竜人の少女は、変な声を出しちゃいます
「起きろ……おい。起きろと言っている」
ペシペシ
「う……うぅ……」
「気をしっかり持て。ほら、目を覚ますのだ」
「うぅ……いけない、いけないよ、ミア……俺たちは師匠と弟子の関係で……ああっ、そんな大胆な……」
「……っ」
ブチッ──
青い髪の美少女のこめかみあたりから、何かがキレる音がした。
「さっさと起きんか、このヘタレ外道がぁっ!」
「キャアァァ、ダメですっ、竜さまが殴ったらお師匠さまが死んじゃいますぅっ!」
盗賊にボコボコにされて倒れている男に、ビーが殴りかかろうとするのを、魔族っ子のミアが必死に止める。
そんな騒ぎになってようやく、師匠と呼ばれた男が目を開けた。
「ハッ……ここは……俺は、俺は死んだのか……?」
「やい、ゲス師匠。勝手にあの世で目覚めた妄想に走るでない」
「おおっ、目の前に見知らぬ美少女がっ、やはり俺は死んだのだっ」
「死んどらんわっ、ひとの話を聞けぇっ!」
「お師匠さまぁ! よかったですぅ」
魔族っ子が呼びかけると、師匠はミアとビーの顔を交互に見る。
「……なんだ。死んだんじゃないのか」
「だぁから、そう言うておろうが」
ビーが溜め息を吐くと、むむっと師匠が声をあげて、いきなりビーの手を取った。
「なっ……何を──」
「この鱗、実に興味深い……」
師匠は、割れたメガネ越しに、ビーの手の甲を見つめる。
指先が、そっと青い鱗のふちをなぞる。
ビーが戸惑ったような声を出した。
「こっ、こらっ、何を無礼なっ、いやっ……やっ、やめよっ……」
「鱗が皮膚から生えているのか。飾りではないな。まるで、伝説の竜人──」
師匠は取り憑かれたように、ペリッと鱗の下に自分の爪を食い込ませた。
「ひあっ──」
妙な声をあげたビーは、ブンッと虫でも払い除けるかのように腕を振るった。
「ゴハッ……」
吹き飛ばされた男の身体は、洞窟の岩壁に向かって一直線に飛んでいく。
わたしはあわてて、触手を伸ばしてネットを作った。
ビヨ〜ンと、やわらかく弾き返された男の身体が、洞窟の床に転がる。
ビーが顔を真っ赤にして、魔族っ子のミアに食ってかかった。
「おい、魔族っ! 近頃の人間のオスは、みなこんなふうに下劣で無礼なのかっ!」
「そっ、そんなことありませんっ、お師匠さまだって、ちょっと混乱しているだけで……」
「ウソをつけっ、どいつもこいつも盛りおって……おい、ヌルッ、そんな下劣師匠は捨ておけ。さっさとヘルモーズのところへ行くぞっ」
《ほーい……ってか、あいつ、起こそうとしたのあんたじゃん……》
さっさと歩き出したビーの背中のカバンに、わたしがニュルニュルと収まると、魔族っ子のミアがあわてて言った。
「あっ、あのっ、待ってくださいっ! い、いま……ヘルモーズと言いましたか?」
「言ったが、どうした」
「しっ、知っているんですかっ、魔王さまの居場所を!?」
「ああ。どこかに居を移していなければな。まあ、別の場所におっても、見つけるのにさほど苦労はすまい」
「ほっ、ほんとうですかっ!?」
ビーが振り返って、片眉を吊り上げた。
「ミアとか言ったな。そなたは何を言うておるのだ。混血とはいえ魔族なら、あの男がどこにおるかくらい、知っておるのではないのか」
「知りません……わからないんです。もう200年以上、魔王さまにお会いできた魔族はいないとされています」
「まさか……そなたの生まれ育ちは知らぬが、人間との混血ゆえに、高級魔族との交流がないのであろう。あの派手好きが、社交界にも顔を出さずに、ジッとしておれるわけがない」
「高級魔族……社交界って……あの、竜さま、失礼ですが、最後に外の世界と交流されたのは、いつでいらっしゃいますか?」
「300年ほど前だが」
「さっ……さんびゃく……」
「驚くことはなかろう。竜ほどではないが、そなたらの寿命も十分、長いではないか」
「……混血魔族の寿命は、今では長くても150年です……人間の血が濃くなってしまって……」
ふむ、とビーは息を吐いた。
「嘆くことはない。人間など、かつては10代、20代でコロコロと死んでおったものよ。だが短い生涯のうちに、武功をあげ、勇者と讃えられ、我ら異種族に認められた者も少なくない。種族それぞれの寿命があれば、種族それぞれの生き方も幸福もあろう。そなたは、そなたの生をまっとうすればよいのだ」
「はっ、はい……」
うつむき加減のミアの肩を、ビーはポンと叩いた。
「あんな、下心見え見えの師匠について盗っ人の技など磨かずとも、もっと有意義な人生を送れ。さすれば、そなたの心の虚しさも埋められよう」
「なっ──おっ、お師匠さまは盗っ人じゃありませんっ!」
「ほう。では、なんなのだ」
「こっ、考古学者ですっ」
「こうこ……なんだそれは」
すっかり会話に参加できないでいたわたしは、転生者として冷静にコメントした。
《考古学。古代の遺跡を発掘したり、文献を解読したりして、昔の人々の暮らしを研究する学問。歴史を知ることで、自分たちのルーツを知ったり、これからを生きるヒントを見つけようとする分野とも言える》
「ほほう、ヌルよ。そなた辞書としても、なかなか有能だな。なるほど、するとあのゲス師匠は学者であったか」
ミアが、ポカンとした顔をした。
「あのぉ、さっきから竜さまは、ソレと会話されているようですが……」
《おいこら、魔族っ子、ひとのことをソレとか言うんじゃないよーっ》
「そうだ。ヌルと我は意思の疎通ができるが……まさか、混血魔族は知性ある魔獣とも対話できなくなったのか」
「知性ある……魔獣?」
八重歯のように突き出た犬歯がかわいいミアが、クリクリした目でわたしを見る。
《そうよー、ミアちゃん。お姉さん、知性ある魔獣だからねー? 意識集中してごらーん?》
「……とても、そうは見えません」
《オイコラーッ!》
はあっと溜め息を吐くと、ビーは穏やかに言った。
「なるほど……ワレが閉じこもっているうちに、魔族はずいぶん変わったようだが……うつり世の流れなど誰にもわからぬものよな。ここで会ったも何かの縁、そなたの行く末に幸あらんことを祈るぞ、かよわきミアよ」
「竜さま──」
「我が名は、ベアヒル=ニム。これなるヌルは、ワレをビーと呼んでおる。今日を振り返る折あらば、その名を思い出すがよい。ではな……」
青い髪の少女は、決め台詞を吐くと、一直線に洞窟のトンネルをのぼりはじめる。
出口が近いのだろう。ぼんやりと月明かりのような青白い光が見えてきた。
ビーの背中のカバンから目玉を出したわたしは、うーん、とうなった。
《……あのさぁ、ビー》
「なんだ」
《せっかく、割とカッコいいセリフを言ったとこ、なんなんだけど……》
「何が言いたい、ハッキリせよ」
《付いてきてるよ、ミアちゃん》
「なにっ」
隻眼の少女がガバッと振り返る。
とんがった耳のついた魔族っ子の頭が、岩陰に引っ込んだ。
「……ミア。なぜ、追ってくるのだ。師匠はどうした」
「うぅ……お師匠さまも、きっとわかってくれます……」
「瀕死の師を見捨てることが正当化できるほどの理由とは、なんだ」
《いや……瀕死にしたのは、あんただろ……》
「……お師匠さまとわたしが探していたのは、魔王さまにつながる手がかりだったんです。ビーさまが魔王さまのところに行くなら……」
「行くなら、どうせよと」
「わっ、わたしも、連れていってくださいっ!」
「断る」
《えっ、はやっ》
決然と歩き出したビーに、瞳をウルウルさせたミアが追いすがる。
「どーしてですかっ、わたしにだって魔族の血が流れてるんだから、いいじゃないですかっ」
「魔族の身で、魔王に会えぬというのだ。会えぬだけの事情があるのだろう。それも知らずに連れていくことなど、ワレにはできぬ。ヘルモーズに会わせた途端、そなたが処断されたのでは、こっちの寝覚めが悪いわ」
「会えない事情ならありますっ、ちゃんと順を追って、この300年のことを説明しますからぁ」
「悪いが、そんなヒマはない。ヌルのせいで、ことは一刻を争うやもしれぬのだ」
《えー、なんかそれ、わたしが悪いみたいじゃーん》
「ビーさまはっ、外の世界が今、どーなっているか、ご存知ないじゃないですかっ! ガイド役がいたほうが、絶対に便利で安全ですっ!」
「ワレは竜だぞ。そなたのような力なき者に守ってもらわずとも結構──」
そう言ったとき、ビーの足がガリっと地上の土を踏んだ。
月明かり──ブンとうなりをあげる発動機──あたりを照らす投光器。
どこかで目にしたような、オレンジ色のフェンスが、洞窟の入り口をふさいでいる。
「なんだこれは」
ビーは怪訝そうに、フェンスの脇のスキマから外に出た。
ファーーーーン
どこか電気的な音がして、頭上の高架橋を列車が走り抜ける。
洞窟の周辺は、木々が切り倒され、土砂が整地されて──エンジンの止まった重機が並んでいる。
整理しよう。
〈三の封印〉を守る伝説級の洞窟は、線路の高架下の工事現場にあった。
「……なんだ、これは」
ビーは、いらだったように言うと、高架下の通路を通って、反対側に出た。
そこは、大都市を見下ろす山の中腹……頭上の鉄道は、街を囲む山脈をグルリとめぐるように走っている。
「なんなんだ、これは──」
ビーが、悄然とした声でつぶやいた。
山々に囲まれた平地──湖のほとりに、堂々とそびえる城。
その尖塔は、ライトアップされて、夜景に華をそえている。
その城郭を取り囲むように、ガラス張りの高層ビルが林立して、星あかりのようにネオンがまたたいていた。
おそるおそる、歩み寄ってきたミアが、小さな声で言った。
「ビーさま……ようこそ、新しい世界へ──」