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沈澱した日常1

 それから数十分、俺は同じ姿勢のまま留まり続けていた。なぜか今日だけは風が痛かった。


「……」


 普段運動をしないせいか、筋肉は疲れてしまい握る力は緩められた。ポタリと拳に垂直に落ちる悔し涙は止まっていた。だけど、胸の辺りにある感情の渦潮は、勢い増すばかり。

 螺旋(らせん)のように渦巻いて、解き放たれることはなく俺の体内に留まり続ける。ただ出てきた物は、流れ落ちる水滴のみ。


アイツ(藤宮)が怖い……」


 今更ながらに思うことは、いつの間にか取り繕っていた俺の壁が消え去ってしまった恐怖。藤宮によって城壁が崩れ去ってしまった。いとも簡単にどうしようもないほど容易に……ふと前方にあった砂場が目に映る。かすかに記憶に残る砂の城、それが蹴飛ばされるような感覚だった。


 周りの風景は暗くはない、けれど視界が妙に薄暗く感じる。視界は夕暮れ時ほどの薄気味悪く薄い赤色と、砂と砂利のモノトーンに染まっているようだった。

 おかしな目をこするついでに弱めた拳を開いてみる。4つの爪の跡と、まだ赤らんでいる皮膚が見え手汗が星屑のように輝いているようも思えた。なぜか汚く見えたそれを太ももで拭うと、下半身だけはまだ筋肉が張り続けていることが確認できた。


 ブルルル


 ズボンに入れたままのスマホからバイブレーション。脈拍とは違う、断続的なリズムは一定でない振動が太ももに伝わった。ちょうど太ももに置いていた右手でスマホを引っ張り出すと、表示されている時刻17時40分の下に『鹿取琉衣(かとりるい)』という奇怪(きかい)にも思える文字の羅列が見えた。


『鹿取琉衣さんから友達申請が届きました。さっそく確認しましょう!』


 ただの文字、そう思い込めればよかったのに今はどうしようもなく苛立ちが沸き立っている。見慣れたはずの機械のテキストだった。だったのにゴポゴポと、液体の対流が底の方から上へと沸き立っているんだ。


「……」


 そのメッセージを無視して、俺はまた画面を元通り暗くさせていた。でもそのおかげなのか藤宮(ふじみや)以外への感情が出て、少しだけ動き出せる気力が湧いてきた。もう一度スマホを付けると20分ほど経過していたみたいだった。

 やっとの思いで立ち上がると、急な動作だったからかちょっとした立ち眩みを起こしてしまった。眉間辺りを親指で押さえつけ視界が安定するまで待つ。半眼で薄開き続けていた光景はモノクロでなく、砂の灰がかった色がうっすらと見て取れた。


「土曜日、も、別にいいか……勇気を出す方が馬鹿だったんだ」


 ゆっくりと、のたのたとずり足のまま家へと歩き出した。この公園に来たときよりも少ない数、小さい這いずった足音だった。

 ザザッザザッ。なぜか1人分とは思えない足音が下から聞こえてくる。音が小さすぎて存在しない1人以下に思えてしまった。


「日曜日……根原さん」


 今あるすべての予定が腹立たしかった。俺が決めたこと、約束しようとしたこと、それらがどうしようもなく意味のない無生産行為に思えてしまったんだ。その予定が藤宮にぐちゃぐちゃにされたくない……しなかった出来なかった、そんな未定の存在としてキレイに昇華したい。

 すみません根原さん、日曜日キャンセルでお願いします……手がかじかんでた訳ではなかった。それなのにタップも、フリックも文字を上手く打ち込めなかった。前の感覚のように心臓はバクバクしていないけれど、風に揺られる葉のように手が指が振動を辞めなかった。家に帰ってから送ればいいか……


「……あ、夏野くん。夏野くんも勉強帰りだった?」


「か、鹿取さん……ぁまあそんなところです」


 引きずった足でちょうど公園から出た矢先、鹿取さんが目の前にいた。背負い続けていた俺のリュックサックとは違って、地味なスクールバッグを肩にかけ参考書のようなものを手に持っているようだった。


「……鹿取さんは図書館で勉強してたんですか」


 隠れて見ていたときは友達数人と囲って楽しそうに勉強していた記憶があった。だがあのときと違って、あまり晴れた表情には見えなかった。そもそもが太陽もそこまで高く上がっていなく、周りが暗いせいでもあるかも知れないけれど。


「うん、でもね、その……一緒に勉強してた友達と喧嘩しちゃってね」


 あの人達か……まだ記憶に新しいシルエットが残っている。あのときは仲が良さそうに思えたのに、何かがあったとは思う……聞ける勇気はないけど、察することはある。絶対に藤宮が絡んでいるはずだ。


「そうですか」


「あはは……なんか返事が冷めているね、聞いて欲しい話じゃないけどね……」


 俺にとって全部どうでもいい話だった。だからこそ、悲しそうな子にその事情を問いかけることが出来なかった。俺に話しかけてきたときは上の方に持っていた参考書は、会話していく内にだんだんと腰の辺りまで下がっていたみたいだ。それはまるで気持ちの下降具合を表しているようだった。


「じゃあ、さようなら……」


 特に言いたいこともなかったので、居心地悪い空間そのままに家路に着くことにした。


「え、あ、うんまたね」


 やけに戸惑った声を出す彼女はぎこちない様子で手を振るのが横目に見えた。返答することなく俺は彼女に背を向け、ずり足にならないように今度こそしっかりと歩きだしていく。ジリジリと歩く音を出せば面倒なことを聞かれるのは分かっている。

 ……テクテクとしっかりと足を上げて歩いているが、なぜか二重音に聞こえる音。俺のちょっと後ろからそのもう1つの音は聞こえていた。


「……」


 振り返ると……ああそうだ、鹿取さんもこの道で帰るんだったな。後ろを見たことで視線がかち合った俺達は、また明後日の方向へと目を移していた。昔は仲が良かった、という関係性がより気まずさを演出しているみたいだ。


「その……夏野くん」


 目は合わすことなかった。その状態で鹿取さんは独り言のように何かを呟く。


「大丈夫?」


 その声はやけに透き通っていた。


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