8 囮
「ただいま戻りました」
「おかえんなさい」
森の賢者たるフクロウが歌を紡ぐ頃。あてがわれた空き部屋に、リンネさんが帰ってきました。
果たしてここを部屋と呼んで良いのかどうか。扉すらない吹き抜けの入り口をくぐり、殺風景極まりない空間で互いに腰を落ち着けます。
ベッド、湯船、食事、水道、電気なし。完全な空き部屋。物置ですらなく、冷たい床で体育座りを余儀なくされます。
「ご飯にする? お風呂にする? どちらもないから私にする?」
「お楽しみは後にとっておきたいので、今は大丈夫です」
「ふうん。さてはリンネさん、最後に残したとっておきを横から取られてしまうタイプね!」
「ふふ、まさか。わたしがそんなヘマをやらかすとでも?」
「……うん、想像もつかないわ」
取られてしまったとっておきごと、犯人をパクリといってしまうんじゃないでしょうか。
ひとまずお互いの無事を喜び合い、今日一日の情報交換を行います。眼前に立ち塞がるどでかい壁を突破する糸口は、さて何かあるでしょうか。
「とりあえず、ひと通りの生活用品は手に入れてきました」
言って、リンネさんは見慣れぬ手持ち鞄から様々なものを取り出します。
油の切れかけたランタン、汚れの少ないシーツ、水汲みの容器などなど。その鞄自体相当古びていて、留め具の部分が錆びつき、片方外れていました。
これらすべて、地下の独房に転がっていた物を拝借してきたのだとか。
「そんな勝手なことしていいの?」
「空の独房にあったものです、構いません」
「空のってことは、人のいる独房もあったんだ?」
「年若い村娘が何人か。わざわざ声をかけるようなことはしませんでした。目が合った途端、怯えたように顔を逸らされてしまって」
「どんな怖い顔していたの?」
「ご冗談を」
リンネさんは楚々と笑みます。
「彼女らはただ、わたしと関わり合いになりたくないのです。余計なことをして目立ちたくない。目立てばそれだけ我が身の危険が増してしまうから。だから互いに身を寄せ合い、ひたすらにじっとして、ありもしない助けを待っている」
やれやれ、とやや不機嫌そうに鼻を鳴らします。
「この極限の状況下で生きる意志を削がれてしまっては、もはやそれまでです。捨て置きましょう」
身も蓋もありません。
「……ほんと、神官の言葉とは思えないんだけど。迷える子羊を導きなさいよ」
「万人を救う神など存在しません。チャンスを掴めるのは行動を起こした一握りの幸運な者だけです」
「結局、運任せか……」
どのみち、囚われの身である私たちにできることは少なく。村娘さんたちのことは、逃げ出す算段をつけてから考えるでも良いでしょう。
ちなみに、その中にマインさんらしき姿はなかったそうです。聞けば、皆同じような民族衣装に身を包んでいたとのこと。
王都から来たお姫様とはまた違う所から連れて来られたようです。
花嫁探しの一環か、勢力拡大を図るための道具とするためか。いずれにせよ、王都陥落に向けて着々と事が進んでいることは確か、ということになります。
「そういえば」
気になっていることを訊ねてみます。
「この城のことですか?」
リンネさんはふむと顎に手をやり、ぐるりと周囲を見回します。
「過去に人の手で作られた建築物を利用しているとみて、まず間違いないでしょう」
「それじゃあ、魔神王は空き家になっていたお城を見つけて、勝手に住み着いているってこと?」
「あながち間違いではありませんが……」
「うまく言えないんだけど、何かイメージと違うっていうか。ねえ?」
魔神王、あれだけふんぞり返っているんだから、自分のお城くらい自分で作りそうなものですけれど。たまたま見つけたお城を気に入り、そこに住みつくような感じでしたか?
「さて、どう説明したものでしょうか」
少々言いよどんだリンネさんは、一度考えを整理する間を取ってから、順を追って話し始めます。
「魔神王が一定周期で復活するのは先に話しましたね。その儀式が執り行われる場所こそが、つまりはこの城ではないかと。あくまで推測ですが」
「儀式って……。なあに、祈りでも捧げるっていうの? 神様じゃあるまいし」
「神様です、魔神王ですから。魔なる者たちが崇拝する神です」
「……ええ?」
困惑します。
「言ったでしょう、魔神王に実体はありません。世の悪意を喰らって破壊をもたらす、概念そのものなのです」
「おとぎ話でいうところの、邪神みたいなもの?」
「その認識で概ね間違いありません」
リンネさんは話を戻します。
「文献で学んだ程度にしか知りませんが。復活時期が訪れると、その呼び声に共鳴した者がここへと誘い出され、儀式が執り行われます。肉体と精神が馴染むまでの間短い眠りに就き、晴れて魔神王はこの世に具現化されるようです」
「なんでそんな場所に、わざわざこんなお城を残しておくの? 壊してしまえばいいでしょう?」
「下手に手を打つことはできません。何故なら、この城は目印でもあるからです」
目印?
「理由は定かではありませんが、魔神王の復活する場所は決まってこの地です。故に、この城に攻め込むことそのものが魔神王討伐に繋がるわけです。こう考えると、目印が城を模している理由もおのずとお分かりになるかと」
少し考えます。
「ああ、なるほど。復活したその場所に留まってもらった方が都合がいいわけだ」
「そうです。この魔城は目印であり、魔神王を留まらせる結界の役割もあるわけです」
冒険者にとって、魔神王とは打倒すべき象徴。それが夢遊病者よろしくその辺ほっつき歩かれてしまうと、誰も彼の者の行方を追うことができなくなってしまいます。
無意味に被害を拡大させないためにも、立派な住処を与えておいた方が都合が良いわけです。
「でも、それってそんなにうまくいくものなの?」
「実際、上手くいっています」
簡単にそう言いながら、りんねさんは「実はもうひとつ仕組みが」と人差し指を立てます。
「ここがもし魔城だとするならば、王都グランセルはそれほど遠くありません。それこそ、歩いて行ける距離に人で溢れる都があります」
「それは朗報! だけど……んん?」
喜んだのも束の間、私は「おや?」と首を傾げ、一度水の街の地下水道からここまで来た経緯を、よくよく思い返してみました。
私たちは地下水道からトンネルに入り、湖の脇を抜ける形で南西へ向かいました。その後、天然洞窟をどう走ったのかについては全く見当がつきません。
しかし、日没の方角に薄らと建物の影が見えました。あれがきっと王都グランセルに違いありません。
つまり、私たちは王都グランセルの地下を潜り抜けてこの城へ連れて来られたと、そういうことになりますね。
「それじゃあ位置関係的に、魔城から一番近い場所に王都があるってことになるよね? 何でそんなところに国で一番大きな都があるの? 危なくない?」
「ええ、大変危険です。そして魔神王にとって大変都合が良いですね。何せ、襲うべき人間どもの都が目と鼻の先にあるのですから」
「……まさか」
ひとつ、恐ろしい考えに行き着き、冷や汗が頬を伝いました。
「そう、王都グランセルは囮です」