8 根源
リシィタンドさんとの会話がイラッと来たら、斜め読みくらいで十分です!
◯ 8 根源
「場所を星深零にするのは考え無しだった。済まないね」
リシィタンドさんはそう切り出し、頭を下げて謝ってくれた。アストリュー神殿の治療している部屋にお見舞いにきてくれた。スフォラは修理が終ったみたいだ。マシュさんが、恐ろしい顔で修理代の計算をしていたとマリーさんが青い顔で教えてくれた。僕は順調に傷の方は消えていっている。
「いえ、あの、あそこはすごく広いし、出会う確率は少ないはずだから。それにまさか襲ってくるとは思わないですし」
「確かに。我々も驚いている。詳しく尋問してみたが要領を得なかったよ。本人も良く分かってない感じだね。嫉妬に近い。彼の中では同族嫌悪から来る行き過ぎた行動が一番しっくり来るか……。君の綺麗な取り澄ました顔が嫌だとは言っていたね」
「はあ。そうなんですか?」
僕は自分の顔を触ってみたが、どんな顔をしてるか分からなかった。間抜け顔とは良く言われるが、取り澄ましてるとは始めて言われる。フォーニにはそんな風に見えたんだ?
「勝手にここの区画に入り込んで自分を無視して我がもの顔で歩いて行くのが、無性に腹が立ったのだと言っていたか。それは本心だった。まあ、無視して逃げようと走って行くのに頭に血が上り、あとは衝動に任せて君を襲ったようだ。あの区画での犯罪は普通よりも厳しく取り締まりがなされる。意見を違えている者が集うからね。戒めとして犯罪に走らないようにそうしているのだが……彼も承知のはずだが、知らないと突っぱねてるね。言われて思い出した感じだし、随分君を毛嫌いしている」
スフォラの映像を流しながら、そんな事を話してくれた。映像の憎しみをむき出しにした顔に思わず目を背けてしまう。
「どうして、そんなに嫌うんだろう? 話も殆どしてないのに」
憎しみを向ける切っ掛けは何だったのだろう。
「自分の嫌な部分を、君を通して見るせいだろう。魂が澄んでると深い所で相手を映してしまう効果が出る。それを知らない者は映し出した君を悪だと見てしまう。自身の姿だと受容出来る者は少ない。アストリューの人間は得にそういった特徴をもつ者が多い。自分の行動と心理を丸裸にされては、自身を律する者でなければ許容は厳しい。他人を批判する者程自身に返る。話をするだけで増悪を増幅させるから厄介だ」
「地獄の門に付ける鏡みたいですね」
「ああ、凶問獄答の姿見の事だね。そうだね、あれに近い感じを魂に持つ。邪な考えに取り憑かれた者の濁った目には自分の姿だとは気が付けない。対峙している君が邪な者だと勘違いをして攻撃をする。それが正義だと主張する始末だ。だが魂に近い無意識では違いを分かっている。だからこそ、嫉妬なんだ。根源としての動機はそれ以外はない。美に対する嫉妬と言った方が君には分かるのかな?」
鏡に映る自身が僕だと見ているなら、切り裂いていたのはフォーニ自身だ。気が付いていないけれど、自分で自分を嫌ってしたことになる。でも魂の部分は分かっている。映し出された姿が自分な事も、映し出す鏡面の意味を。そして矛盾には目を閉じ、違いに嫉妬し、憎しみを抑えきれずに僕に対する増悪だけが衝動として出るという事らしい。
「えーと、魂の美しさに嫉妬ってことですか?」
「そのとおりだよ」
確かにアストリューの住人の魂は綺麗だ。僕の魂もそれに近いんだろうか? ちょっと照れくさい。レイの言う綺麗は、魂の美も入ってるんだって気が付いた。
自分の本当の姿を突きつけてくる存在を嫌いながらも、輝きを欲して奪おうとする姿を見たんだ。実際に岡田さんは取り入れてしまう気であれだけ暴れたのだから。彼女にはちゃんと僕が見えてたんだろうか……正気をなくしている状態なら、欲望だけがむき出しになる。きっと、僕の弱い部分まで本能で分かって取り込む気だったんだと思う。凶問獄答の姿見に映る僕の姿はまだぼんやりしている。
「人と向き合えば大抵はそんな経験をするはずだ。だが、特に子供やアストリューの人とは差を感じるからね。妙に攻撃的になってくる者には気をつけると良いよ。何も美を求める人だけじゃないから、深刻にならなくても良い。全く気にしない者も多い。色々なタイプがいるから」
「……そうですね」
確かにその通りだ。僕達のあり方に嫉妬する人間は、根源は同じ美を愛する者でもあるんだと思っておこう。
「ところで、本来の話は何だったんですか?」
呼び出された方の話し合いがまだだ。
「そうだね、君の魂に映るのはまだ美に対してだけれど、私達は尊厳を守る者としての役割を果たさなくてはならない。心の平穏を守る盾であらねばならないからね。フォーニがその盾を使って君の記事を消したのは予想外だったよ。自分の意見を支持してくれる者がいたせいで助長したのだろうね。本来なら出来ないはずなんだが、何処で聞いたか誹謗中傷や根拠のない記事に警告を発する為の処置を悪用したみたいだね。君からは見えないけれど、星深零から記事を消したと他からは見えるようになっている。君にはその旨の通達がなされるはずだが、送っていないようだ」
「え、と、そういえば虚偽の記事や他人の記事を許可無しで転載したら、通報する機能がありましたね」
「そう。監理をしている者との接触は確認されていないので、不正な方法がとられているはずだ。調査中だから、近いうちに明らかになる。それまで待って欲しい。我々に泥を塗った者がいる。たとえ身内でも罪は免れない」
リシィタンドさんは強い口調で犯人の追及を約束してくれた。僕から星深零に記事を消された事を確認出来ないのはおかしくて、普通は警告されて記事を自分で消すように促されるのにそれもない。まるで最初から犯罪者扱いにされてるのと同じだ。もしくは重要な規定違反をしたみたいな扱いだ。
「はい」
「それから記憶の劣化と、記憶の書き換えについての話をしておく。彼の記憶は彼のついた嘘の記憶の上に乗って更に悪化させて行くのが分かっている。時間に寄って、記憶が曖昧になるのは仕方がないのだが、このあやふやな記憶に自分の空想を混ぜてそれは真実だと認識する。そうすると入りたての真偽の審判候補だと混乱が起きる事もある。自分の都合のいいように記憶してしまうのは良くある事だ。だが、彼の記憶は殆どがそうだ。日常的に今さっき見て聞いた事でも歪めてしまう。実に面白かったよ」
面白かったんだ? さすがだなぁ。僕なんか迷惑しか感じないけど……。あ、でも古い記憶程綺麗っていうのは聞いた事がある。嫌な記憶を消してしまうのは何となく分かる。僕も傷つけられた苦しみは出来れば忘れたいくらいだ。
「嘘だって分かってるんですよね?」
「本人も最初は分かっている。自分の中で拒絶した現実を消して、自分の都合の良い事柄しか見ようとしない。都合の悪い現実は彼の中では消されてなかった事になってる。直視出来ない弱さを感じる。だがあそこまでになると一種の才能を感じるね。星深零では、この記憶の矛盾を乗り越える為に、苦労する者が多いからね。君が嘘つきな彼を、真偽の区画に住まわせる許可を出したのは、我々にとってもチャンスだった」
リシィタンドさんは微笑みながら話を続けた。
「許可ですか」
「本来なら犯罪者区画に行くのが彼の運命だったけれど、君が我々の区画を指定した。それに我々は乗った。そんな事を言ってくれる者はいないからね。罪の償いに真偽の区画を指定するなんて驚いたよ」
肩をすくめて僕をじっと見ている。う、何か丸裸にされてる気分だ。
「僕にはそれが被害が出ない良い方法だと、単純に考えただけでした」
リシィタンドさんは頷いて神妙な顔をした。
「そうだね。私……いや、我々はそれを更に利用した。身近において刻々と変化する心理と記憶の変化を見るのに、良い教材となったよ。繋がらない記憶に自身の嘘で道を絶ってしまい、それに戦き足掻く姿は哀れで見るのは嫌になるが、それでも我々はその姿を見ておかなくてはならない。何故、刃を向けるのかを知らなければならないからね」
人の苦しみから目を逸らさないなんて、僕には出来そうにない。
「厳しいですね」
「そうだね。フォーニにはこれまでと変わりないように極力自由にさせていたが、新たな犯罪を防ぐ事までは気が回ってなかったのは失敗だ」
どうやら、フォーニにもマシュさんは『ディフォラー』を入れる許可を、星深零に求めているみたいだ。彼の保護者として行動を監視しているのだから協力体制が必要だ。
多分、許可が下りるだろう。繋がりから思考が全部バレるのだから。逆に言うとそれで記録された思考と行動の記録映像とで、更に詳しく人の心の移り変わりが分かるのだから。プライバシーはどのくらい保護されるのかは知らないけど、その事も本人と話し合いがあるんだろうか。星深零では、新しいそのプロジェクトにフォーニを使うかの検討がされていると説明された。いや、もう決まっているんだろう。準備が整い次第と言った感じだ。
そんな話をして僕に彼を実験に参加させる許可を求められた。つまり、真偽の区画に引き続き置いても良いか確認しているのだと思う。
「フォーニが役に立つ所があるってことですよね? 僕は良いですけど、本人はどう思ってるんですか?」
「彼とこの話をするのは不可能だ。そもそもエリート区を離れないで済むなら、何でも受け入れる」
眉間に寄った皺に嫌悪感が見て取れた。
「…………成る程、虚栄心を満足させる事の方が重要なのかな」
目の前の眉間の皺から想像力を働かせて、なんとかフォーニの心境を考えてみた。
「虚栄心を満足させる為の自己欺瞞の固まりだから、話は単純に真偽の区画を出るか出ないかの話になった。その条件だけで受け入れは許可された」
「はあ、そんな事で良いんですかね」
「本人は清廉潔白だから問題ないと主張している」
リシィタンドさんは苦笑いで言った。僕もこれには呆れて言葉が出なかった。まあ、『ディフォラー』が犯罪を防いでくれるという前提があるから、僕に許可を求めてきているのだと思う。僕は了承した。二度と僕の前には立てないようにする機能をつけるみたいだ。接近禁止の機能を試したいし、ちゃんとその効果を確かめたいらしい。それも了承した。
きっと彼は何度も綺麗に記憶を改ざんして生きているんだ。そこに連続した時間を感じない。成長をしないと決めたのだろうか。自分から逃げすぎて、居場所をなくして行っているのに、それに気が付けない生き方をしているのは、本当の事を見たら気がふれるからなのかもしれない。見てはならないものから確実に逃げるには、その道しか残っていないんだ。フォーニが立ち直る道が残されているとするなら、そんな自分でも受け入れて役立てる真偽の区画の存在だけな気がしてきた。