはベルナディットが昼間に爆睡してしまったこと。もうひとつは野営に適した場所が見つからないこと。

 ちょっとだけ昼寝をするつもりが、思わずサイドカーのなかで熟睡してしまった。ファイエットもアディーも、なぜか珍しく優しさを発揮してくれたせいで起こしてくれなかった。


「ナーディが爆睡するから真っ暗になっちゃったじゃん!」

「起こしてくれれば良かったでしょ!」


 ジョセフィーヌがうるさいので走行中の会話はいつもインカムを通しているが、いまは低速走行である。怒鳴れば声が届く。

 ヘッドライトの明かりだけでは見通しが悪く、気を付けていなければ横たわった鉄筋などに正面衝突しかねない。大きな瓦礫をよけながら、地面に亀裂が入っていないか慎重に確認する。小さな亀裂なら何の問題もないが、奈落のような亀裂が突然現れたりする。落ちたら確実に死ぬ。

 日の落ちた夜間の走行は命がけなのだ。


「ウトウトしながら運転されたらあたしたちが死ぬからだよ!」

「死ぬときは一緒って約束したんだからいいでしょ!」

「してないよ!そんな約束!」


 薄情な。ひとりでも欠けたら生きてクエットサルミンに帰れないのだから、「死ぬときは一緒」と言ってしまっても構わないと思う。ファイエットがいなければ暖がとれず、アディーがいなければ水の補給ができず、ベルナディットがいなければ電気が扱えない。言葉にはせずとも、約束したも同然の関係である。


 夜間の走行が危険ならば、とっとと野営を始めてしまえば良いのだが、そうもいかないのが外の世界。野営道具を放棄してしまった今、雨風を凌げる場所の確保は最優先だ。その場所だって、壁や天井があれば良いという話でもない。


「ナーディ、正面に亀裂!」


 ファイエットの声を聞いて左手に進路を変える。

 いまだ形を変え続けているという大陸。地面が割れるほどの地震など珍しいものでもなく、昨日は存在しなかったはずの亀裂が翌朝にはぱっくりと大きな口を開けていたりする。数キロにもわたる大きな亀裂が、たった数時間でその穴を閉じたりもする。

 ある程度の雨風が凌げ、地割れなどの影響が少なく、野生動物の根城にされておらず、有事の際にはすぐに逃げ出せるくらい適度に開けた場所。理想を言えばこの全てがそろっていることが望ましい。だが、そんな場所がそうホイホイと転がっているはずもなく、こうしてベルナディットたち四人は日が落ちた暗闇のなかで彷徨っているわけである。


「とりあえずこの町だけ抜けちゃおう」

「そうだねぇ。さすがにお腹空いたし、寒くなってきたし……」

「腹減り妖怪アディーが出たぞー!」


 ベルナディットの言葉にファイエットが笑う。アディーはいつもお腹を空かせているが、本当のところベルナディットやファイエットも大した変わりはない。クエットサルミンのフォーマーたちは、いつだって腹を空かせている。

 生まれてこの方、満腹感なんて味わったことはない。コロニーで作られた芋と野菜だけでは、二千人ほどいる住人すべての腹は満たせない。外の世界に赴いて野生動物を狩る者もいるが、それでもまだ足りない。

 ベルナディットがまだ幼かった頃、ひとつ下のアディーは気弱で泣き虫で、いつもファイエットとベルナディットの後ろをついて歩いた。家に帰れば血のつながった兄がいて、子ども同士のコミュニティにはファイエットという姉がいる。アディーはいつだって、どこにいたって、年下の可愛い妹だった。

 だからだろう。どんな環境でも、アディーは自由で甘えん坊で、空腹だって素直に口にだす。大きくなったのは身体だけ。ファイエットにとっても、ベルナディットにとっても、アディーは甘やかす対象なのだ。

 アディーがお腹空いたと言えば、ついポケットからレーションを取り出して投げ渡してしまう。


「お、町は抜けたね」


 町というべきか、瓦礫の墓場というべきか、とにかく危ない区域は抜けた。それでも慎重に、低速でジョセフィーヌを進めていく。

 暗闇のせいで遠くは見通せず、今日も屋根のある寝床は期待できないだろう。このあたりでいいかな、と言ったファイエットの言葉に従ってジョセフィーヌを止めると、エンジンを切った。


「アディーは補給、ナーディは寝床、あたしは焚火。アンタは……まぁ適当にネズミでも探しといて」

「ネズミ!?」

「そう、ネズミ」


 アディーにボトルを投げ渡して、サイドカーのトランクスペースから毛布を取り出す。つくづく野営道具を置いてきたことが悔やまれる。シュラフさえあれば、もう少し心地よく夜を越せたものを……

 ライトで照らしながら燃材を集めているファイエットを避けて、適当に毛布を敷く。寝床の準備と言っても、テントもシュラフもなければ特にやることもない。


「ちょ、ナーディそれ踏まないで!」

「え、ごめん」


 足元を照らすとファイエットがかき集めた燃材用の枯れ木があった。申し訳ない。

 ファルチキフと呼ばれている低木植物で、サマーカットから南方では割とよく見られる。繊維の多い葉、油分を多く含む実、加工のしやすさからコロニー内でも育てられている。

 ファルチキフの実は繊維だらけで渋く、けして食用には向かない。その代わり、幹や枝は燃材としては非常に優秀であった。水分が多く残っていると大量の煙を吐き出すが、きちんと乾燥させてやれば着火しやすく長持ちもする。


 いくつか踏んづけたお詫びに、近くのファルチキフの枝をもいで燃材の山に足しておいた。生木は煙が出るが、どうせ燃やす前にファイエットが水分を抜くのだから気にする必要もない。

 ベルナディットの今やるべきことは、レオノーレの食糧探しに付き合うことである。小さいペン型のライトで足元を探しているが、あれでは見つからない。レーションの残りを考えれば、今日の夕飯と明日の朝食はここで確保しておきたい。


「しゃがんで」

「……は?」

「いいから。そのまましゃがんで」


 暗闇で表情はよく見えないが、おそらく怪訝な顔をしているだろうことはわかる。そんな声色だった。

 恐る恐るといったようにその場で座り込んだレオノーレに倣って、ベルナディットも隣にしゃがみ込む。レオノーレの視線を感じながら足元をライトで照らすと、驚いた虫たちがカサカサと逃げていった。

 ひび割れたコンクリートの隙間に根を張るファルチキフなどの草木は、この劣悪な環境下のなかでも生き延びた生命力の強い植物である。この名も知らぬ雑草たちも人間たちと同じく、【大地の誅罰】と呼ばれた大災害の後に進化していったものかもしれない。


 あまり音を立てないよう、手で雑草を探りながら移動する。一番はネズミ、次点でヘビ、最悪は虫。虫食を遠慮したいのは三人の総意で、ネズミかヘビを見つけられなかったら、おそらく今夜もレーションだけの寂しい食事になるだろう。バラダースから頂戴した食料はクエットサルミンに帰るまでお預けである。


「おい、なにを」

「黙って」


 役に立ちそうにないレオノーレを黙らせて、ネズミ捜索を続ける。このネオ女、いったいどうやって一人でここまで来れたのだろう。EE機関搭載の乗用車を乗り捨ててきたと言ってはいたが、腕も立ちそうに見えないし、食料の捜索もできない。なにか異様に便利なEECでも扱えるのだろうか。

 伸ばした指先が、地面の小さな亀裂に触れた。当たり、ネズミか、ヘビか、それともハズレか。


「あった……それ、とって」

「……どれだ」

「それ。ファルチキフの葉っぱ」


 ファルチキフ?と首を傾げたレオノーレの顔を、思わずまじまじと凝視してしまった。ファルチキフも知らないとは、本当にどうやって生きてきたのだ。

 レオノーレの側に生えていた若いファルチキフの葉を数枚もいで、手で揉みこむ。胸ポケットを探りながらレオノーレを見て、一度ため息をついた。


「えっと、これ、ファルチキフ」

「それは知っている」

「燃やすとすごい煙が出る」


 ほう、と頷いたレオノーレに、くちゃくちゃになった葉を見せる。手袋や軍手をしないで葉をつぶすと、小さな繊維が皮膚にたくさん突き刺さって地味に痛いのだ。放置していればいずれトゲは抜けるが、不衛生にしていれば患部が膿んで酷いことになったりもする。


「こうやって揉んであげると、乾燥してなくても火がつきやすくなる」

「火をつけるのか……?」

「見てればわかるよ」


 オイルライターの蓋をキンっとあけて、ファルチキフの葉をあぶる。端がジジジっと赤く染まって、ゆらゆらと煙を出し始めた。乾燥した葉であればこのまま火を出すが、潰しただけの生葉であれば、こうして煙を出すだけだ。

 細い煙を出す葉を先ほどの亀裂の前に置く。どういう原理なのかは知らないが、地面の亀裂は空気が循環しているらしく、大小にかかわらずこうして煙を勝手に吸い込んでくれる。

 ライターを胸ポケットに仕舞って、煙が小さな亀裂に吸い込まれていく様子を眺める。レオノーレも、大人しく煙を眺めていた。


「ファルチキフがなかったら煙草の煙でも大丈夫」

「煙草は吸わない」

「……そのほうがいいよ」


 会話が続かない。ジョセフィーヌのときのように話題があればいいのだが、無理に会話をしようとしても、なにを話していいのかがわからない。ファイエットやアディーとはいつもどうやって会話を続けていただろうか。そもそも常に会話をしているわけではないようにも思う。

 ちらりと再びレオノーレの横顔を見やった瞬間、穴からキー!と声が聞こえた。


「お、当たり!くるよ!」

「お、おう?」


 煙の向こうに見えた影に折り畳みナイフで一突きすると、痩せたネズミが断末魔の悲鳴を上げる。後ろに続いて逃げてきたもう一匹も、ついでに一突き。ネズミの断末魔と一緒に、なぜかレオノーレのヒッという小さな悲鳴が聞こえた。


「あなたもあと二匹捕まえて」

「ぅえっ!?」

「もう……役に立たないなぁ」


 じゃあ、これの血抜きしておいて、と二匹を投げ渡して、足元を駆けていこうとした一匹の尻尾を踏んづけて止める。これで三匹。

 巣穴の中には大体二匹から五匹、それ以上の数は見たことがない。おそらくこのネズミたちは五匹程度でコミュニティをつくって生きているのだろう。ネズミ、ネズミと呼んでいるが、彼らの正式名称などベルナディットは知らない。クエットサルミンの兄貴たちもネズミと呼んでいるし、ネズミと言えばこいつらのことだとわかる。


「お、い……これ、どうするんだ……」

「いや、だから血抜き……できない?」

「……できない」


 ため息を飲み込んで、踏んづけていたネズミの喉を切った。そのまま尻尾を掴んで吊るす。足元に転がる二匹とベルナディットの手元を交互に見て、レオノーレはまた情けない声をあげた。

 いまだに煙を飲み込み続ける亀裂は、これ以上ネズミを吐き出す気配もない。少し遠くからファイエットとアディーがなにやら騒ぐ声が聞こえてくる。堪えきれなかったため息が結局口から漏れていった。


 外での生き方を教えてくれた兄貴たちは、面倒がってネズミの血抜きをしない。絞めて捌いて火を通すだけ。血抜きをしないほうが栄養がある、なんてことを言っていたやつもいるが、本当かどうかはしらない。血抜きをしなくても食べられるし、血抜きをしても食べられる。ようは気分である。食べられるのならばなんでもいいのだ。


「ここを切って逆さまに吊るすと血抜きができる。お腹のここを切ると皮が剥げる。で、ここをざっくり切って内臓を出す」


 出来ないと首を振るレオノーレに無理をさせることはないだろうと、三匹ともベルナディットが処理をした。


「ごめん、三匹しかいなかった」

「いいよー、問題なし!」

「こっちもヘビ捕まえたからねぇ」


 焚火から離れたところにネズミを投げると、アディーも二匹のヘビを投げた。先ほどの大騒ぎはこのヘビを捕獲する際の声だったらしい。ともかく、食料の確保は出来た。


「どっちから食べる?」

「ネズミー!」

「ヘビでしょ!」

 アディーはネズミ、ファイエットはヘビ。アディーは好物を最初に食べるし、ファイエットは最後に食べる。意見が割れたときは多数決。判断はベルナディットに委ねられた。

 アディーに出してもらった水で手と手袋を洗いながら考える。可食部に関してはヘビに軍配があがるが、味はネズミのほうが良い。コロニーで栽培しているハーブなどを使えばヘビの青臭さも気にならないが、野営道具がない今、ヘビは臭いまま食べるほかない。

 満腹感を優先して先にヘビを食すのか、味の満足度を優先してネズミを食すのか。


「……ネズミで」

「えー、朝からヘビより朝からネズミのほうがいいじゃん!」

「未来よりも今のほうが大事」


 ベルナディットもどちらかといえば好物は最初に食べる。悩んだ末に最初に食べる。だって、食べる前に死んだら元も子もない。明日食べようと思って寝たらそのまま目が覚めなかった、なんて事態になったら死んでも死にきれない。

 そう簡単に死んでやるつもりもないけれど、死ぬときはあっけなく死んでしまうのが人間だ。手元に美味しいものを残したまま死ぬなんて、ベルナディットにとっては最悪に近しい死に方である。


 最期の食事は、ヘビよりもネズミのほうがマシだろう。


「おい……おい、それ」

「ネズミとヘビだよぉ」

「それは分かる」


 ネズミ三匹とヘビ二匹のそばでしゃがみこんだアディーが、にこにことしながらレオノーレの顔を見る。ヘビの頭はすでに落とされていた。

 アディーはなにも考えずに皮を剥ごうとしているが、ネズミの血を見ただけで変な声を出していたレオノーレが見たら死ぬんじゃなかろうか。ベルナディットも初めて内臓を見たときはウヘェと思った。が、すぐ慣れた。


「ナーディ、焼く?茹でる?」

「焼くでしょ」


 言いながらファイエットはすでに鉄板の準備をしていた。長いこと料理用の鉄板として使われているが、実際にはジョセフィーヌの装甲である。


「いや、あの、食べるのか!?まさかとは思うが食べるのか!?」

「……食べるけど?」


 焚火の灯りに照らされたレオノーレが呆然とファイエットの顔を見つめていた。

 ネオはファームの食糧を消費するばかりで、生き物を肉にする過程を知らないのだろう。だからレオノーレはネズミを殺す瞬間すら目をそらすのだろう。そう思っていた。


「むしろ食べないの?」

「フォーマーというのはこういった害獣を食べるのか……?」


 三人で顔を見合わせてしまった。ネオは食べないの?という言葉は、誰も言えなかった。それを口に出したら、自分たちの食糧が害獣であると、ネオに面と向かって認めることになる。防護マスクの排気音だけが、やたらと耳につく。

 積極的に外の世界に出ることのないネオは生き物を殺すことに慣れていない、だとかそんなことではなかったのだ。そうだ、食料生産施設の恩恵を受けるネオは、わざわざ野生のネズミを食べる必要なんてない。こいつらはもっとずっと美味しい肉を、労せず口にできるではないか。


 ネオにとってフォーマーが蔑まれる対象であることは、この世界にフォーマーとして生まれてからよく理解しているつもりだった。ただ単にフォーマーだから、という理由だけで、劣等種として扱われるのだ、と。

 なんだかひどく、自分が卑しい存在であるかのように思った。だから言えなかった。誰も、言えなかった。ネオにとって、フォーマーの食糧は害獣。食べるものだなんて、思ってすらいない。


 ネオは“害獣”を食べない。


「食べるよ。害獣だろうとなんだろうと、あたしたちは生きていくためならなんだって食べる」

「……そう、か」

「アンタも食べる?」


 焚火の灯りを瞳に映すファイエットは、悲しいまでにいつも通りの声色だった。ベルナディットも、アディーも、そしてファイエットも、感じている胸の気持ち悪さは同じだろう。それでもファイエットだけは、いつも通りの顔をしていてくれる。

 昼休憩のとき、ふたりはベルナディットを起こさないでいてくれた。意図せずネオを助け、長時間後ろにネオを乗せて走ったベルナディットを、きっとふたりは気遣ってくれたのだと知っている。


 大丈夫。わかっていたことだ。この世界の人間はネオだけ、フォーマーはドブネズミ。ネオにとって害獣でも、ベルナディットにとっては生きていく糧なのだから。大丈夫、あの日からずっとわかっていたことだ。

 たとえドブネズミだとしても、ベルナディットはひとりじゃない。ファイエットとアディーがいるなら、ベルナディットはそれだけで大丈夫なのだ。


 だから、ベルナディットもいつも通りの顔をして口を開いた。マスクをしているから、ネオ女にはベルナディットの表情も、ファイエットの表情も見えやしないのだけど。


「食べてみたら案外美味しいかもよ」

「うん、虫よりもずっと美味しいよー」


「む、虫……私は……遠慮しよう」


 わかって欲しいなんて思わない。大コロニーのような生活水準には憧れるけれど、だからといって数の少ないフォーマーごときに何かできるとも思えない。あの日のことを恨む気持ちがないわけではないけれど、わざわざ復讐しようなんて気持ちにもなれない。ネオはネオ、フォーマーはフォーマー。それだけのこと。


 肉の焼ける匂いがして、お腹いっぱい食べられるのならネオにどう思われようと構わないと、そう思えた。お腹いっぱい食べられるのなら、ドブネズミだって悪くないだろう。


Tips

ローマンベルグ:空気ろ過装置を作り上げた新人類史の英雄、バルタザール・ローマンベルグがまとめ上げたコロニー。大陸に現存するコロニーの中でも最大規模を誇り、人口も文化も他の追随を許さない。新人類史を紐解くと、そのほとんどの事柄がローマンベルグに関連する。


EE機関搭載乗用車:大コロニー内で使用される四輪車。予備バッテリーまで利用すればフル充電で最大六時間ほど走れるが、速度は三十キロから四十キロほどしかでない。コロニー外で走行することは想定しておらず、装甲は脆い。二人乗りの小さなものが一般的。


ネズミ:体調二十センチから四十センチ、体重一キロから一.五キロほどの哺乳動物。前足に四本指、後ろ足に三本指を持ち、コロニー内や廃墟街、荒原などどこにでも生息している。旧時代からの偏見で「ネズミは病原菌を媒介する」とネオの間では嫌われているが、旧時代で言う家ネズミ(ドブネズミなど)とは違う野ネズミである。肉の臭みが少なく、フォーマーたちの貴重なたんぱく源。


ヘビ:手足のない有隣類。大きいものだと体長二メートルを超すと言われているが、実際に見た者は少ない。ネズミと同じくどこにでも生息しているが、有毒のものから無毒のものまで様々。ほとんどのものは青臭さや独特の薬臭さがあり、好き嫌いがわかれる。貴重なたんぱく源であることは間違いなく、可食部の多さからフォーマーたちに重宝されている。


ファルチキフ:油分を多く含んだ低木植物。実は繊維質で食用には向かないが、豊富な油がとれる。また葉や枝も繊維が多く、紙や布に加工されている。生木のまま燃やすと大量の煙を出すが、きちんと乾燥させれば着火しやすく長持ちする良い薪になる。広い使用用途から、大小にかかわらずどこのコロニーでも栽培されている


地震:大地はいまだにその姿を変え続けている。ときに地面を割り、ときに平地を山にし、ときに津波を呼ぶ。


竜巻:突如現れる大地の処刑人。大きなものに巻き込まれると、大コロニーが所有する重量級の装甲車ですら宙を舞う。

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