1 受付嬢の憂鬱
とある日の昼下がり。
朝早くから酒場を賑わせていた冒険者の面々が仕事に赴き、ひと時の静けさを取り戻した冒険者ギルドの広間にて。
「うーん……」
依頼書を貼り出す巨大なコルク版の前で唸り声を上げる受付嬢が一人、リオンだ。
編み込んだ赤髪や明るい色どりの制服に乱れは見られないものの、どこまでも浮かない表情で、むむっと眉根を寄せていた。
「どうしたんです、リオン先輩。生理?」
「セクハラでひっぱたくよ?」
悶々と頭を悩ませるリオンの隣から、後輩の女性がひょっこり顔を出した。
明るい茶髪のふんわりヘアー。下の方からこちらを覗くくりくりとした大きな瞳が、丸い童顔をより引き立てる。
人がいないのをいいことに能天気に振る舞う彼女の軽口を流して、リオンはカウンターの自分の席へ。
「ふう」
両手にかかるずっしりとした重さからひとまず解放され、深々とため息。
リオンが抱えていたのは、大量の依頼書の束だった。
「またたくさん余ってしまいましたねぇ」
「本当に勘弁して欲しい……。貼り出してた分全部だよ? ……仕方ない話だけど」
嘆息のように間延びする後輩の声に同調し、リオンは深く項垂れた。
冒険者ギルドに冒険者が訪れない日は一日たりともない。
新人であれ、ベテランであれ、毎日誰かがやって来て、コルク版とにらめっこし、時に仲間と相談しながら、これぞと思う依頼書を破り取っていく。
今しがたリオンが重たい気持ちを引きずって回収し終えたのは、数多の冒険者たちが誰一人として選ばなかった依頼案件。
その大半は、街への奉仕活動。即ち美化作業に関する依頼である。
別に、特別な出来事があったせいで今回だけ残ってしまったというわけではない。この手の依頼は基本人気がなく、余るのが普通。
中には一年も前に出された、目的迷子になっている依頼もあるくらいだ。
たまにはと思い、こうして整理してみたものの、気分は一向に晴れることはなく。
「はあ」
深いため息を追加する。
ここ三か月、とある冒険者の活躍によってこの手の依頼書が目減りする一方だったおかげか、少々感覚が麻痺しているようだ。
「そのお気に入りの新米っ娘はどうなったんです?」
隣の席に座った後輩が、噂の駆け出し冒険者の名前を出す。
いいや、彼女はまだ駆け出しですらない、見習いだ。そのことをすっかり忘れていた。
悪いことをしたと頭の隅で反省を述べつつ、リオンは思う。彼女は今どこで何をしているのか、と。
「……さあ。あれだけのことがあった後だからね」
彼女が関わった水路調査案件の顛末については、既に報告を受けている。
なんてことはない単なる調査依頼のはずが一転、高難易度クラスの討伐クエストに化けたのだ。
不測の事態に慣れていない新人ばかりのパーティーなんて、ひとたまりもない。
地下水道へ向かった五人の冒険者うち、重傷者一名、死亡一名、行方不明者二名。
当の彼女は幸いにもほぼ無傷で済んだらしいが、十日経っても何の音沙汰もない現状を踏まえるに、自ずと結論は見えてくる。
悩んでいるのだ、冒険者を続けるか否か。あるいはもう、結論を出してしまった後なのかも知れない。
「様子見に行ったりとかしないんですか?」
「私も仕事があるし。それに、こういうことは急かすわけにもいかないから」
「先輩気ぃ遣いすぎですよ。これくらいのこと、冒険者やってれば日常茶飯事だと思いますけど」
「あの子にとって初めての経験に変わりはないよ。……どうあれ、強制はできない」
冒険者は危険と隣り合わせの職業だ。クエストの最中に大きな被害が出ることは十分あり得る。
しかし、今回はまた状況が違うとリオンは思うのだ。
単なる調査依頼と思って出立し、仲間三人を失ってしまうというのは酷な経験だったはず。
再起は望めないと諦めてしまうのも無理からぬことだ。
「そうだ、その件の新しい報告上がってました。死亡一名追加だそうで」
「ええっ! うーん……。これはますます伝え辛いなあ」
さらっと付け加えられた報告に、リオンはびっくりして目を剥き、次には脱力して背もたれにもたれかかった。
「こればっかりは冒険者の性ってやつだと思いますけど?」
「そんな言葉で片付けられるものじゃあないけれど。……ふう」
「何です、先輩。今回は随分落ち込んでますね? 新米冒険者が居なくなるのなんていつもの事でしょう?」
「……。手塩にかけていたお気に入りが居なくなるのは辛いの」
滅多なことを口にするものではない。
ちょっとは言葉を選びなさい、と後輩を窘めるが、彼女は彼女で唇を尖らせ、言うのだ。
「だからこそ、肩入れしないっていうのが大前提なんじゃないですか」
「……」
痛いところを突かれ、リオンはむっつりと口を閉ざすしかなかった。