喫茶藍 ⑤
今回作中世界の性転換事情に関しては、現実ではまだ実現していない設定などが多分に出てきます。御注意ください。
「性転換装置ですか?」
「そう。我々が開発した最新型のね」
そう言うと男、挙母弘さんはコーヒーを一口口にした。
正美さんが岩川先輩だという衝撃的な事実を知らされた後、僕たち3人は仕切り直しと言うことで、店内の客室に移動した。そして弘さんのいれたコーヒーを飲みながら、詳しい事情を聞かされていた。
「でも性転換て、手術でしかできないんじゃ?」
性転換、すなわち男性や女性が逆の性になる方法は、僕が知る限り手術しかないはずだ。一昔前までは、手術による生殖器の除去と、ホルモン注射とかで身体を異性に似せるのが精一杯だったって本で読んだことがある。
ただ最近は医療技術やバイオ技術とかの進歩で、自分の細胞から男性なら女性器、女性なら男性器を培養して移植させることが可能になっていると、生物や保健の授業で習った。
だから元男性が子供を産むことも、元女性が男性として女性と子作りすることも、珍しい例では性転換した男性が女性として、性転換した元女性の男性と結婚して子供を作ったなんてこともあるらしい。
でも、手術ではない方法で性転換ができる装置の話なんて聞いたこともない。
「こんな機械で性転換できるなんて、聞いたことありませんよ!」
すると、弘さんは自慢気に言い返してきた。
「そりゃないはずだよ。これは私、というより私が所属する研究機関が開発した最新型の性転換装置なんだ。世界でもまだ2台しかない代物なんだからね。もし世に出れば、ノーベル賞並みの発明なんだぞ」
「ええ!?ノーベル賞!」
そんなにスゴイ発明なのか!
「あ、でも。確かに、あのガチムキな岩川先輩を、こんな可憐な女の子に変えてしまうんだから、ノーベル賞もとれるか」
「なんか癪に障る言い様ね」
あ、先輩がジト目になってる。
「別に先輩を批判したわけじゃないですよ」
「ふん。まあ、いいわ」
と人差し指でクルクルと垂れた髪を撒く仕草をする先輩。普通に可愛い。それに、カップを持つ手もお茶を飲む動作もメチャクチャ丁寧。普段の先輩だったら、ガブガブと優雅さの欠片もない飲み方するのに。
改めて思うけど、体だけじゃなくて、口調や性格まで変わってるな。
そんな僕の内心を他所に、弘さんが説明を続ける。
「話を続けるけど、あの装置がスゴイのは単に性転換ができるだけじゃないぞ。君も知ってると思うが、現状の性転換技術は、あくまで培養した異性の生殖機能を移植して、肉体を似非的に異性のものにしただけだ。つまり、体の骨格や遺伝子レベルで異性になってるわけじゃない。しかしこのマシンは違う」
ええと、つまり・・・
「細胞レベルで異性の体になれるってことですか?」
「飲み込みが早くて助かるよ。まあ、端的に言うとそうだね。しかも、手術式の場合は生殖器の培養や、ホルモン投与などの準備期間だけで3カ月は掛かるけど、さっき君も見た通り。このマシンは3分もあれば完全に男性を女性に、女性を男性に変換することができる」
「一体どうやって?」
「簡単に言うと・・・」
と説明されたけど、文系の僕にはわけのわからん単語の羅列で、ものの10秒で「あ、もういいです」となった。
何にしろ、これまでの常識を覆すスゴイ発明だというのはわかった。
と、ここである疑問も浮かんだので、聞いてみる。
「話は変わりますけど、体だけじゃなくて先輩の口調や仕草も完全に女の子になってますよね?これもマシンによるものなんですか?」
すると、途端に得意げな顔をしていた弘さんの顔が歪む。あ、聞いちゃいけないことだったかな?
「うむ。そこなんだよね。このマシンをまだ世に出せない理由は。実はこのマシンは性転換する際に、性転換する本人が持つ異性への理想像を反映するように設定されているんだ。そうすることで、性転換後の体と精神の齟齬を極力なくして、円滑な性転換ができる。そう言う目的でつけられたんだ。ただ理想像とは言っても、本来は肉体にある程度反映されるだけのはずだった。ところが・・・」
「まさか、心にも反映されちゃったってことですか?」
「理解が早くて助かるよ。そのとおり。多分脳も含めた体内の機能が変換された際に、何らかの影響があったと我々は見ている。ただこの点に関しては分析中で、まだ抜本的な解決は出来てないんだ」
「なるほど。でも、それが世間に公表できない理由なんですか?」
「ああ。本来の設計通りなら、この装置は肉体の変化だけして、自我にまでは影響を及ぼさないはずだったんだ。ところが、現実には多分に影響して、元々の性としてのアイデンティティを消滅させて、異性としてのアイデンティティを勝手に脳内に植え付けている。つまり、脳が勝手に弄られて、一種の洗脳がなされているってことだよ」
あ、なるほど。
「確かに。洗脳できるとなれば、それは問題ですね。でもそんな装置に先輩たち入って大丈夫なんですか?」
肉体を変えるだけならともかく、本人の精神までも根こそぎ変える。つまり、その人の人格を根こそぎ奪うんだから、なるほど。確かに問題だ。そしてそんな装置で女の子になってる先輩たち大丈夫なの?
「それは心配ないよ。男に戻れば完全にリセットされるから。それは散々実験して判明しているから」
「そうですか・・・しかしそうなると、その姿と性格が岩川先輩の理想の女の子てことなんですが?」
「そ、そう言うことになるかな?アハハハ・・・」
視線を逸らしてから笑いする先輩。
小柄で巨乳のポニーテール美少女・・・先輩のことだからもっと溌溂なスポーツ系とか、物静かそうな文系少女あたりが好きそうだと思ってきたけど、むしろカワイイ系の方が好きだったんだ。ちょっと意外だな。
「で、なんでそんなスゴイ性転換装置がこんな街のビルの中にあって、でもって先輩が女の子になって喫茶店で働くなんてことに?」
マシンのことや、現在の先輩の姿については理解したけど、そもそもどうしてマシンがここにあるのか?そして、先輩が女の子になって働くことになったのか、全く見当がつかないし理解できない。今は女の心に洗脳されているからいいにしても、男の先輩が自分から女の子になろうなんて思えない。
「あ、でも先輩にも性転換願望があったとすれば」
「ないわよ!」
ボソッと呟いた僕のことに、全力突っ込みする先輩。
「あ、ごめんなさい」
そんな僕たちのやり取りを笑って見ていた弘さんが説明をはじめる。
「装置を街中のビルに設置したのは、擬装だよ。何せ漏洩して万が一悪用されれば、大変だからね」
確かに。体だけじゃなくて心まで変えてしまうとなれば、大変だ。そこら辺の男を取っ捕まえて女にして、犯罪の種にする・・・小説のネタならそれでいいかもしれないけど、やられる側からすれば地獄だな。
「まさか産業スパイも、こんな人口の多い街の一角の、鄙びた雑居ビルの喫茶店の奥にあるなんて思わないだろうし。木を隠すには?」
「森の中ですか?それでも万が一泥棒が入ったりとかしたらどうするんです?」
「問題ないよ。最低限のセキュリティはしてあるから」
それでいいんだろうか?と。もう1基はどうしたんですか?と、突っ込むのは野暮なんだろうな。
「それに。万が一触れたとしても、部外者が触れば・・・」
なんか恐ろしいことを言ってるけど、これも聞かなかったことにしよう。
「じゃあ、喫茶店も擬装なんですか?」
「まあね。それから研究費の足しにするっていうのもあるよ。最近は大学の研究予算もシビアだから。最初はメイド喫茶にしようという話だったんだけど、それだと目立つから普通の喫茶店に落ち着いたんだ」
「じゃあ、先輩たちが着ているメイド服って」
「最初の計画の名残だね」
すると、先輩が立ち上がり。
「どう?似合う」
スカートを両手で広げる動作。見事なカーテシーを決める。
「とってもお似合いですよ」
中身が先輩とわかっても、普通に可愛い。特に最後の嬉しそうな微笑み。
「で、岩川君がここで働くことになった理由だが・・・」
途端に弘さんの顔が険しくなり、先輩を睨みつける。
「アハハハ。はい、私の自業自得です」
めちゃくちゃ縮こまって言う先輩。余程のことでもあったのかな?
「自業自得?」
「岩川君と鹿屋君が喧嘩を起こして、性転換装置の予備部品をトラックから降ろしてたうちのスタッフにぶつかったんだよ。おかげで高価な予備部品が破損したんだ」
弘さん、静かに言ってるけど言葉の端々から怒気が感じられる。メチャクチャ腹に据えかねる出来事だったんだろうな。
「ああ、それは確かに自業自得ですね」
しかし2人が喧嘩をしたとは聞いてたけど、それで巻き込み事故起こしたのね。
きっと街中でバッタリ顔を合わせて、喧嘩になったんだろうな。この2人だけで会うとヒートアップするから。
うん?だけど待てよ。当事者が岩川先輩だけじゃなくて、鹿屋先輩もってことは・・・
「もしかして、司さんは鹿屋先輩?」
「大正解」
うわ~。美人メイドさんが2人ともガチムキの男子高校生とはね。寛治の奴が聞いたら、この世の終わりの様な顔をするだろうな。
「じゃあ、2人が働いてるのはその壊した部品の代金の返済ですか?」
「それもある。ちなみに2人の借金はこれだ」
と弘さんが電卓をポチポチ押して僕に見せる・・・見間違えじゃないよね?0が六つ並んでいるんですけど。
「それ2人で返すんですか?何年掛かるって言うレベルの額なんですけど」
「無論だ。さすがに全額アルバイト代で返してもらうのは、こちらとしても無理とわかってるからね。だから、彼らには性転換装置の被験者もやってもらっている」
「あ、だから2人ともメイドさんになってるんですね」
ただ借金返すために働くだけなら、他にも方法あるだろうし。それに硬派な2人が女に、それもメイドさんになるのを嫌がるのは目に見えてるし。でも、被験者も兼ねてるなら納得。
「まあ、ガチムキ男のウェイターより可憐なメイドさんの方が客の入りがいいだろうというのもあるけどね」
そっちの方が本音じゃないかな~と思うのは邪推だろうか?
「とにかく、それが2人がメイドになってこの店で働いてる理由だ。で、だ富嶽君。君いま暇かい?」
「え?まあ、取り急ぎ何かやるようなことはないですけど」
「そっか・・・だったら君もうちの店でアルバイトしないかい?」
「は~い!?」
突然の提案に、僕は素っ頓狂な声をあげてしまった。
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