第四話 墜落ファルス
「あたしには価値がない」
屋上の脱落防止用フェンスの上で。
ゆらゆらと不安定になりながら。
透海さんは、述懐する。
「東雲茶某みたいに誰にも優しく、真剣で、愛される人間ではいられなかった」
そんな人間は、滅多にいない。
「その恋人さんみたいに、すべてを投げ捨ててまで恋に走る生き方も知らなかった」
物語的なロマンスに疾走できるほど、ぼくらは無謀であれない。
「すでに〝成って〟いる天才ほど真っ直ぐ突き進めない」
その息苦しさに、選択肢のなさに、期待に耐えられない。
「猫ほど自由でも、本のようにお行儀よく座っているのも無理だよ」
あるいは天邪鬼のように、傍若無人な振る舞いをして、あべこべのことを言って、相手を困らせるほどモラルを捨てる真似すらできない。
「学園の檻は閉じているね」
閉塞感で、呼吸さえ止まりそうで。
「だから、あたしには価値がない。なにも変えられないし、なにも成し遂げられない」
透海近は繰り返す。
自らの劣等感を。
不安と絶望の果てを。
「もしも言えたらよかったのに。プライドなんて捨てて、助けてって」
「……いまからでも遅くないよ。ぼくに言ってくれればいい。共犯関係って、助け合うことじゃないかな」
「なら、一緒に死んでくれる……?」
なんで。
「どうして、そんなことを言うんだい? 望めばいいじゃないか、一緒に生きてくれって。ぼくは、いや……ぼくだけじゃない、みんな君を必要としている」
首をかしげる彼女。
なぜわからないんだ。
ぼくは訴える。
血を吐くような声で、指先の痛みすら忘れて。
「証拠だってある。空き教室に積み上げられたお菓子の空き箱だ」
「…………」
「あれは、みながお礼に持ってきたものだろう? 誰よりも君が必要とされた証じゃないか」
需要と供給。
願いと必要。
それがあるならば、決して無価値などではない。
「透海近には、価値がある」
「……ありがとう、ハルさん」
彼女が、微笑んだ。
先ほどから変わらない、覚悟を決めてしまったものの顔で。
「あたしたち、わかり合えなかったね」
「透海さん」
「それじゃあ、その、みんなっていうのに、よろしく」
「透海近!」
ふわりと、彼女が宙に舞った。
傾斜し、倒れていく身体。
ぼくは反射的に地を蹴り、彼女を捕まえようと手を伸ばす。
けれど、その手は届かない。
ガシャン、遮るは金網。
目の前を、落ちていく、魔女の――
「バイバイ」
最後の言葉を、確かに聞いた。
§§
屋上のフェンス際に崩れ落ち、突っ伏してどのくらいの時間が経ったか。
じくじくと這い上がってくる指先の痛みを時計の代わりにしながら、カウントを取り。
五十を超えたあたりで、ぼくは小声で呟いた。
「……それで、この茶番を、いつまで続ければいいのかな?」
反応はない。
無音。
精々が風の音と、学生たちの遠い日常の囁き。
……であるなら、推論を展開するしかない。
「おかしいと思っていたんだ。なぜ君が、屋上を死に場所に選んだのか。まず侵入が難しく、落下しても確実に死ねるとは限らない。鍵を入手しようと思えば、君の活動範囲からだと、どうしてもぼくにことが露見する」
そうなれば、絶対に妨害されると聡明な君はわかっていたはずだ。
「だから、はじめは止めて欲しいのかと思った。ポーズだけの狂言なのかと」
けれど、それにしては少々振る舞いが大仰過ぎる。
自らの罪を認めた上で、学園側、学生サイド、多賀恵留一派、全員に瑕疵があるような言動を取る意味がわからない。
一般人なら、今際の際に支離滅裂な責任転嫁をしてもなんら不思議ではないが、よりもよって自殺騒動を起こしたのは透海近、占いの魔女だ。
となると、前提のすべてが覆る。
「なにもかも逆だった。ぼくに露見することさえ、きみにとってはアドバンテージでしかなかった」
つまり。
「ぼくが事件を知る切っ掛け。茶太郎に、一連の騒動を知らせることこそが、狙いだったとすれば筋が通る」
彼は学園人間関係のハブだ。
すべての情報は、彼がどこかで一枚噛むことになる。
人間模様の潤滑油としても機能する茶太郎が、この悲劇を知ったらどうするだろうか?
当然、同情的に振る舞う。
打算からではなく、心の底からの善性によって。
「よって、この光景もまた、記録されているんじゃないかな? カメラで撮影していたり、レコーダーで録音していたり」
答えはない。
……まだ確証が足りないらしい。
「記録媒体の話でいえば、ぼくのサブ端末を使っているんだろうね。あれは茶太郎と繋がっているから」
思えば、これまでも不審なことはあった。
七不思議関連の出来事が起きるたび、どうやって彼女は根回しをしていたのか?
空き教室に相談にやってくる女子だけで、ことをやり遂げられるなんて思えない。
直近であれば、職員室を訪ねたぼくを多賀恵留が補足できたのも、偶然と呼ぶには奇妙だ。
その直後に、魔女が現れたことも、どう考えてもおかしい。タイミングができすぎている。弁当は作りたてでさえあったのだから。
いや、もっと大前提として、やはり多賀恵留が魔女の存在を覚えていたのは異常なのだ。
有り得ないことだ。
であるなら、理屈がそこには存在する。
例えば、魔女本人が、遠回しに多賀恵留へとアプローチを続けていたのならば、忘却が連続したところで、意味が無いほど行動に干渉されていたなら、筋は通る。
つまり、疑惑はこう収斂する。
魔女にはこちらの動向を把握する術があったのでは?
〝春町遼遠〟になりすまし、日常的に茶太郎と対話していたのなら?
そしていまも、この場の風景がリアルタイムで茶太郎の元へ届いていれば?
……あるいは、こうも考えられる。
魔女は、閉じた学園に囚われている。
その存在は、学園関係者の認知によってこそ成り立つ。
ならば、一度死んだことにしてしまえばどうか?
少なくとも、いないはずの人間は、これから自由に動き回れるのでは?
そうだ、彼女の目的は、ここにきて瞭然となる。
すなわち。
「君は永遠になるつもりなんて無かった。人間に戻ることを諦めてなんていなかった。最大世論たる茶太郎を騙し、事件に完全勝利するため、この茶番劇を企んだ。そのための布石、逆境への対策こそが、いままでのすべて」
顔を上げる。
立ち上がる。
フェンスへ歩み寄り、ただ見下ろす。
「違うかな、透海近?」
そこに、彼女がいた。
屋上の縁に仕掛けられていた鉤ハシゴ。
これに身を預け、こちらを見上げる無表情の少女は。
推理の全容を耳にし、犯人の告発という不名誉を受けたとき。
ニタァ……と。
顔を、歪めた。
それは、いびつで、奇異で、愉悦に満ちた――悪徳そのもの。
笑顔などと呼べる代物ではなく。
悪なるものが、世界秩序と敵対する存在が、己の邪知謀略すべてを見透かされたときにはじめた現れる、自白のサイン。
彼女はきっと、いまこの瞬間になってはじめて。
ぼくを好敵手だと。
いや……共犯者だと、認めたのだ。
だから、言う。
魔女は、告げる。
「ねぇ、ハルさん」
じつに甘美な、誘い文句で。
「一緒に、謎解きをしてくれる……?」




