死にたい少女に流星を。
「好き、だ」
「そう……それで?」
思えば、僕達の奇妙な関係はここから始まっていた。
**
僕の学校には高嶺の花がいる。
神の贈り物といっても過言ではないほどの整った顔立ち、風が吹けばさらりと流れる艶やかな黒髪。それに加え、頭まで良く、定期試験では学年一位を譲ったことがないというのだから驚きである。まあそれが彼女が高嶺の花たる所以だが。
彼女には、一人だけ幼馴染がいるらしい。高嶺の花に比べ、隣に並ぶにはあまりにも足らぬ容姿と、地味な雰囲気。頭だけは良いかもしれないが……。それが、高嶺の花である彼女と合わせて、いわば彼女を引き立てるためによく聞く話だった。
何を隠そう、その幼馴染で地味男というのがこの僕である。
正直そこまで言われると傷つかないわけではないけれど……自分が地味なのも、顔が平凡なのも自覚している。この丸眼鏡も、きっと地味さを醸し出す一つの要因であることも、分かっている。けれど、これだけは僕に欠かせないものだからしょうがない。それに目立ちたい訳でもないのだから良しとしよう。それに、ごくごく平凡な僕がさらにくすんで見えるくらい、彼女が美しく鮮やかなのも事実なのだ。
「あっ、出海さん!」
「おはよう!」
噂をすれば、だ。彼女……出海怜はいつもなら、始業チャイムの30分前に着く。それに合わせ、取り巻きのように周りに侍る女子も早く登校し、キャッキャと騒ぎ出すのだ。これでは作業にならないと、僕もそれに合わせて早く着くようにしたのだが……3日前から、彼女が45分前に登校するようになった。困ったものである。それに……
ブーッブーッ
ほら来た。彼女はここ最近、朝登校するとすぐに僕にメールを寄越す。しかも、なんだかいつも不機嫌なようなのだ。
『どうして最近は先に行っちゃうの』
別にいいだろ!という言葉を飲み込み、カカカカッと適当に返信を打っておいた。
それに正直なところ、僕は彼女と関わりたくないもっともな理由があるのである。
僕の幼馴染は可愛い。可愛いというより、美しいと形容した方がいいのかもしれない。
まあ小さい時は顔立ちの美しさは愚か、右も左もわからないようなものだったからなんとも思わなかった。手を繋いで公園に遊びに行ったり、どちらかの家で遊ぶことだってあった。でもそれは、「小さい時」の話である。
成長するにつれ、段々と価値観や考え方も変わっていく。人との関わり方や距離感を取るのも上手くなる。それと共に、はっきりとした自我……幼少期のそれではなく、常識を踏まえた上の……だって芽生える。
それに、あれだけ整った人物が身近にいながら、目で追わずにいられる人なぞいるのだろうか。
何が言いたいかというと。
つまり……僕は彼女に恋をしてしまったのである。
恋心を自覚したのは中1の夏。だいぶ反抗期を拗らせて家を飛び出した僕は、数分後にはもう後悔し始めていた。一歩踏み出せば汗が流れ、ただ立っているだけでも光がジリジリと肌を焼く。真夏の昼間というのは、あまりにも家出には向かない時間だったのだ。
「出雲!」
不意に声をかけられ、振り返る。
「あぁ、出海か」
お互いの苗字が「出海」「出雲」で響きがいいからか、彼女は僕を出雲と呼び、僕も彼女を出海と呼んでいた。ただの一度も……は流石に言い過ぎかもしれないが、出海を怜と呼ぶことなんてそうそう無かった。
「何でこのクッソ暑い中突っ立ってんの」
「出海こそなんでチャリに乗ってんだよ」
普段出海はこんな喋り方はしない。学校なんかの、多数の人間がいるところでは、もっと上品な話し方をするはずだ。……もっとも、僕に向かっては、人さえいなければ学校でだってこんな砕けた話し方なのだが。
「私はアイス買いに行くとこ。行く?」
「行く……けど金持ってないよ」
「いいから」
サッと自転車から降りた彼女が、その水色の体躯を差し出す。
「はい、漕いで」
「……え?」
グイグイと、ハンドルを押し付けてくる。
「だから、出雲が漕いで、私が後ろに乗っかるの。まさか、女の子に漕がせる気?それとも出雲が貧弱すぎて漕げないかな?」
あはっと笑う彼女を見て、そうだ、コイツはそういう奴だった、なんてことを思った。
それでも、出海の言うことならしょうがないかなぁ、なんて流されてしまう自分がいる。
「分かった分かった、はい、乗って。男バス舐めんなよ?」
「舐められたくないならスタメンにでもなれば?」
「ぐっ……正論」
荷台の上でケラケラ笑う彼女は、麦わら帽子と白いワンピースがきっと世界一似合う人だ。
*
「……あ」
コンビニの駐車場に腰をかける。縁石に座った彼女が声を上げた。
「ごめん、綺麗に半分になんなかった」
お金を持っていなかった僕は、結局彼女に奢ってもらった。ソーダ味の、パキンと縦に二つに折って食べる奴を。
「じゃあ僕こっち食べる」
「えー、何で、レディファーストとかいう奴?私がでっかい方でいいの?」
「いや、お前の金だろ」
元々奢るつもりだったからいいのにー、という彼女に、大きな方の半ペタを押し付ける。
「……前までお金無いとか言ってなかった?」
彼女といえば、小さな頃から万年金欠、最近は僕が奢ることの方が多かったような気がする。
「あー、ちょっと前からバイト始めたから」
「……うちの学校、バイト禁止だろ?」
僕の問いかけに、彼女はんー……と言葉を濁した。
「一応、許可は取ってるから多分平気……だと思う」
許可をもらえる制度なんてあっただろうか。そんな考え事をしていると、隣でシャクッと音がした。
「ん〜……自分で買っておいて言うことじゃないけど、やっぱブドウ味の方が好きだな」
彼女の手首を、溶けて崩れたアイスが伝う。それを口付けるようにして掬い、唇を舐める様は、中1とは思えないほど扇情的だった。そんなことを思う僕だって大分ませているのだろうが。
やっぱり彼女は、麦わら帽子と白いワンピース、それからソーダ味のアイスが世界一似合う。
恋を知ったのは、ある夏のとてもとても暑い日のことだった。
*
恋を自覚した夏の休み明け。僕は男バスに退部届を出した。
自分で言うのも恥ずかしいことだが、僕は割と部活内でもそこそこ出来る方だった。……スタメンは先輩で枠が埋まってたからなれなかったけれど。それ故に、顧問には強く引き止められた。何かあったのかとも心配された。僕の力を認め、案じてくれているのは痛いほどに分かったが、もう取り消すつもりはなかった。ただ一言、
「絵を、描きたいんです」
とだけ言ったのを覚えている。
それから数日後。美術部員になった。
元々小さい頃から絵を描くのが好きだった。好きとはいえど、多分僕には才能は無いんだろうなと、小さいながらに将来を達観していた。事実上、あまり上手ではなかったから。同じクラスの女の子が描く絵の方が、よほど上手だった気がする。だから絵以外のこともしてみたくて、色々なことに手をつけたりしていた。歌を歌ったり、本を読んだり、ダンスを習ってみたり、習字をしたり……あまりにも多岐にわたる浅い経験に、もうとっくに記憶の容量はついていけてないらしい。断片的で曖昧な記憶だけが頭をよぎる。
それでも絵を描いていない時の、不思議な浮遊感は収まらなかった。手持ち無沙汰で、どこかぼやけたように世界が見える感覚。それは年を重ねるごとに大きくなり、どこか漠然とした、掴みどころのない不安のようなものになっていった。どうにかそれを押さえ込みたい。そんな奇妙な気持ちで、入部届には【男子バスケットボール部】と記入した。
不思議と、コートの中を縦横無尽に駆けてただシュートする、無心にそれだけを繰り返す間は、絵の存在から逃れていられた。部活の時間だけは、あの不安も、顔を出さない。
そうして、部活にのめり込んでいった。
部活の時間が大好きだった。
でも。恋心を知ってしまった。
「彼女を描きたい」と思った。
「絵を描きたい」という気持ちを、思い出してしまった。
*
ブーッブーッ
『別にって、いつも早いのに何もないわけないでしょ』
苛立っているのがメールの文面に、一気に現実に引き戻された。でも僕は、彼女が何と言おうとあまり関わりたくはないのだ。この恋心は絶対にバレてはいけない。僕が描きたいのは、僕の知らない彼女だから。
「出海」じゃなくて「出海さん」
「タメ口」じゃなくて「敬語」
「幼馴染」じゃなくて「クラスメイト」
そういう彼女が描きたい。
いつも楽しげで、歯を見せてニカッと笑う彼女ではなくて、みんなの視線を一身で受け止めながらもどこか耽美な彼女。僕が知らない顔の彼女を見てみたかった。
でもまだ描けない。僕は、「僕が知らない出海」のことを知らなすぎる。もっと。もっと見なければ、絵に描くことなんて到底出来ない。
だから朝は時間をずらして早く来ていた。僕の知らない出海は、どんな目でこの教室を見てるんだろう。僕の知らない出海は、誰の目にどういう風に映っているんだろう。
朝はいい。朝は全ての始まりで、全てが限りなく0に近い。僕の心も目も、0に近い。僕が僕の価値観に縛られずに彼女の目に寄り添って世界を見られるのは、この時間しかなかった。でも彼女が来てしまったら、そこは0ではなく1になってしまう。僕の心も、僕に戻ってしまう。
『朝早い方が電車空いてるからさ』
だから今日も嘘をつく。彼女を知るために、僕は彼女に嘘をつく。
**
『メールで話す気がないならいい。今日の夜、うちの前まで来て』
授業中にブーッとスマホが揺れる。ああ見えて、彼女は意外と不真面目なんだ。1番後ろの席だから誰も知らないと思うけど。
『分かった。』
たったそれだけ、送信した。
問い詰められて結局白状させられるんだろうことは十分に分かっている。割と口が堅い方だと自負しているが、そんな僕でさえ口を割ってしまうような引力が彼女にはあるのだからしょうがない。……まぁ最も、僕には口を割る相手さえ満足にいないというのも、自己評価の高さに繋がっているのだが。
なんであれ、従うしかない。それが惚れた弱みというものである。
*
「……おっそい」
「ごめんごめん」
インターホン越しにも、十分すぎるほど怒気が伝わってくる。そういうところだけ矢鱈真面目なのがたまにキズ。
「……そこで待ってて。上着取ってくるから」
上着を取りに行ったということは、どこかへ連れて行くつもりなんだろうか。あんまり遅くなるのは嫌なんだけどなぁ、と短針が指す8と9の間を見る。
ガチャ、という音と共に彼女が姿を現した。もう風呂に入ったのか、ふわ、と甘い香りがしてそこに否が応でも惹きつけられる。
「……何、その顔。変なの」
よほど呆けた顔をしていたんだろう。ふは、と出海が吹き出す。彼女の体躯が動くごとに甘い香りが漂って、正直溜まったもんじゃなかった。好意を押し留めているっていうのに、そんな努力も水の泡じゃないか、なんて惚れ直してしまったのを彼女のせいにした。
「そんで、どこに行くの?」
「ん〜……そうだ、星でも見に行こう。ま、いいからついて来てよ」
どこまでも自己中心的に、彼女がそう言った。いつだってそうだ。尊大に、利己的に、女王の様に。これほど我儘な彼女を見れるのは、幼馴染の特権だ、なんて優越感に浸る。
それにしても、白いワンピースと麦わらとソーダ味のアイス、それから唯我独尊の言葉。それら全てが似合うなんてこの世界に彼女しかいないんじゃないか、なんてことを思いながら、僕を置き去りにする様に歩いていく彼女の後を追った。
「い、出海?」
どんどん”知っている”道を歩いていく出海に思わず声をかけた。
「何?」
僕の問いかけにも止まることなく歩く彼女は、ついにそのフェンスに足をかけた。
「いや、僕、夜の学校に侵入するなんて聞いてないんだけど!」
焦って大声を上げた僕の口を出海の手が塞ぐ。
「うるさい。静かにしてよ。……言ってないんだから当然でしょう?」
自己中心主義、ここに極まれり、と言ったところだろうか。
右足を学校を囲うフェンスにかけたまま、彼女がふいっとそっぽを向く。
「そもそも、メールで言わなかった出雲が悪いの。黙ってついてきて」
……ここまで言われてはしょうがない。きっと彼女のことだから、絶対にバレない賞賛でもあるのだろうから。
「早くきて」
「……わかったよ」
カシャンと僕よりひと足先にフェンスから飛び降りて校庭を駆けていく出海。真っ暗な校庭の中を、月明かりの様な真っ白な体躯が駆けていくのは、どこか映画のワンシーンを切り取ったかの如き美しさだった。
「早くしてってば」
背中に目でもついているのだろうか。怒気を含んだ声に呼応する様に僕も飛び降りる。
僕が久々に全力疾走をかまして校舎に辿り着いた頃には、非常階段を軽々と跳ぶ彼女の姿があった。屋上にでも行くつもりなのだろうか。
まあどこであれ、僕には出海について行くしかないのだ。
そんなことを思いながら非常階段を二段飛ばしで駆け上がった。
*
「……それで、なんでここなの?」
全力疾走だなんて、運動不足の美術部員にしては過酷すぎた。お陰で上下に揺れる肩が止まる気配は未だない。それでも息切れ切れにそう絞り出した。
「ここなら誰にも聞かれないでしょう……それに、今日は星が綺麗だから。あ、流れ星。」
そんなことを言って夜空を見上げる彼女の横顔には、珍しくも憂いの様な表情が浮かんでいて、その大粒の黒い瞳に、一瞬流れ星が映るのが見えた。案外この冬のひんやりした空気も似合うらしい。……というよりも最も、何であれ似合ってしまう彼女の魅力を讃えるべきなのだろう。
彼女が星を好きだなんて、しらなかった。そんなことを思う。だって彼女は夏のあの肌を焦がす様な太陽が似合う人で、いつだって自分自身が輝いている人だから。けれどそれは僕の勝手な押し付けだったのかもしれない。
「……何で、朝は私を避けるの」
ぽつりと出海が切り出す。夜風に吹かれた彼女の髪は、瞳と同じ、そのまま星空に吸い込まれてしまいそうなほど艶やかな黒色だ。
「別に避けてる、訳じゃなくて」
「嘘。避けてるでしょ?」
あぁ昔ドラマか何かでこんなシーンを見たなぁ、なんて他人事の様に思った。ここで真剣に考えてはいけない。もしボロを出そうものなら彼女は即座に気付いてしまうだろうから……この恋心に。そう思って口を噤む。
「……まあいいや。この話がしたかった訳じゃないから」
この話以外に僕に話すことなんてあるのだろうか……といってもいつもの彼女の話は驚くほどくだらないことばかりだけれど。
また、流れ星が一つ。
「あのね」
それは悲痛な叫びのように彼女の唇から溢れ出た。
「私、死ぬから」
「……え?」
呆けた様な声を零す。死ぬ?誰が?……彼女が?
「な、んで……」
「何でって……いる意味がないの。わからない?」
急に、彼女との距離が大きくなった気がした。屋上のフェンスに寄りかかって空を見上げる彼女に、どく、どくと心臓がうるさいほどに跳ねる。
「遺書は書いてない。別に私が死んだ後のことはどうでも良いからさ。でも出雲にだけはいっておこうかなって」
淡々と語る彼女は、もう死ぬと決めているのだろう。そこからひょいと飛び降りてしまうかも知れない。それなのに、僕は彼女に近づくことも手を伸ばすことすらも出来なかった。
「だって、誰も”私”を必要としてはくれないでしょ」
きっと彼女の目には、もうあの広大な星空しか映っていない。
それが分かっていながら、僕は彼女を離したくなくて。
だから抱き寄せた。
「好き、だ」
あれだけ必死で隠してきた、墓場まで持っていくつもりだった恋は、こんなにも簡単に口から転がり出た。けれど、一世一代の僕の告白に対して出海の反応は、至って冷静だった。
「そう……それで?」
細くしなやかな彼女を、失くさないように、手放さない様にと大事な宝物かの如く抱きしめる。
もとより実ることなんて求めていなかった恋なのだから、散っても何とも思わない、はずだった。けれどそれは所詮保身のための祈りであって、現実はもっと非常だった。冷め切った彼女の声に、頬がヒリヒリと痛む。
「だから、死なないで欲しい」
「……嫌。出雲だって、”私自身”じゃなくて、丁度いい”幼馴染”が欲しいだけでしょ。私じゃなくたって、いいじゃない……」
そんな風に大粒の涙を零されたら、僕が彼女の言葉を否定出来るわけがないんだ。
「出海以外でいいなんて誰が言ったんだよ」
それでも、それでも彼女を引き止めておきたくて、必死で言葉を紡ぐ。
「誰もが。結局どんなに私が努力したって、私の代わりなんて、いくらでもいるの」
「そんなこと……」
腕の中で震える彼女があまりにも儚くて、何を言っても、だきしめても、手放しても壊れてしまいそうで。
「私のバイト、モデルなの」
あまりにも不自然な話題の転換に、一瞬腕の力が抜ける。その感覚を掬い上げた彼女が、パシンッと僕の腕を払った。
「ずっとずっと昔から、綺麗だって言われ続けてきたから、それを活かせる場にいようと思って。でもね……」
私、気づいたの。そう言った彼女は、星空を睨みあげた。
「みんなが欲しいのは、私の身体であって、私自身じゃない」
己の身体を掻き抱く彼女の腕は、真珠のように白かった。
「だから……だから捨ててやる。みんなが欲しがる顔をグチャグチャにして死んでやる。この身体は、私だけのものだから」
いやな、予感。
「……じゃあね、出雲」
「待ってっ……!」
間一髪。必死で伸ばした腕は、すんでのところでフェンスに乗り上がった彼女の手首を掴んだ。
「だから嫌だってさっきから……」
「違う!」
彼女の見開かれた目から、ボロボロと涙が零れ落ちる。あぁ、僕が彼女を泣かせてしまったのは、いつぶりだろうか。
「僕が……僕が欲しいのは君の顔じゃない。幼馴染だからじゃない。出海だから好きになったんだよ」
手首を思いきり引いて、もう一度抱きしめる。
「お願い……不幸なまま死なないで」
ハッと出海が身体を固くするのがわかった。
「不幸じゃない……私は不幸じゃない。何もしなくっても、ただそこにいるだけで美しいって評価される。どうしようもなくやるせないけれど、これは確かに幸せなことなの……他者の力で輝くのは、幸せだよ」
必死で嗚咽を噛み殺す彼女に、残酷だと知りつつもギュッと一層強く抱きしめる。
「僕は違うと思う……ヒトに生まれた以上、この手と足と目と心臓と頭と……全部使って全部掴み取りたいじゃないか」
フルフルと出海の頭が揺れた。
「いいの!幸せだって、私は恵まれてるんだって、最期くらい思わせてよ……!」
僕の胸板を叩く彼女は小さい子のように泣き、月の光を一心に受け止めた涙は流れ星のように頬を伝った。
「だから、最期じゃない。君には死んで欲しくないんだ……お願い、僕が描くまで待って」
「描くまで……って」
彼女の指先を手に取る。
「ずっと……ずっと昔から、出海のことが描きたかった。僕に、君を描かせてください」
それはまるで告白のようで。
「なに、それ……プロポーズみたい」
拍子抜けした様に一瞬目を丸くした後耐えきれずに笑った彼女は、やっぱり美しかった。
**
あれから約1ヶ月……正確に言うなら、1ヶ月と8日。
僕らはまた、夜の学校に忍び込んで屋上から星を見上げていた。
「……それで、描けたの?」
そう言った彼女に、勢いよく頭を下げる。
「ごめん!」
「……は?」
あの次の日、「死のうとしてたのに出雲のせいで気がそがれた」と言った彼女は、日の光の様に柔らかく笑った。
それで気づいたんだ。
もう僕が見ていた、”星の様な彼女”ではないことに。
どんなに観察しても、彼女でありながら彼女でない様な感覚に筆が追いつかず、結局今日に至るというわけだ。
「まだ……まだ、描けないんだ」
「……なんで」
不機嫌さを滲ませる彼女の声に、君こそもう死ぬ気なんて薄れただろうに、と心の中で茶々を入れる。結局彼女は必要とされたかっただけのはずだから、僕のこの描きたいという欲は彼女を引き留めていられるはずなんだ。
「僕が見ていたのは、星の様な出海で……今は、出海は太陽だ。星のイメージで太陽を描くことなんて、僕には出来ない」
だから、と言葉を続ける。
「だから、もう少しだけ待って欲しい」
「待って欲しいっていうのは、どのくらい……なの」
夜風に流される黒髪は、あの日から1cmくらい伸びたはずだ。
「今の出海を僕が知り尽くすくらいまで……かな」
こんなことを言ったら怒られるだろうか、なんて思いながらも、これで引き留めていられるならと思ってしまう自分がいる。
「それじゃああまりかからなそうね」
「えっ」
予想外の彼女の答えに、思わず顔をあげると、右手を握られる感覚。
「これからはずっと一緒にいるから」
遠回しなその物言いに含まれた真意を汲もうとして……ハタと気がつく。
「それって……」
「私のこと好きなんでしょう、死んで欲しくないんでしょう。なら精一杯楽しませて、離さないでいて」
実らないはずの恋は、
「いつか……いつか絶対描いて。……太陽の様な私を」
なんだかあまりにもあっさり、叶ってしまったみたいだ。
最後まで読んで頂きありがとうございました。