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名を問うモノ

作者: 御影

 するっと手の中のスマホが滑り落ちそうになる感覚にハッと覚醒した沙穂子は、反射的に握り締めたスマホの感触に安堵した。が、すぐに慌てて車窓の外を見やった。

 時刻はもう22時すぎ、外は真っ暗だが全身に伝わる振動に、乗車している電車はまだ止まる気配はない。

 とはいえ、目的の駅を通過していたのでは大問題だ。せっかく繁忙期のわりには終電より数本も前の電車に乗れたって、折り返す羽目になったら意味がない。

 こういうときに限って古いタイプの車両で、現在位置を示すパネルがない。運良く座れた座席には少しばかりの未練はあったが、駅名を確認する方が大事だ。

 沙穂子はそう判断すると、手荷物を確認して扉へと向かった。

 時間的に酔客が多く、まあまあ込んでいる車内を進んで扉前に到達した瞬間、急ブレーキが足元を揺らしたため、思わず扉へ伸ばした沙穂子の手が空を切る。

「―― え?」

 完全にバランスを崩してたたらを踏んだ彼女の体はそのまま外に放り出され ―― ホームに難なく着地していた。

「は? あ、え?」

 状況が飲み込めずフリーズする沙穂子の背後で無情にも扉は閉まり、電車は即座に発車した。

 まるであらかじめそう仕組んでいたかのごとく速やかに。

 そして呆気に取られる彼女をよそに、電車はあっという間に暗闇へと消えていった。

「ちょっとーッ!?」

 電車の行き方を振り返った沙穂子の目に、ホームの一番遠くの照明が、ぱつん、と消える光景が映った。

「え?」

 視線の先は灯りのある箇所以外完全な暗闇で、いくら目が慣れていないとはいえ呑み込まれそうだ。自分の想像にぞくり、と身を震わせると同時に、また照明がひとつ、ぱつん、と消える。

「…ッ!」

 息を飲み、思わず左右を見回すが、街灯はおろか、反対側にあるはずのホームすら闇に閉ざされているのに気づいた沙穂子は、思わずきびすを返した。その背後で、照明がまたひとつ消え、暗闇が迫る。

「いっ、いやっ!」

 耐え切れず、駆け出す沙穂子。

 走ったところでホームの長さなどたかが知れているのは判っているが、その場にじっとしてなどはいられなかった。出口は、と視線を走らせる。

 が、そこにいた存在に、数歩でたたらを踏む。

 沙穂子は、前方に佇むソレ・・に絶叫し、そして遂に気絶してしまったのだった。


 首に鈍痛を覚えて意識を取り戻した沙穂子は、自分が固いベンチにずり落ちそうな姿勢で座っている事に気づいて体を起こした。妙な格好で寝ていたから首が痛くなったのか、と納得して周囲に目をやれば、頭上の照明ひとつ分だけポツンと暗闇に取り残された殺風景なホームだった。冷静に考えれば、例えホームの照明がすべて落ちたとしても、駅の外にはマンションの一つや二つは建っている。そこからの灯りだって見えるはずだ。それなのに、この古ぼけた照明の下以外のものは何も見えない。

〝夢じゃなかった …〟

 電車やバスでうっかり寝てしまった時と同様の首の痛みに、もしかしてと薄く期待してしまっていただけに、恐怖がこみ上げる。

 それは、気絶直前に見たモノ・・

 緑の細く硬そうな複数の節足、聞きたくもないのに入ってくるキチ、キチ、という小さな、何かがこすれ合う音、ゆらゆらと揺れる長い触角。

 バッタだ。

 気絶する直前に見た姿が正しければ、反対側のベンチに座っているのは、沙穂子より背の高いバッタだ。それも、変身する方のバッタじゃなくて、顔がシュッと長いバッタだ。その

バカでかくてあの時何故か直立していたヤツが今、横に座っている。

 それも、中の人がいるような姿勢で。

 でも、記憶が正しければ、一切のデフォルメもないリアルな造形だったから、なんだか違和感が酷い。

 そんな異形の存在が、数席隣のベンチに静かに座っている。

 まるで、何かの芝居の舞台のような異様なシチュエーションだ。一体何の冗談だ、と沙穂子は涙目になりながら少しでもバッタから離れようと半ば無意識に身をよじり、仕事カバンから聞こえたガサリという音にバッタがくるりとこちらを向いた事に震え上がった。

「―― … レ、… ニ」

 沙穂子は、かすかに軋むような音に耳をそばだてると、再び聞こえたそれにバッタが発したものと気づいた。

「ナ、ニ? シラナイ、オト」

「え、うそ。話せるの?」

 こくり、と頷いた(頷けるの!?)バッタは、キチキチという口吻音の間にまた問いかけてきた。

「ソレ、キイタコト、ナイ。ナン、ノ、オト?」

「音?」

と訊き返しつつ身じろぐと、またカバンからガサガサと沙穂子にとっては聞き慣れた音がした。そして、直後に「ソレ!」とバッタに突っ込まれてようやく問いかけの忌みを察した。

「営業回り中に買ったんだけど …」

と取り出したのは小さなレジ袋だ。店前を通りかかった時に匂いに釣られたのだ。中身は今川焼き。昼食代わりになるかと言い訳しつつ2個買ったが、結局食べ損ねて、このまま自宅で食べようと思っていたもの。

「ガサガサ、ナニ? フクロ?」

「あ、うん。レジ袋 …」

 とっくに冷めているが、口を開いたためか、レジ袋を開いた途端にふわんと甘い匂いが鼻腔をくすぐった。反射的に腹の虫が抗議すると、沙穂子は知らず、袋に手を突っ込んでいた。

〝なんか、疲れた …〟

 仕事疲れの上に驚きすぎて気も疲れた。疲れた時は甘いものだ、と食べようとして ―― 。

「―― 食べる?」

 突き刺さるような視線を感じて隣を見れば、バッタが自分の手元を凝視している。これは嫌でも意は通じた。

 こく、こく、と頷くバッタに震える手で今川焼きを差し出せば、バッタは静かな手つきでそっと受け取った。

 身体構造的に目で観察する事はかなわないため、バッタは一番上の両腕で妙に大事そうに今川焼きを持つと、ちょっと小首を傾げてからついばむようにかじった。途端、触覚がぴるぴると震え、間を置かずに2口、3口と齧りつく。

 沙穂子は、一所懸命今川焼きを齧るバッタに段々恐怖心が薄らいでくるのを感じながら、自分も今川焼きを齧った。

 ふわり、と優しい甘さが口内に広がる。今は小豆の餡以外にも白餡やカスタード、季節物などの餡があるが、沙穂子は小豆餡一択だ。ほんわりと空腹や疲れ、強張りが溶けていく。

 1人と1匹はしばし黙って今川焼きを齧った。

「ねえ、ここ、どこ?」

 半分ほど齧った後、沙穂子は手元を見つめながらバッタに問いかけた。答えが返ってくるとは思っていなかったが、一拍置いて

「エキ」

と返ってきた。

〝それは判っているっての〟

 見渡しても駅名はどこにも見当たらない。真っ暗で、人気ひとけがなくて、巨大なバッタがいる、異常な場所。

「―― ッ! まさかきさらぎ駅!?」

 詳細は知らずともホラーで有名な『きさらぎ駅』なら、もしかしてこの後死ぬって事!?

 と、思わず立ち上がった沙穂子に顔を向けたバッタは、こてん、と首を傾げた。

「キサラギ、チガウ。ココ、ヤヨイ」

「や、やよい …?」

 呆然と問い返し、名称の意味に気づいた沙穂子は絶叫した。

「まさかの乗り越しーッ!?」

「ノリ … コシ?」

 バッタは反対側にこてりと首を傾げた。


 かくん、と船を漕いだ拍子に目を覚ました沙穂子は、ぼんやりと周囲を確認し、次いで流れてきたアナウンスに自分の降りる駅を知る。

〝あれ? 私、いつ座ったっけ?〟

 一瞬、記憶の齟齬そごに眉根を寄せたが、それも電車が駅に着いた事で霧散した。急いで立ち上がり、扉に向かう。明日は休みだ、ゆっくり寝よう。

 そう考えながら、沙穂子はいつもの駅に降りたのだった。


 ショリショリショリ、と沙穂子と書かれた小さな紙片を咀嚼して飲み込んだバッタは、それを飲み込んだ後、

「キオク、マズイ」

と呟いた。

 もう周囲は全て漆黒の闇に閉ざされている。

 動くものもなく音もなく、バッタもまた闇に消えていく。

 そして何もなくなった空間に、ポツリと言葉が落ちる。


 ―― イマガワ、タベタイ



                           <FIN>

色んな名称がある定番のオヤツですが、筆者の住む博多では蜂楽饅頭ですw

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