第三話 最初の予言
「ふざけてる」
ゆっくりと目を閉じた透海さんは。
やがて、そんなことを呟いた。
かすれた声。
差し込む西日は強く、彼女は汗ばみ。
その一滴が、こめかみから首筋まで、スッと流れ落ちる。
彼女が、ゆっくりと目蓋を開き、ぼくを見遣る。
「最初に、ハルさんがあたしに願った予言、覚えてる?」
忘れるわけがない。
「ぼくは君を覚えていられるだろうか?」
そう願ったのだ。
必要だった。
魔女の、認知を歪める特性は、ぼくにおいても強く作用する。
記憶にとどめねばならなかった。
備忘録を作るためには、絶対に。
彼女は答えた。覚えていられないだろうと。
おかげで予言は外れて、今日まですごせた。
大願成就のいまを向かえた。
「これでも、感謝しているんだ」
「あのね、ハルさん」
ゆっくりと開かれる双眸。
一等星の輝きがあふれ出し、ぼくを照らす。
真っ直ぐな言の葉が、春町遼遠を射貫く。
「あたし、すごく怒ってます」
表情なんて一つも変えず。
けれど瞳の中で輝く星の光だけを一層強めながら、彼女が言う。
ぼくは訊ね返す、多分に戸惑いながら。
「どうして、かな」
「ハルさんが、嘘をついたから」
「騙したつもりは、ないんだけれどね」
そうだ、ぼくは可能な限り真摯に向き合おうとしてきた。
他の誰かではない。
透海近だから。
ただ、それは確かに遠回りに、彼女を傷つけもしたに違いなく。
「そういうことじゃないよ。騙していたからじゃなくて、嘘を言ったから」
「嘘?」
「ハルさん、自分を忠犬って言ったもの」
……そういえば、そんな与太話をしたような気もする。
他者にすべての責任を預けることで、パフォーマンスを最大限に発揮するタイプの責任委託主義者。
自分をそう表現したかもしれない。
「責任を取ってくれる誰かがいるのなら、全力で頑張れる。そんなことを口にしたくせに、いまハルさんは、自分だけで頑張って、自分自身をなげうとうとしている」
「それは、面目ない。ごめん」
確かに、軽率な言い分だった。
ぼくは忠犬ではない。
あるいは、だからこそ、自由な猫に憧れて。
「……素直に謝ってくれたから、報酬を上げます。たいへんなご褒美です」
すっと、彼女がぼくの手を取った。
彼女の華奢な指先が、折れたままのぼくの手に添えられて。
「ご褒美というのは、なんだろう?」
「ハルさんが、好きなことを、やろう?」
ぼくが好きなこと。
そんなものは。
「ないよ、もうないんだ、透海さん」
でも、もし。
もしも叶うのなら。
「この学び舎で、あの桜の木の下で。君と、机を並べてみたかった」
「なら、やります」
「……え?」
戸惑うぼくのことなど知ったことではないといった様子で。
ぼくの手を握っているのと逆の手を突き出す彼女。
そこには、携帯端末があって。
「聞いていたでしょう? 親友のためなんだから、なんとかしなさい、東雲茶某」
§§
ふわふわと、実感がないまま話は進む。
透海さんが「それが予言をする条件」と提示してこなかったら、従いすらしなかっただろうに。
休日の学園。
誰もいないはずのそこ。
校庭に植えられたすっかり花弁の散った葉桜。
樹齢は百年を超えるという、二つの古木が支え合うようにしてくっ付いた双樹桜。
その下に、二つの机が、同じようにくっつけて並べられていた。
歩み寄って、ぼくは右側に腰掛ける。
ドンと、机の上に置かれるティーセット。毎度毎度、意味がない。
そして、反対の席に着く透海さん。
横並びのぼくらは、ほとんど同時に切り出した。
「暑い」
「暑すぎるね」
温暖化もいよいよ来るところまで着た。
夏休み前だというのに、この陽光の強さは正気じゃない。
ようやく夏服が解禁されたけれど、暑いものは暑い。
さっさと切り上げないと、ぼくはともかく、透海さんに危難が及ぶ。
だから。
「満足したよ。さあ、予言を」
「急いては事を仕損じると言います」
「…………」
「本当に、やりたいことや、思い残すことはないの?」
ない。
ぼくは消える。
君は生きる。
それでいい。
それだけでいい。
「そう」
素っ気なく、彼女は呟き。
大きくため息を吐く。
「なら、前提を確認します。大事なことでしょう?」
ことここに至って前提もなにもないが、これを徹底してきたからこそ今日のぼくらがあるのも事実だ。
蔑ろにはできないので、首肯して、条件を口にする。
「今日までの記録は、すべて出席簿表巻、その備忘録の欄に記録されている。これによって透海さんの存在は補完されて、七不思議が消え去ったあとも残存する」
「七不思議を消す方法は?」
「ぼくこと『もうひとりのクラスメート』を否定すること。不在を証明することだ」
「もしも不在を証明できなければ?」
そんなもしもは有り得ない。
だが、仮にぼくが存続すれば、透海近は魔女として生涯を終えることになるだろう。
人を捨てて、魔女に成り果て、七不思議は残り続ける。
「言い換えれば、あたしたちはいま、境界線上にいるってこと?」
「正しい認識だ。君とぼくとで、綱引きをしている。どちらが人になるか、怪異になるかというパワーゲームだ」
これはちょっとやそっとのことでは崩れないぐらいに拮抗している。
よって、状況を打開する方法は一つ。
「魔女の予言によって、『もうひとりのクラスメート』を完膚なきまでに否定すること。これだけが解決策だよ」
「予言、ね」
「ぼくが君に問うことはできない。すでに一度やっているからね。一方で魔女には、自分自身へ問い掛けることが、一度だけ許されている。これで魔女の実在を否定すれば、自分自身も消えてしまうが、ぼくを否定するなら、魔女という役割だけが七不思議とともに消えるだろう」
つまり、最適解で唯一解なんだ。
「透海さん。さあ、やってくれ」
「もう少し。せめて、お茶の一杯でもどう? それともコーヒーを用意する? あなたはあれが声を荒らげるほど好きで」
「透海近」
暢気にティーポットへ手を伸ばす彼女へ、少しだけ強く言葉をかける。
その眼差しが、こちらへ向けられた。
諦めとはほど遠い光を宿した眼が、しっかりとぼくを見据えて。
「……?」
電子音。
それを聞いた透海さんが「遅すぎ」と苦笑いする。
彼女がポケットから取りだしたのは、携帯端末。
ぼくがずっと貸与しているそれは、茶太郎達と繋がっていて。
「では、お願いします」
彼女が、端末へと語りかけた瞬間だった。
その音色が、鳴り響いたのは。




