喫茶藍 ②
「へえ、いい感じの店じゃん」
入り口から一度角を曲がった奥に広がる客席は、2人掛けの卓が10個くらいで、壁際の席だけソファー席になっていた。その壁や床や木目調で、BGMとして掛かっているクラシックと合わせて、落ち着いた雰囲気だ。新聞や漫画の置いてある棚もあって、気分良く長居できそうな空間になってる。
ただ開店したばかりなのか、お客さんはお爺さんが一人コーヒーを啜っているだけだった。
「お好きな席へどうぞ」
「チュウ、ここでいいだろ?」
「ああ」
別に特に希望もないので、壁際の席に座る。寛治が壁際のソファー席、僕は鞄を床に降ろして椅子に座る。
「メニューです。今お冷とお絞りをお持ちしますね」
メニューをそれぞれの前に置くと、正美と呼ばれていたメイドさんはレジの方へ下がっていった。
「いい雰囲気の店だな」
僕が言うと、感じも頷いた。
「ああ。ネットでもメイドさんとは不釣り合いな、渋くて落ち着いた店って書いてあったし」
「でも、ロングの正統派のメイド服だったから、むしろこういうシックな店の方が似合ってると言えば、似合ってないか?」
「確かに」
そこへ、メイドさんが戻ってきた。
「お冷とお絞り失礼します。御注文が決まりましたら、気軽に声をお掛けくださいね」
「どうする?先に飲み物だけでも頼んどく?」
寛治の言葉に、僕は特に反対する理由もないので頷いた。
「そうだね」
「じゃあ俺ホットのブレンドコーヒーを」
「僕も同じので」
「かしこまりました。ミルクと砂糖はどうされますか?」
「俺は両方とも」
「ミルクだけで」
これは恒例のこと。寛治は基本砂糖とミルク両方を、僕はミルクだけを入れる派だ。
「かしこまりました。少々お待ちください」
注文をメモに書き込むと、メイドさんは再びレジの方へと入っていた。僕たちのお絞りで顔と手を拭い、とりあえずお冷を口にする。氷が入ってよく冷えた水が乾いた喉を潤して心地よい。
「確かに寛治の言った通りだな。普通の喫茶店にメイドさんがいたな」
「だろ?まだ開店したばかりで穴場だけど、一部のネットじゃ話題になってるぞ」
「確かに。あんな可愛いメイドさんがいればな・・・ただ、あのメイドさん何か既視感がある」
僕たちを応対した正美さんと言うメイドさん。どこかで見覚えがあった。
「何だよ?お前の知り合いか?」
「いや、そうじゃなくて。名前は出てこないんだけど、何かどこかで見たことあるような気がするんだ」
「学校かどこかじゃないの?」
「かな?」
はっきり言って、漠然としたものなので断言できない。学校なのか、はたまた通学途中の列車の中か、それとも全く関係ないどこかなのか。
結局のところ、答えは出そうになかったし、すぐに寛治が別の話題を振って来たので、それ以上は考えようがなかった。
「そう言えば、先輩たちまた何か問題起こしたらしいぞ」
「本当かよ。あの人たちも本当に懲りないな」
「全くだ」
僕たちの間で話題になる先輩たちというのは、1年上の学年の岩川正先輩と鹿屋滝司先輩の2人と言うのがデフォルトだ。
岩川先輩は同じ町内に住む幼馴染で、子供のころから良く世話になっている。身長が155しかないインドアな僕と違い、170もあってガッチリしたいかにも体育会系と言う外見をしている。
ただ決して粗野ではなく、後輩に対する面倒見はいい。僕も子供のころから随分と世話になっている。
一方で子供の頃から変わらないのが、鹿屋先輩との関係だ。鹿屋先輩は隣の町内に住む岩川先輩と同学年で、幼稚園から今に至るまで同じ学校だという、これまた幼馴染。でもって、タイプとしても岩川先輩と同じガッチリし体育会系。後輩の面倒見もいい。
そんな2人ほど、同族嫌悪と言う言葉が似合う関係を僕は今のところ知らない。とにかく、この2人は仲が悪い。子供のころから、顔を合わせる度に最初は罵り合いから始まり、エスカレートすると拳を使ってのマジな殴り合いをする。
喧嘩する理由は、はっきり言ってない。ただ2人とも「あいつはとにかく敵!」ていう感じだから、歩み寄る可能性は未来永劫ない。せめてものなぐさめは、僕を含めて他人が間に入れば、とりあえず殴り合いにまでは行かないこと。
他人の目がある限りは、ギリギリ理性を失わないのは助かる。もっとも、逆に言えば他人の目がないところだと徹底的にやるタイプだから、それはそれで質が悪いと言える。一度小学校5~6年の時だったか、遊び場にしていた竹林の中で本気でやりあったことあったし。
2人が痣だらけで血だらけの顔をしていたのを見た時は、怖くてこっちが泣きたくなった。と言うか、ぶっちゃけ泣いたし、今もトラウマだ。
「ケガとか大丈夫だったのか?」
「ケガしたとは聞いてないけど、何か人のもの壊したとかで、大目玉喰らったって噂だぞ」
あちゃ~。大事に至ってないことを祈るしかないな。
「まったく、2人とも普通にしていればいい人なのに」
「あの2人がいい人?オイオイ、岩川先輩とは同じ町内の出身らしいけど、ちょっと肩持ちすぎじゃないか?」
「それはお前があの2人と付き合いがあんまりないからだよ。ああ見えて、2人とも面倒見いいよ。色々後輩に気を遣ってくれるし」
岩川先輩もそうだし、子供の頃から鹿屋先輩にも色々と世話になっている。2人とも荒っぽいところはあるけど、根はいい人なのは間違いない。10年以上付き合って、そう断言できる。
寛治のやつは、中学からで2人ともほとんど接点がないから、本質を知らないだけだ。それだけに、2人への評価はずっと超低空飛行だ。僕が何度話しても理解しないし、しようともしない。
「そんなもんかな。俺からすれば2人とも野蛮人だぜ。お前も付き合う人考えたほうが・・・」
ガチャ!
と寛治が2人のことをボロクソに言うのを遮るように、突然目の前に荒々しくコーヒーカップが置かれた。見れば、いつの間にかお盆を持った正美さんが立っていた。
「あ、ごめん遊ばせ。手元が狂いました」
何だろう?丁寧に話している筈なのに、彼女の言葉に寒々しいものを感じるんだけど。
「お待たせしました。ブレンドです」
と先ほどとは対照的に、実に丁寧にコーヒーカップを僕の目の前に置く正美さん。
「ありがとうございます」
僕が社交儀礼の感謝の言葉を口にすると。
ニコ
正美さんが優しく微笑んだ。女の子に笑顔を向けられて嬉しくない筈がない。その一方で、さっきと同じ。何か胸の奥に引っかかるものを感じた。
「ミルクと砂糖失礼します」
正美さんはミルクの入った容器と、寛治の前には角砂糖の乗った小皿を置き、続けてお茶請け菓子のクッキーとピーナッツが乗った小皿を置いた。
「それじゃあ、ごゆっくり」
最後に伝票をサッと置くと、またレジの方へと戻って行った。
「んじゃ、飲むか」
「うん?ああ」
僕はミルクを入れる前に、カップを手に取り匂いを嗅ぐ。コーヒーの香ばしい香りが鼻をくすぐる。
「うん、匂いはいい」
「だな」
続いて僕はミルクを、寛治はミルクと砂糖を入れて、添えられたスプーンでかき混ぜた。最近よくコーヒーを飲むようになったとはいえ、まだまだブラックには慣れない。
口に持っていき、一口啜る。うん、苦みと酸味がいい具合だ。僕としては好きな味だな。
「味悪くないな」
「ああ」
どうやら、コーヒーも外れではないらしい。
そのままお茶請け菓子に手を付ける。クッキーの甘みと、ピーナッツとの相性も悪くはなかった。
「時間が合えばモーニングも食べれたのにな」
「それは仕方がないよ」
時刻はもう昼に近い。さすがにモーニングは終わってる。寛治の奴がモーニングセットのメニューを手にして、食べられなかったことを口惜しがってる。
ちなみにモーニングは定番の食パントーストとサラダ、それに茹で卵か目玉焼き、あとパンに塗るジャムかマーガリンと餡子のセットになってる。際立って豪華と言うこともないけど、一方で貧相ではない。この辺りでは平均的な内容だ。
とは言え、メニュー表ではモーニングは11時までとなっているから、今日は諦めるしかない。
「その代り、もうランチタイムに入ってるぞ。どうする?食事しちゃう?」
「そのつもりで来たからな。お前はどうする?」
「もちろん食べるよ。と言うか、自分だけ食う気かよ?」
「わかってるって」
コーヒーを口にしながら、今度はメニュー表の食事のメニューを見る。すると、定番のサンドイッチやスパゲティーだけでなく、御飯の付いた定食物や、丼物なんかもあって、まるでレストランのような充実ぶりだ。
「なんか随分充実してるな?」
「ああ。で、どうする?」
「こんなになると迷うな・・・日替わりにするかな。でも何かわからん」
メニュー表にはランチタイムの日替わり毎日実施となっている。しまった、入口で日替わり内容を見ておくんだった。
仕方がない。
「すいません!」
「は~い!」
呼びかけるとすぐに正美さんがやってきた。
「はい、何でしょうか?」
「今日の日替わりって何ですか?」
「今日は鉄板スパゲティにスープとサラダですよ」
「あ、じゃあそれお願いします」
「畏まりました。それと、ランチ注文のお客様にはお飲み物を100円引きで提供しますよ。あ、お客様は既に1杯目を注文済みなので、2杯目はサービスいたします」
「あ、じゃあそれでお願いします」
「かしこまりました。そちらの方はどうなさいますか?」
「じゃあ、俺はあんかけパスタで、あ、飲み物付きで」
と、その時。
「××入りま~す」
と、寛治の言葉と重なってよく聞き取れなかったけど、男性の声が聞こえた。入りますってことは、昼のシフトの店員さんでも来たのかな?
「かしこまりました。日替わりランチとあんかけパスタでよろしいですね?」
「はい!・・・おい、チュウ。どうした?」
寛治の言葉に、ハッとなる。
「あ、ごめんん。はい大丈夫です。それでお願いします」
「かしこまりました。少々お待ちくださいね」
僕を見てクスッと笑った正美さん。その笑みに、何故か慈愛の様なものを感じたが、何でだろう?
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