喫茶藍 ①
ボーイズラブとしましたが、これは念のためです。
「好きです先輩!」
僕の一世一代の告白の声が、寒空の下の街の中に消えていく。高校2年のクリスマス、僕は多分今までの人生最大の岐路に立っている。
そして思った。我ながら、なんてベタな告白だと。
クリスマスイブの夜。毎年多くのカップルで賑わうライトアップされた広場のクリスマスツリーの前で。周囲には、手を繋いだりした既にカップルになっている男女たちがたくさんいる。何と言うか、雰囲気自体が既にアレだ。
だけどそんな雰囲気の中だからこそ、最後まで悩んだ告白に踏み切れたかもしれない。
顔が熱い。というより、体全体が熱い。多分今の僕の顔は、彼女から見れば真っ赤だろう。
「・・・あ、え?あ、あの・・・」
一瞬沈黙した彼女だったけど、言葉の意味を理解したのか、顔を真っ赤にして口をパクパクし、答えに窮していた。
普段なら、それも可愛いと思えたかもしれないけど、今の僕にあるのはそんなことよりも、怖さだった。振られる怖さもあったけど、それ以上に彼女との、先輩との関係を壊す怖さ。そして互いに傷つくんじゃないかと言う怖さ。
わかってる。わかってるんだ。これが本来なら実らない恋だって。でも言わずにはいられなかった。自分の気持ちに正直にならないといけないと思った。そうしないと後悔するから・・・でももしかしたら、言ったことでそれ以上に後悔するかもしれない。身勝手だと今更ながらに思うけど、言わなかったほうがいいかもしれないとさえ思ってしまう。
でも言ってしまった以上、もうやり直しも取り消しも効かない。あとは、先輩からの返事を待つだけだ。
周囲には多くのカップルや通行人がいるので、ヒドイ喧騒の中にいるはずなのに、先輩の返事を聞くまでの数秒間、何故か僕の耳には全く音が入ってこなかった。静寂に包み込まれていると言えばいいのかな?
その静寂の中で、僕は今日までのことを振り返った。
高校への進学を控えた春休み。僕、富嶽忠一はいよいよ始まる高校生活に、楽しみ半分、緊張半分の気持ちを抱きながら、短い休みを家の中で読書しながら満喫していた。
しかし4月に入ったばかりのその日、愛用のスマートフォンのSNS受信を告げる呼び出し音が鳴った。
手に取り画面をタッチすると、同じ高校に進学する中学以来の同級生、カンジこと藤枝寛治からの連絡だった。
『今電話できる?』
メッセージを見た僕は、すかさず寛治の電話を呼び出した。
「よ!チュウ」
チュウとは、同級生の僕に対する呼び名だ。最初の頃は気に入らなかったけど、何度も呼ばれている内に反論する気も失せて、慣れてしまった。
「うん、何だった?」
「実はさ、大曽野の駅前に新しい喫茶店が出来たんだけど、いかないか?」
「またメイド喫茶?」
寛治は自他共に認めるアニメオタクで、アニメグッズ店やゲーム店なんかが集まる大洲にもよく行ってる。そしてそれに、僕もよく付き合わされてきた。メイド喫茶も何回か出入りしてる。
だからこの時も、また新しいメイド喫茶にでも行くのかと思った。
「いや、メイド喫茶じゃないよ。店の看板は普通の喫茶店らしいけど、ネットによれば可愛いメイドさんが働いてるんだと」
「普通の喫茶店にメイドさん?そんなことあるのかな?」
「行ってみればわかるって。で、どうする?」
「別にいいよ。今なら軍資金もあるから」
幸い春休みはどこにも出かけてなかったから小遣いはまだあるし、それに母さんから毎日渡されるお昼ご飯代を節約した分もあるから、1回くらいなら出かけられる。
「じゃあ決まりな!30分後師団前の駅で会おう!」
「了解」
僕は電話を切ると、外に出かける準備をする。と言っても、セーターの上にパーカーを着こんで、ポケットに財布と携帯、あとは愛用の鞄に今読んでる本を入れるだけだけど。
ものの1分と経たずに外出準備を完了させ、僕は家を出た。
最寄り駅の師団前駅までは、自転車でものの10分だ。ただ今日は麗らかな春の陽気で、天気もいい。せっかくだから歩いて行こう。
自転車で通いなれた道も、歩いて見ると違って見える。高校生になって歩いたら、また違って見えるのかな?そんなことを考えながら、最近立ち寄ってないお店の新作メニューに興味を惹かれたり、歩いてる野良猫に何気なく声を掛けたり、目の前に落ちてきた鳥の糞を慌てて避けたりしている間に、最寄り駅の師団前駅についてしまった。
周囲は住宅やお店もあるけど、券売機と自動改札機があるだけの無人駅。電車も急行や準急は止まらず、15分に1本だけの普通電車だけが止まる小さな駅だ。
まだ約束の時間まで少しある。ICカードにチャージをして、持って来た本を読みながら時間を潰す。
「お待たせ~」
本に夢中になってるところで、声を掛けられた。声のする方を見れば、寛治がやってきた。僕は本を閉じ、友人を出迎える。
「お疲れ~」
「お疲れ~。じゃあ、早速行こうか」
「うん」
ICカードをタッチして改札を潜り、ホームに出るとちょうど急行電車が通過していくところだった。
「急行が行ったから、すぐに来るな」
「だね」
3年間も通学に使っているだけあって、お互い電車のダイヤは覚えてしまっている。
さっき通過した急行を追いかける形で、普通電車が入ってきた。平日の昼間前だからか、簡単に座ることができた。
「で、なんていう店なの?その喫茶店」
「『喫茶藍』だって」
ロングシートに腰かけると、早速話題は今から行く店に。寛治が自分のスマフォで、その店の情報を見せてきた。
「ふ~ん。普通にどこにでもありそうな名前だね・・・へえ~開店したばっかりなんだ」
開店日を見ると、3日前だった。
「で、本当にその店に美人のメイドさんがいるの?名前からしても、普通の喫茶店だけど」
「多分。写真は見つからなかったけど、紹介サイトの書き込みには、みんなそう書いてあったよ」
と言われても、メイド喫茶でもない普通の喫茶店でメイドさんが本当にいるもんかね~ウェイトレスならまだわかるけど。僕はどうも半信半疑だった。
目的の大曽野駅は師団前から2つなので、5分で到着した。しかし目の前に広がる風景は全然違う。
師団前の駅は普通列車しか止まらない住宅街の中の無人駅だけど、大曽野駅は急行も準急も全部止まる。それだけじゃなくて、国営鉄道や地下鉄との乗り換え駅で、大きなバスターミナルもある。ホームも高架で、見渡せば高いビルやマンションが何棟も並んで立っていて、いかにも都会の駅と言う風景だ。
僕たちはホームから階段を降りた場所にある改札を抜けて、駅の外に出る。ここも通学で毎日使うけど、やはり遊びに来ると何か違って見える。
「ええと、こっちだな」
寛治がスマフォを見ながら、お店向かって歩いて行く。僕はその後ろを引っ付いていく。
駅前の大通りから1本狭い通りに入り、お店やビルの間を進んで行く。
「あった。ここだ!」
寛治が雑居ビルの前で足を止めて、上を見上げる。なるほど、ビルの側面の看板と、2階の窓ガラスにそれぞれ『喫茶藍』の文字が入っていた。
ビルの端に小さなここからお入りくださいという看板もあった。ビルの隅にある階段かエレベーターを使えと言うことだった。
もちろん、たったの2階なので、僕たちは階段を上がった。そして僕たちの目の前に、木目調の扉と扉に掛かる手書きの『喫茶藍』と言う看板、営業中と言う立札が現れた。
「じゃ、入るぞ」
「うん」
寛治がドアのノブを握り、扉を中に向かって開けた。来客を告げるためなのか、鐘の音が鳴った。
「は~い!少々お待ちください」
入るとすぐにレジカウンターがあって、その後ろは厨房のようだった。その厨房の方から人が出てきた。
「いらっしゃいませ。2名様でよろしいですか?」
「はい、2人です」
と受け答えする寛治を、僕は腕で小突いた。
「おい、美人さんだけどメイドさんじゃないよ」
そう。出てきたのは若い、多分女子大生くらいの美人の女の人だった。青み掛かった髪をショートにしていて、キリッとした印象を受ける。ただメイド服ではなく、白いシャツに黒の長ズボンとエプロンという出で立ちでメイド服は着ていなかった。
「バカ、調理の人だからだろ」
「その通りよ」
ヒソヒソ声で話していたつもりだったのに、しっかり聞かれていたようだ。
それよか寛治、それくらいわかってるよ。メイドさんがいないんじゃないかってことだよ。
と、そんな僕の気持ちを察したのか。
「生憎と私は調理専従だからメイド服は着てないわ。でも接客の娘は着てるわよ。今呼ぶから待ってなさい」
コックさんが答えてくれた。
「ほら、見ろ」
「はいはい、疑って悪うございました」
と言うか、本当にメイドさんいるんだ。と言うのが正直な感想だった。
「正美ちゃん、お客様の御案内お願いね」
「は~い!」
コックさんが店の奥の方に呼びかけると、入口からは見えなかったそっちの方から、パタパタと人が掛けてくる音が聞こえてきた。
「お待たせしました~」
そして壁の陰から一人のメイド服姿の美少女が、スカートを揺らしながら姿を現した。
「お!カワイイ!」
寛治が素直に感想を口にした。確かにやって来た女の子は、僕の基準からすると充分以上に可愛かった。
身長は、155の僕よりさらに小さそう。それなのに、反比例して胸はかなり激しい自己主張をしている。でもって、整った顔立ちとポニーテールにまとめた綺麗な黒髪。白と藍色の組み合わせのメイド服は、そんな彼女によく似合っていた。
実に模範的とも言うべき、美少女メイドさんがそこにいた
「いらっしゃいませ!『喫茶藍』にようこそ、お席に御案内しますね」
「お願いします」
営業スマイルを僕たちに向けながら、彼女はすぐにメニュー表を持って僕たちを店内に案内する。開店して日が経っていないっていうのに、実にキビキビとしたいい動きだ。
でも、僕たちの顔を見た時、一瞬その表情が固まったように見えたのは、気のせいだろうか?
「どうしたチュウ?早く行くぞ」
「ああ、ごめん」
どこか心の中にモヤッとしたものを抱えつつも、僕は寛治と一緒に店の中へと入った。
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