藤宮2
藤宮の方は既読だけ付けて、特に返す言葉も見つからなかったので置き去りにした。置き去りにするしか方法がなかった。
アイツの言うナツくんは、ただの知らずの揶揄いなのか、知っての脅しなのか。それらを考えるために脳の領域を割いて、何も言わないという方法しか取れなかった。
『おーいナツく~ん、既読スルーは酷くない?』
文字だけなのに横から声が聞こえてきた気がした。俺からの発言が一切ないこのトーク、彼女のメーッセージに何ひとつ言い返せない俺がそこに見えた。
『その決まりが悪くなったらだんまりになるの良くないよー? せっかく私のRine手に入ったのにー』
この奇妙にも男へ媚びるような、女には下手に出るような語尾。初めて知ったけど口から発せられる声より、液晶越しに見るほうが苛立つ感情を抑え込むことが出来ずにいる。視界の左下に映る割れは、本当に自身の目が割れるほどの物だったのかと考えるほどだった。
『藤宮さんよろしくお願いします』
『固いなあ。前のカラオケのときはノリノリだったのにいー』
どうもこの相手は、人の心をえぐる趣味を持っているみたいだ。眠りかけていた過去を乱暴に引っ張り出してきて、それを目の前に差し出されるような屈辱と病める刺激を呼び覚ます。心を落ち着かせるために目をつむり、肺に溜まった悪い空気を吐き出す。
「……」
そのときの時間はスローモーション、騒ぐ声も緩やかに飛び教室は消灯されずとも真っ暗に見える。俺以外がベールに包まれた曖昧な物に変わっていく。
でも、それも長くは続いてくれなかった。
(おいみんな! 俺こいつの隣だぜ、最悪だよ!)
(喋らん上におもんない……おまけに最低のゴミクズ野郎! 俺より不幸なやつこの世におるん?)
国語教師が退室する前、根原さんのすぐ後ろからの声と連動して思い出させた。同一人物じゃない、全く別の人間のはずだと思う。これは多分、去年の出来事だった……交友を深めようとしない俺と隣になった男子が言っていた。
男子が女子より1人多い偶数のクラス。サルのような印象の男は隣が俺と判明した瞬間、ギャーギャーとうるさく騒いだ。あのときの教室中の笑いをかっさらっていったんだ。
(ええー? 佐渡くん、それって証拠あるの? 最低のゴミクズ野郎ってー)
要らない記憶だ。手の甲をつねって強制的に意識を戻らせていた、それは自分でも認識していない無意識的レベル。嫌に白っぽい肌に赤い跡と、2つで対になるように付いた爪痕が印されている。幼い頃からの癖からか、親指の付け根にははしたない傷跡がよく見れば分かった。
キーンコーン。意識と途中から蘇らせたせいで、終わりの鐘の音が中途半端なまま耳に入ってきた。鳴り終わったと同時に、教室中の椅子をギィと引く音押す音が響き渡る。皮膚をつねらなくても数分待っておけば大丈夫だったかもな、と青い血管浮く左手が持つスマホは、親指の付け根と似たようなクモの巣状の跡が残り続けていた。
「ねーねーナツくん。なんで無視するのー?」
未だに痛む親指の付け根を隠し、俺は移動教室のため第2理科室へと1人で歩いていたはずだった……が、声する方に振り返って見ると黒い髪と少し茶色い目をした藤宮がいた。だけどベタベタと直に触れ合うことなく、一定の距離感で俺を様子見する態度でからかう姿勢だった。
「なんですか」
「んもー返しが冷たいなー」
贖罪のつもりなのか? わざわざ俺と関わろうとする行為は……それとも新しいネタ集めに邁進中なのか。スタスタと歩く俺の横をかなり大袈裟な一歩で彼女は歩いていた。体格が違い、一歩の幅が違うんだろうが気にも留めなかった。
「ちょっと待ってよ……はぁはぁ……そんな態度じゃ嫌われちゃうよー?」
少し息切れをした藤宮は、小走りで駆け抜け俺の歩く廊下を塞いでしまった。ハラハラっと舞う、真っ直ぐなストレートヘアは思いたくない感情、キレイを思わせてしまう。
「別にもう嫌われています」
皮肉でもなんでもない事実だったけど、立ちふさがる彼女は酷く不思議そうに首を傾げる。俺が嘘告白にキレた際、このようなコテンとした態度でいたことも思い出してきた。
どんな感じで嘘告白をしたのか、どういう手段で俺を呼び出したのか覚えていない。結果で残ったのは、泣く彼女とどうしようもない感情が湧き出ていた事実だけ。
「嫌われているのは高校以前でしょ? よーく考えてみ、ナツくんの高校時代」
特別大きいと思わない藤宮の瞳は、この時だけは俺の本質へ語りかけているように見える。クッキリした二重でない、ごく自然な線引きされた二重瞼。常人とは違う線が置かれているように思えた。
「今も嫌われています」
……でも、言われるように考えるとここ最近は妙に生優しい態度を周囲はとっている。
西側校舎の廊下。いやに眩しい太陽が彼女を照らし、白い肌をより美しいものにさせていた。
「ふ〜ん。ま、このあとの授業で分かるよ。きみが誰に付き従うべきかね」
首元に刃物を突き立てられた感覚と、彼女の冷たい眼から銀からなる銃弾さえ撃たれる意識があった。意味なしげに伸ばした語尾、コイツはなにをひた隠しているんだ?
「……」
「逃げられると思わないでねー」
切れた息を整え、今度は大きな足取りで藤宮は先頭を突き抜けていった。彼女は運動部でなかったはず。だけども足音出さずに不気味に理科室へ向かっていった。
ポン、ポン。2つの振動が連続してスマホを揺らす。
『夏野、私早退する。サボりだから日曜日のことは気にするなよ」
『ナーツーくん! もう準備は出来たよー理科室へどうぞー!』
最初に来たメッセージは頰をつい緩ませたが、続いたもの……それはまた酷い頭痛の種になると確信が胸を打っている。通知音のポンポンという軽い音でない、ドクンドクン心臓音と近いものだ。
「……っ」
澱んだ空気、鼻に纏わり付いた祝ったような匂い。スマホを見るために下げていた首を上げると、第2理科室というプレートが見えてきた。室名札……その下には、責任者であるどうでもいい先生の名前がぶら下がっている。
『あと6時間耐えろよな』
『んもー教室前にいるでしょナツくん。昨日より楽しいことが待ってるよー?』
疑問より、覚悟を先に持って深呼吸。吐いた息にズキンと痛み苦し焦るモノを落とす。藤宮への、過去へのトラウマを吐いて、今を向き合いたい意志を吸う。
……痛みを一身に引き受けるマッドロ、俺が産み出した創作物を思い描いて、その教室の扉を開けた。




