モノローグ・柊恕の独白
「怪物と戦う者は、その過程で自分自身も怪物になることのないように気を付けなくてはならない。
深淵を覗く時、深淵もまたこちらを覗いているのだ」
“Beware that, when fighting monsters, you yourself do not become a monster… for when you gaze long into the abyss. The abyss gazes also into you.”
フリードリヒ・ニーチェ『善悪の彼岸』146節
いつから彼のことを好きになったのだろう?
誰に対しても平等に接し、高過ぎる能力を持っていても謙虚で、優しく、けれども人の好意に鈍感な人。
日光のように眩しく、人々に希望をもたらしてくれる彼は、いつの間にか私の憧れでもあった。
完璧主義者で、圧倒的なカリスマ性を醸し出す彼の周りには自然と人が集まった。
私が落ち込んだ時は、静かに寄り添い私を支えてくれた。
あの事件は二年前に唐突に起こった。
私の父はある大企業の社長で、母は高名な研究者だった。家は裕福で、有名な塾にも通えたし、そのおかげで優秀な成績も残せた。
あまり自分で言いたくはないけれど、客観的に見て、容姿も整い、運動も得意でなおかつ勉学も頭一つ抜けていた。
父母は忙しくてあまり家に居られなかったけど、日々は幸福だった。
そう。あの事件が起きるまでは。
私が中学二年生の時、両親は海外に出張ということで、しばらく帰って来なかった。
寂しいと言えば嘘になるけど、家政婦の方と共にいつもの日常を過ごしていた。
それは、唐突な電話だった。
ある曇りの日、その日は父母が帰って来る日だった。
部屋で勉強していた私は、階下で鳴る電話の音で下に降り、受話器を手に取った。
いつもは居る家政婦さんはこの時、買い物に出掛けていて、私が取るしかなかったのだけれど、なぜか嫌な予感が胸の奥でざわめいていた。
しかし、そんな根拠の無い予感は頭の隅に追いやり、受話器を耳に当てた。
そこから先は、あまり覚えていない。
夕立ちの中、傘も差さずに走った。
目的地がどこかだったなんてもう覚えていない。その時は、がむしゃらにただただ走った。
いつの間にか、大きな建物が目の前にあり、私はその中に入った。自身がびしょ濡れということも気にせずに。
そして、父母の亡骸を前にして泣いていた。
交通事故だったらしい。
でも、今となっては原因が何かだったかなんて分からない。いや、原因ははっきりしていた。しかし、私が聞いていなかった。
ただ愛していた父母が死んだという真実だけが、私に迫り、私を覆った。
そこから先も、記憶には残っていなかった。
親族を中心にして葬式が行われたが、私は二人の遺体を前にして動けなかった。
現実を受け入れられず、本当は違う。明日になれば、悪い夢で終わると願いながら、日月が過ぎて行く。
父の遺産は莫大だったらしい。
一人娘の私しか相続できる人はいなかったみたいだけど、親族の人達は欲に目を眩ませて私に近付いて来た。
でも、あの時の無気力な私は生返事で、どこの養子に入るかも興味無かった。
そうして、中学三年生になっていた。
私はロボットの様に勉強をひたすら行い、勉学は常に上位だったけど、それで心が満足することも慰められることもなかった。
そのうち、養父の仕事の都合で引っ越しをすることになった。
私はある中学校に転校し、そこで運命的な出会いを得た。
彼に出会ったのだ。完璧超人、虎武龍麒に。
転校してしばらくたってもクラスに馴染まない私を見かねてなのか、生徒会長でもある彼が近付いて来た。
私は最初、彼の言葉に生返事だった。その時のことを思い返すと、非常に失礼でそして冷たい態度だった。
でも、彼はそれからも私を気にかけ、ただ傍にいてくれた。
時には休みがちな私を訪ねて家まで来た。
ペアの時は誰とも私と組みたがらなかったが、余った私と、彼はいつも一緒にいた。
気安い同情をかけるのではなく、ただ傍にいてくれた。それは、義務感から生じた行動でも、散々当てられた下心から生じた行為でもなかった。それが、私を何だか安心させてくれた。
しかし、あの時の私はそれに気付かず、彼を拒絶してしまった。
けれども、彼は優しげな微笑みを浮かべ、こう言った。それはいつも以上に優しく、しかし芯を持った、彼にしては長い言葉であった。
『私がしていることはただの自己満足です。
人は私のことを優しい人間だと言いますが、私は優しくなどありません。
私がしていることは、全て私の自己満足です。
人の役に立ちたいから、こうしています。貴女の笑顔が見たいから、しているだけです。
迷惑だと思うのであれば、拒絶しても構いません。
貴女が私の行為を傲慢だと思うのであれば、おそらく傲慢なのでしょう。
それでも、これだけは言わせて下さい。
貴女は決して独りではありません。孤独ではありません。独りであるのは、そうあろうとしているからです。孤独であるのは、そうあることを望んでいるからです。
そういう人間を、私は一人知っています』
それから、私は徐々に心を開き始めた。
悲しみの傷が治ったという訳ではないけれども、未来をまた持って進んでも良いのかなと思える様になった。
気付くと私は、彼のことを目で追う様になっていた。
誰に対しても愚かな程に優しく、嫌味な程に謙虚で、そしてその気にさせたくせに人の好意に鈍感な人。
いったいこの人はどう人生を歩んで来たのだろう?
どう未来を生きるのだろう?
私は彼のすぐ傍でそれを見たくなった。彼を支えたくなった。
そして、今度は私の存在を刻み付けたくなった。私に光を与えてくれた日光の様な人の運命の中に。
◆
いつから「彼」のことを恐れるようになったのだろう?
上下の区別を明確にして接し、自尊心と虚栄心によって傲慢で、厳しく、そして人の悪意に敏感な人間。
月光のように妖しく、人々に恐怖をもたらすのであろう彼は、いつの間にか私の苦手な人になった。
楽天主義者で、無機質な視線で人の本質を見抜く彼の周りから、人が遠ざかっていった。
私が落ち込んだ時は、冷たく現実を突き付けて来た。
彼の無機質な瞳は、まるで私の本質を、闇を、そして弱さを覗き込んでいる様だった。私はそれに不快感を感じざるを得ず、彼に思いっ切り当たってしまった。大切な人を失った悲しみを、自身に降り掛かる理不尽への怒りを、何も関係ないはずの彼に。
でも、そんなことを気にせず彼は言い放った。
『それで良い。その感情を、悔しさを、忘れるな』
彼に付き添って「彼」の家に行ったことがあった。
どうやら義父の莫大な遺産の一つの様で、豪華な一軒家だった。
しかし、私はその家の異常さに気付いてしまった。
別に地下空間があったとか、変な扉があったとか、窓が無かったとかではない。
むしろ、小洒落た玄関に、風水を意識した間取りやインテリアなど、上品さもあった。
意識しなければ、気付かない様なこと。けれども、気付いてしまえば、その異様さがすぐに分かってしまう様なこと。
そう。その大きな家には、一つとして鏡が無かった。
そのことに、どんな意味があったのかは、この時の私には分からなかった。
その意味が分かったのは、魔境に召喚されてからだった。
召喚された年のオリンピア開祭中、五神祭も終わりに近付いた頃に、私達はフレア帝国の第三皇女であるアスタグレンス殿下に招かれ、彼女の館に訪れた。
たまたま見つけた面白いものを見せていただけるということだった。
どうして私達を誘っていただけたのかはよく分からないけど、おそらく彼関係なのだろうと考えた。
『殿下、珍妙なものというのは?』
「彼」が殿下にそう尋ねた。
傍目から見ても、彼と殿下の距離感は友人と言うには近過ぎた。
いったい何があったのかは知らないけれど、ああ、この方は彼の毒牙に掛かってしまったのだな、とその時の私は人知れず考えていた。
彼が言っていた。
『「彼」は絶対に狙った獲物を逃さない。たとえ、それが最愛の人だろうと、大罪人だろうと。「彼」は優秀なハンターだからね』
その言葉を私は思い出した。
しばらくして、殿下の護衛の少女がある鏡を持って来た。
その鏡は、姿身だった。
どうやら、その姿身はこの世界で言う「妖怪」という存在に近いものの様で、鏡に映った人物が恐れを抱く対象を鏡に映すということだった。
映すというからには、地震とか津波とかの現象や概念的なものではなく、形象がはっきりとしたものではいけなかったけど、ほとんどの人間は何かしら恐れるものがある。
やはり、蜘蛛とかムカデとか色々なものが映り、しかもちゃんと恐怖の念を抱くものだったので、私達はその姿身に感嘆した。
この世界に来てからというもの、スピリチュアル的なものには何となく耐性が付いたためか、こういった不可思議なものも、平気だった。
そう。あの光景を見るまでは。
彼も挑戦したみたけど、どうやら恐怖の対象が無い人についてはただの鏡になるらしかった。
そして、段々と皆の興味がその姿身から離れていった頃、最後に「彼」もその姿を鏡に映したけど、結果は彼と同じだった。
皆がリビングに戻り、姿身から目を離した直後のことだった。
私はその光景にはっと息を呑むしかなかった。声の出し方すら忘れていた。
たとえ、妖怪の類いと言えども、本質は鏡。
彼が背を向けたら、鏡の中の彼も背を向けなければいけない。
それなのに、それなのに・・・・・・。
鏡の中の「彼」は、正面を向いたまま、薄く笑っていた。鏡という闇の中に、「彼」でありながら「彼」ではない、全く別の何者かが「彼」の背中を眺めていた。
そして、現実世界の「彼」は後ろで起こったことに気付き、顔だけ振り向け、こう言った。
『ああ・・・・・・やはりお前だったか』
私はその瞬間、戦慄してしまった。
彼は地球に居た頃、彼のライバルや彼と比べて、お世辞にももてているとは言えなかった。
しかし、学力や身体能力も高い上に、質実剛健といった性格、あくまで私の主観であるけれども、顔が悪い訳でもなかった。
でも、女子の間で「彼」が人気になることはなかった。
それはひとえに、彼が恐れられたから。
彼の無機質な瞳を見ると、まるで己の弱点を見つめられている様な気がして、誰もが彼を本能的に恐れていた。
『深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいている』という言葉があるけれど、まさしく彼がそうだったと思う。好奇心に駆られて覗いてはいけない、そう思わせる何かが、彼の中にあった。
しかしながら、彼を最も恐れているのは誰かと聞かれれば、それは彼自身だった。
この時初めて、私はあの異様な家の意味が分かった気がした。
だけど、私が衝撃を受けたのはそこではなかった。
彼もまた、「彼」と同様に自分自身を恐れている、ということ。それこそ、私が知ってしまった、感じてしまった、彼への畏れだった。
◆
いつからだろうか?
正反対のはずの彼と「彼」が、重なって視える様になったのは。
彼の背中に、似ても似つかない「彼」の姿を視てしまったのは。
それとも、「彼」の勇姿に彼の後ろ姿を視てしまったのか。
二人は正反対のはずだった。しかし、最も似ているのかもしれない。
だって、お互いに人の皮を被った何者かが、互いを覗き合っていたから。
本質は同じなのかもしれない。
だって二人は、互いに憧れを抱いているから。
まるで、闇になれない光の様に。
まるで、光を求める闇の様に。
来年まで書かないつもりでしたが、考えない様にしようとしてもアイデアは出て来てしまいます。
そのため、メモに少しずつ書いていったのですが、もはや、一話投稿できるまで溜まっていましたので、投稿しました。
今話は「柊恕の独白」つまりモノローグです。
初めての女性視点での執筆でしたが、意外と難しいですね。
登場人物の話し方を差別化したいというのは常々思うことではありますが、特段難しく感じるのは女性の話し言葉です。
前は人の話し方などは意識していませんでしたが、小説を書き始めてからこの人はどういう風に話すのだろうと注意を向ける様になりました。まあ、それでも依然として男はある程度できたとしても、女性に関しては上達している気がしません。
そもそもこんな話し方する人がいるのか? と自分自身が疑問に思っているから書けないかもしれないですが。
小説は音声が無く、文章で伝えないといけないために声色で判断している日常生活とは、差異を付けなければいけないのが難点ですね。
ところで、柊恕はお嬢様ではありますが、いわゆるお嬢様言葉は使いません。
基本的に優しい人なので、皮肉を言うことはあっても悪口・陰口・罵倒はしない立派な人物です。
私は普段、目上の方に対しては敬語を使い、立場的に下になってしまう人には少し砕けた口調を意識しているので、彼女の様な人物であれば書き易いですね。
柊恕って誰だ? と感じた方は下記のURLから「日光と月光」に飛べます。
https://ncode.syosetu.com/n7311hd/15/




