16 スライムの本質
そんな調子で主水路をひた走り、分かれ道を三つほど駆け抜けたところでした。
暗闇の中から躍り出たのは、またしても巨大スライムです。
「うわ、また出た! なんでこんなにいるの?」
足を踏ん張って急停止。慌ててバックステップで数歩後退します。
いつからこの街の地下はスライムの巣窟になってしまったのでしょうか。
巨大スライムもこちらに気付き、すぐさま巨体をくねらせて臨戦態勢を取ります。
「迂闊に近づかないでください。あれだけ大きなスライムは、その気になれば金属さえも融解させてしまいますから」
「さっき拝見いたしましたぁ……」
私は声を震わせながら、言われるがままスライムイーターさんの背中に隠れます。
何の力にもなれないことは、先程立証されています。
「でも、なんであんなに大きく?」
至極当然に抱く疑問。
いかに水分が豊富な場所といえど、こうまで突発的に変異を起こす個体が複数出てくるのは妙です。
「生物の進化を促す要素は何か、ご存知ですか?」
スライムイーターさんから返ってきたのは、やや突拍子もない質問でした。
「えっと……。過酷な環境、とか?」
「その通りです」
当てずっぽうで答えると、シンプルな頷きが返ってきます。
怪物と一口に言っても、その姿形は千差万別。皆が皆、お手て繋いでよろしくやってるわけではありません。
そこには厳然とした自然界のルールが存在し、敵対し合う者同士の争いが絶えることはないのです。
弱肉強食。
つまり、目の前の巨大スライムは厳しい生存競争に打ち勝つべく、他の獲物を喰らい、身体を大きくし、強力な溶解力を手に入れた、と。
「スライムの生息地は水辺の近くとは限りません。柔軟に性質を変化させ、それこそどのような環境にも適応し、生きて行けるのです」
肉の体という檻を脱ぎ捨てた半液状の体組織は変幻自在で、置かれた環境によって途方もない化け物へと成り変わる。
適応。
それこそがスライムという生命の本質。
私の中でこれまでの見方が一変しました。暑い日和に捕まえて、ひんやりボディの心地よさを堪能するだけの怪物とばかり。
「どうしてそんなのが街の地下にうようよしてるの……!」
青褪めます。冗談ではありません。
数多の怪物犇めく洞窟のただ中ならいざ知れず、平和な街にとっては異常事態。
私たちのすぐ足元に強大な力を有する怪物が蔓延っているだなんて……。
今すぐこの街からおさらばしなければ、おいしくいただかれてしまいます。
「……ふむ」
目を白黒させる私と対照的に、スライムイーターさんは冷静に状況を分析。
即座に的確な作戦を打ち出します。
「あなたの持つ兵器の力を発揮する時が、早速来たようです」
訂正。状況がまるで見えていませんよ、彼女。
「いや無理だって! 倒せないって! もう三人とも消化されてしまったに違いないって!」
「落ち着いて」
「これ! 掃除機渡すからあなたが戦ってよ!」
「手元の武器はそればかりではありません」
「ひゃっ」
スライムイーターさんが私の胸倉へ掴みかかってきます。
いきなりのことに素っ頓狂な声を上げてしまいました。
「お、乙女の胸元に手を突っ込もうとは……っ」
何をするんだ、と抗議の眼差しを向けると、彼女の手には私の首飾りがありました。
「ああっ、それ返してよ、初討伐の記念品なのに……」
まったく、なんて早業でしょう。盗賊から物を掠めとるとは……。私も落ちたものです。
……ん? むしろ良い傾向なのでは?
「ふむ、スライムの核を乾燥させたものですね。正しい処理法です。スライム討伐にこれを持ち込むとは。やはりあなた、スライムに対する専門知識を有しているようで」
核を手に取り、ためつすがめつ。
独りで勝手に盛り上がるスライムイーターさんに、私はやや置いてきぼりを喰らいます。
「はい? 一体どういう?」
「これはですね、こう使うのです!」
言うなり、スライムイーターさんは巨大スライムに向かって首飾りを投げつけました。
スライムの核は水分を多量に取り込むことで復活します。ならば、別個体のスライムに触れた場合はどうなるのでしょう?
答えは目の前で実践されました。
投擲された核は、緩やかな放物線を描いて巨大スライムの体内へ。どっぷりと浸ったそれは、まさしく栄養素の塊です。
憐れ、巨大スライムは肉体を大きく削り取られ、代わりに一匹の小さなスライムが復活を果たしました。
「追加です!」
スライムイーターさんは懐からいくつもの核を取り出すと、巨大スライムの頭上へ容赦なくばら撒きます。
降り注ぐ核の雨に晒され、その身を削られ、巨大スライムは見る見るうちにアドバンテージを失い、後には二十匹ほどの群れが出来上がっていました。
「こうしてしまえば恐るるに足らず」
「確かに、見た感じだいぶ易しくなったけど……」
大きさは通常サイズに戻りましたが、あの強力な溶解力は未だ健在のはず。見た目通りと思っていては痛い目に遭います。
先程のようにクリーナーの最大出力で吹き飛ばそうにも、四方八方から同時に襲い掛かられてはひとたまりもないでしょう。
攻めあぐね、じり、と半歩下がる私。
対して、スライムイーターさんは一歩前に出ました。
スラリと引き抜いたのは一本の木刀。何かでコーティングしてあるのか、表面はつるりとして、黒く滑らかです。
悠然と歩を進める彼女に向け、スライムたちは一斉に跳びかかりました。
「危ない!」
「ふっ」
私が叫んだのとほぼ同時。
黒刀の一閃が煌めき、跳び上がった五匹のスライムを叩き落としました。的確に核を砕き、残された肉体は断末魔のような蒸発音とともに霧散します。
返す刀でさらに二匹。逃げ出した四匹に背後から襲い掛かり、これも瞬殺。
「す、すごい……」
可憐にして苛烈。
神官服の裾が翻るたび、木刀が空を切り裂きます。狭い空間で長物を振るうのに苦心しない、流水の如き見事な体捌きです。
怒涛の攻勢もさることながら、振るわれる木刀の切れ味(?)はまったく鈍りません。
依然として輝きを保ったまま、強力な酸に溶かされることなく、武器として健在でした。
そして、堂々たる決着です。
スライムイーターさんは、瞬く間に十八匹のスライムを屠り、見事な腕前のほどを見せつけました。
「残りは散ってしまいましたね。放っておきましょう」
「え、大丈夫かな?」
「水の中へ逃げられてしまった以上、深追いは禁物です。小物を相手するより親玉を潰すことを優先しましょう」
聞くなり、「うえっ?」と眉根を寄せてしまいます。
「あれよりさらに大きいのがいるっていうの?」
「いいえ。どこから湧いてきたのか知りませんが、大きさはあれで打ち止めでしょう。あれ以上の巨体が水路内を自由に移動できるとは考えられません」
「そっか……」
ひとまず胸を撫で下ろします。
「親玉というのは文字通り、スライムの母体の話です」
「母体?」
私は首を傾げました。
「スライムって、核を拠りどころにして分裂して増えるんじゃないの?」
「一般的にそう考えられているようですが厳密には違います。スライムは―――むっ」
唐突に説明を取り止め、スライムイーターさんは奥の暗がりへ鋭く視線を飛ばします。
何事か、と身構える私。
その耳に、ひた……、ひた……、と通路を進む足音が聞こえてきます。人間の足音です。
「あ」
暗がりの向こうからふらつきながら現れたのは、リーフさんでした。