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米・イラン関係と日本

掲載日:2026/03/16

 今回の米・イスラエルのイラン攻撃に端を発する戦争には、停戦と共に、対話と交渉による平和的解決が強く望まれるところ、従来の経緯を中心に、次の通り。


1.米・イラン関係(現代史)


(1)米国は、中東政策を展開するに際し、イスラエルの安全保障を最重視するので、イランを重大な脅威と見做し、イランと対峙するサウジアラビアなど、アラビア半島諸国等との友好関係を重視している。

 その際、イランをイスラム・シーア派の国家と認識し、宗教的に対立するスンニー派等、他のイスラム宗派の諸国との友好関係を重視している。


(2)イランでは、1951年に石油の国有化を打ち出したモサデク政権が、1953年、米国CIAの介在したクーデターにより転覆し、その後、シャー(国王)を中心とする親米政権が成立。

 1979年には、イスラム革命が勃発し、これを打倒。ホメイニ師を中心とするイスラム共和国が成立した。革命直後、テヘランの米国大使館が過激派に乗っ取られ、大使館員が1年以上に渡り、人質となった事件もあり、米イラン両国の国交が断絶し、関係回復が困難である。


(3)その後のイラン・イラク戦争(1980~88年)では、米国はイランに経済制裁を課し、サダム・フセイン体制のイラクを支援。(戦争中、イランは北朝鮮から武器を調達した事が知られている)結果的にイラン・イラク両国の国境線の移動なく、賠償もないまま、米国は「イスラム革命の封じ込め」に一応成功。

 この戦争の最中、1988年7月、イラン航空のエアバス300(テヘラン発ドバイ行き)が米海軍のミサイル巡洋艦の誤射(戦闘機と誤解)によりペルシャ湾上空、ホルムズ海峡のすぐ西側のイラン領空内で撃墜され、290名の乗客全員が犠牲になった。(66名が子供)当時のレーガン米大統領は深い遺憾の意を表明。1996年にICJで米・イラン間で示談が成立し、法的義務を認めないまま米国は自主的に総額6180万ドルの支払いに応じた。


(4)欧米諸国の支援を得たイラクは、地域の軍事大国と化した。そして1990年8月、クウェートに侵攻し、これを制圧したが、1991年1月、米国を中心とする多国籍軍がイラク攻撃を開始し、6週間でクウェートが解放され、停戦が成立した。(湾岸戦争)

 更に2001年に起きた、9.11大規模同時多発テロ事件に対し、米国は「テロとの戦い」を開始し、同10月にアフガン攻撃を開始。またイラクが大量破壊兵器を保有しているとして、2003年3月、イラク攻撃を開始し、同4月にバクダッドが陥落した。(イラク戦争)

 米国主導によるこの2つの対イラク戦争の結果、皮肉にもイラン・イラク戦争以来、イランの宿敵だったイラクのサダム・フセイン政権が打倒され、イランは、再び地域の大国として浮上した。


(5)イランは、イスラエルを巡る中東和平問題ではパレスチナ側を支持し、またシリアの旧アッサド政権を支援。米国はこの様なイランをテロ支援国家と位置付けた。

 イランは、特にイエメン内戦で反乱軍(フーシ派)を支援しているが、これはイランが、石油輸送に重要な、ホルムズ海峡と共に、アラビア半島西側の紅海ルートに関し、アデン湾への出口(バブ・アル・マンデブ海峡。反対側がジブチ)を支配下に収める企てと懸念され、サウジ等の産油国と共に、米国として看過できないのだろう。


(6)米国トランプ政権は、2018年春、駐イスラエル米国大使館をエルサレムに移転させ、同年5月にはイランの核合意から離脱するなど、民主党の政策から大きく転換した。

 その背景には(パレスチナにおける、ユダヤ人の居住権利の正当性を示す)旧約聖書を重視する、キリスト教の福音派、またユダヤ教徒の影響が大きいとされ、イスラエルのネタニアフ政権を強く支持する姿勢として表れる。(ネタニアフ氏は、米国MIT等で教育を受けた人物)

 IS戦争で、米国と同様、イランはISを掃討する側にいたが、IS戦争の収束を背景に、イランが、自国の勢力伸長を図る姿勢に転じたので、米国は、これを牽制すべく、政策転換を図ったと見られる。

 更にトランプ政権として、イランを巡る中東情勢が不安定化し、テンションが上がる場合には、石油価格の上昇が見込まれるので、産油国である米国への景気浮揚効果さえ見込む可能性があろう。


(8)なお米国の対イラン強硬派は、米国人の「古代史ロマン」に訴え、

「米国は海軍力に秀で、また独立宣言に記された様に、民主主義の理想を掲げており、民主主義の発祥した古代アテネの後継国家。他方、革命後のイランは個人の自由を抑制し、イスラム革命の輸出を標榜する国であり、古代アテネと対峙した、ペルシャの後継国家になぞらえる。従ってイランは、民主主義の脅威であり、米国はこれに対抗せねばならない」との説明を加えそうである。

 米国にとり、理想的なシナリオは、地上軍を派遣せぬまま、イランの体制転覆、あるいは親米政権の誕生を実現させる事だろう。


 2.イランの核疑惑(経緯)


(1)イランの核疑惑は、2002年に未知の核関連施設の存在が明らかになったのが、大きなきっかけとされる。イランが核開発を指向しているとしたら、1998年に隣国パキスタンが核実験に成功した事が刺激剤。平和利用を主張しても「イランは重要な産油国であり、国内エネルギーの為に原子力開発する必要はない」との見方があろうが、医療目的もあり得るか。

 この展開は、インド(1974年)、パキスタンの核保有(1998年)に続き、地理的「ドミノ現象」として、イランにも核拡散か、との懸念を生み、米国では、イランがイスラエルに敵対意識を持つだけに、危機感を呼んだ可能性があろう。

 2010年にイランは濃縮度約20%のウラン製造に成功し、兵器級ウラン製造に近づいたとして懸念が高まった。然るに2015年7月のイランの核合意は、イランが(濃縮ウランの貯蔵制限、濃縮制限、遠心分離機の削減等)核開発計画を制限するのと引き換えに石油輸出等に関わる経済制裁を解除するものであり、隘路を縫って成立したものとして歓迎されていた。


(2)2018年5月8日、トランプ政権は、この内容では核開発が継続可能として、核合意を離脱する旨発表し、同年11月4日までにイラン産原油の輸入を0にするよう、各国に求めた。

 イランは核合意の維持を図る他の当事国(米以外のP5+独)の協力を求め、日本を含む友好国の理解と協力を求めてきた。

 因みにロシアは、イランを支持しつつ、中東で影響力伸長を図ってきた。イラン南部ブシェ-ル原発の建設・運営にはロシアの国営企業が協力しており、イランはロシアの防空ミサイルS300も購入。他方、ウクライナ戦争に際し、イランはロシアにドローンを提供してきた。

 また中国もイラン産原油への高い依存に加え、貿易戦争を巡って米国に対し被害者意識を抱くだけに、イランに同情的と見られる。


 3.イランの被害者意識


 イランの歴史は古く、古代オリエントの覇者としてギリシャとペルシャ戦争を戦ったアケメネス朝ペルシャ、またローマやビザンツ帝国と対峙し、その美術や文化が奈良にも伝わる、ササン朝ペルシャの栄光もあるが、アケメネス朝はアレクサンドロスの東方遠征により滅び、ササン朝は、アラブのイスラム勢力に制覇された。そのため国教だったゾロアスター教からイスラム教に改宗し、アラビア文字も受け入れた。(首都は、イラン国外のダマスカスやバグダッドに)その後もトルコ系、モンゴル系を含め外国民族の支配の歴史が長い。

 帝国主義時代、欧州諸国が植民地を求めて対外進出を図るようになると、英国やロシアの進出を許し、北部をロシアに、南部を英国に支配された。そして1917年のロシア革命でソ連が撤退すると、英国が1919年にイランを保護国化している。この結果、急進派のクーデターが起きて1925年にパーレビ朝が成立。英国、ソ連とも撤退し、独立を回復した。しかし第2次大戦(1939~)の際、枢軸国の進出を阻む為、再び英国とソ連が軍を進駐させ、国土を分割した。

 大戦後は、石油国有化を図ったモサデク政権の英米介入による失脚、シャーを中心とする親米政権成立を経て、1979年にイスラム革命が起きた。

 この様にイランは、外国支配の歴史が長く、近現代では、英国、ロシア、米国等が暗躍し、石油利権も密接に絡んでいる。従って、外国勢力への猜疑心が強く、困難な歴史の後、勝ち得た独立を守る性向が強いだろう。従って、根の深い「怨念」が働き、米国やイスラエルから攻撃されたからと言って、内部からの体制転覆を期待するのは、楽観的と見られる。


 4.日本の役割


(1)日本の中東石油への依存度が高い中で、特に親米的なサウジ、ア首連、カタール、クウェートからの輸入が多く、輸入額全体の75~6%にのぼり、イランは4~5%と見られる。従ってどちらか選択せざるを得ない場合には、親米的な国と結ぶのが、石油の安定供給の観点から整合的、との見方が、特に平時ならば常識的だろう。


(2)他方、イランを巻き込む紛争の際、イランは、最終的には、中東石油の重要な輸送ルートである、ホルムズ海峡の封鎖にまで言及しており、日本として喫緊の問題である。

 イランを巡って緊張が高まり、石油価格が上昇する場合、日本経済への影響は大きく、日本の石油関連産業には有利かも知れないが、多くの産業で経費上昇に繋がり、庶民の負担となろう。


(3)イランと国交を保ち、伝統的友好関係を維持してきた日本として、ペルシャ湾岸の安定回復のため、米・イラン両国の仲介をする余地があるのか、鋭意検討していくべきであり、石油問題や歴史・宗教的な問題に関する、日米の温度差を背景に、米国の説得にも努めるべきだろう。


(4)米国とイランの狭間で(要注意)


(ア)中東諸国から見れば日本もアジア競技大会のメンバーであり、「白人」でない日本人は、欧米人と比較すると、親近感を持ちやすいだろう。しかも欧米諸国の様に、植民地支配や戦争の歴史のしがらみがない事、また日本がキリスト教以外の文化圏で、初めて先進国になった事、更に太平洋戦争の敗北にも拘わらず、短期間で復興を成し遂げた事から、畏敬の念が底流にあろう。


(イ)因みに、日露戦争(1904~05年)が日本の勝利に終わった事は、南下を図るロシアと常に対峙してきたトルコ、イラン等の中東諸国を大いに勇気づけるものであり、親日感情の淵源となっている。イランでは、日本の勝利を、議会制の立憲制度の成果と捉え、1905年の立憲革命運動に結び付けた経緯がある。


(ウ)中東諸国では、経済開発を進める上で、日本から支援・協力して欲しいとの期待が働きやすく、従来からの日本の経済協力がこれを助長している。


(エ)然るにイランでは、日本が一貫して親米路線を示し、踏襲して崩さない。欧米諸国の側につき、米国の一部であるかのように振る舞う、との落胆と嘆きがあるだろう。

 日本の親米路線は、第二次大戦を背景とした、北東アジアの地政学の論理だろうが、イランでは、良く理解されないし、何故中東でも振りかざすのか、との心理になりがちと思われるので、要注意。


 5.イランのお国柄


 イランに関しては、次の様なお国柄が指摘され、踏まえるべきかと思われる。


(1)「作用に対する反作用」の明確に表れる国であり、「やられたらやり返す」(tit for tat)との性癖が強い。米国を含め、関係国は行動を抑制し、事態のエスカレートを防ぎ、収れんに向かう努力をすべきだろう。


(2)イランは、アケメネス朝やササン朝ペルシャ時代から、絵画、彫刻、建築など美術に優れた国であり、これは、カーペットの繊細なデザインや色遣いにも引き継がれている。

 しかし7世紀に、イスラム勢力が、ササン朝ペルシャを滅ぼしてから、イスラム教の戒律として、偶像崇拝が禁じられたため、美術において具象表現が抑制され、強い抑圧が加わった。その結果、唐草模様等、抽象的なデザインの細密画やカーペット、建築が残った。

 また特に、1979年のイスラム革命以降、「政教不分離」の原則から、イスラムの戒律が厳格に適用され、「西欧的で退廃的だ」として、目立つような具象表現は抑えられてきた。

 この様な事は、他のイスラム教国でも経験していようが、イラン人は、そもそも美術・芸術に優れた民族なだけに、表現力を強く抑制・抑圧された鬱屈感は、他に類を見ないのではなかろうか。(日本人にも、浮世絵やアニメ等、視覚に訴える美術・芸術に優れた資質があろうが、具象表現を禁じたら、何が起きるのだろうか?)

 このため、イランでは、特にイスラム革命以降、政治面に限らず、鬱積した感情が国民に広がり、転じて極端な政治的な主張等となり、これが表面化しているとも言えよう。

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