14 まさかのお手上げ
「少々お待ちを」
明かりの届かない未知の暗闇こそが、人にとっての一番の脅威。リンネさんはそのことをよく分かっているのです。
不用意に動くな、と私に注意を促しつつ、手に持つランタンの火力を最大まで引き上げます。一気に照明範囲を押し広げ、数メートル先にある岩壁までも照らし出しました。
状況把握に必要な視覚情報を手にした私は、上下左右それぞれに視線を振ります。
「どこだここ」
結果、何にも分かりませんでした。
視界に映るは、つるつると濡れた天然色の岩壁と岩床。
青みがかったような不思議な色合いを照り返す水たまり。
無差別的にあちこちに乱立する、白濁色の細長い石柱。
そして、怪物の巨大な体躯。
遠くの方でぽっかりと口を開ける穴の先は、どこまでも続く闇ばかり―――……では、なく、てぇ……。
「今のって……?」
凍りついた思考のまま視線を振り戻したその先に、いたのです。身の丈二メートルを超えようかという、正真正銘の怪物が。
何より驚嘆したのは、現れたそれが一瞬人間に見えたこと。二本の脚で立ち、手の先に器用な五指を持ちながら、しかし真面な人の形をしていません。
筋骨隆々の肢体に牡牛の頭部を持つその異形な存在は、もうひと目見ただけで分かるほどに、強烈な威圧感を放っていました。
「……ヴォ」
荒々しい呼気に混じる、獣の如き唸り声。
向こうもこちらを視認していると気づいた瞬間、私はどうしようもなく立ち尽くしてしまいました。
「……えっと」
あまりの唐突さ、突拍子のなさに呆然とし……、同時に思い至りました。これが冒険なのだと。
私は今、洞窟探索をしているのです。形を成して襲い来る危機のただ中に、その身を晒しているようなもの。
どんなことでも起こり得る。何かが起こらなければおかしい。ここは、そういう場所。
だからと言ってこれは、あまりにも……。
「これ、どうするの……?」
知らずの内に、喉を震わせ問いかけていました。応える声はありません。
かろうじて首を曲げ、リンネさんの方を伺うと、
「……」
彼女は酷く頼りなさげに眉を曲げ、考えあぐねるように口元を引き結んでいました。
「嘘でしょ!?」
まさかのお手上げ。
「ヴヴヴ」
こちらに近づく足音は、死刑宣告のカウントダウン。
天を貫かんと伸びる二本の角。
堅牢な鎧じみた筋肉を従える巨躯。
紅眼から放たれる圧倒的な重圧。
徐々に大きくなる彼の化け物を前にして、改めて思い知らされます。いろんな意味で、これは無理です。
半人半牛の怪物は、凶悪な顔面に似合わぬつぶらな瞳で私たちを見つめ、そして―――、
「ヴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!」
身の毛もよだつ大音声を張り上げました。
「うわ……っ」
「く……っ」
鼓膜を叩く激しい吠え声に打ち据えられ、私たちは堪らず頭を抱え、膝を屈します。
すぐ近くでガシャン、という軽い音がしたかと思うと、辺りを照らす明かりの明度が数段落ちました。
炸裂した砲声の衝撃波に晒されて、リンネさんがランタンを落としてしまったのです。
地面に広がるオイルを伝い、ゆらゆらと残り火が燃え広がる中、仄暗いオレンジに照らされて、牡牛の怪物が悠然と歩を進ませます。
浅く開かれた真っ赤な口内の奥から熱せられた呼気を吐き出し、一歩、また一歩と、身動きできない私たちに迫り―――……。
岩のようにごつごつした無骨な手のひらが、見開いた視界を覆い尽くしました。
読了ありがとうございます。これにて三章完結です。
二章から四章へのつなぎということもあり、盛り上がりにやや欠ける感じに終わりましたが、四章では黒幕登場からの捕虜生活スタートとイベントごと多いのです。
一番書きたかったシーンを描ける章になると思います。楽しんでいただければ、幸いです。
次回更新は、三章までの設定資料+イラスト紹介を挟む予定です。