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喫茶藍 ⑥

「アルバイトて、先輩たちみたいにメイドさんになれってことですか?」


 唐突の勧誘に、僕は驚くと同時に御免被りたいと思った。自分の理想の女の子になるっていうのは、ある意味男として羨ましいことかもしれないけど、女装するのに加えて、男としてのアイデンティティを奪われて、勝手に精神まで女にされる機械じゃ流石に怖すぎる。と言うより、ハッキリ言ってヤダ。


「いや、メイドさんは間に合ってるからいいよ。君に入って欲しいのは、厨房の方」


「厨房ですか?」


 どうやらメイドさんではないらしい。


「そ、今のところ私一人で切り盛りしてるんだけど、流石に一人じゃつらいから」


 あ~。確かに一人で全部やるのはキツイだろうな。でも厨房か、僕そんなに料理得意な方じゃないけど・・・あれ?今さらっと挙母さん、大事なこと言わなかったか?


「うん?私一人で・・・え!?もしかして、あの料理人の女の人て、挙母さんだったんですか!?」


「そうだよ。アレ?今まで気づかなかったの?性転換装置があるんだから、私も女になってるって思わなかった?」


「いやいや。言われなきゃわかりませんって」


 気づかなかったわ~だって完全に容姿変わってたし。それに、女の時の方が若く見えたし。


 まあ、それはそれとして。


「アルバイトに話戻しますけど、僕そんな料理得意じゃないですよ?」


「別に料理そのものを作れっていってるわけじゃないよ。ただサラダの準備とか、食洗器で洗った食器の片付けとか、定食につける御飯の盛り付けとか、そう言う細々したことを手伝って欲しいんだ」


 それくらいなら、僕でも出来るな。でも。


「でも、もうすぐ学校も始まりますから。休日しか入れませんよ」


「それで充分。平日は別な人が入るから」


 その別な人って言うのはどんな人たちなんだろう?と聞きたい所だけど、今日は先輩たちが女になってるってだけでも衝撃ショックだったから、これ以上聞くのはやめておこう。これでさらに、僕の知っている誰かが、女の子に変身してメイドさんになってるってわかったら、耐えられないかもしれないし。


「僕自身は働くのはやぶさかじゃないですけど、先輩はどうですか?知ってる人が傍にいると働き難いとかありませんか?」


 僕は男の先輩を知っている。その僕がいると差しさわりがあるんじゃないかと、正直気になる。例え今は女の子とは言え、子供のころから世話になっている先輩の迷惑にはなりたくない。


 ただこの心配は杞憂だった。


「私は全然オッケー。むしろ、知ってる人が一人くらいは近くにいてくれる方が助かるわ。あいつとのことも含めてね」


「あいつ?・・・ああ、鹿屋先輩ですね」


「確かに、その意味でも君がいてくれた方が助かる。油断するとこの2人、すぐにいがみ合うから」


「そこは女の子になっても変わらないんですね」


 性別が変わって丸くなるかと思えば、いがみ合うのだけは変わらないのか。まったく。むしろ女の方が陰湿になりがちなんて話も聞くけど、実際のところどうなんだろう?


「一応抑えてるんですよ。取っ組み合いにならないように」


 と先輩が不満気に言い返すけど。


「そうなったら、どんだけバカなの?て話だけど」


 弘さんがめっちゃ辛辣に言うし。まあ、ウン百万の部品壊されれば当然か。そしてそれと同じことを繰り返せば、確かに救いようがないね。


「富嶽君!店長が、店長がイジメる!」


 とワザとらしい声と仕草で僕に擦り寄って来る先輩。あ、演技とわかっていても、中身が先輩とわかっていても普通に可愛い。しかも化粧品かな?甘い匂いが・・・て、イカンイカン。


「いや、そういうわかりきった猿芝居しないでください」


 何とか理性で煩悩を押さえつけ、擦り寄ってきた先輩を引きはがす。


「う~。いけずね」


「あの、話元に戻していいか、そこ」


「ほら、挙母さんも呆れかえってますよ」


「はいはい」


 やれやれ。


「あ~。まあ問題はなさそうですし、小遣い稼ぎさせていただけるなら、こっちも大丈夫です」


「そうか、ありがとう!では、早速今日の「今日!?え、いきなりの今日からですか!?」


 さすがにこれは予想外過ぎる。もう少し日を置いてからだと、誰だって思うだろ。


「そうだよ、何せ人足りないし。仕事は1日でも早く覚えて欲しいから。あ、今契約書持って来るから」


「そう言うのは、ちゃんと書くんですね」


「あたりまえだよ。じゃなきゃ不法就労になるからね」


 あれよあれよと言う間に、挙母さんは契約書とペンを持って来た。


「じゃあ、契約条項一通り読んで、良ければサインしてね」


「ですね。契約条項に、どこかの砂漠の国で傭兵になれなんて書かれていたら洒落になりませんからね」


「はいはい、そういう冗談はいいから。その間に私は性転換装置で変身して、着替えてくるから。正美の方は、いつもどおり開店の準備ね」


「はい店長・・・それじゃあ、富嶽君。一緒にがんばろうね」


 そう言うと、先輩は手を振って客席の方に。一方挙母さんは性転換装置のある部屋の方へと行ってしまった。


「やれやれ。展開速すぎだよ、全く」


 どこのラノベだよと思いつつ、僕は契約書に一通り目を通す。書いてあるのは一般的な勤務時間や賃金、有休などの労働条件に関してのものだった。


「うん、問題な・・・おう?」


 契約書の下の方、守秘義務のところに『特に店の極秘事項に関する事項を漏洩したる場合は、それ相応の報復を受けるのを受任することとする』ていう、メチャクチャ物騒な文言あるんですけど。賠償を通り越して報復とは、これ如何に!?


「読み終えたかしら?」


 と考え込んでいた僕の後ろから、若い女性の声が。


「あ?え、はい・・・本当にあなたが挙母さん?」


 振り返ると、先日見た若い女性がコック姿で立っていた。白の上着に黒の長ズボン、そして腰から下にエプロンと頭の上の帽子。青み掛かった髪をショートにしていて、キリッとした印象の顔。ボーイッシュとまでは行かないけど、カッコイイ女性と言えばいいだろうか?


「そうよ。そんなに驚く?」


「まあ、先輩に負けず劣らず男の時と印象が違い過ぎますから」


 前回はパッと見でわからなかったけど、よくよく見るとコック服の下のメリハリの利いた体型がわかる。ついさっきまで見ていた挙母さんと似ているのは、スラッとした長身なところくらいだ。


「でも、じゃあその姿が挙母さんの理想の女性像てことですか?」


「まあね。あと、私のことは今後男の時も含めて店長と呼ぶようにね。あ、万が一名前を聞かれた場合は、女の時は弘美だからよろしく」


「はい、店長・・・あの、質問していいですか?」


「何?」


「なんか男の時より、気持ち若くなっていませんか?」


 そう、違和感で一番大きいのはここ。男の時の店長は20代後半から30代前半と言う印象だった。ところが、女の時の姿は20代前半、それか10代後半と言ってもおかしくないくらいに若い。明らかに男性時と女性時で年齢に差がある。


「・・・さてと、良ければ契約書にサインしてね」


 めちゃくちゃ目を逸らしてスルーしたよ、この人。追求したいけど、嫌な予感しかしない。


 ち、しかたがない。じゃあもう一つの質問の方。


「この最後の条項の『それ相応の報復を受けるのを受任することとする』の報復て何ですか?」


「・・・教えてもいいけど、知ったら最後・・・それでも知りたい?」


「いえ、結構です」


 その脅迫めいた返答に、他にどう答えろっちゅうねん!


「ならよろしい。はい、わかったらサインサイン」


 何か色々ヤバイことに脚を突っ込んだ感満載なことに、今さらながら改めて気づかされるけど、もう後戻りはできない。


 僕はこの契約書類が、自分の死刑執行書にならないことを祈りながら、サインした。


「お願いします」


「うん・・・」


 店長は僕のサインを確認する。


「オーケー。ようこそ富嶽忠一君、喫茶藍へ。今日からよろしく頼むわよ。早速だけど、厨房用の服貸すから、それに着替えてね。着替え終わったら手洗いして、早速仕事よ」


「本当にいきなりの仕事なんですね」


「当たり前よ。君にやってもらうのは、モーニング用のサラダの準備。と言っても、サラダ用の野菜は専用のカッティングマシンに入れれば自動的にカットしてくれるから。何も心配いらないわ。とにかく、まず着替えてね。男性用の更衣室は右側の部屋だから、女性用と間違えないようにね」


「わかりました」


 挙母さん、もとい店長から一番サイズの近い厨房用の制服を借りて、僕は男性用更衣室に向かった。で、そこで感じたのが使用されている気配が全くないということ。つまり、男として働く店員は、今のところ僕以外いないようだった。


 と言うことは、平日に入る人たちと言うのも、先輩や店長たちみたいに女に変身しているのか?はたまた、本当に女性が働いているのか?


 また気になる問題が増えたな、これは。


「終わりました店長」


「うん、よく似合ってるわよ。サイズは大丈夫?」


「ちょっと出ますけど、折り曲げれば大丈夫です」


「オーケー。じゃあ、しっかり手を洗ってね。万が一にも食中毒出してお役所のお世話になるのだけは、避けたいから。消毒液もあるから、適宜使ってちょうだい」


「了解です。店長」


 まあ、食中毒出して店内にお役所の検査が入ったりしたら、一大事だよね。どちらにしろ、客に食べ物出す店として、そんなこと起こすわけにはいかないよね。


 店長に言われた通り、僕は念入りに手を洗って、さらに消毒した。これで準備完了。


「準備完了です」


「それじゃあ、仕事を説明するわね。このカッティングマシンにキャベツやニンジンを入れれば自動にカットしてくれるから、富嶽君はそのガラス皿に盛りつけて、ドレッシングを掛けてね。野菜やドレッシングの量、それから盛り付け例は、壁のディスプレイに表示されるから、その通りにすれば大丈夫よ」


「わかりました」


「私はその間にスープの仕込みや、ゆで卵の準備するから、後は頼むわよ。でも、わからないことがあったら遠慮なく聞いてちょうだい。質問は?」


「ありません」


「オーケー。じゃあ、よろしくね」


 こうして、いきなりの僕のアルバイト1日目が始まったのであった。




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