日常への侵食3
「……」
「それでねー、はましたちゃんが友達になってくださいって言ってきたんだよねー」
それなりに整備された歩道を少しアンバランスな2人は歩いていた。藤宮は生返事しかしない俺をよそに、1人でペラペラと変な情報ばかり話しておりよく顎が疲れないものだと思う。
「でも私のグループってさ正直もう飽和……? 今日の科学でも出てたけど入る隙がないじゃん、仕方ないから遊んであげているんだー」
車道側を歩く彼女は向かいから来る人を寄せ付けない力を持っているのか、前方の人通りは全くない。ローファーの音なのか、カツカツと少しだけ俺より硬い音を出していて彼女の存在感が強く出ていた。
「その呼び方……」
汚れた僻地に足を踏み入れる行為は決して容易くない。そのぬかるみは泥。捉えられたら俺ごと、全てもの日常が変えられてしまう、が今日だけは何故か口が先に動いていた。
「んー? あーあだ名ね。似合ってないー?」
「いや……」
俺のスニーカーと対照的に、少し耳障りにも聞こえるローファーの足音は大きい。たくさんの人が歩いただろうコンクリートから、どうにも心臓に悪い音が下方から聞こえるんだ。
薄れた白線上を綱渡りのように行く彼女、コンクリートに刻まれたラインはきっちり真っ直ぐに引かれている。ただ薄れているそれはところどころで途切れている。コンクリートの破片も散らばっていた。
「そっかー」
根原さんの声とは違う、ハイトーンな聞こえ方。テノール?バス?オクターブ?呼び方は一切分からないけど、昔からその高い響く声で合唱のときに存在感を発揮していた藤宮を急に思い出した。何ひとつ思い入れのなかった中学生活、その終わりの合唱で俺は口パク……すらせず棒立ちしていた。刺す在校生の目、ピアノを習っている人が弾く旋律、横から圧を感じる青春の声。それらが俺にとって高すぎた理想郷だった。弾けるピアノも、誰ひとりと同級生に喋ったことはない。
「到着しました」
いつもより自分の声が低く聞こえる言い聞かせるように唱えた言葉。藤宮に対して言っているつもりじゃない、自分を落ち着かせるために深呼吸のように唱えた。ザッザッと砂を踏む音が足元から鳴る。右隣の彼女からは、ジャリッと踏み潰すような足音が新調したかのごとく綺麗なローファーを通して鳴っている。
「そうだねー、久しぶりじゃない? この公園に来るのー」
視線を少し上げた先には、季節はとうに過ぎたはずの桜色に染まった頬。ぽつりと朱らんだ頬は、白い肌と茶色い眼をハイライトとして見えてしまいまばゆい色になっていた。この公園からも見えた秋の景色のように、赤い色と黄色がかった茶色が藤宮に投影して見えている。
でも白い肌……あれは何の記憶だったんだろう。ああそうだ、自分の手だった。公園に佇む
ベンチに向かいつつ、太陽の方に手を置いてみると逆光がまた過去を呼び覚ましてきた。
(白くて学校にもあんまり来ないよなお前。ユーレイじゃねえの本当は?)
(あ? 普通だって……じゃあそこで逆上がりでもしてこいよ。そしたら認めてやるよ)
太陽に向けた手を裏返すと、青白い血管の見える手掌が太陽を背に映される。認められようとして、自分の肉を削った傷跡はもう今は見えていない。じゅくじゅくと流れた血液と、砂が混じって少し痛かった。もっと痛かったのはその失敗を誰も気にしていなかったこと。お父さんだけは、優しく絆創膏を付けてくれて、微笑みながら頭を撫でてくれた。
小学校低学年くらいだったかな? 腕に注射ばかり刺されて学校にもほぼ行けなかったあの時期は……病気の名前は長すぎて覚えていない。寛解したと思ったら、今度は人間関係のもつれなんて笑えてくる。
「夏野くんー? どうしたのー急に手を見つめ出してー」
「……別に何でもないですよ」
病気が治ったときの小学生時代、事前に先生から教えて貰った席には元気なさげな花、そして寄せ書きもどきが置かれていた。周囲のクラスメイトと比べるといささか細すぎる手で取ると、『治ってよかったね。藤宮花奏より』と大きく書かれた中央文字。その周りにも数名が書いていたけど、そちらの方の記憶は薄い。
その時点から俺は藤宮から玩具として見られていたんだろう。俺を気遣っていると思われていた寄せ書きも、数週間後に行われる告白の布石だったんだ。俺はその右手を、手のひらを見つめるのを辞めてベンチに座る。
「さてと、どーして私をここに呼び出したのかなー? まーさーか、2度目の告白ー?」
「違います」
そう、この公園は俺が小学生のとき嘘の告白をされたんだ。小学生、中学生の2回とも同一の場所で。小学生の頃はこの藤宮、中学生のときに今は名前も知らない先輩、あとは……まだ記憶に新しい告白もあったな、あれは学校の出来事だったけど。
「うえ? あ、藤宮じゃーん。こんなところでどうしたの?」
「花奏ち~、今日はいつもの有象無象いないね~」
同年代と思わしき女子が2名こちらに向かってきている。私服のような姿とサブカル系な赤髪と青髪の人、コスプレのようなアニメ系な服装。その様子はそのままアニメから飛び出したかのようだった。
それにしてもタイミングが良くない。俺が言おうとしていた『噂を消してくれ』は、またしても胃の中へ戻された。
「えー? 私はねー、ちょっとこの子とお話があってねー」
そう俺に小さく指を傾けて彼女らに説明する藤宮。その視線誘導で、2つの目たちが俺に向き全身をくまなく観察された感触が通った。それは好奇心と懐疑心が澱んだ目。
「あ、あれじゃん。こっちでも話題になってるよ、藤宮の彼氏だって」
「うい〜隠し通せなかったな〜残念、夏野くん〜」
赤青の順で声が聞こえる。どっちも揶揄っているような態度だけど、その対象は俺というより横にいる彼女に当てられていた。変なモノがウイルスみたく広く広がっていく、ズキズキと突く痛みも広がっている。
「──」
「──? ──」
3人は何か話していた。でも聞き取れない。隣の間近に聞くための耳が存在するはずなのに、ただ1つの単語もわからなかった。ザーザー、壊れたスピーカーの雑音だった。
何分経ったかわからない、けど2人はどこかへ去っていった。残ったベンチに居座る俺たちは、先ほどの熱気はどこへ行ったのか沈んだ空気があった。
「んーと、で呼び出した理由は何かなー?」
「……あ、はい」
……言い出そうとしていたこと、もう言い出せる勇気がなくなっていた。怖かった、諦めたい、言いたくない、嫌われたくない。俺じゃ対抗できないんだ。
「……テスト頑張ってください」
手も食いしばって、歯も食いしばって言った。彼女に表情を悟られないようにうつむいた目からは、ぷるぷると情けなく震える俺の2つの拳が脆く揺れる。
「へえー、ま、もちろん頑張るよー。じゃあねっナツくんー」
固いローファーの音が遠くへと伸びて行った。太ももの上に置かれた拳になにか水滴が垂れ、ツゥと流れ制服に吸収される……情けない情けない俺の目から出てきた物だった。
「うっっぐ、言えよ……言えよ! 関わりたくないって言えよ」
そのまま普段の授業態度のようにうつむいて、喉元を閉めて叫んでいた。うずくまっている場合じゃないのに、一歩踏み出せない自分へのいらだちが止まらなかった。




