第三話 二人の距離
※十六年前※
「慎志君の部屋って、案外散らかってるのね」
「ちょっ、そこは案外きれいなのね、とかが普通じゃ…」
「だって本当に散らかってるんだから仕方ないじゃない。日頃から掃除してない自分が悪いんでしょ」
「いいから。日頃から掃除してない、とか言わなくても」
「そりゃあ、私だってドラマのセリフみたいに案外きれいなのね、って言うつもりだったわよ。でもねぇ、男のくせにさすがにこれはひどいんじゃないかしら。期待はずれ!」
「そんな期待するから…。第一、部屋が整ってるのは理系男子だけだよ。文系男子なんてだいたいこんなもんさ」
「そうなのかしら。まあ、理系男子みたく加齢臭はしないみたいだからいっか」
そう言って由美は部屋の四隅をクンクンと鼻を突き出して臭いを嗅いで回った。
「下品なことすんなよな。仮にも女なんだから」
「仮にも、って私が大おばさんとでも言いたそうね」
「大はつけなくても…」
「何? じゃあやっぱりおばさんなわけ?」
「違いますっ!」
※二十七年前※
『明日、部活のあと空いてるか?』
『明日、塾があるんだ。月曜でいい?』
『ああ、わかった。じゃあ、また』
『おやすみー』
立川は落ち着かない週末を送った。勉強にもおよそ集中できず、テレビを前に月曜のシチュエーションを想い描き、最良を夢想した後、最悪を想定した。期待と不安が入り混じり、暑さに悶え、眠れない夜を過ごした。
「いいよ」
「えっ?」
「えっ、って何よ? 慎志君から聞いておいて」
「いや、なんかきっぱり言われて」
「ふーん」
「でも、本当にいいのか?」
「えー、そんな事言われると、不安になっちゃうよ」
「いや、それは困っ」
「冗談だよ」
「ったく、からかうなよな」
「あの、友達待たせてるからもう行ってもいい?」
「ああ、ごめん」
「また、メールするね」
そう言って須藤は唐突に去っていった。慎志は返事もさよならも言えず、しばらく須藤の後ろ姿を目で追っていた。須藤のいなくなった渡り廊下に、微かに須藤の匂いが残っていた。
「ごめん、お待たせ」
「おはよー。バスは結構時間かかったのか?」
「三十分くらいかな」
「じゃあ、ちょっと遠かったな。ごめん」
「なにそんなことで謝ってるの。いいから早く行こ」
「ああ」
二人は歩幅を合わせて迷わず映画館に向かった。須藤は襟元に飾りのついた白いブラウスを着て、淡いブルーのデニムスカートを身に着けていた。足元にはショッキングピンクのヒールサンダルを履いて、素足をみせていた。その鮮やかなピンクがその服装には妙に不釣り合いで、それでいて須藤に素晴らしく似合っていた。これ以上の組み合わせを慎志は想像できなかった。
二人は映画館の二階で観賞券を買うと、一度一階に下りてレストランに入った。チケットを買うとき(それは電子機械化されていた)立川は操作を少し手こずってしまったが、あたかも余裕である、というような雰囲気を醸し出すことで冷静さを保ち、どうにかやり過ごした。そのとき気のせいかもしれないが、須藤がクスクス笑っていた気がした。レストランでは、映画券を見せるとドリンクを無料にしてくれた。須藤はアイスティーを頼み、慎志も須藤と同じものを頼んだ。
「ん? 何見てるの?」
「いや、別に何も見てないけど」
そう慎志が言うと、須藤はやさしく微笑んで、またいくつかの小皿に可愛く盛られた料理を口に運んだ。須藤が自分の告白を容易に受け入れてくれたことを、立川は不思議に思っていた。慎志は須藤に誰かに告白されたことがあるのか尋ねたい思いに駆られたが、節度無い発言でせっかくの食事のムードを台無しにしてしまいたくはなかったので、グッとその言葉を胸にしまい込んだ。慎志がそんな迷いを抱えているとも知らず、須藤は何食わぬ顔で食事を満喫していた。
食事の後、すぐにも映画が始まろうとしていた。とある学生アーティストが夢に向けて七転八倒しながらも、仲間との友情を強くしていき、遂にはその夢を果たす、といった内容だ。慎志は会場に入場する前にドリンクを買おうか迷ったが、須藤がどっちでもいい、と言うので、何となく控えることにした。
映画が始まると、スクリーンの光に照らされて、須藤の輪郭がうっすらと浮かび上がった。ふと、その整った顔立ちときれいな胸の形に見とれてしまい、しばらく身動きがとれなくなっていたが、これではいけない、とあわててスクリーンに視線を戻した。その一部始終、須藤はじっとスクリーンを見つめていた。慎志は不意にスカートから覗いた須藤のきれいな肌のことを思い出したが、それは見なかったことにした。
その後も慎志は映画にうまく集中できなかった。傍らの須藤の存在を感じ何度か手を握ろうかと思案したが、思い余って止めた。長かったような、短かったような二時間が終わった。会場が徐々にライトアップされ、須藤は小さく伸びをした。その姿が妙に可愛らしく見とれていると、彼女は出し抜けに自分の人差し指を慎志の鼻先にひょっと触れさせた。慎志の反応が可笑しかったらしく、きょとんとした顔の慎志を見て、須藤はバカじゃないの、と言いながら、やたら大げさに笑ってみせた。その後二人は立ち上がると、横並びに会場を出た。
映画館を出ると、二人は近くのデパートに入った。
「ねぇ、フィフティーワンのアイス食べようよ」
「ああ、そうしようか」
「じゃあ、ここは慎志君の奢りね」
「え?」
「ん?」
「さっき、何て言った?」
須藤は慎志の耳元に近づいた。
「今日は慎志君の奢りね!」
「え? ちょっとよく聞こえな…」
慎志が自分のことをからかっていることに気が付いた須藤は、立川の言葉を遮って勢いよく彼氏の腹を殴った。
「ぐはっ。わかった降参だ」
「じゃあ奢ってくれるよね」
「喜んで」
「やった」
須藤はオレオ・チョコレートミントを、慎志はダイキュリーアイスを、それぞれ頼んだ。どちらも期間限定商品だった。二人はアイスを食べ終わると店内を歩き回った。書店で最近流行りのライターの話をし、電気機器売り場で予備知識も無しに家電をいじった。アクセサリ店でペアリングを買い、洋服店でいくつか試着させられた。いつの間にか、窓の外では広大な空が一面深紅に染まっていた。哀愁を漂わせたその光は、一日の終わりを予感していた。
「あーあ、今日も終わりか」
「楽しかったか?」
「うん、とっても楽しかったよ」
「よかった」
「また明日から学校かぁ」
「嫌だな」
「ほんと、やだなぁ」
「また、今度はいつ会える?」
「うーん、部活が忙しいからね。慎志君は忙しくないの?」
「そりゃ忙しいけど、文芸部は出品さえできれば結構自由だからなぁ」
「そうなんだ」
ちょうどその頃、二人の別れを知らせるバスが夕陽に染められてやってきた。
「また機会があったらみせて」
「小説?」
「うん」
「え、恥ずかしいな」
「ふふふ。それじゃあ、行くね。今日はありがと」
「うん。また明日」
そう言うと、バスは静かにドアを閉める。座席に着いた須藤と目が合う。バスはすぐに出発し、慎志はやさしい眼差しを向けて手を振っていた。須藤もそれに答えた。須藤の視界から立川の姿が見えなくなってからも、慎志はバスの後ろ姿にしばらく手を振っていた。
バスが交差点を曲がり見えなくなってしまうと、慎志は両手をポケットに突っ込み、バスの進行方向とは逆方向に歩き始める。ハリウッドスターが演じる、恋人と付き合う傍ら抱えた仕事を淡々と熟していくスパイのようだ、と慎志はそのハリウッドスターに自分の姿を重ねる。慎志に鮮やかな気分の高揚が訪れ、地平線に触れようとしている夕陽が黄昏を生む。しかし、その歩む先には普段と何ら変わりない有り触れた日常が待っているだけだ。慎志は先の高揚をすっかり失ってしまい、ひとしきり項垂れると、右手をポケットから出して恥ずかしそうに眉間を掻いた。その後、自分の自転車を見つけ、一人孤独な帰路を悠然と扱ぎ続けた。
十二月になった。学校ではクラスメイトたちが、年末に向けて心なしか浮ついた気分でいるような気がした。慎志自身も理由は異なるが、その中の一人に含まれていた。期末テストも終わり、冬休みの課題の多さに手痛い一撃をくらった人も中にはいたが、ほとんどが年賀状交換のためか住所を教え合い、友達と遊ぶ約束をし、何気ない会話をいつも以上に楽しんでいた。
慎志も何人かから住所を尋ねられた。それは慎志にとって歓迎すべきことであった。なぜなら、と大げさに構えたものではないが、単純に慎志は親しくない相手に話しかけるということを苦手としていたからだ。慎志は遺漏無く相手の住所を尋ね返すことを忘れなかった。
「おじゃましまーす」
「どうぞ」
夕月奈の後ろで慎志が言った。
「二階に上がればいい?」
「いや別にどっちでもいいよ。どうせ親もいないし」
慎志の両親は日曜日、どちらも仕事で家を空けていた。母は月曜日、父は二週間に一度、水曜日か木曜日だったか、休みをもらっている。
「そこに座りなよ、今飲み物出すから」
慎志は焦げ茶色のソファを指差して言う。
「慎志君はいつもひとりなの?」
「まあ、だいたいね。静かで、みんなが思っているよりずっと過ごしやすいと思うよ。でも少し、虫の鳴き声が目立ち過ぎるけど」
「そうなんだ。私はおしゃべりな妹がいていつも賑やかだから、そういうのあんまり想像できないな」
「そういえば、妹がいるって前にも言ってたな。あの話聞くまで、ずっと一人っ子かと思ってたよ」
「どうして?」
「どうしてって聞かれてもなぁ。よく人に言われない?」
「うーん、いろいろ間違えられるけど」
「そっか」
そう言って慎志はグラスに淹れたアイスティーを来客に出す。
「友達はよく来るの?」
「家に?」
「うん」
「昔は来てたよ。でも、最近はあんまり一緒に遊ぶやつもいなくなったかな」
「男子はみんなそうなの?」
「いや、そういうわけじゃないと思うけど。でも、だんだんみんな趣味が偏ってくるから。それでそういう風にもなるんじゃないかな」
夕月奈はふーん、と鼻を鳴らした。
「女子の方はどうなの?」
「遊ぶよ、結構」
「やっぱり女子の方が協調性あるのかな。それともおしゃべりが一種の共通の趣味になってるとか」
夕月奈は何も返さない。難しい疑問を投げかけてしまったようだ。
「それで集まってどんなことするの?」
「おしゃべりかな。やっぱり、それが一番の目的じゃない? あとは…、あとは…」
夕月奈は眉間にしわを寄せて考え込んでいる。慎志は話題を変えた。
「今日、君と一緒にいられて幸せだよ」
慎志はそう言って夕月奈のしなやかな髪をそっと撫でる。その髪から洗剤のやわらかな香りが立ち、よく手入れされていることがわかった。
「そんな事言わないでよ。恥ずかしいじゃん」
今日はクリスマスだ。この寒さにかかわらず雪は降らなかった。ロマンチックな展開を期待していたのに、と慎志は思ったが、隣に座っている夕月奈のことを思うと、今更そんなことはどうでもよくなった。
「最近忙しかったみたいだけど」
慎志は夕月奈の横顔を見て言った。夕月奈は恥ずかしいのか、それが普通なのか、目を合わせようとしない。慎志の言葉通り、二人はあの映画を観に行ったとき以来、一度も顔を合わせていなかった。そうは言っても同じクラスなのだから顔を合わせないはずもなく、僅かだが言葉を交わすこともあった。しかし、プライベートで約一か月間合わないのは、慎志にとって少なからず不本意なことだった。その約一か月間が常識にして長いにしろ、短いにしろ、慎志は不安な思いに駆られたし、寂しい思いもしたのだ。
「ちょっと、部活が忙しくて」
「試合が近いのか?」
「うーん。と言うより練習試合が多くってさ。日曜が全然時間取れなくって。それに、土曜日は学校もあったでしょ」
「そうか、運動部は大変だな。文芸部は締め切りさえ忘れなければ、忙しくなることも滅多にないからね」
「ごめんね。怒ってる?」
「え? いや、全然怒ってないよ。夕月奈のせいじゃないし」
「ありがと」
慎志は、週末を容赦無く押し流していく学校の存在を疎ましく思った。どうして勉強や運動などという、あたかも才能に踊らされた大人の執拗が、二人の時間を容易に奪い去ることができただろう。慎志は自分と夕月奈との出会いは、できることなら大学時代や今よりもっと別の時間にして欲しかった、と残念に思った。しかしいくら残念に思ったところで、この既成事実を変えることは、無力な慎志には到底手の届かない領域の話だった。
一方で慎志は他のことも考えていた。夕月奈がもし勉強することを望んでいるのだとしたら、部活をすることを望んでいるのだとしたら、自分の考えはただのエゴではないだろうか。ただのわがままではないだろうか。そして、その考えがもし、夕月奈の意欲を無惨に剝ぎ取ってしまうような、残酷で醜くつまらないものなのだとしたら、どうだろうか。慎志は自分が怖くなった。夕月奈を傷つけてしまえるような拙劣な可能性を持つ自分が。
とりとめもない思索に耽っていると、不意に手の甲に温かいものを感じた。それは夕月奈の手だった。慎志は考えるのを止め、夕月奈の手を握り返す。夕月奈の手は外観によらず小さく、自然な丸みを帯びていた。夕月奈の手を握ると慎志の手も幾分大きく見えた。
「私も幸せだよ。慎志君といられて」
「ありがとう。そう言ってもらえてうれしいよ」
その後、二人は慎志の部屋に移り、テレビを見ながら同じようにとりとめもない話をした。一度、夕月奈がカーペットにアイスティーを溢すアクシデントがあったが、落ち着いた対応をする慎志に夕月奈は安心し、夕月奈のはじめてみせる慌てた仕草は慎志には可笑しかった。どちらにせよ、そのアクシデントは二人を引き合わせるためにプラスにはたらいたようだった。
「そろそろ帰らなくちゃ」
夕月奈と過ごす時間はあっという間だった、と慎志は思った。あっという間だった、と夕月奈も思った。
「それにしても、もうこんな時間か。早いもんだな」
「うん。でも、すごく楽しかったよ」
「俺もだよ」
「それじゃあね」
玄関の扉を開けて出ていこうとする夕月奈を慎志が引き留めた。
「送っていこうか」
「えっ、大丈夫だよ」
「でも、もう外真っ暗だから」
そう言って慎志は空を見上げる。それに釣られて夕月奈も空を見上げる。Gショックの腕時計の針は午後六時を指していた。まだ、夕方だ。しかし、十二月の空はすっかり深い黒に塗りつぶされてしまっていた。
「じゃあ、そうしてもらおうかな」
「うん。ちょっと待ってて。上着、着てくる」
慎志は上着のついでに、厚手の手袋とモノクロの細めのマフラーを身に着けてきた。一方、夕月奈はよく目立つ背広の赤いマフラーを身に着けていた。
夕月奈は赤がとてもよく似合った。そして、慎志は夕月奈以上に赤色が似合う女性を見たことがなかった。それに比べ、少し大きめの紺のダッフルコートや厚手の黒い手袋などはどれも控えめで、彼女には派手すぎるということがなかった。慎志は玄関に待たせた夕月奈にお待たせ、と明るい声をかけると、ドアを押し開けて外へ出た。
「さっみぃ~」
「うう、風が、強い」
「さっさと出発しちまおうぜ」
「うん」
二人はそう言って慎志の家を出た。
二人の住む街はそれなりに田舎だったから、自転車を並走させて帰ることは容易だった。いくつかの電灯が橋渡しに二人の影をアスファルトの地面に映し出した。
「それにしても寒いなぁ」
「ほんとによかったの? 私もこんなに寒いとは思ってなくて、つい…」
「女子はそんな心配しなくたっていいんだよ」
「でも…」
「女子をこんな寒い中、それも夜に一人で帰らせるわけにはいかないだろ?」
夕月奈は少し不満げな顔をする。
「なんだよ。女の子扱いされるのは嫌か」
「そうじゃないけど…」
夕月奈はそう言って頭を掻く。
「心配なんだよ」
夕月奈はちら、と慎志に振り向いただけで、もう何も言わなかった。慎志も自分が口にしたセリフのことを考えると妙に恥ずかしくて、それ以上、夕月奈と顔を合わせられなかった。それから夕月奈を家に送り終えるまで、二人の間で会話が交わされることはなくなってしまった。しかし、もはや二人にはこれ以上の会話はいらなかった。朝からずっと互いに感じていた気まずいムードは全て取り払われてしまっていて、今二人の姿を見た者がいたなら、二人がどれだけ信頼し合い、安らかな気持ちでいるのか、その表情を見るだけでわかったことだろう。
「じゃあな」
「うん」
慎志は子犬にするようにやさしく夕月奈の頭を撫でると、勢いよく自転車を扱ぎ出した。そして、最後に一度だけ振り向いて手を振ると、曲がり角をカーブし夕月奈の視界から消えた。
一月、正月も過ぎ去ると、人々はどちらかと言えば家に残り、和やかな家族との団欒を過ごしていた。五日、正月休みが終わり、サラリーマンやら土木作業員やらが仕事に戻る頃、二人は駅前を歩いていた。
「正月、初詣とか行った?」
「行ってないかな。家の人も正月は忙しいから」
「そう。大変だね」
「夕月奈は? 初詣には行った?」
「行ってきたよ。あ、くじ引きしたんだけどね、大吉だったんだ!」
「スゲーじゃん。俺も今年は大吉引いてたかもな」
「そうだといいね」
夕月奈はあっちの店に入ろ、と言って、慎志の手を引いて駅に隣接した大型ショッピングモールの入り口をくぐる。洋服に鞄、靴、アクセサリに文房具、雑貨。あらゆるものが一堂に揃っていた。二人は様々なことを語り合いながら、ウインドウショッピングを満喫した。
「のど渇いたたなぁ。あそこで何か飲もうぜ」
「いいよ」
二人が訪れたのはテイクアウト式の店だったが、休憩できる空間が隣接していて、自由に利用することができた。
「タピオカジュースなんてはじめて飲んだよ。思ったより美味しいな」
「プニプニしてて、美味しいねー」
「夕月奈もはじめて?」
「ううん。なんか前に家の冷蔵庫に置いてあった」
「マジか。夕月奈の家には、何でも揃ってるんだな」
「でも、変なものしか置いてないよ」
「そうなのか? おもしろい家だな」
ショッピングモールから出ると、空はもう夕焼け色に染められていた。金光りした雲がふわふわ穏やかに浮かんでいる。駅前の小さな店は午前中の間に回っていたから、二人は相談してもう帰ることにした。五時半だった。
「送ってくれてありがとう。今日はとっても楽しかったよ」
「俺も楽しかった。また会える日が待ち遠しいよ」
慎志は背中越しに手を振りながら、いつものように曲がり角を緩やかにカーブしていった。夕月奈の姿はもうそこにはなかった。




