ギフトレス ~親から子へ~
ギフト。それは神様からのおくりもの。
祈りが熱心であればあるほど、真剣であればあるほど、生まれてくる子は素晴らしいおくりものを授かります。
空の神様に祈った家の子は、鳥のように自由に空を飛ぶことができました。
海の神様に祈った家の子は、魚のように自由に海を泳ぐことができました。
きれいな子、ちから持ちな子、足の速い子、手先の器用な子、みんなみんな、素敵なおくりものをもらって生まれてくるのです。
あるところに、とても欲深い夫婦がおりました。
子を授かった夫婦は、思いつく限りの神様に祈りました。わたしたちの子を誰よりも美しくしてください。誰よりもちから持ちにしてください。誰よりも足が速くて、手先は器用で、鳥のように自由に空を飛ぶことも、魚のように自由に海を泳ぐこともできる、できないことなんて何も無い、神様のようなかんぺきな子にしてください。
それは熱心に、それは真剣に、この世界のすべての神様に、祈りを捧げました。
まわりのみんなは、呆れた顔で見守ります。
そして十月十日の時が過ぎ、いよいよ子が生まれるというその日、朝からお産が始まります。夫婦と産婆さんが家にこもります。
昼を過ぎても出てきません。
みんなは笑います。欲張るから、大変なお産になっているんだぞ、と。
夜になっても出てきません。
みんなはちょっと心配しだします。無事に生まれてくれるだろうか、と。
やがて夜が明け、いよいよみんなが不安になってきたころ、ようやく子を抱いた夫婦が家を出てきます。
欲張りな旦那さんも、欲張りな奥さんも、顔をぐしゃぐしゃにして泣いていました。
まさか、と思ったみんなが近寄ると、赤ん坊の元気な泣き声が響き、みんなほっとひと安心。そうか、泣く程素晴らしい子が生まれたのだな、と納得します。
けれど育ってゆくその子には、何もありませんでした。
見た目は平凡で、特別ちから持ちだというわけでもなく、走ってもひとなみ、どちらかと言えば不器用なほうでしたし、もちろん空なんて飛べません。泳ぎにいたってはカナヅチです。
他の子たちからは、何ももらえなかった子なんて言われてバカにされています。
みんなは思います。ははぁ、欲張り過ぎてバチが当たったんだな、と。
けれど欲張りな夫婦は、子が生まれる前よりも熱心に、真剣に、毎朝毎晩、神様に感謝の祈りを捧げ続けます。
素晴らしいおくりものをありがとうございます。本当に、本当にありがとうございます。
みんなは首をかしげます。平凡なあの子に、そんな素晴らしいおくりものがあるのだろうか、と。だってその子はどこからどう見ても、特別なものなど何もない、ただの何ももらえなかった子なのです。
そう思っていたのは本人も同じで、彼の感謝のお祈りはかたちだけ、ただのふりでした。お父さんとお母さんがやっているから、自分もそれを真似ているだけ。ちっとも心はこもっていませんでした。
でも、それはいつまでもそうだったわけではありません。
ある日突然、男の子は心から神様に感謝するようになったのです。
ひとが変わったように勉強熱心に、何事にもまじめに取り組むようになり……いつしか、特別なおくりものを持たないなりに、皆に認められるようになって、もう、彼を何ももらえなかった子なんて呼ぶひとは居ません。
そして大人になった彼は結婚し、子宝にも恵まれ、いつまでも幸せに暮らすのでした。
めでたしめでたし。
「……え? おしまい?」
納得いかない、と顔をしかめたボクに、母さんは笑って答える。
「うん。おしまい。」
母さんのお話は不思議なものも多かったけど、不満なものは初めてだ。
「わけわかんない。結局その子の『おくりもの』ってなんだったの?」
「それは教えちゃダメなことになってるの」笑顔を少しいたずらなものに変えて母さんが言う「彼の『おくりもの』がなんなのか、それは貴方が自分で考えることよ。これはそういうお話。」
そんなこと言われても、ボクにはさっぱりだ。
有るのに無くて、無いのに有るもの。まるでなぞなぞ……いや、はっきりとなぞなぞだ、これ。まるでじゃない。
「きっと、大人になる頃にはわかるわ。母さんもそうだったもの。だから答えがわかったら、母さんに教えてね?」
ボクが答えを見つけるのは、また別のお話。
よければ、あなたも考えてみてください。
『ボク』の答えはこの次で。