Itan 番外編 竹澤
お前、何て顔してんだよ、俺は善に言葉を投げた。
瑠衣と善が気持ちを通わせてから、もう半年も経つというのに。
こいつはまだ、俺が瑠衣に惚れていると思っている。
俺は苦々しく笑った。
お前はもう、愛しい存在を手に入れたのだから、これからもそれを守り通せば、それで良いというのに。
仕方がない奴だな、と思い、俺はある日の午後、善を呼び出していた。
暖かい日差しが差す、カフェのテラスへと出る。
ここなら、周りに誰も居ないから、遠慮なく話ができるだろう。
こんなにも温い空気が心地良くもあるのに、善が暗い表情で、俺を見ている。
俺から瑠衣を取り上げてしまった、そんな気持ちが透けて見えるような表情。
そして、もう一度言う。
何て顔をしてんだっつうの。
そう長くはならないから、と前置きし、俺は話し出した。
静さんが亡くなる前、実は俺は静さんと結婚する約束をしていたんだ、そう言うと善が目が丸くして驚いた。
お前らには、特に丸井のじいさんには内緒だったけどな、と笑って言ったら、何か俺自身も自分でも驚きの気持ちが湧いてきて、一瞬怯む。
そうだ、この話は誰にも秘密だったはずだ。
それを俺は笑いながら今、善に話している。
次には不思議な感情に襲われた。
静さんを俺の中に閉じ込めておくつもりだったのに。
俺と静さんとの二人だけの秘密であったのに。
俺は瑠衣が高校に入って、俺が担任になった頃から、何かと理由をつけて頻繁に静さんに会いに行っていた。
静さんは、どんな時でも俺を彼女たちのガーディアンとしてしか見ておらず、瑠衣を守って下さい、瑠衣をお願いします、といつも口癖のように言っていた。
俺は、実直な善に対して卑怯だとは思ったけれど、学校やガーディアンの件を理由に、静さんの家を何度も訪ねていた。
今まで会えなかった分、その分を取り戻すようにして。
お前と一緒だよ、とカップからコーヒーを飲む善に向かって言う。
本当に、一目惚れだったんだよ。
最初、静さんには、俺をガーディアンとして、娘の担任の先生としてしか見てもらえなかった。
それが苦しくて苦しくて。
けれど、その苦しさが、抱えきれなくなって。
そして、溢れてしまった。
あなたを愛しています、と思わず口にしてしまった。
俺は、すぐにも後悔した。
今まで、耐えてきたのに。
全てを、無駄にしてしまった。
少しずつ、築き上げてきた娘の担任という、位置も。
ようやく、心を開いてくれた彼女の信頼も。
わ、忘れてください、そう口にしようとした刹那。
静さんは、驚きながらも言ってくれた。
私も好きです、と微笑みながら。
最初、俺は到底信じられなかった。
けれど、続けて言ってくれた。
あなたに逢った時に、実は一目惚れでした、と少しだけ照れながら。
こんなおばさんなのに、恥ずかしいわ。
こんな私でもいいのかしら、と。
そして、花が咲くように、笑った。
この上ない、極上の笑顔で。
俺は自分でも訳が分からなくなるくらい、嬉しくて大喜びした。
バカみたいだけれど、その時にはもう、俺と結婚して欲しいと言ってたんだよ。
あの人は笑って、はい、と言ってくれた。
瑠衣が高校を卒業したら、と。
俺はずっと片想いだと思っていたから、両想いだったと知って、こういう気持ちが幸せってやつなんだって、満たされるってこういうことなんだって、思った。
けれど、そこまでの接触は禁止されてたし、丸井のじいさんにはまだ言えなかったから、結婚する直前までは秘密にしよう、と約束した。
けれど、
お前も知っているけれど、
いつもここから、口が重くなって言葉が出なくなる。
けれど、今日は。
善のためだと、自分に言い聞かせた。
重い口を動かす。
それでな、静さんが亡くなって、静さんを守れなかった代わりに瑠衣を守ると決めたんだ。
瑠衣の力を引き出して完璧にし、自分の身を自分でも守れるようにと、もう二度と不慮の事故なんかで失わせないと、そう決めたんだ。
そこを各務につけ込まれて、お前にも迷惑掛けちまったけどな、俺がそう言うと、善は苦く笑った。
俺はカップを手に取り、もう冷めてしまったコーヒーを啜る。
俺は瑠衣を見ながらも、その面影に静さんを重ねて見ていた。
とても良く似ているんだ、静さんが大切にしてきた分、とても似ている。
俺が瑠衣を通して静さんを見ていることを、瑠衣は知っていた。
けれどあまりに瑠衣が静さんに近過ぎて、時々、俺は間違った。
お前には悪りいけど、と前置きをする。
殴られる覚悟をつけると、一回だけ瑠衣にキスをしたことを白状する。
善は表情を変えなかった。
知っている、と言った。
各務とドームで対峙した時に、竹、お前が叫んでたぞと言われて思い出す。
ああ、そうだったな、まじで悪りいなと、頭を掻く。
とにかく、だからお前は俺に遠慮しなくて良いんだ。
俺が愛したのは、静さんなんだからな。
カフェを出る頃には、辺りは少しだけ薄暗くなっていた。
さっきまで晴れていた空に、いつの間にか灰色の薄い雲が広がっていた。
俺が、雨が降りそうだと言うと、善がそうだな、と呟いた。