最初の帰り道
「大分お疲れのようね、富嶽君」
丸1日働いたと言うのに、ケロッとしている店長。それに比べて僕はと言えば。
「ええ。まあ」
ようやく迎えたシフトの上がり時間。最後の厨房の後片付けを終えた僕は、従業員用のスペースで座り込んでいた。慣れない作業の連続に、もうクタクタだった。早く家に帰って寝たい気分。いや、本当に。マジで。
最後の方なんか疲労と眠気に危うくやられそうだったし。それでも幸いなことに、大きな失敗をせずに無事に1日目を終わらせることができた。途中で作業にもたつくような場面はあったけど、お皿を割ったりだとか料理をダメにするようなミスはしなかった。
おかげで疲れたけど、自信もついたし充実感があった。
「それじゃあ、はい。お待ちかねのお給料ね」
と店長が紙袋を渡してくれた。今どき銀行振り込みじゃなくて直に渡すなんてと思うけど、こちらの方が都合がいいらしい。どういう面で都合がいいかはわからないけど、こちらとしては働いた対価がちゃんとしていればそれでいい。
契約書では最低賃金プラス出来高となっていた。確かこの地域の最低賃金は900円あたりだから、まあ8000円くらい入っていれば上等だな。
でも、渡された封筒は妙に薄かった。いや、中に入ってる感触があるんだけど、なんか少なそう。
まさか、騙された!?
僕は恐る恐る中身を確認する。
「・・・」
あれ?おかしいな。疲れて見間違えたのかな?
僕はもう一度中身を取り出す。するとそこには、諭吉さんの顔が・・・それも一人じゃない。
「え!?マジですか!こんなにもらっていいんですか!?」
「ええもちろん。しっかりと働いてくれた対価よ。遠慮なく受け取って頂戴」
やった!これで色々なものが買える!それから出かけられる!
スゲエ!毎週末仕事するだけで10万以上稼げるじゃん。こ、これはスゴクいい仕事に巡り合えたかも。
「もちろん口止め料も含んでいるから、この店のことも含めて他言無用よ」
と浮かれていたら、釘を刺されたよ。まあそうだよね。どう考えても労働の対価分だけにしては多すぎるもんね。
でもそれを差し引いても、美味しい仕事には違いない。これからもお口にしっかりチャックして、真面目に働いて行こう。
僕は改めて心の中で誓いを立てた。
「お疲れさまで~す。あ、早速給料もらってるわね」
同じくシフト上がりの岩川先輩が戻ってきた。彼女も疲れを感じさせず、ケロッとしている。少なくとも僕ほどに疲れているようには見えない。さすがだ。
「正美もお疲れさま」
労いの言葉を掛ける店長。その手元を見ると、僕に渡したのと同じような封筒が1通。どうやら先輩たちも手渡しのようだ。
「はい、お給料ね」
と2人に差し出すけど、岩川先輩は何か不満そう。どうしてと思っていたら。2人とも溜息を吐いて、封筒の中身を取り出して店長に渡す。
ここでようやく理解できた。
「あ、弁償代の支払いですね」
「そう言うこと」
「うう~。自業自得とは言え、毎度毎度給料の半分を持ってかれるのが、こんなに切ないなんて。最初から天引きしてくれればいいのに」
うわ~。
「それじゃあ返してることにならないでしょ。それに、残った分がもらえるだけでも有難いと思いなさい」
美少女が本気で項垂れているのを見ると、男としては同情したくもなるけど、岩川先輩の言う通り自業自得なので仕方がない。
「はい、わかったらさっさと服脱いで、元に戻りなさい」
「は~い」
と、彼女はトボトボと店の奥へと入って行った。
にしても、先輩は今は女の姿。ということは、下着も女物のはずだよね?そして性転換するためには、それも脱いで・・・
あ、ヤヴァイ。朝の光景が脳裏「富嶽君?」
「ひゃい!」
「今着替えに行った正美で、いかがわしいこと想像したでしょ?」
「ヴぇ!!?」
しまった!?悟られたか!
「本当は男の先輩でエッチなこと考えるなんて、いけない後輩ね」
「あ、あの!このことは!!」
男の先輩にだったら知られても笑い飛ばしてくれそうだけど、正美さんに言われるのはマズイ!絶対に嫌われる!!
なので店長にこのことを言わないよう、僕は必死だ。
ところが、そんな必死の形相をしているであろう僕を見て、店長が笑い始めた。
「アハハハ、ごめんごめん。ちょっと、からかっただけだよ」
「へ!?」
「身も心も女になってるとはいえ、男の記憶もちゃんとあるから、年頃の男の子が考えることも、まあ理解できるわ。だから言わないわよ。ま、例え正美が知ったとしても、あの娘も同じだから」
ホ・・・良かった。
「でも精神は女の子になってるんだから、悪気はなくてもその手の話をするのはやめてね。セクハラになるから」
この場合(元男の女性で、普通に男に戻る)セクハラは成立するんだろうか?・・・う~ん。女の子の間は身も心も女の子になってるから成立するか?・・・まあいいや。どちらにしろ、不用意に猥談や下ネタに走らないように気を付ける。これは肝に銘じておこう。
「了解であります。店長」
「うん、よろしい。ただ、何で敬礼?」
おっと、思わず右手で敬礼してた。
「あ、ごめんなさい。僕軽い鉄オタとミリオタだもんで」
「答えになってるのか、なってないのか分かりづらい返答ね。あ、でも正美も司もそんなこと言ってたわね」
「先輩たちがですか?」
「ええ。その手の重度のオタクだって」
「重度って、ヒドイな」
確かにオタクだという自覚はある。でも僕より重度な人なんて世間一般にゴロゴロいるぞ!
「あ、でも君のことを話してる時の2人、特に正美は楽しそうだったわよ」
「それはイジリがいがあるって意味ですか?」
「そこまで捻くれなくてもいいのに。違うわよ。どちらかというと逆ね。自慢する感じだったわ」
「え?」
それはちょっと意外。確かに先輩たちが僕のオタクぶりに「スゴイスゴイ」とか「スゲエな」とか言ったことがあるのは事実だけど、どちらかというと呆れたように言ってた気がする。とてもその点を自慢するような感じじゃなかったけどな。
「あいつの知識はスゴイって。で、それを喋る時の熱意もって。自分たちは男の時は筋肉バカだから、あれだけ知ってて熱く語れるのがスゴイって」
「それ本当ですか?」
「ええ。だから、もっと誇ってもいいんじゃない?」
確かに、出来ればその道で生きていきたいなんて願望もあるけど、いきなりそれを誇りにしろって言われてもな。
「おう、2人して何話してるんだ?」
「あ、先輩」
振り向くと、そこに男の姿に戻った先輩がいた。どうやら性転換と着替えを終えたらしい。
「ちょっとした世間話よ。それじゃあ、2人とも今日はお疲れ様。明日もよろしく頼むわね」
「はい、お疲れさまでした」
「お疲れさまっす、店長!」
僕たちはそれぞれの荷物を手にして、店を出る。
当たり前のことだけど、店の外はもう真っ暗だった。ビルの中に1日中いたせいで、全然気づかなかった。仕事帰りだろうスーツ姿のおじさんや、買い物袋片手に家路を急いでいるOLらしい女性。煌々と光るお店の看板。忙しない1日が終わったんだと実感させられる。
「どうした?早く帰るぞ」
「あ、ごめんなさい」
あまりに色々あった1日だった。なんか今になって肉体だけでなく、精神的にもドッと疲れが出てくるような気がした。
「おい、大丈夫か?疲れたのか?」
「ええ、まあ。色々あり過ぎて」
「そっか。そうだよな・・・おい、店のことは絶対に電車降りるまで言うなよ」
「え?はい。わかりました」
その後、僕たちは大曽野の駅から電車に乗り、そして師団前の駅で電車を降りるまでの間、他愛のない会話をするだけで、喫茶藍のことは一言も喋らなかった。
どうして先輩がそんなことを言いだしたかは、すぐに察しがついた。お店の秘密を絶対に漏らさないためだろう。人ごみの中で喋るのは、流石に危険すぎるということだろう。
ただ内心、先輩がそんな気を遣うことにビックリもしていた。だって僕の知る先輩は、そんな気を遣うような人じゃなかったから。
それ程までに、喫茶藍の存在は先輩に影響を与えているということか・・・まあ、女の子にされてメイドとして喫茶店で働くなんて、普通の少年、ましてや先輩のような人が普通することじゃないしな。
でもそれ以上に、あの店には何か恐ろしいものがあるかもしれない。今日1日働いただけでも、普通にそう考えてしまう事象がいくつもあったし。
先輩はそれも恐れているのかな?事実、師団前の駅を降りて、僕たちの家がある地区への道すがら、先輩は周囲に人影がなくなったのを見計ったように、話の話題をお店に向けた。
「ふう、今日もそこそこ忙しかったな」
「お店のお客さんはいつもあんな感じなんですか?」
「ああ、常連がそこそこついてるからな。最近じゃ俺や滝司目当てのオタク連中も増えてきたし」
2人が女の子の時は文字通り美少女だから、確かにファンはつくわな。
「困るんだよな。あんまり目立ちたくないのに。お前みたいに俺たちの正体に感づかれちゃ堪らん」
「大丈夫ですよ。早々気づかれませんって」
「だといいけど。でもお前はいいな、巻き込まれたとはいえ男のままで働けるんだから」
「やっぱり先輩は女になるのは嫌ですか?」
「そりゃそうだよ。何で俺がオッパイ膨らませてブラしてスカート履かなきゃならないんだよ。まあ、女になってる間は精神も女になってるからまだましだけど・・・性転換の時もそうだけど、結構癖になりそうで」
「何ですって?」
最後小声でよく聞き取れなかったけど、心なしか先輩の顔が恥ずかしいような、嬉しいようなよくわからない表情になってた。
「な、何でもない!ま、何にしろ。道連れにして悪いな。俺が借金返し切るまでの辛抱だ。よろしく頼むぞ」
「わかってますって。それに、僕としてはいい稼ぎ先が見つかりましたから」
「金で目眩むなよ。油断していると大変なことになるぞ」
先輩が真剣に意味深な発言をする。やっぱりあの店にはサラにヤバイ何かがあるのか!?
「先輩、ソレってどう言う意味ですか?」
「お前にはまだ早い!」
結局、それ以上のことは聞けず仕舞いで、僕たちはそれぞれの家に着いてしまった。
「じゃあ、また明日な」
「はい、また明日」
先輩の背中を見送りつつ、先ほどの先輩とのやりとりが僕の頭から離れなかった。
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