第一話 図書室と猫と人の心がわからない共犯者
透海さんとぼくは、いま放課後の図書室にいた。
前回の七不思議が不在とされたことで、透海近の移動範囲が、放課後の学内全体へと拡大されたからだ。
どこか浮かれた様子の透海さんをレクリエーションルームに残して。
図書室の貸し出しを一手に担う端末を借り受けるため、受付の司書さんの元へと、ぼくは向かう。
手続きは簡単。
学生書をみせ、そこに刻印された電子データをスキャンするだけでいい。
端末を用意して貰っている間に、何気なく司書室の内部を覗くが、別段面白みのあるものはなかった。
強いて言うならば、飲食禁止であるにもかかわらず、スルメと煮干し、ツナ缶が置かれていたことだが……なにかストレスが溜まっているのだろう、見なかったことにする。
……そう、積み重ねだ。
こうやって見て見ぬふりを続けることで、学園は特殊な力場を形成するのだろう。
不都合を都合よく許容する場。
翠城学園全体で七不思議が生まれたように、図書室でも独自のルールが幅を利かせている、そう考えるべきなのかも知れない。
そんなことを考えているうちに、無事端末を借り受けることが出来たので、透海さんのもとへ戻る。
そこでぼくは、大いに呆れることになった。
「……なにをしているんだい?」
「なにもしていないをしているの」
どこぞの蜂蜜大好き熊さんのようなことを言いながら、ソファにぐったりともたれ掛かっている透海さん。
ただでさえ短いスカートが乱れて捲れ、白い太ももまでもがあらわになっている。
この数分の間に、いったいなにがあったのかと思い、悟る。
先日まで、空き教室から出ることすら叶わなかった魔女。
それが自由を手にすれば、空を思うさまに飛べるだろうか?
否。
籠の鳥が長い期間の拘束で生きる術を失うように、彼女も疲れはてているとしたら?
珍しく、仏心のようなものが芽生えたぼくは、殊更明るく、図書室の説明をはじめた。
「ところで知っているかい透海さん。翠城の図書室は、物理書籍の蔵書ばかりじゃない。じつは、電子化の方が進んでいるんだ」
「電子化?」
やや顔を上向きにする少女。
興味は持ってくれているようなので、詳細を語っていく。
「過去の授業映像アーカイブや、電子化した書籍、教科書、専門書、レクリエーションのために導入されたボードゲーム、資料、名簿……これまで司書さんと図書委員会が整備してきた多くの知識に触れる機会が、全生徒に与えられている」
もちろん、実体がある本も、随時学生の要望に応えて入れ替えられていた。
これには文芸部の意見も取り入れられており、極めて玄人好みの逸品から、入門者向けまで幅広いラインナップが揃っているらしい。
文芸部自体も会報を蔵書として保管していたりと、学校自体が文化の啓蒙に乗り気だ。
どうだろう、これぞ学びの園、という感じがしないかい?
「あたしはその恩恵を受けられないし……」
確かに、いかに権限が拡張されたとはいえ、七不思議そのものである透海さんには、貸し出し用のデバイスが扱えない。
なにせ反応しないのだから。
「だからこそのぼく、共犯者だ」
「……頼っていいってこと?」
「もちろん」
胸を叩いてみせると、漸く彼女がこちらを向いた。
その瞳に、ほんのちいさな、けれど消えることのない輝きが灯っていることに気づく。
零れ出しそうになった笑みを、ゆっくりと胸中に押し込んで、ぼくは彼女に貸与している端末を――つまりぼくの端末だ――経由して、図書室のアーカイブを参照できるように手配した。
その折だった。
「あら、猫ちゃん」
ぼくの端末を横から覗いていた透海さんが、不思議そうな声を上げる。
待ち受けにしていた一匹の猫の画像を見て取った彼女は、「他にはないの?」と訊ねてくる。
ぼくは一考し、大量の猫画像ストレージを解放した。
「おー」
「ふふふ。じつは、ぼくはたいへんな猫好きでね。とある事情もあって、この通り画像を集めているんだ」
いや、本当いいよね、猫。
自由奔放でいて、こちらがどうしたら喜ぶか弁えている。
その察しのよさが、ぼくを狂わせる。
「…………」
「なにか言いたそうな顔をしているね、透海さん」
「ハルさんは、その……猫なで声とか、出すの……?」
「……出す」
「…………」
筆舌しがたい表情になり、身もだえする魔女。
なにがそこまで受け容れられないのか。
「だって、ハルさんゼッタイ犬派だと思ってから」
「犬は茶太郎だろう」
「確かに彼は大型犬だけど、そうじゃなくて。ほら、春町遼遠はイメージ的に忠犬キャラでしょう?」
起き上がり、こてんと首をかしげてそんなことを仰る彼女。
いまいちピンとこないが、感じる部分はあったためによくよく考えてみる。
「なるほど。他者にすべての責任を預けることで、パフォーマンスを最大限に発揮するタイプの責任委託主義者が自分だと言われれば納得するよ。己の腹を詰めなくていい、いっしょに破滅してくれる相手がいるというのは、じつに気楽だ」
「じゃあ、あたしは?」
「君?」
「だって、共犯者でしょ、あたしたち」
共犯者。
前回の一件でなあなあになってしまったが、ぼくは彼女に対して、関係の是正を求めていた。
なにも、出し抜くなと言っているのでも、共犯をやめようというのでもない。
ただ、もう少しだけお互いを信用しようというものだ。
透海近は、おそらくこちらの言い分を理解してくれている。
だが、もしまた彼女の謀略で、ありもしない七不思議が産み出されたのなら、そのときぼくは――
「……安心して欲しい、透海さん」
半歩、彼女へと歩み寄り、ソファへ寝転ぶ魔女の横に片膝をつき、最大限の誠実さを持ってその瞳を覗き込む。
ひとは視線を合わせられると、相手が本当のことを言っているように感じるという当たり前の交渉手法だ。
なぜか彼女が「う」と息を呑んだが、気にしない。
汗ばみ、肌が上気しているようにも見えるけれど、やはり気にしない。
「ぼくはね」
「う、うん」
「ちゃんと責任だけを相手に押しつけて、生き延びるタイプだから」
「――は?」
いや、だから。
「いっしょに破滅する、というところが引っかかったんだね? 確かに共犯者として、共倒れを狙われるのは大いに不利益だ。けれど、ぼくはこれで社交的で、外面がよく、外交が上手い。どんな手段を使っても生き延びて――」
「バカー!」
思いっきり押しのけられた。
尻餅をついてきょとんとなる。
情けない顔をして、目元に涙を浮かべた彼女がこちらを睨んでいて。
えっと?
「はぁ……はいはい、あたしが悪うございました。そうだよねぇ、ハルさんに心の機微なんて解らないよねぇ……」
そうだね、ぼくに人の心はわからない。
自分のことでさえよく解らない。
けど、わからないついでにひとつ。
どうしてこんな、茶化すような真似を、ぼくはしたのだろうか?
「あるいは似ていたからかな」
「……なにが?」
「それは」
猫と、君が。
鍛え上げられた肉体のしなやかさが、小型の肉食獣を想起させて。
……なんて言葉を飲み込む程度の機能は、さすがにぼくにもあった。
そうしてまごついていると、透海さんは大きくため息を吐く。
「いい、わかった。ハルさんだもんね。仕切り直しましょう。それで、なんでそんなに、猫の写真をいっぱい持ってるの?」
「ああ、これはね」
なにか、自白を迫られた犯人が、たまさか難を逃れたような気分で安堵しつつ。
ぼくは、画像の被写体について語ることにした。
「いま、学園を支配している、御猫様なんだよ」




