第六話 血を吐いて、氷点下の言葉
「私が? 失敗を? あの女のように?」
鼻で笑い、肩をすくめ。
大げさなリアクションで否定をしてみせる多賀恵留。
けれど、もう遅い。
すでに矢は放たれてしまった。
「もう一度言って欲しいんだ、恵留さん。君はその日、どこでなにをしていたって?」
「だから、喫茶店で恋愛相談を」
「いつ?」
「君が推理したんじゃないかね? カッターの刃を卵の内部に入れるには時間が必要だと。だから、その準備をしているはずの――」
余裕たっぷりにそこまで言いかけて。
彼女の表情が凍り付いた。
どうやら、理解が及んだらしい。
「恵留さんはこう訴えるわけだね? 自分たちにはアリバイがあったと」
「あ」
「けれど、おかしいな。事件があった日ならともかく、カッターが仕込まれた日時なんて、誰にもわかっていなかったはずなのに」
「ああ」
「にもかかわらず、君はぼくと出会ったその日には、アリバイを主張していた。そう、事件が起きた直後。カッターの刃が見つかる前。つまり、産み直しのトリックを誰も推測できない段階でだ」
「あああ!」
そう、わざわざアリバイを。
聞かれてもいないのに現場不在証明を突きつけてくる人間は、彼女だけだった。
他にも容疑者や、犯行が可能な人物はいくらでもいただろうし、トリックはいくつも提示できただろう。
確証と呼べるほど強い証拠はひとつとして無く、どうにでも言い逃れは可能だったはずだ。
「けれど、君は大失敗を犯した。アリバイを、アリバイが必要になる前に強調してしまったこと。他の誰でもない、魔女透海近へ嫌疑を押しつけるため、ぼくへとわざわざ推理を披露したこと。恵留さん、君は罪から逃れるために、罪に囚われてしまったんだ」
「だが……! 証拠は!」
余裕など投げ捨てた彼女が叫ぶ。
そうだ、繰り返しになるが証拠はいまの自供だけ。
そして聞いていたのはぼくだけだ。
このままではなんの価値もない。
たとえ恵留さんが、ぼくらの行う七不思議の在・不在証明を盗み聞きしていた可能性があるとしても、それはなんら犯行に関わるものではないし、告発の意味すらない。
「ただ、もしも、ずっと、すべてが記録されていたとしたら?」
「……え?」
「知ってるかい? 最近の音声レコーダーは精度がよくて、聞けば誰が喋っているか、位置関係までハッキリするんだ」
いいながら、ぼくはポケットからそれを取りだした。
恵留さんの表情が恐怖に歪む。
かつて、とある魔女がぼくを脅すために使った携帯レコーダー。
その後、音楽室の怪を見事解決に導いたもの。
それが、いまぼくの手中にあって。
「再生してみようか? それとも」
ぼくは背後を伺う。
「まだ、職員室はそう遠くない。持っていって、訴えるというのはどうだろう」
「ち――違うんだよ、遼遠くん。これは、その、間違いなんだ!」
ヘラリと、急にこびへつらうような表情を浮かべた彼女が、すり寄ってくる。
ぼくの手を取り、レコーダーへと指を這わせ、隙あらば取り上げようと必死で訴えてくる。
「君を試したんだよ。やはりすごい推理力だ、称賛に値するね。さすが私が見込んだ男の子だとも」
「それが、間違い?」
「いや、いやいや。正しかった。君は圧倒的に正しかった。特別な存在だよ、誰だってそうなりたいと望むはずだからね。物事に答えを提示できる、間違わない、正解を選べる。これはね、超人の資質なんだ!」
「…………」
「だからやっぱり、あの女なんかに遼遠くんはふさわしくないんだ。こうやって知恵を比べられる私こそが、きっと君とつり合うんだからね」
帳尻、天秤、つり合う。
なるほど。
「言いたいことは、それだけ?」
「待ってくれないかな。こんなことお遊び……そう、子どものしたことじゃないか? 誰も怪我なんてしていないし、不幸になった人間もいないし」
怪我なんてしていない?
不幸になった人間がいない?
その言葉を聞いた瞬間、ぼくの中で、ブチリとなにかが切れる音が聞こえた。
激しい痛みも。
まったく、冗談にしては面白くない。
ぼくの親友たる茶太郎は、彼女さんが嫌疑に上がっただけでずいぶんな心痛を受けただろう。
彼女さんだって、無実の罪を着せられて、どんなに辛かったか。
柊子さんとて、一切助言を受けなければ、唆されることがなければ、片思いしているだけで済んだだろう。
青春時代に恋煩いなんてつきものだ。
とんでもなく単純な理由で相手を好きになり、蠅がとまったぐらいの理由で嫌いになる。
そんな一過性の感情だったに違いない。
だというのに、このひとが関与したことで。
多賀恵留が行動したことで、すべては掛け違えられ、明後日の方向へと向かってしまった。
だというのに、傷ついた人間がひとりもいないなんて、お為ごかしも甚だしい。
「少しばかり、看過できないかな」
ゆっくりと口を開いたとき、恵留さんは悲鳴を上げて、腰を抜かした。
ぼた、ぼたた……と、音を立ててしたたり落ちたもので、床が赤く染まる。
それは、ぼくの口腔からあふれ出る、大量の赤い液体で。
「君たちは万全の注意を払ったのかも知れない。けれどぼく如きに露見するようなうっかり屋さんが手配したことだ。もしも間違いが起こっていたらどうなっていたと思う? カッターの刃が混入した卵を誰かが口にしていたら?」
答えは、明瞭だ。
いま零れ出し、したたり落ちる赤色が証明してくれている。
「なん……まさか、遼遠くんも七不思議――」
「簡単なトリックだよ。君がぺちゃくちゃ喋っている間に口の中を噛み切っただけだ」
口内は血管が多い。
瞬く間に血液は溢れ、口腔内部を満たす。
「いいかい、恵留さん。君はこんな目に遭う人物を生み出しそうだったんだ。それを、反省しているかな?」
「もちろん! もちろんしているとも。けれど、遼遠くんは勘違いしている」
なにを?
「すべては七不思議の種を自分でまき、刈りとろうとした魔女――そうだ、透海近、あの女の責任なのだよ!」
すっと。
脳みそが。
冷えた。
「……多賀恵留、それは、ぼくには通用しない」
血液の代わりに。
あるいは激情に代わって。
驚くほど冷たい言の葉が、ぼくの口から、あふれ出した。




