第二話 スピード解決、そして
事件に遭遇したのは、他ならない茶太郎だった。
調理実習で作成したゆで卵、そのすべてで逆転現象が起きたのだ。
本来卵は、白身が外、黄身が内側にある。
けれど、今回の卵は、黄身が外側、白身が内側になっていた。
高校二年生の調理実習でゆで卵とはどういうことだという向きもあるだろうから、一応補足しておくが、ゆで卵は調理段階のひとつでしかない。
本当はそのあと、タルタルソースを作ったり、スコッチエッグを作ったりと幅広く行う予定だったのである。
だが、逆転という異常事態に際し、授業は中断された。
「おかげで茶太郎は腹を空かせたまま部活にのぞむことになってね、たいそう辛い目に遭うはずだった」
「……購買とかに行かなかったの?」
「考えて欲しい。同じように食いはぐれたものがたくさん出たんだ。あのひとのいい茶太郎が、譲らないなんてまねできるわけがない。付け足せば、持ってきていた軽めの弁当すら、クラスメートにわけてしまったんだよ」
「うへぇ、善人」
心底驚いた様子の透海さんだが、
「あれ? でも……」
と首をかしげる。
さすがは透海さんだ。
ぼくはにこりとしながら、こう続ける。
「そう、そんな憐れな茶太郎に愛の手を差し伸べた人物がいた。恋人さんだ。彼女はお弁当をすべて彼に渡したそうだよ」
「サイズは?」
「前回と同じく、鋭いところをついてくるね。君が用意したものよりよほど大きい、男子向けの弁当箱だ」
「…………」
情報を提供すると、彼女は黙り込んだ。
「ハルさん、ひとつだけ確認したいことがあるのだけど」
「ぼくが解る範囲なら、なんでも」
「卵って、いつから逆転していたのかな」
思わず、口角が吊り上がりそうになった。
そうだろうね、君ならば必ずこの矛盾に気が付く。
気が付かないわけがない。
「料理する直前、卵を落として割ってしまった人物がいた。そのとき、卵は白身と黄身で分かれていたそうだ。普通のままにね」
「なら、その人物って、誰?」
「……恋人さんだよ」
「ハルさん」
長く、長い思考の末に。
まるで棋士が長考の末に詰めろを見つけ出したときのような顔で。
彼女は、告げるのだった。
「断言しましょう。この七不思議は、針金ひとつで、解決できます」
§§
「今回に限って、あたしがやるのは推理じゃなくて持ち物チェック。知識のあるなし検定みたいなものだと思って欲しいのだけど」
そんな前置きをされると、ぼくとしても真剣に犯人を当てよう、動機を考えようと言うつもりはなくなってしまう。
あるいはそれこそが、透海さんにとって重要なことで、こちらへ釘を刺しているのかも知れない。
彼女はぼくが頷くのを待って、続きを口にする。
「卵の黄身と白身を逆転させるのは、実は簡単なの」
なんだって?
「そんなに驚かなくても……まず画鋲みたいなものを用意するでしょう?」
「バールのようなものみたいな言い方で……」
「用意する! で、卵のお尻に穴を開ける。そこへ、穴の経より少し細い針金を入れる。大事なのは、先端を曲げておくことね。あとは、かき混ぜる」
「混ぜる?」
「イッツ、シェイク」
楽しそうにハンドルを回すような動作を取る透海さん。
しかし、そんなことをしてしまえば、白身も黄身もぐしゃぐしゃに攪拌され――
「あ」
「さすがはハルさん、理解ある共犯者。そうなのです、白身と黄身では比重が違うのです」
脂質などの比重が重たいもので構成された黄身は、攪拌されれば必然的に外側へと押し出される。
一方で構成要素の多くが水分である白身は、黄身の重たさを突破することができず、内部に留まる。
結果的に起きることは、黄身と白身の逆転現象。
内側に白身が、外側に黄身が集中する。
あとは茹でれば、そのまま固定化されると。
「というわけで、逆転卵自体は知識があれば誰でも作れちゃう。問題は二点」
「ゆで卵の数と、恋人さんが割った卵のことだね」
「あー、ハルさんは会話が下手だけど、こと推理に限っては心地よい合いの手をうってくれるよね……楽、すごい楽……」
しみじみと感慨に耽る彼女。
というか、いま、ぼくのことを会話が下手だとか言ったか?
……いや、これ以上脱線したくないから突っ込みは入れないけど、覚えておくからね、透海さん。
「怖いなぁ、怖いなぁって」
「…………」
「解りました。真面目にやります。今回調理実習をしたのは何クラス?」
「2クラスだね。卵の数は、その倍」
「個人で準備をするとなるとギリギリって感じか。でも、無理じゃない。学校側が用意したものに手をつけることも、教師陣から信頼されていれば可能です」
となると、やはり重要視するべきは証言。
茶太郎の恋人さんが、卵を落として割ったとき、その中身は逆転していなかった。
であるならば、逆転卵は調理中に作られたのだろうか?
「答えは明確に否ね」
そこまでの時間的余裕はなかったはずだと、透海さんは断定する。
たしかに、人の目があるなかでの犯行は不可能だろう。
であるならば、消去法的に、逆転卵は事前に準備されていたことになる。
そして、たまたま一つだけ卵が逆転しておらず。
これをさらにたまたま、恋人さんが手に取り、取り落として割ったと?
「そんな偶然は、あり得るだろうか?」
「ハルさんの懸念はよく解る。だから、いい加減あたしも現実を直視しなくちゃいけないのだけど……その……東雲君って」
やけにまごついた様子で、上目遣いに彼女が訊ねてくる。
そういえば、今日は茶太郎を間違った呼び方にしないんだね、透海さんは。
「解ってって言ってる? だとしたら意地悪が過ぎる」
「睨まないでほしいのだけど」
「えっと」
深呼吸を一つして、彼女は漸く切り出してきた。
「東雲くんって、あの東雲家のご子息よね? このあたりで知らないものはいない、恩恵を受けていないものはいない、東雲グループの御曹司」
じつに回りくどい言い方だ。
口幅ったいにもほどがある。
けれど、答えは肯定だ。
東雲茶太郎は、この辺り一帯をおさめる巨大グループ会社の頂点に立つことが約束された御曹司である。
よって。
「透海さん、君には重大な責任がある。予言を悪用し、茶太郎に恋人を用意したという責任が。これは、あるいはこの街の将来を左右するかも知れない、一大事なわけだけど……大丈夫かい?」
目を閉じ、口を結び、滝のような汗をかく魔女。
できればこれ以上なにも聞きたくない、語りたくないという意思が感じ取れるが、そういうわけにもいかないだろう。
しっかりと、最後まで推理を披露してもらう必要がある。
「つまり、犯人のことだよ、透海さん。結局、誰がこんなことをしでかしたんだい?」
あるいは、誰になら、これだけのことをやってのけるモチベーションが、動機があったのだろうか。
彼女は。
ぼくの共犯者は。
弱り切ったような表情で、こう答えるのだった。
「犯人は、恋人さんです。動機は……調理実習を台無しにして、東雲くんに手作りお弁当を食べさせたかったからです……」
「透海さん」
「……はい、一番最初に顔を合わせたとき、そこまで相談に乗りました……ようするに、この七不思議は、怪異ではなくて人為の仕業です……ゴメンネ……」
燃え尽きたように謝罪する彼女を見て、ぼくはただただ、盛大にため息を吐くのだった。
まったく、今回もこちらを出し抜いて、自分で種をまいて収穫した訳か。
「まって、違う! これは意図してない! 普通に相談を聞いただけ!」
「だとしても、きみはいつか、手痛いしっぺ返しに遭うと思うよ?」
「いやだー!」
もしもこれがコミックだっら黒丸の中で絶叫していただろう彼女はじつに可愛げがあり。
けれど翌日、その可愛さ、愉快さは雲散霧消する。
なぜならば、透海近は本当に因果の応報を受けることになったのだから。
廃棄された逆転ゆで卵の内部から、カッターの刃が、発見されたのである――




