第二話 屋上アンチテーゼ
屋上のフェンスによじ登り、いまにも墜落してしまいそうな魔女、透海近。
状況は極めてデリケートでセンシティブ。
迂闊な一言が、張り詰めている均衡を崩壊させるだろうことは容易く理解できた。
だから、こう切り出す。
「ぼくは、益体のない正論で、君を中傷しにきたわけじゃない。この前提を、まず共有したい」
「…………」
無言の彼女。
萎縮する。
喉がカラカラに渇く。
それでも、彼女を一瞬でも長く、こちら側につなぎ止めたくて。
フェンスの上という境界線上から、あちら側に降りて欲しくなくて。
必死に、懸命に、言葉を紡ぐ。
「君は、永遠になるつもりかい? 屋上から墜落した魔女。なるほど、新しい七不思議としてはウケそうだ」
「…………」
「人間に戻ることを、諦めてしまったのか、透海さん?」
答えはない。
解答はない。
沈黙し、手応えのない虚空。
……必死に話題をひねり出す。
「今回の一件、主犯は透海さんではなかったんだね? より正確にいうなら、君は確かに事を急いだけれど、七不思議のタネ自体は、どこかで差し替えられてしまった」
「……へっへっへ。ハルさんは賢いなぁ。だったら、説明しなくてもいいんじゃない?」
ようやく発せられたのは、疲労に彩られた消極的肯定と、これ以上の深入りをやんわりと断る言葉。
けれど引けない。
やっとの思いで掴んだ対話の糸口。
ぼくは一歩、物理的に前へと出る。
「答え合わせをさせて欲しい。そのぐらいの権利はあるはずだ。なにせ、ぼくらは共犯関係なんだからね」
「あら、あたしがこの場で関係を解消するって言い出したら? どうせ後なんて考えないんだし」
「同情を買えるように精一杯努力するかな。これでも長い付き合いだから」
「……たった数ヵ月でしょ」
その数ヵ月が、ぼくには得がたいものだった。
だから、思う。
「ほだされてくれないかい、透海さん。必要なら土下座でも、自分の指でもへし折ってみせるから」
「できないでしょ、自傷なん――っ!?」
彼女が言い終える前に、ぼくは左手の人差し指をへし折った。
彼女が二の句を告げないでいいるうちに、中指を、薬指も折る。
「ストップ!」
制止の声をかけられて、小指を握ったまま、視線をあげる。
「……バカだなぁ、ハルさんは」
やるせない表情を浮かべる彼女。
ぼくは痛みに耐えつつ、苦笑い。
「そうだね、ぼくは愚か者だ。だから、こうやって償うしかない」
「償いね。わかった、わかりました。聞くだけ聞くから、ほら、推理でもなんでも早くして」
よかった、了承が取れたらしい。
ひとつ息を吸い――それだけで、指先からズキズキと激痛が這い上がってくるが、意識の後ろに回す。視界が赤く染まっているが、無視すれば耐えられる――これまでの出来事を並べ立てる。
「事の発端は君が魔女になったことだが、トリガーが引かれたのは今回の試験問題だ。これはあっているかな?」
「なにをして正解とすればいいわけ?」
そうだな。
たとえば。
「満点が取れないテスト、という七不思議の噂をばらまいたのは――君ではない」
「…………」
「君は、その噂を利用しただけ。今回は種を蒔くこともなく、横の畑から収穫物を横取りしようとした。違うかな?」
「ときどきだけど怖くなる。ハルさんってさ、未来が見えているの?」
ソックリそのままセリフを返そう。
透海近。
「君は、予言の魔女だ。じつは未来が、見えているんじゃないか?」
問い掛けに対して、彼女は肩をすくめた。
そうして、ため息とともに、その身体が落ちた。
反射的に走り出しかけて、とまる。
透海さんはただ、フェンスに腰掛けただけだった。
やめてほしい、心臓に悪い。
おかげで一瞬、指の痛みを忘れることができたが。
……そこで、ふと思いつく。
頭や身体は動かすことなく、視線だけをめぐらせる。
フェンス、屋上の縁、そこからのぞく鍵型の金具が二つ。
金具?
「うーん」
透海さんは頬に指を当て、悩んでいる。
時間が欲しい。
激痛のなかで思考を高速で回しながら、もう一度問い掛ける。
「見えないのかい?」
「どちらかと言えば、見える」
「……それで」
「うん、じつはね、ぜんぜん明瞭じゃないんだよ。だから、あたしはいまから、飛ぶんだ」
やはり、そうなのだ。
予言の魔女には未来が演算できる。
しかしそれは、確固たるものではない。
「どう表現すれば伝わるかな。あたしは閉じた籠の中にいて、周囲には霧が立ちこめている。ときどき空から光が差し込んでくるけど、この手はなにも掴めない。追いかけることもできない。それどころか、指先をかけようとすると、光は掻き消えてしまう。けっこう辛いんだよ? ちらつくだけの希望って」
「それが、100%外れる予言の正体だね」
「かもしれない。あたしが望めば、逆になるから」
……わかっていたことだ。
けれど、あまりに残酷だった。
なぜなら彼女は、願いをかければかけるほど、上手く行かない星廻りの下にいるのだから。
全校生徒の、そんな不安が寄り集まって、肩代わりさせられているのが、予言の魔女という存在なのだから。
……そうだね。
そういう意味では、予言の魔女とは、天邪鬼の相似形なのだろう。
アンチテーゼ、なのだろう。
「つまり、透海さんは未来を覗き見て、願ったわけだね。今回の七不思議を解決したいと」
「テストも受けられたし、どうせなら満点取りたいでしょ?」
「普通の人はそんなこと考えないよ。進学校だといっても、平均点で十分だってみんな言うさ」
「でも、あたしは違った。だからテストを受けて」
そして案の定、満点が取れなかった。
「断っておくけど、答えなんて見てませんから。地力だよ、あの点数」
疑ってなんかいない。
授業内容を、透海さんはずっとアーカイブで履修していたし、板書などは、都度ぼくがまとめて端末に転送してもいた。
明確な努力によって、彼女は結果を出して。
そして、多賀恵留に敗北した。
そう、ここまでは予定調和だ。
では、具体的に〝満点が取れない〟とはなにを差すのか?
必ず減点される?
設問の数が少なく、点数の総和が合わない?
それとも――
「正しく解いても、正解にならない問題があったわけよ」
まるで、あたしの人生みたいだね。
そう言って。
魔女は、やるせなさそうに、苦笑いした。




