少女、アルル・ジョーカー
どこまでも広がる草原のただ中に、一本の道があった。
何年、何十年と草原を突っ切って王都へ向かう人たちがここを通り、土を踏み固められた人の道。
道はやがて緩やかな傾斜を登りはじめ、小高い丘の上にある二つの岩山の間を通り抜ける。
太陽が天頂へ至る頃、荷馬車の一団がここを通りかかった。
彼らは王都へ向かう途中の商人たちで、荷馬車の数は十。一列になって崖の合間を進んでいく。
一団の様子は華やかながらも、怪物や盗賊といった脅威に対する警戒を怠らず、可能な限りの対策を講じていた。
移動はなるべく一丸となり、先頭と最後尾の馬車には見張り台を設けてある。護衛に雇われた男たちは幌の上で互いの背を合わせ、油断なく談笑を交わしていた。
「……」
崖の手前、岩の影から双眼鏡で一部始終を覗く男がいた。
盗賊だ。
商人の一団を観察し終えると、男は隣に居た少女に声を掛ける。
「手はず通りにやれ。いいな?」
「……」
返事はなかった。
男はちら、と横目で少女を伺う。
少女の年齢は十代前半くらい。
動きやすいようにと、長い髪をひと房に結び、狩人のような装束を身に着けていた。
その面持ちは幼い少女のものとは思えないほど固く、眼差しは強張る。
大事を前に緊張していた。
「聞いているのか?」
「はい……」
「自分から言い出したんだ。しっかり働けよ、まったく」
余裕なく返事をする少女の頭を小突き、男は自らの役割に戻る。
「ふう」
ため息をひとつ。
少女は己がやるべきことを全うすべく、岩陰から飛び出し、音もなく草地を駆け抜け、指定の位置へ。
崖の麓、死角になるところに洞穴が穿たれ、手頃な岩石で蓋されていた。
わずかな隙間から中を確認する。内側にある松明が煌々と照らし出すのは、細長い穴の中に犇めく三十もの醜い顔だった。
人間の子供くらいの体躯に薄汚れた布を巻きつけた小鬼の怪物、ゴブリンだ。
「ギギイ……」
棍棒を片手に今か今かと飛び出そうとする小鬼たちを見、
そして、
「よっ、と」
少女は仲間の合図を待たずに、行動を開始した。
背負った雑嚢から取り出したのは、手のひらサイズの爆薬。慣れた手つきで点火し、蓋となっている岩石の下へ投げ込んだ。
あとはもう振り返ることなく、荷馬車目掛けて全力で駆け出す。
細い崖の谷間を疾走する小さな影。盗賊の男が異常に気づき、何らかのアクションを起こす前に爆発が起こった。
蓋が吹き飛び、小柄な略奪者たちが解き放たれる。
「ギイイイイイイッ!」
先頭の一匹が荷馬車の一団を補足すると、あとはなだれ込むようにそちら目掛けて一斉に走り始めた。
こうなればもはや収拾はつかない。
ゴブリンに気が付き、叫び声を上げる荷馬車の一団。見張りの男たちが銃を手繰り寄せるのと、荷馬車の操者が馬に鞭を入れるのはほぼ同時だった。
ここは崖の合間の一本道。
どれだけ馬車の速度を上げようと、後方の馬車は逃げ切れず、追いつかれる。
最後尾の荷馬車に最初のゴブリンが接触した瞬間、阿鼻叫喚の地獄絵図が始まった。
商人にとって不幸だったのは、敵はゴブリンだけではなかったことだ。
―――パァン。
軽い破裂音が空に打ち上げられる。それが合図。
少女の裏切りに困惑して出遅れた盗賊の男だったが、一瞬で我を取り戻し、岩影から飛び出して荷馬車に襲いかかる。
谷間を抜け、道を外れて散り散りに逃げ出す荷馬車の一団。
その一つに、少女の姿があった。
谷間の混戦が始まる前にいち早く商人の乗っていない荷馬車を探り当て、幌の中へと飛び込んでいた。
ガタガタ揺れる荷台の中を這うように移動して、必死の形相で馬を操る中年の男へ檄を飛ばした。
「おじさん、可能な限り飛ばしてください!」
「うわ、何だ! 誰だいあんたは! これに人は乗っていないはずなのにいつの間に!」
「ごめんなさい、でも今は!」
「あ、ああ、そうだ! 今はそんなことどうだっていい!」
「この先にある大きな街へ向かってください! そこで事情を話して保護してもらいましょう!」
「ああ、しっかり捕まっていてくれ!」
言うが早いか、操者の男は馬に鞭を入れた。
甲高い嘶きとともに、馬車の速度が上がる。
「おっとと」
荷台の中を転がった少女は、振り落とされないようしっかりと身を伏せつつ、後方へ移動。
幌の中からこっそりと辺りの様子を伺い、盗賊たちの追手がないことを認めて、
「ふふ」
してやったりとほくそ笑んだ。
少女は一世一代の賭けをし、そして勝利を手に入れたのだ。
行きたいところ、やりたいこと、そのすべてが小さな胸の中で脈打つように膨らんでいく。
少女、アルル・ジョーカー。十三歳。
新しい人生の幕開けだった。
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プロローグ、これにて了。次回より、第一章の幕開けです。
自由を求めて走り出した一人の少女の冒険譚。どうぞ、最後までお楽しみください。