触手ちゃんのジュルジュルお掃除だぞっ
ブラン……ブラン……
揺られる感覚。
わたしは、ボンヤリと目を開けた。
目玉のついた触手が、ブラブラと左右に揺れる。
天地がひっくり返ってる……。
自分が、誰かの背におぶわれて坂道を登っているのだと気づくのに、数秒かかった。
クルリと目玉を回してみる。
……人間──?
ゆったりとした白いチュニック。
その裾から伸びた、長い生足が、わたしの目の前にあった。
ハイブーツの上に見える、ひざ裏のキュッとしたライン……うーん、若い子だなこりゃ。
目玉触手をそっと持ち上げてみると、わたしを運んでいる人物の全体像がわかった。
水色のロングヘアー。
洞窟探検に来たとは思えない、軽装。
手の甲には、青い鱗の籠手が見える。
わたしの身体は、古びた布のバッグに押し込められて、何本かの触手がだらしなく外に垂れていた。
《……誰だろう……》
「おお、やっと起きたか、寄生虫」
少女が腹立たしそうに言って、こちらに顔を向けた。
人形のように整った顔──
その左眼は、白い包帯で隠されている。
《えっ──まさか、竜? ってか、女の子!?》
「まさかもとさかもあるか。まったく……そなたが封印を飲んだりするから、面倒なことになったのではないか」
《めんどう……》
「そなたのような卑小な存在のために、こんな窮屈な物を身につけて、坂を登ることになろうとは思いもせなんだ……はじめは、眠っているそなたの腹をかっさばいて、封印を取り出そうかとも考えたのだが──」
《げっ──でもでも、それはわたしのことがかわいそうになって、やめたってことだよね?》
「いや? 試してはみたのだ」
《ためし……って、はあっ!?》
「我が爪で、そなたの身体を引っ掻いてみた。だが、ブニブニとするばかりで、そなたはいっこう、ヒラキにならぬ」
《ヒラキって……この人でなし……》
「……そもそも、人ではないからな」
青い髪の少女は、溜め息を吐いた。
「だが、そうして小突いておるうちに、気がついたのだ……巨大な霊光石をあれだけ喰ろうても、そなたの身体は大きさが変わっておらぬ。おそらく、そなたの体内は、別の空間に通じておるのだ」
《別の……》
そんなことがあるんだろうか。
「そうであるなら、無理に身体を潰したところで、封印を無事に回収できるとは限らぬ」
《あのねえ、会話してる相手のこと潰すとか……普通、引くからね? ……で、だからって、なんであそこから出てきたの?》
「ふむ。これから起こりえる最悪と呼べる事態を、いくつか考えてみた。ひとつ。そなたが封印を吸収して、強大なモンスターに変わる。ふたつ。そなたの中で封印が解け、ヘルモーズの手下が這い出してくる。みっつ。そなたから封印を取り出す方法がわからぬまま、不確実な状態が延々と続く」
《ううーん……たしかに、どれもありそう……》
「だが、魔王なら、そのどれにも対処ができよう」
《──っ!》
なるほどー、魔王なら、わたしがどんな魔物なのかとか、知ってるかもしれないしね!
だから、洞窟を出て、魔王のもとに……って──!
《……ちょっと待って、わたしがとんでもないモンスターに変わった場合の「対処」って……》
「そなたごと、すべてを再封印する、だろうな」
《えー。普通にやだー》
「普通に……? 普通に、とは、どういう意味だ……」
隻眼の少女は、困惑した顔をした。
そのやぶにらみするような顔が、無性に愛くるしい。
《──ってか、ずるくない? 竜だったくせに、なんで美少女になってんの?》
「ずるくはない。姿を変える術は、精霊族の得意分野だ……そもそも、ワレがこの姿にならねば、こんな狭いところを行き来できるわけがなかろう」
《あっ、たしかに通路は人間サイズ……って、そこはおいといて。なんでわたしは転生してもエログロモンスターで、あなたは転生者の娘のくせに、美少女に変化可能なオールマイティーな存在なのよ。不公平感ハンパないじゃない》
わたしが恨みったらしく言い募ると、竜は口を尖らせた。
「そのようなこと、ワレが知るかっ。前世で悪虐非道の限りでも尽くしたのではないのか」
《はあっ──!? 別に普通の会社員だし。なんか、めっちゃもらい事故的な理由で死んだ気もするし……》
そう、わたしは自分が前世で死んだことにも、ぜんぜん納得できていない。
それなのに……何よ、竜とわたしの、このギャップは。
なんで、わたしには美少女モードがないのよっ!
《わーん、ふじょうりだぁ〜、かみもどきのバカァ〜》
「……よくわからない理由でわめくな、ヌルよ……」
そんな緊張感があるのかないのかわからない会話をしながら、わたしたちは一本道を進んでいった。
途中、何度か、侵入者を防ぐトラップや、巨大なモンスターたちが寝転がっている場所を通った。
けれども、青い髪の少女はヒョイヒョイと罠を避けてしまう。
中ボス的な(?)モンスターたちは、ベアヒル=ニムの姿を見てもグルグルとうなるだけで襲いかかってはこない。
ちなみに、「ベアヒル=ニム」では舌を噛みそうなので(もとい、舌はないけど)、わたしは彼女を「ビー」と呼ぶことにした。
ビーは、息を切らすこともなく、たんたんと洞窟を登っていく。
「もうすぐ、地上に出るだろう」
《地上に出たら、魔王城までひとっ飛び──って感じ?》
「魔王城? ひとっ飛び? 何を言うておるのだ」
《魔王っていったら、魔王の城にいるんじゃないの?》
「戦乱の世は終わった。魔王は引退して、海辺の別荘で暮らしているはずだ」
《はあ……魔王さまは、スローで優雅なリタイア生活ですか、そうですか……》
同じ転生者なのに。
わたしは、また妙にすねてしまう。
「それとな、ワレは飛びはせぬぞ。水竜だからな」
《すいりゅう……じゃあ、泳ぐの?》
「まあ、そうなるか。まずは海まで出ることだな」
スローライフの海辺の別荘に、美少女ドラゴンが泳いでくる魔王の生活……うーん、許せん……。
そんなことを考えていると、ふいにビーが立ち止まった。
「……誰かおるな……あの盗人どもが、まだ中にいたのか?」
目玉を伸ばすと、たしかに行く先にユラユラと松明の灯りのようなものが見える。
足音を殺して進んだビーは、岩陰に隠れながら、そっと洞窟の先をのぞきこむ。
「……!」
《──っ!》
抜き身の山刀をブラブラとチラつかせながら、ガラの悪そうな男たちが歩き回っている。
盗賊団……?
「オルァッ!」
ケタケタと笑いながら、何かを蹴り上げる……あれは、師匠と呼ばれていた人間……?
「やめてっ……やめてください……!」
尖った耳を震わせながら、地面にへたりこんだ魔族の少女──ミアが、かぼそく叫んだ。
「デッケェお宝をつかんで出てくるって情報だったが、とんだ無駄足だったぜ。あぁ? 学者せんせいよぅ」
「くっ……期待にそえなくて……わるかった、な……」
「ナマ言ってんじゃねぇぞコルァッ!」
ドスッ、バキッ
「しっ、ししょうに、ひどいことしないでぇっ」
「わめくな混血。テメエには、これから先生より、もーっとひどいことしちゃうんだからな」
ヒッヒッヒ──下卑た笑い声が洞窟に響く。
動かなくなった師匠を打ち捨てて、男たちが魔族の少女に近づいていく。
「知ってっか? お前ら混血魔族の祖先は、みーんな男を誘惑するサキュバスだったんだってよぉ」
「うっ、うそです、そんなの……」
「ウソかホントか、俺たちと試してみれば、すーぐわかるって」
カチャカチャとあおるように音を立てて、男はベルトのバックルを外す。
ミアが身をすくめて悲鳴をあげる。
「キヒヒ、ほんと、期待しちゃうよなぁ……淫魔の子孫なら、おめえの身体にも、男の精を吸いつくす魔性の力がありそうじゃねぇか」
薄汚く喉を鳴らして、男が刀をミアに突きつける。
胸元に差し込まれた剣先が、コートのボタンを弾き飛ばした。
「いやぁっ……」
「クククッ、かわいいねぇ」
別の男が、後ろからミアを羽交い締めにして、耳元でささやく。
「カネにならなかった分、あんたには、たっぷり楽しませてもらわないとな……全員でかわいがってやるぜ」
「やめてっ……離してっ……お師匠さまっ、おししょうさまぁっ──!」
ヒュンッ──ベチョッ
何かの潰れる、ハッキリとした音。
魔族の少女におおいかぶさろうとしていた男は、愕然とした顔で、自分の下半身を見下ろした。
高速で叩きつけられた触手が、真っ直ぐに両脚の間に叩き込まれている。
「イギャァァァァァァァァァァッ!」
「アッ、アニキッ! くそっ、このアマ、何しやがったっ!」
ミアに抱きついていた男が、小さな少女の身体を突き飛ばす。
その首に、ズキャッと音を立てて、鉤爪の生えた指が食い込んだ。
「ウグッ……フッ……デ、デメェ……」
片腕で男を吊り上げた青い髪の少女は、片目を細めて言った。
「……息すら吐くな。穢らわしい」
ブンッ
片腕一本で男を投げると、岩壁に当たった男の身体からメキャッという不自然な音がした。
男の仲間たちが、ひいぃっと声をあげて、一斉に洞窟の出口へ向かって走り出す。
──はーい、待ってました……。
トンネルの天井に本体を移動していたわたしは、地面に向かって大量の触手を叩きつけた。
ベチッ、ブギュッ、ゲシャッ、ゴキュッ……
「シブリュッ……」
「アガッ、ハッ……」
「ダ、ダズゲ……デ……」
《どうしよっかねえ。うーん……じゃあ、触手ちゃんに聞いてみよっ!》
わたしが本能に判断をまかせると、触手たちは迷うことなく、バクゥッと口を広げた。
「ヒギャ──」
聞くに耐えない悲鳴は一瞬で消え、ジュルジュルジュルとあたりに飛び散った血肉のお掃除をした触手たちが、わたしの本体に引っ込んだ。
──おー、跡形もなし。触手ちゃんのお掃除機能、優秀だなー。
「あ……あ……っ」
震える声に気づいて、わたしは目玉をクルリと回した。
魔族っ子のミアが、腰を抜かしてわたしを見ている。
「……大丈夫か」
ビーがしゃがんで声をかけると、ミアはおぞましいものから逃げるように、青い髪の少女にすがりついた。
……って、何、なになになに、この反応の差はぁっ!
「キシャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア」
「ひぃぃぃぃぃぃぃっ!」
泣きじゃくる魔族っ子を前に、わたしはひたすらに、神もどきへの呪詛の言葉を吐きまくるのだった──
読んでくださった方、評価もくださった方、ほんとにほんとにありがとうございますっ!
こっちの作品は、ほんとお気楽に書いているので、あははとご笑覧いただければ幸いですっ!