第二話 敵なしの黒猫は七不思議たり得るか?
その猫が現れたのは、おおよそひと月前。
つまり、大型連休が終わった頃だという。
彼には――雄なので便宜上〝彼〟とするが――名前が沢山あった。
出会った生徒、教師、用務員が、各々勝手に呼びかけたからだ。
見た目はなんの変哲もない黒猫である。
ほんの少しでも特徴を見出そうとすれば、やや肉付きがいいことだろうか。
この猫は、目下のところ翠城学園で敵なしとなっていた。
最初に〝彼〟を見つけたのは教師だった。
教師はこれを排除しようとしたが、野良の体力の前に惨敗。さらに翌日ムキになって追い回しているところで転倒し、擦り傷を負っていると〝彼〟が近寄ってきて傷をなめたことで陥落を余儀なくされる。
次に生徒達だが、初手で籠絡され、〝彼〟を追い払うことすらせず、率先して餌を与えていた。
最後に駆り出された用務員だったが、これもまた、猫の物言わぬ可愛さの前に泣き崩れる始末だったという。
いまでは生徒どころか、大人たちからこそ人気の高い、一種のマスコット的な人気を集めており、たびたび人生に疲れ切ったような教育者達が、〝彼〟に愚痴を聞かせている光景が目撃されている。
また、〝彼〟はカメラを向けても逃げないため、学園内でその画像を集める、一種のトレーディングゲームが流行しており、社交性を第一とするぼくも、これに参加しているため、携帯端末のフォルダーが〝彼〟の画像で埋まっていると、そういう始末なのだった。
「先生たちもたいへんだね」
おおよその説明を聞き終えて、透海さんは一切感慨深さなどなさそうな表情でそう呟いた。
体勢は悪化しており、ソファに腹ばいになっている。
足だけをパタパタとやっているので、ときおり膝より上の肌、その白さがちらついて目の毒だった。
そんなぼくの思考など知るよしもなく、或いは知っていても変わることなく、彼女は続ける。
「大学を出て、社会経験を積む暇もなく学校という閉鎖空間に投げ入れられて、年齢のギャップがある学生の難しさと向き合うなんて、あたしは絶対に選びたくない。教員なんてまっぴら御免」
「そうかな。意義のある仕事だよ。学府がしっかりしていないと、国力が下がるからね」
「いまのやりとり、すっごく無責任な言論を展開する学生ぽくって、よかった」
なかなか不名誉な褒め言葉をありがとう。
だが、モラトリアムにあるぼくたちぐらい、放言はゆるされてしかるべきだろう。
大人になれば、そんな無責任はむしろ、断罪される側になるのだから。
それこそ教師など、言葉のミスひとつで便宜上の自主都合退職もあり得るのだから。
「ねぇ、ハルさん。ハルさんは、大人ってなんだと思う?」
「自立して、自ら考え、責任を負うもの。忠犬とは真逆の生き物だよ」
「そっか。なら、安心だね」
なにがだい?
「ハルさんは、まだまだ大人じゃないってこと」
クスリと笑う彼女。
僅かに見え隠れする悪徳の気配。
ぼくが答えるよりも早く、彼女は次の言葉を口にする。
「ところで、その黒猫ちゃん、七不思議だったりしない?」
……ああ、なるほど。
これは悪徳ではない。
ぼくという共犯者への、罪の誘いだ。
「どうかな。もともと黒猫に七不思議になるような要素は少ないんだ」
「嘘。目の前を横切ったら不幸になるとかいうじゃない」
「あれは誤解だよ。もとは、黒猫が現れたら幸運が訪れるという外国の逸話を、猫が去ったら幸も失われるとこの国の人間が曲解したんだ」
「また諸説あるような話を堂々と……でも、魔女の使い魔といえば黒猫でしょ?」
などと、魔女本人が言う。
たしかにイメージとして、黒い生き物が魔女の側に侍ることは定着している。
「けれど透海さん。外国では猫のイメージアップ政策が積極的に採られていて、ネズミの駆除をする生き物、つまり益獣として扱われているんだ。本当は怠惰でも、働き者のイメージをつけられているぐらいには愛されているんだよ」
「……マジ?」
「誓って本当だよ」
ぼくは真顔で頷き――半分ほどは口から出任せだったが、残りは客観的な事実だ――ずっと続けていた本の貸し出しの手続きなどを端末で終える。
「というわけで、今回は企みごとを諦めて欲しい。ぼくも毎回、歩調を合わせられるわけではないしね。それよりも魔女殿、ほかになにか、必要な資料があるかな? 物理書籍なら、取りに行かなきゃいけないんだ」
「データベース化されていないのがあった?」
もう一度首肯するぼく。
アーカイブ化が徹底されている我が学園では、蔵書の管理もまた電子化されている。
書名や作者、編者の名前や出版社から、検索ワードを絞ればどこの書架におさめられているかはすぐに解るのだ。
けれど、取りに行くのは学生の仕事である。
図書委員は受付と管理で忙しいのだから、よほど解らないときだけの利用にする、というのが暗黙のルールなのだった。
「学園っていつもそう。明文化されていないルールばっかり」
「社会はそういうものだって、集団生活の過程で学ぶ場所が学校だからね」
「軋轢も?」
「ままならないことのなにもかもを」
「それって、不条理だね。七不思議にもある?」
「あるね。第一の七不思議が現れたとき、同時に第七の七不思議も、学園のどこかで産声を上げる……とか」
「……うんざり」
ため息を吐いた彼女が、
「読みたい本があるの。探しに行きましょう」
気を取り直して、重たい腰を上げたときだった。
図書室に、絹を裂くような悲鳴が響いた。
ぼくと彼女は顔を見合わせ、急ぎ足に、悲鳴が聞こえた方へと急ぐ。
こうして、第四の七不思議は幕を開けた。
『読むと死ぬほど怖い本』。
けれど、犠牲者は、既に出てしまっていて――




