本当の自分
政府は学校に一人カウンセラーを配置することを義務づけた。しかし、社会はカウンセラーを沢山必要としていて人材が足らなかった。
ティック村ではボランティアで禅僧のラリアンがカウンセラーの代わりに学校に通っていた。
「ラリアン先生、相談があるの」
彼の元を少女が訪れる。少女はいった。
「本当の自分がわからないの」
お母さんに良い子でいなさいと言われ、家では良い子でいる。
しかし、自分はこの間学校の友達と少し悪いことをした。
「私は悪い子?良い子?ラリアン先生?私はどっち?」
ラリアンは、机の上にあるコップを指差す。
「これに入っているものは何かな?」
「水?」
少女が答えるとラリアンは頷き、コップの水面に指をつけ一粒の水滴を手の甲に乗せるとまた問う。
「これは?」
「水」
ラリアンは笑う。
「そう、両方とも水なんだよ。人間も同じで、いる場所や付き合う相手で自分の形は変わるんだ」
真剣な眼差しを向ける少女にラリアンは続ける。
「ミラちゃんは本当の自分という形があると思っているよね?」
ミラは頷く。
「でもさ、この水の本当の形ってなんだろう?」
ミラは首をかしげる。しばらく悩みこぼす。
「わからない」
「そうだよね、わからないよね。水に本当の形なんてないんだ。人間だって同じ。本当の形なんてないんだよ」
「ないの?」
不思議そうに問うてくるミラにラリアンは優しく返す。
「人間も本当の形なんてなくて、その時々で変化していくんだよ。その変化する全てが自分であり、本当のこれだという自分はないんだ」
「ラリアン先生も本当の自分はないの?」
「ないよ。ミラちゃんの前ではラリアン先生、家に帰れば奥さんの下僕、困った人がいたらヒーローにだってなるんだ。その全てが僕で、どれか一つが本当の僕じゃないんだ」
ミラちゃんは一つ頷くとラリアンの目をまっすぐ見つめた。
「全て私?」
ラリアンはそうだよといい笑うと、ミラも笑った。
友達に呼ばれ駆け寄るミラは元の元気な少女に戻っていた。
「ミラー! 早くおいでよー!」
校庭の向こうから、さっき一緒に「少し悪いこと」をした友達の声が響く。
「今いくー!」
ミラは元気よく振り返り、片手を振った。パタパタと走り出していくその背中は、ついさっきまで相談室で縮こまっていた姿とはまるで別人みたいに伸びやかだった。
コップの水。
手の甲の水滴。
そして、雨になれば空から降り、川になれば海へと流れる水。
形を変え、場所を変えても、それはどこまでも水であり続ける。
「良い子も、ちょっと悪さをしちゃう子も、ぜんぶミラちゃんなんだ」
ラリアンは、小さくなっていくミラの背中を見つめながら、手の甲に乗っていた一粒の水滴を、ペロリと舌で舐めた。
「さてと……」
ラリアンは大きく一つ伸びをして、僧衣の裾をパンパンと叩いた。
「そろそろ家に帰って、奥さんの『下僕』として夕飯のゴミ出しでもするかね」
夕暮れ時の相談室に、どこか晴れやかな、小さな笑い声が静かに溶けていった。




