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愛は戦い、そして君はその戦士

作者: よぞ


 二月十四日、女は戦士になります。

 言わずと知れたセント・バレンタインデー。

 時に勇気の持てない純な乙女の背中を優しく押し出し、時に義理チョコという繊細なアイテムを駆使して男心をゲットさせる、そんな乙女達のために神が設けたもうた戦いの日です。

 私の名前はラヴ・ソルジャー高峰ゆい。毎年バレンタインデーに命を賭ける、愛の戦士です。今年も必殺のチョコ達を鞄に詰めて、今から戦いへの期待に胸を躍らせています。

 AM8:15。始業ベルが鳴り響くと同時に、教室にいた全員が猛ダッシュで廊下に飛び出していきました。

 少しだけ説明することにします。私が通う大庭高校はとても普通の学校です。学科も普通科があるのみの、男女共学。男女比率は5:5と、何ら特色はありません。

 しかし、バレンタインデーだけは違うのです!

 その日が雨だろうが台風だろうが大雪だろうが休みにはなりません。さらに男子生徒は全員が強・制・登・校! 病気だろうがひきこもりだろうが関係ありません。家のドアをぶち破ってでも教師が責任を持って登校させます。

 女子生徒に関しても決まりがあります。市販のチョコは購入禁止! 手作り以外はチョコに非ず! つい先日コンビニで板チョコを買った女子生徒はあやうく退学処分になるところでした。厳しい検査は半年前から設けられています。

 そんなわけで、女子生徒は全員が手作りチョコ持参となっています。

 さて、先ほどクラスの全員が廊下に走って行ったのをご覧になってお分かりの通り、今日は授業は一切ありません。しかしながら、今日が終わるまで生徒は一歩も校外に出ることを許されていません。武装した教師達が学校の出入り口で待機しています。以前無理やり脱出しようとした男子生徒が……、ええ、皆さんが一番残酷だと思われる事を想像して頂ければそれで構いません。

 以上が、私の学校です。


 それでは、私も戦いの舞台へと向かいます……、命があればまたお会いしましょう!




 肺が悲鳴を上げていた。しかしスピードを緩めるわけにはいかなかった。

 時刻はPM5:00。今が一番危険な時間帯だと知りながら、油断していた自分自身を恨む。

 後ろから迫ってくる足音を聞きながら、ゆいは角を曲がり階段を駆け下りた。一番手前のドアを開き、中に滑り込み手早く閉める。

(お願い、気付かないで)

 心の中でそう願いながら、ドアの後ろに座り込み息を整える。

 階段を駆け下りてくる足音が聞こえた。

「ゆいっ! どこに行ったの、出てきなさい!」

 階段を飛び降りたような大きな音に続いて、きゅっ、きゅっと上履きで廊下を歩く音が響いた。荒い息がすぐドアの向こう側から聞こえてくる。ゆいは自分の息が向こう側に洩れないよう両手で口を塞いだ。

 お願い……こないで美里。

 ゆいの願いが通じたのか、しばらく立ち止まっていた美里の足音はだんだんと離れていき、やがて聞こえなくなった。どうやら別の階に行ったようだ。

「……はあ」

 思わずため息がこぼれる。

 チョコ以外に食料の持ち込みが禁止されている今日、夜中まで続く激戦を生き抜く為に他人のチョコを奪って食しようとするのは当然だ。しかも周りは皆今日という日の為にプチダイエットをしている乙女達ばかりだ。空腹が限界に達する夕方頃はかなり危険な時間帯になっていた。

(それなのに、友達だからって安心しきっちゃってて……)

 ここが戦場だという事を再認識させられた。誰も信じてはいけない。

 呼吸を整え、おそるおそるドアを開ける。廊下に誰もいない事を確認して、ゆっくりと部屋を出た。

(D−13、彼を探さなくちゃ)

 D組の出席番号13番。大塚孝道。バレンタインの間、男子生徒はクラスと出席番号で区別されたナンバーで呼ばれる。数多くいる男子生徒をいちいち名前で覚えていられないからだ。大塚は去年のクラスメイトだ。

 朝から二人の男子生徒にチョコを食べさせる事に成功していた。大塚孝道に三つ目の義理チョコを食べさせる事ができれば、ゆいは本命チョコを渡す権利を手にすることができる。

(手持ちのチョコは義理が三つに本命一つ。今のところいい調子)

 長い廊下を足音に注意して歩いていた。

 大庭高校は元々敷地面積が広いのに加え、今日は隣接する大庭中学校もエリア内に含まれている為、一度潜伏してしまえばそれを探し出すのは極めて困難であった。

 ゆいは母校でもある大庭中学校の音楽室に向かっていた。確信はなかったが、音楽が好きだった大塚がいるかもしれないと思ったからだ。

 音楽室の扉を前に、ゆいは小さく深呼吸をした。

(……よしっ)

 一思いに扉を開けた。横開きの扉がスライドしてバンッと大きな音をたてる。扉の横での待ち伏せを避けるようにして、前方前回り受身で音楽室に転がり込んだ。

 辺りを素早く見回す。誰もいない。

「……なんだ、はずれか」

「いいえ。大当たりですことよ」

 声がした方を向くのと、音楽室の扉が閉められるのはほぼ同時だった。

「あなたは……『女王蜘蛛のハナ』!」

 B組の早坂花火。通称『女王蜘蛛のハナ』。バレンタインの度に罠を張り巡らせ、その糸にかかった獲物をするどい牙を持って制する毒蜘蛛女だ。

 その取り巻きの女二人と合わせて、ゆいは三人に取り囲まれる形となった。

「あなた確かC組の高峰ゆいね? 高い身体能力で昨年義理チョコを全て配り終えた強敵だわ」

「通称『ラヴ・ソルジャーゆい』です」

「ハナ様、いい獲物が掛かりましたね!」

 あまりいい状況ではなかった。ハナの目的は食料の調達とライバルの駆除。見逃して貰えるとは思えなかったが、まともに戦っても勝ち目は薄い。

「私の本命とあなたの本命は違う人だと思うけど?」

「あら、誰ですの?」

「D−13。大塚孝道」

 駆け引きだった。本命を軽々しく口にはできない。例えこのバレンタインの結果がどうであれ、その後の学校生活に響かない保証はなかった。

「それ、本当?」

「嘘じゃないわ」

 さすがに大塚では無理があったか。彼は不細工ではないけれど、あまり目立たない、はっきり言えば女子に人気の出るような男子ではなかった。

 ハナが一歩二歩とゆっくり歩み寄ってくる。夕暮れ時の赤に染まった妖艶な動きの迫力に押されたのか、まるで本当に蜘蛛の巣にでも掛かったかのように体が動かなかった。ユイの耳元でハナが囁く。

「じゃあ、ライバルね」

「!」

 やっておしまい! その掛け声と共に取り巻きの女達が襲ってきた。

(予想外! まさか大塚が本命だったなんて!)

 バックステップでハナから距離を置き、出口方向の女に向き合った。

(多方向から攻撃されたら防ぎきれない、一点突破で脱出する!)

 待っていたのではやられる。向かってくる女の間合いに入る前に駆け出し、自分から相手の懐に飛び込んだ。間合いを崩された取り巻きの女は苦し紛れの肘打ちを放ってきたが、悪い体制からの力のない攻撃など片手で防げた。

 みぞおちに軽く掌を合わせ、後ろ足を突っ張って体を支える。大きく吸った息を思いきり短く吐き出すと同時に、右手を前へ突き出した。

「っげふ!」

 ゼロ距離からの衝撃は内臓に響く。取り巻きの女は腹を抑えてその場に倒れ伏した。この技は呼吸困難を起こす危険性があるのであまり使いたくはなかったが、一撃で沈めなければ囲まれてしまうこの状況ではやむを得なかった。

「あずさ!」

「おのれラヴ・ソルジャー!」

 背中で恨み声を聞きながら音楽室を飛び出した。多人数と戦って勝つ保証はどこにもない。相手にするより逃げる方を選んだ。

(また走んないといけないの!?)

 息を切らして長い廊下を走り抜けた。夕陽は沈みかけ、廊下の先は薄暗い。自分の足音が反響して、後ろから追ってきているかどうかよくわからなかった。

 一階に着いたところで立ち止まり息を整える。追ってはなかった。

「……こんなんばっか」

 階段に座り込む。今度こそ本当に体力も限界だった。

 それにしても大塚はどこにいるのか。午前中に見つけた二人はまだスタート直後ということもあってか、案外簡単に探し出すことができた。しかし午後六時を目前にして大塚孝道が見つからない。

(とりあえずどこかで休憩しよう)

 そう思い立ち上がると、目の前を全速力で男子生徒が駆け抜けていった。

「大塚……!」

 探し人が全速力で目の前を走りぬけたのにあっけに取られていると、今度は女子生徒が目の前を走り抜けていった。

「あれは……美里!?」

 しかもその手に持っているのは派手な包装が為されたチョコだった。大きさからして本命チョコの可能性もある。

 『女王蜘蛛のハナ』といい美里といい、大塚がそんなに女子に人気があるとは。とにかく大塚と美里の後を追ってゆいは走り出した。



 高等部の屋上で大塚はついに美里に追い詰められた。

 もはや太陽は沈み、その名残だけが空を赤く染めていた。

 大塚はフェンスを背に、それ以上下がれないと知りながらも足だけは後退しようとし続けている。

「永井、こないでくれ……!」

 五メートルほどの距離を置いて、美里がチョコレート手にじりじりと迫っていた。赤い空を背負いシルエットになった美里の表情は大塚には見えない。

「どうして? お願い、私の気持ちを受け取ってほしいの!」

 包装されたチョコレートを前に差し出す。その動きに驚き、ヒイッと短い悲鳴をあげて大塚が身を縮めた。

「これ……本命チョコだよ」

「わかってるよ! 義理ならよかったんだ……なんで本命なんて!」

 大庭高校のバレンタインチョコはまさに必殺だ。義理チョコは人体に無害なものがほとんどだが、本命チョコは過去に死人が出たという伝説すらあった。女子生徒達の間ではそれを『愛の試練』と呼び、毎年意中の相手を恐怖のどん底に陥れている。

 故に、男子生徒はこの日、女子生徒から死に物狂いで逃げ回るのだ。

「大丈夫、先生達にはばれないように薬の量を少なくしてるから」

「……本当に?」

「うん。他の子の義理チョコなんかよりよっぽど安心だよ!」

 人間とは精神的プレッシャーに恐ろしく弱い生き物である。既に10時間近く逃げ回った大塚孝道にとって、多少のリスクを背負うことでこのデスゲームから抜けられるというのは天使の囁きにも聞こえた。

 もちろん、通常の思考で考えればそんな危険を冒す必要性などまったくないことは明白である。

「ちなみに何容れたの?」

「ほんのちょっぴりだけ青酸カ……」

「いやだぁぁぁ!!!」

 あと数歩のところまで詰まっていた二人の距離は、再び元の位置に戻った。

「どうして? ちょっぴりだけだよ」

 もはやチョコというよりは危険物と化したそれを美里が突き出した。これを食べろと言うのか。大塚は考えた。果たしてこれから六時間逃げ回るのと、この目の前の毒物を食するのとどちらが自分自身の為になるのかを。一瞬で結論はでた。死ねるか。

 しかし現実は迫ってくる。美里との距離はまたしても数歩のところまで縮まっていた。後ろはフェンス。いっそ飛びおりた方が助かるか。

 究極の選択を迫られたところで、屋上の扉が勢いよく開かれた。

「大塚くん!」

 あれは……『ラヴ・ソルジャーゆい』だ!

 その手に持っているチョコの大きさを確認する。小さい! 義理チョコだ!!

「助けてくれラヴ・ソルジャー!」

「ゆい! あんた私の恋路の邪魔するの!?」

「美里……」

 美里とゆい、親友同士の二人が向き合う形となった。

「なあラヴ・ソルジャー、君のチョコには何が入っているんだ?」

「カカオ100%よ」

 それは最早チョコレートじゃなくてカカオだよ……。

 この二人がぶつかり合えばその隙に脱出できるかもしれない。大塚はそう考えそれ以上余計な口を挟むのをやめた。

「……あんたが強いのは知ってる、ゆい。でも私に簡単に勝てると思わないで。この日の為に私は実力を隠してきたの。あんたが知ってる美里じゃないわ」

 美里がゆっくりと構えた。しかしゆいは手を下げたまま構えようとはしなかった。

「私、美里の事を殴れないよ」

「優しいね、ゆい。でもこれは……戦争なんだから!」

 美里がゆいに向かって勢い良く走り出した。

(今だ!)

 その動きに合わせて大塚も走り出す。目指すは出口! 青酸カリは言語道断。カカオ100%だって口にしたくはなかった。

 二人の戦いには目もくれず、出口に向かって全速力で走りだす。

(やった、届いた……!)

 と、ドアノブに手をかけた瞬間、左膝に鈍い痛みを覚えた。

 ゆいが、大塚の足に超低空ドロップキックを食らわせたのだ。

 ミシッミシッ……!

「いってぇぇ!!」

 倒れ込んだところに間髪容れずチョークスリーパーを決められた。首元を腕で閉め上げ頚動脈の流れを止める技だ。その気になれば数秒で相手を気絶させることができる。少し離れたところで、美里が動きを止める。

「美里、あんたの言う通り、これは戦争。だけど、私は美里を殴れないからルールで美里を負かすね」

 遠くなりかけた意識の中、チョコ、もといカカオが大塚の口の中に放り込まれた。顎を掴まれ無理やり食べさせられる。

「あ……!」

「男子生徒一人につき、食べられるチョコは一つ。私の最後の義理チョコの相手は大塚くんだったの。ごめんね、美里」

 美里は膝から崩れ落ちた。その目からは大粒の涙が零れ落ちている。

「私、大塚君のこと、本当に、うぐっ、えぐっ……!」

 永井……、好いてくれるのはありがたいが、お前のチョコを食べると二度と会えなくなるがそれよかったのか……?

 大塚道隆、永井美里、日没と共に両名がリタイヤした。


 あとは本命のあの人を探し出すだけなのに……!

 時刻は午後十一時を三十分以上回っていた。残り時間は少ない。多くの脱落者が出た中で、ゆいはほとんど唯一と言っていい生き残りだった。

 校内探索もほぼ全てが終わり、残るは大庭中学校の体育館だけとなった。

 ここから体育館までは十五分程度。ぎりぎり間に合う!

 もはや足を引きづるようにして走った。

(あの渡り廊下を渡れば……!)

 扉を開けると夜の冷たい空気が肌を撫でた。渡り廊下の壊れた蛍光灯が点滅している。その真下に、女子生徒が一人立っていた。

 A組の……『狂乱の華人』蒼井空だ。

(最悪のやつに出くわしてしまった……)

 これで時間内に間に合う可能性がかなり低くなった。蒼井空はバレンタインの女子生徒にとって一番の天敵と言っていいだろう。

 なぜならば彼女は……。

「高峰ゆい。あなたに本命チョコを持ってきたの」

 そう、女好きなのだ。

 彼女はとても美しい。今だってその闇に溶けてしまいそうな漆黒の長髪が夜風に靡き、まるで暗闇に浮かぶ月のように肌は白く輝いて見える。優しい瞳はダークブラウンの輝きを放ち、口元はいつでも微笑みを絶やさない。まさに華人というに相応しい。

 ただし、狂乱の、だが。

「ごめんなさい。受け取れません」

「それは私の気持ち? それともチョコレート?」

「どちらも、です」

「……そう」

 空の瞳が輝きを失い、代わりに小刻みに震え出した。

 狂乱の宴が始まる。

 彼女は毎年違った女子生徒に告白し、そして断られるとその女子生徒を再起不能にまでズタボロにする根っからの自己中心的な性格をしている。

 それが怖くて交際をOKしても同じ事。異常な束縛と独占欲により精神がおかしくなった先輩がいると噂されていた。

(勝てる見込みは限りなくゼロ)

 彼女は女子キックボクシングの学生王者、ちょっと運動神経がいいだけの私とでは実力に差が有りすぎた。

 瞬きをすると次の瞬間、彼女の顔が目の前に迫っていた。慌てて後ろに下がるが、それこそ彼女の狙い通りだったと知る。

 下がりかけた右足を刈り取られ、その場に倒れ込む。

(なんて足払い……見えない!)

 すぐに置きあがって体勢を整えようとしたが、間に合うはずもなかった。

 彼女なりの愛情なのか、それともいたぶるつもりなのか、キックボクシングの打撃技ではなく、体当たりに近いショルダーアタックで吹き飛ばされた。

「……っ!」

 受身がとれず、背中を強か打ちつけた。息が詰まる。

「げほっ……うっ!」

 咳き込むゆいに空がゆっくりと近づいてくる。

(立たなくちゃ……!)

 しかし呼吸が苦しくてそれどころではなかった。座り込んだまま攻撃されれば防御する術もない。

 あと一歩で目の前に迫るという時に、その足が止まった。

 不思議に思って見上げると、空はゆいではなく、その後ろを見ている。

「ゆい、助けにきたよ」

「時間がない。なんとかこいつを抜けて体育館に急げよ」

 立っていたのは美里と大塚だった。

「なんで……!」

「あたし達ね、付き合うことになったんだ」

「ああ、チョコなんて貰わなくても、気持ちは十分伝わったしな」

 へへ、と照れくさそうに二人が笑った。その時二人が目を合わせたのが、ゆいには羨ましく思えた。

 恋人同士の戯れを邪魔されたように、空はあからさまに不機嫌になっていた。

「あなた達、脱落者がバレンタインに参加してもいいと思っているの?」

「罰なら後で受けます」

「チョコは不味かったけど高峰には命を救われたからな。いけよ高峰、こいつは俺達が引き受けるからさ!」

「でも」

「いいから行って! ゆいってば私の実力まだ知らないでしょ?」

 時間は零時十分前。迷っている時間すらもったいなかった。

「ごめん! でも無理しなくていいから、危なくなったらすぐ逃げて!」

 立ちあがり走りだす。しかしすぐに空が立ちはだかった。

「見逃すと思う?」

「えいやっ!!」

 掛け声と共に美里が打ち込んだ、手には木刀が握られている。

 剣先が見えない程にするどい打ち込みだった。あの空でさえ避けるのがやっとだったのが見て取れる。

「……美里」

「剣道飛び二段ってね。他の格闘技より剣道は有利なんだ」

 ありがとう。言い残してすぐにゆいは駆け出した。渡り廊下の先はもう体育館だ。

 ゆいがいなくなった渡り廊下で、三人は対峙している。

「美里、こいつに勝てる?」

「さっきはああ言ったけどね、たぶん無理」

「だよね」

 月が厚い雲に覆われて、同時に壊れかけた蛍光灯の明かりが落ちた。

 暗闇の中、小さな悲鳴が二つ聞こえた。



「これは……!」

 体育館の中央に、山積みにされた男子生徒の姿があった。その山の前で、高笑いしている『女王蜘蛛のハナ』が立っていた。

「やっと来たわねラヴ・ソルジャー! 待ちくたびれましたわ!」

 よく見ると男子生徒は皆細かく震えているように見える。恐らくしびれ薬だろう。

「既に残っていた男子生徒の全てに私が作った義理チョコを振る舞いましたわ! 残念ですが、あなたの本命の男子はこの『その他大勢の山』の犠牲になりましたことよ!」

 ほーっほっほっ、と勝ち誇った笑みを浮かべている。

 まさか自分の本命を奪われたからってここまでするとは。恐るべきは女の執念。しかしその山の中にゆいの本命の相手は含まれていないはずだった。

「残念ですけど、私の本命はその人達の中にはいません」

「負け惜しみを……! 既に残っている男子生徒は一人もいませんことよ!」

「男子生徒はね。私の本命の人は生徒じゃなくて……」

 ゆいは体育館の端に立っていた監視官の教師を指差して言った。

「あなたです。校長先生」

 完全に虚を突かれ、校長は口をぽかんと開けている。

「な、な……! あなた気は確か!? 校長なんて六十過ぎのおっさんですわよ!」

「そうだよ君ぃ、それに私には妻も子供も……」

「あら校長先生、愛に障害は付き物でしょ? 私のとびっきりの『愛の試練』、食べて頂けますよね?」

 ゆいは早足で校長に詰め寄った。手にはもはやチョコレートの色すらしていない紫色の本命チョコが握られている。

 それを校長の口元に突き出した。

「校長先生、まさかご自分で作られたこのセント・バレンタインのルールを破ったりはなさいませんよね?」

「いや、しかし私は君の気持ちを受け取るわけには……」

「毎年……! そう言った男子生徒が大勢いたはずですけど?」

 体育館の中央からうめき声のような呪いの呪詛が聞こえてきた。

「食えぇ……」

「校長お前も食えぇ……」

 体育館の二階には既に脱落した女子生徒達の姿もあった。

「あんなチョコさえ作らなければ振られなかった……!」

「私、チョコが大好きなのに半年間は買うことすらできない!」

「くされ校長がこんな企画作ったから……」

 一般常識に目覚めた生徒達から校長への殺意が向けられる。

 校長はその光景にただひたすら怯えている様子だった。ゆいは校長の顔を覗き込み、飛びっきりの笑顔を作った。

「さあ、もう逃げられませんよ」

 バンッ!!

 もう一歩というところで、体育館の入り口のドアが思いきり開かれた。そこに立っていたのは……『狂乱の華人』蒼井空だった。

「蒼井空……!」

「おお、君は確かこの女子生徒に惚れていた……、わはは! よし、思いっきり愛を確かめ合いなさい、バレンタインも残すところ三十秒だ!」

「それじゃ、美里と大塚は……」

 しかし空は反応しなかった。ゆっくりと膝を折り、前のめりに倒れ込んだ。

 その後ろに、美里と大塚が笑顔で立っていた。

「へへ、勝っちった」

「こいつ、暗闇で俺と美里を間違えて殴りかかってきたんだ。俺が殴られてる間に美里がビシッと、ね」

 確かに言われてみれば大塚の右頬が赤く張れあがろうとしているのがわかる。可愛そうに、明日はひどい顔になっているだろう。

 美里に向かってピースサインを返し、ゆいは校長に向き直る。

「さあ校長先生、時間がありませんよ」

「いや、しかし、でも……!」

 まだ悪あがきをする校長に対して、全校生徒のカウントダウンが始まった。

 長かったバレンタインも後5秒で終わりを告げる。

「5!(校長ー、くたばれーー!)」

 女子生徒の黄色い声援が飛んだ。校長はすでに泣いている。

「4!(早く食べろぉ……)」

 男子生徒の呪詛が校長を追い詰める。

「3!(来年からは普通のバレンタインを過ごしますわ!)」

 ハナが高らかに宣言した。

「2!」

 それから、私からも最後に言っておきますけどね。

「1!」

 コンビニでチョコを買ったぐらいで、私を退学にしようなんてするから――。

「0!」

 こういう事になるんですよ?



 

 そして、私達の異常なバレンタイン戦争は幕を閉じました。

 私の『ラブ・ソルジャーゆい』の字名も二度と使われる事はないでしょう。

 ちなみに校長はどうなったのか?

 皆さんが考える最悪の状況を思い浮かべてください。そんな程度じゃ済みませんでした。長年の恨みは恐ろしいですね。

 来年もまたセント・バレンタインデーがやってきます。

 その時は、もうこんな戦争は起こらないけど、やっぱり私は思うんです。


 二月十四日は、女が戦士になる日じゃないかって。




最初はコメディのつもりで書いていたら、なんだかよくわからない方向に。

戦闘が描けるようになったらファンタジーにもチャレンジしてみたいです。

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― 新着の感想 ―
[一言] 思わず笑わせて貰いました。大真面目な馬鹿というか、こういうノリうまいですね。 また一瞬も気が抜けないような緊張感が伝わってきて良かったです。
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