10 できることは
「それでは姫君の懐柔に向け、アルル様には一層励んでいただかなくては」
「そうしたいのは山々なんだけどね……」
今日の無愛想な様子を見る限り、いろんな意味で厳しいです。
頑張りどころであるはずですが、どうにも頭が回らず。明日を生きる活力をつけようにも、私たち用のご飯なんて用意してくれるわけないし。
「あーあ、こんなことならお姫様の分ちょろまかして来るんだった。どうせ食べないんだろうし」
「その点でしたらご心配なく。ちゃんと用意してあります」
リンネさんはしたり顔でポンとお腹を擦ります。もはやそれだけで察せました。
「……スライム、食べたの? まずいの我慢して?」
「まさか。拷問用のスライムは食べません。これでもグルメなので。きちんと地下の洞窟で捕食した新鮮なやつです」
スライムに変わりないでしょうに。
「このあたり一帯、魔神王の支配下に置かれているせいか、怪物同士の争いもなく、下級のスライムも十分に繁殖していました」
リンネさん的には天然の食料庫、というわけです。
「反面、生存競争が生まれないせいで、どれも薄味だったのが悔やまれますが」
彼女が配属された地下の独房は、天然の洞窟を改築して利用したもの。そこに住みつく怪物が、そのままま牢獄の看守人。
身動き取れない中、鉄格子のすぐそばを怪物が闊歩している光景を想像します。村娘さんたちは生きた心地がしないでしょうね、可哀想に……。
一方のリンネさんは、豪胆というか無頓着というか。監視の目を盗んでは、結構好き勝手やっていたようです。
いくら第二級冒険者といえど、手元の武器もなく囲まれればひとたまりもないでしょうに。捕虜の自覚あるんですかね、この人。
囚われの村娘相手には跳梁跋扈な怪物たちといえど、嬉々としてスライムの調教に勤しむリンネさんについていけなくなったのかも知れません。
「そのまま逃げなかったの?」
「当然です、あなた様を置いてはいけませんから」
「あら嬉しい」
一応、喜んでおきます。
「本音は?」
「洞窟とは名ばかりの、天然の牢獄でした。出口らしきものは全て塞がれ、通れる隙間も見当たりません」
「となると、入ってきた場所から出ないとダメか」
「それも考えましたが、間違いなく巧妙に隠されているでしょう。さすがに今の状況で見つけ出すのは不可能かと」
「むむう」
頭を悩ませます。
たとえ城から抜け出すことができても、そこは見知らぬ森の中。地の利は向こうにあり、簡単に捕まってしまうに違いありません。
生殺与奪が握られている以上、私たちが逃げ遂せるためには、かの魔神王を出し抜く他ないのです。
洞窟を利用して逃げるという無難な作戦は、早くも暗礁に乗り上げました。次なる一手は、さてどうすべきか。
口移しされたスライムで空っ腹を満たして、あれやこれやと考えを巡らせますが、身命を懸けられるほどの妙案は浮かびません。
「ここまでとしましょう。続きはまた明日」
うつらうつら舟を漕ぎだした頃合いを見て、リンネさんが淑やかに就寝を促します。
「そんな悠長なこと言って……」
寝ぼけ眼を擦りつつ口先ばかりの反論をしますが、人差し指で唇を塞がれてしまいました。
「我々はまだ生きています。王都も、人や街も、変わりなく健在です。ならば、今日は眠っても良いのです」
そう言って微笑むリンネさんの顔は、今の窮状など意にも介さないほど穏やかで。
眠気も相まって、不思議と胸中の不安などどうでも良くなってしまいます。
「いついかなる苦境に立たされようと、我々を導いてくださるのは女神様です。彼女の御言葉こそ、我々が真に耳を傾けるに値します」
「その心は?」
「機会を待ちましょう、アルル様。決して無理をせず、女神様の祝福があらんことを祈るのです」
リンネさんは胸の前で両手を組み、心に直接語りかけるように言葉を重ねます。その姿は、敬虔あらたかに女神へ祈りを捧げる聖職者を錯覚させるほどでした。
「見たままですが?」
「中身を知ってしまうとどうにもね」
くすくすと独りごちる私につられて、リンネさんもまた笑みを見せます。
「無茶無謀をやらかすのは、最後にしましょう」
「わかった」
渋々ですが承諾し、今日のところはここまでとしました。
薄汚れたシーツを石床に敷き、広げたケープを毛布替わりに。隣で横になったリンネさんに寄り添い、互いに互いの身体を枕代わりに就寝です。
未体験の連続ばかりで酷く疲れているはずなのに、中々寝付けませんでした。
「できる無茶があるとは思えないけど」
夜も更けて来た頃、そんな結論に達します。
焦りで心が苛まれようと、歯痒かろうと、今は耐え忍ぶ時だとリンネさんは言います。実際問題、リンネさんと違って見習いの私にできることなど何もありません。
何も、ないのです。
「……」
あるとするのならそう、あのお姫様を焚きつけることくらいでしょうか。
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