夏野1
「死ね」
「消えろ」
「気持ち悪い」
小学校、中学校はこの言葉しか俺は耳にしたことがなかった。1番の始まりは小学校の頃、ある人気者の女の子を泣かせてしまったことだったと思う。理由は……もう忘れちゃったな。何年も前のこと、高校2年となった今なぜこんなことに思い馳せるかというと少々面倒なことが目の前で起こっているからだ。
「夏野健くん……好きです! 付き合って下さい!」
古臭いやり口のロッカーにある手紙で呼び出された結果は告白だった。目の前の女子生徒の名前は分からない。廊下ですれ違った気がする程度の認識に過ぎない。正門から離れた少し寂れた風が吹いている、部活動をする生徒が騒がしい校庭の近く裏庭だった。
そうだ。あの女の子を泣かせたのは自分が嘘告白をされたとき、ネタバラシで怒って突き飛ばしたせいだったな。思い出したくもないことを思い出してしまった。
「ごめんなさい、無理です」
小学校中学校を通して学んだことはたくさんあると思う。でも俺が1番学んだことは『人は信じない』だった。
嘘告白で突き飛ばしたが事実だったのに、なぜか捻じ曲げられて告白を受け入れてもらえなかった逆ギレで俺が暴力を振るったという偽りが信じられたこと。両親と義妹は最初の方こそ、俺が無実だと言うとこを信じていた。なぜか俺が常日頃、同級生に暴力を振るっているカンニングしただのという噂がどんどんと広がってから俺の人生は狂った。
「もしかして中学のこと気にしている……? た、確かに私はあのグループに入っていたけど。あれからずっと後悔してて、ずっと反省してたからもう一度信じてほしいの」
信じる? 中学のアレから、両親からも妹からも元親友からも信じてもらえなかった俺が1番嫌いな言葉だ。同級生の女の子を押し倒した噂から、両親……そのときにはもうお父さんは亡くなっていたから、お義母さんと義妹が俺を見ようともしなかったんだ。中学校の行事にも露骨に参加しなくなって、おはようとすらも言われなかった。
「っっ?!」
「ごめんなさい。でもどうしても好きなの。だから……」
目の前の女子が急接近してきた。そして手を握って強引にも答えを求めようとしているみたいだ。こういう展開は嫌な思い出しかない。無理やり接触して俺の好意を得ようとした人間、乱暴されたって言うぞと脅してきた人間、コイツには何しても良いと言いながら殴ってきた人間。そのような強引さを思い出してしまった。
「……何してんだ」
心臓がバクバクと鳴り吐き気を催しかけたとき、髪の毛を明るく染めカールした髪型が印象的な女子生徒が歩いてきた。二重と大きな目が目に残る、西洋人形のような人がそこにいた。
……この人は知っている。俺より遥かにマシだけど悪い噂が絶えない根原幸羽さん、同クラスの人だ。男遊びが激しいだのヤンキーだったとか、その噂のせいで俺と同じように周りに人がいない。
「ひっ、根原さん! いや別になんでも……じゃあっまたね夏野くん」
俺の返事も聞かずに急いで方向転換し帰っていった。対象的に根原さんは裏庭に設置されているベンチに、落ち葉をさっと振り払って座っている。ポケットからスマホを取り出して、画面を眺め指でスワイプしているようだ。その表情は妙に嬉しそうな柔らかい雰囲気でいた。
「……なに?」
俺の視線を感じたのか、彼女は柔和な表情からすぐにギラついた眼へと戻ってしまった。
「いや、何でも無いです」
こんなことをしている場合じゃないので俺はさっさと避難地へと帰ることにした。……その前にさっきの出来事を記録したカメラを回収しないとな。正門へ向かう道と草木に隠れるように設置したカメラ。まあ高校では難癖付けられないように学んだ策だ。この隠し撮り映像さえあれば、押し倒しただの酷いこと言っただの嘘は消し去ることが出来るんだ。
ピコンと通知音がスマホから鳴った。俺のズボンから鳴ったそれは、待ちわびていたもののはずだ。さっそく図書館で確認だ。
「ふふっ」
通知音とともに根原さんが笑っていた気がするけど、たぶんだけど勘違いだろう。
学校から出て30分程歩いて市立図書館にやってきた。中には人が少ないようで、入り口から確認すると数人しか確認できなかった。図書館と言っても俺は本を読みにやってきたわけではない。昔は好きだったけど今はもう悪い記憶でしか無い。
「相変わらずガラガラだな」
人口の少なさを呟きながらやってきたのはパソコンが置かれた机。電源を付けあるサイトを検索する。有名な小説投稿サイトだ。小学校のときも、中学校のときも、嫌な環境だった中これだけが救いだった。さっそく待ちわびた通知音の正体、メッセージボックスを開く。
「猫さんからコメントが来てる……よし、喜んでくれてる」
『猫』というユーザーは、毎回俺の書いたネット小説にコメントをくれる良い人でこの人のお陰で今まで生きてこれたと感謝するくらいだ。母親も義妹も教師も元親友も、何一つ信じられなかった中この匿名の人が救ってくれたんだ。
ナツさんの小説いつも楽しみにしています!風邪が流行っているので気をつけて下さい。楽しみに待っています! この人のコメントを見るときだけは素でいられるような気がする。ちなみにナツというのは、勘づくだろうけど俺の名字から来ている。
「そういえばクラスでも風邪が流行っていたな……猫さんの言う通り気をつけようかな」
静かな図書館。俺の独り言は誰の耳にも届かず、空気に溶け込んだように消え去った。猫さんが俺の小説を楽しみにしているように、俺も猫さんの書いている小説を待つ。
数分間、猫さんのページを更新し続けていると……来た! 俺の描いたことのない青い恋愛小説だ。
俺から1番遠い恋愛内容、こんな境遇なのに猫さんの小説は身体に沈むように浸透していく。こんな世界もあったのかな、なんて妄想が頭をよぎったけど祓って消した。
猫さんの世界観は文字だけでも色ついていて、いつも楽しんでいます。猫さんも体調に気をつけてお過ごしください。長いかな? なんて思った。でもそのまま送ることにした。この時間が永遠に続けば良い。それでも意味のない門限が近付ていた……帰ろうか。
「はぁ……」
ただ家に帰るだけだと言うのに心臓のバクバクと、口から漏れる息づきが泊まることがない。
「……」
「あっお兄ちゃん。んもーただいまくらい言えば良いのに! おかえり!」
最初に出迎えに来たのは、俺とは正反対の性格をしている妹だった。活発で性格良しの血の繋がっていない優等生。ちょっと前まで俺のことをクズとか言っていたくせに、真相が違うと分かると手のひらを返して調子のいいようにお兄ちゃんと言ってきた。
そしてそんな義妹の隣には、世間体を特に気にする俺のお義母さん。今更言うことなんて何もない。
「おかえり。晩ごはんラップかけて冷蔵庫に入っているから……それと今度の土曜日さ、家族3人で買い物に出かけない? 部屋に籠もりっきりなのも良くないでしょ?」
家族……か。未だ高校2年になって精神年齢が低いと思われそうだけど、俺にとって家族は優しいお父さんしかいない。もしあのとき、お父さんがいるならなんて妄想をまだ考えてしまう。
「2人で出かけて良いですよ。俺のことは前みたいに気にせず、2人っきりで楽しんで下さい」
「ちょっと……健!」
台所へ向かい、トレーにご飯と冷蔵庫のおかずを乗せ自分の部屋で急ぎ足で上っていった。途中でふと2人の寂しそうな顔が見えてしまったけど、深く考えることもなくさっさと2階の自室で食事を行うことにした。
レンジで温めていないので当然ながら冷えているご飯たち。胃を満たすためにそれらを運ぶ行為はまさに『作業』としか言いようがないだろう。行為しつつパソコンに電源を付け、またも小説を書く。嫌な毎日はまた続いていく。