Longing・第七十八話
優しい言葉を貴方がくれた。寂しい私を包んでくれた。
この心よ、どうか空を翔けて。微笑みを貴方に伝え、温もりだけをその胸にそっと残して往けたら。
by アスタグレンス=リヴァイン
長い長い夢を見ていた気がする。
そこでは、誰かが怒りの雄叫びを上げていた。果てが見えない灰の砂漠の中心で。
そこに、月夜が訪れた。怨嗟の叫びを上げていた本人は砂漠の寒さに身を震わせ、やがて世界に絶望する。
それは、いつかの自分だった。
また、光景が変わった。しかし、依然として砂漠は広がっていた。
そこでは、また誰かが瞋恚の炎を燃やし、辺りを灰の砂漠へと変えていた。
そこに、闇夜が訪れた。憤怒に身を任せていた本人は砂漠の孤独に身を震わせ、やがて自分に絶望する。
それは、僕が助けたいと思ったアスタグレンス=リヴァインだった。
しかし、その砂漠から一本の木が生じた。不毛だと思っていた灰の砂漠は、感情という木を育て、やがて暗き夜の寒さは壊された。
しかし、その砂漠に一筋の流星の光が通った。漆黒だと思っていた夜の砂漠は、希望という光をもたらされ、やがて暗い夜の孤独は壊された。
砂漠は徐々に、木々の彩りに侵食され、いつかの豊かさを取り戻しつつあった。
砂漠は徐々に、流星の光に支配され、いつかの明るさを取り戻しつつあった。
僕は急に眩しさに襲われ、目を覚ました。
左にある窓からは朝日だろうか、眩い光が齎され、辺りを明るく照らしていた。
目を開ければ、どこかで見たことのある天井。多分、病院の個室だろう、僕はまたここに戻って来てしまったのだ。これで三回目だと言うのに。本当に僕は学ばない人間だ。
身体を起こすと、右で誰かがいるのに気付いた。
目を遣ると、僕が寝ているベッドに顔を預け、疲れてしまっているのだろうか、眠っているアスタグレンス、フレア帝国の第三皇女の姿があった。
彼女を見ると、僕は自然と安心できた。
それは何に対する安堵感なのかは分からなかったが、取り敢えず僕は彼女を護れた、そういうことで良いのだろう。
しばらく彼女の寝顔を見つめていると、部屋に誰かが入って来た。
その人は、望月月英だった。
そうだ。彼女にも御礼を言わないとな。彼女のおかげで僕は覚悟を決め、グレンスを護れた。
そう思い、口を開こうとする前に、月英の声が先に部屋に響いた。
「おはようございます。滉穎様。
見事、殿下の運命を覆せたこと、お喜び申し上げます」
そう言って、礼をしていた。
その言葉には、無事だったことへの安堵と同時に、矛盾する様ではあるが僕の運命が彼女の未来をひっくり返す、そのことを確信していた様でもあった。
「ありがとう。でも、僕は助けられてばっかだったよ。君に、おそらくは君のお兄さんにも・・・・・・それに、僕が護ろうと誓った殿下にも」
「それでも、最後は滉穎様の力です。それがたとえ、肝臓に宿っていた一族の力であったとしても。
あと、華さんも滉穎様達を助けましたよ」
あれは肝臓に宿っていたのか!
まあ、肝臓とは言っても多分物質的な肉体の方ではなく、自身の情報によって情報化された魔力で構成された霊体の方だろうが。でなければ、普通の検査で引っ掛かるはずだ。
それよりも、華があの後助けてくれたのか。正直、途中から意識が朦朧としていたから記憶が曖昧だ。
グレンスの柔らかいものに触れた気がする・・・・・・ああ、勿体ないことしたな。
「それは知らなかった。後で華にも御礼を言っておこう。
ところで、僕はどのくらい眠っていたのかな?」
結構、長い時間眠っていた気がするんだよな。
「そうですね。今は五神祭七日目ですから、五日は昏睡状態にあったことになります」
「そんなにか!」
確かに、《雲蒸竜変》の反動は怠かったが、まさかそんなに長かったとは。あれはそうそう多発できるものでもないな。
今の僕には使いこなせない。
あの精神世界の中であの誰かも分からない、本人は始祖と言っていだが。その始祖が「時期尚早」と言っていた理由が分かった。
「はい。それも、殿下の処置がなければ危険域に突入するところでした。その後も殿下は懸命に看病をして、今はその疲れでぐっすり眠っていますよ」
「そうか。結局、彼女を救うつもりで彼女に助けられていたのか、僕は。情けないな」
全く、破沙羅が滝口隊長の包囲を抜けた時には柄にも無く動揺するし、百人近くに包囲された時には何とか呪術で切り抜けたが、その後はあっさり破沙羅のせいで彼女の感情を爆発させてしまうし。まあ、それが奴らの大部分を削れたのは皮肉な話だが。
「いいえ。滉穎様はしっかり、私の『お一人だけで事に臨むことはございません様に』という助言を最後まで守りました。それに、最後の最後で殿下を救ったのは滉穎様です。貴方様は何も卑下なさる必要はございません。誇って良いと思います」
「ありがとう」
彼女の言葉は何故か、すっと僕の内に入って来るし、自然と受け入れられる。
何故か、彼女に初めて会った気がしなかったのも、それが関係しているのだろうか? 前世とか?
地球に居た頃は信じていなかったが、魔境に来てからは信じざるを得まい。まあ、前世の自分とかは正直興味が無いから知りたいとも思わんが、彼女ともし関係があったのだとすれば、気になるな。知る由は無いが。
「そう言えば滉穎様。
先程何の夢を見ていましたか?」
と言いながら、眼帯を取り外し、その宝石の様な瞳で僕の目を真っ直ぐ見た。
何だろう? 夢占いでもするのだろうか? 彼女は「望気眼」を持っているから正確だろうし。
「そうだね。誰かが怒っている夢を見たよ。分かるのはそれだけで、あんまり他のことは覚えていないけど」
そう言うと、彼女はしばらく黙考した後に再びその麗しい唇から音を発した。
「滉穎様は『黄帝内経』を知っていますよね?」
「まあ」
「そこには、こんな記述があります。
『肝気盛んなれば則ち夢に怒る』と。
やはり、まだ霊的な肉体の方ではありますが、肝臓の調子が悪いらしいです。
もうしばらく、ご療養下さい」
普通に健康診断だった。まあ、「霊的」だから物質的な肉体の方はもう完治しているのだろうけど。
少し不満に思ったのを感じたのだろうか。彼女が戯けた様子で言った。
「何を期待していたのですか? 私の眼は確かに便利ですが、完璧でも精度が高い訳でもありません。
せいぜい分かるのは、目の前にいる人の運命や抽象的な情報を与える気の流れくらいなものです」
「いや・・・・・・そんなことは思っていないよ」
嘘です。心のどこかではもうちょっと期待していました。
しかし、そんな心さえも見透かした様に彼女は笑みを浮かべていた。宝石の様な瞳は相変わらず僕の目を貫き、僕を魅了していた。
そして、いつの間にかベッドの左側に来ていた月英は顔を更に近付け、魅惑的な微笑みを浮かべた。
その表情は普段目を隠し、ミステリアスなオーラを纏っている分、そのギャップで魅惑的な雰囲気は増している気がした。
「それとも・・・・・・」
「んっ」
その瞬間、彼女の柔らかい唇によって俺の唇が塞がれた。
本来なら、嬉しいはずのその行為が今の俺には戦々恐々ものだった。
何故なら、右でグレンスが眠っているからだ。俺はそのままの状態で視線を右に遣った。
幸いなことに、疲れてぐっすりというのは本当の様で、彼女は起きてはいなかった。もしかして、これも狙ってやったのではないだろうか。意外とスリルを好む人だ。
しかし、問題は彼女ではなかった。
突如として、部屋の入口からまた一人入って来た。
「な、な、何をしているのですか!」
入って来たのは・・・・・・江月華だった。
最悪のタイミングだ。まずい。
きっと彼女には俺が不義理な男に見えていることだろう。何せ、グレンスの献身的な姿を見ていただろう彼女からすれば、当の本人は目覚めてすぐに別の女性と接吻をしているのだから。しかも寝ているとはいえグレンスの目の前で。明確なグレンスへの裏切り行為に見えたはずだ。きっと、彼女の中での俺の株価は大暴落だ。
ここで月英は俺から離れ、眼帯を付け直しながら微笑んだ。
「申し訳ありません。つい・・・・・・」
つい、じゃないよ。まあ、俺は行為自体を責めることは出来ないが。ああまずい。駄目な方向に進もうとしているのかもしれない。
視線を感じて右側を見ると、グレンスが不思議な顔をして俺達三人を見つめていた。
ああ、また最悪なタイミングだ。
「殿下!!」
華が叫んでいた。これはきっと先程の行為を伝え、その不徳の程を唱えるつもりだろう。この行為も俺は責めることは出来ない。
ならば・・・・・・、
「グレンス!!!」
俺はベッドから飛び出し、寝起きのグレンスを連れて二人から逃げた。
正直、死にかけるかもしれない修羅場を潜り抜けた時よりも緊張している。戦いの「修羅場」は切り抜ける自信はあるが、起こりそうだった「修羅場」をどう収めるのか、俺は皆目見当も付かない。
「ちょっ?! 先輩!!」
「まあまあ、華さん」
「何ですか、貴女は! 一体、どういう関係ですか?!」
「それは、殿下と? それとも、滉穎様と?」
「ふざけないで下さい!」
後ろからは、追い掛けようとする華と、それを食い止める月英の攻防が聞こえて来た。
本来ならば、「ナイス」と言いたい所だが、この事態を招いた張本人なので何とも微妙だ。
俺は、グレンスを屋上に連れ出した。
起きたばっかりなのに走らされ・・・・・・あっ、しまった。病院内を走ってしまった。まあ・・・・・・良いか。
走らされたグレンスには悪かったが、彼女も走っている間に状況整理が出来た様だった。
「ところで滉穎? 先程のあれはどういうことですか?」
心なしか、責められている気がしないでもないが、まあ多分責められているのだろう。
頭の回転が速い彼女には、あの修羅場がどういう経緯で生まれたのか分かってしまったのだろう。ここはどう言うべきなのだろうか。
誤魔化しても良い事は無いのだが、思う様に口が開かない。
ああくそっ、まさか目覚めてすぐにこんな困難が訪れるとは。
頼む。誰か教えてくれ。どう言えば良い?
しばらく黙ってしまったのを見かねてなのか、彼女が救い船を出してくれた。
「まあ、良いです。
彼女には恩がありますので」
グレンスも月英に何か言われたのだろうか?
「ところで、滉穎。
その・・・・・・大丈夫ですか?」
先の少し尖った雰囲気とは一変して、急激に丸くなった雰囲気を醸し出したグレンスは、頬を紅潮させていた。
「はい。おかげさまで元気です。ありがとうございました、グレンス」
「その・・・・・・、
私の護衛任務に就く人が、結局いなくなった訳で、その」
何となく言いたいことが分かったが、最後まで彼女の言葉を待った。
「私の護衛として、こちらに来ませんか?
私の側に居てほしいのです」
しかし、それには応えられない。
「すみませんが、お断りさせていただきます」
そう言うと、彼女は絶望に染まった様な顔で俺に接近し、上目遣いで見て来る。
「な、何故ですか!?」
「落ち着いて下さい、グレンス。
いや、ごめん、説明が不足していた。理由を言わせてくれ」
「はい・・・・・・」
彼女は一旦の落ち着きを見せ、密着していることに気付き、頬を赤くして少し離れた。
「まず、俺には貴女を護る資格が無い」
「そんなことは!」
「いえ。俺は今回、何一つとして自分の力で貴女を護っていない。師匠達の情報を借り、近衛隊隊長の強さを借り、望月家の力を借り、そして最後はこの肝臓に宿る竜に助けられた」
それに、英霊である絳河にも。
「確かに、俺の力は有限であるから人との協力は必要ですが、俺は傲慢な人間です。
貴女を護れるのはただ自分一人でありたい。でも、今はその力は俺には無い」
師匠程の実力でなくても良い。ただ、俺の力によって彼女を護りたい。それだけの傲慢で強欲な願いだ。
「それに、俺は師匠からまだ教わることが多く有ります。中途半端な状態で投げ出すのは、俺の性格的にも嫌だし、何より貴女を護るための力が、智慧が、手に入らない」
彼女は静かに俺の話を聞いていた。その顔からは未だに悲しみの表情は抜けていない。その顔を見ると決意が揺らぎそうにはなるが、自分のためにも、彼女のためにも、ここを譲る訳にはいかない。
「次に、多分、俺が今、殿下の側に行けば二人は互いに依存状態になる。俺は殿下のことしか目に映らなくなるだろうし、殿下も俺に頼り切りになると思う。
それでは駄目だ。俺は、殿下を過去から自由にしたくて戦った。それなのに、今度は俺が殿下の枷になったらその戦いの意味が無い」
グレンスは、俺の決意が届いたのだろうか。依然として名残惜しそうな顔を浮かべつつも、何かを決心した様子だった。
そうだ。俺は彼女の悲しむ顔よりも、そういう顔の方が好きだ。
「最後に、俺は対等な関係になってグレンスの元へと行きたい。
今のままじゃ、俺は到底フレア帝国皇帝に認められない。実績も、力も、名誉も、今は何もない。
今護衛になったら、功績を上げるのは難しくなる。功績を上げたとしても、それは君の実績になる。俺のじゃない。
俺は、グレンスの下でも上でもなく、対等な立場で君と接したい。そしたら、君の側へ行く。例え、天災に見舞われたとしても、呪いに襲われたとしても、俺は行く」
グレンスは今度は明るい笑みをその端麗で妖艶で、でも可愛らしい顔に浮かべると、小さく頷いた。
「待っています」
「別にその日まで会えないという訳では無いですし、むしろ会えた方が僕としては嬉しいです」
「はい。では、毎日トイラプス帝国へ行きましょう」
「いや、それでは本末転倒ですよ!」
「ふふっ、冗談ですよ。私も学園で頑張ってみますので、貴方もお願いしますね。
なるべく、短めが良いです」
「努力します」
「それと、月英さんに気を許し過ぎない様に。
彼女は行動が読めませんから、何をして来るか分かりません」
「いや〜、気を許さないというのは少し難しいです。彼女は気付いたら内に入り込んでいるので」
「それでもです!」
「・・・・・・努力します」
「え〜と、あとは・・・・・・きゃっ」
そう言って悩む彼女を、僕は腕の中に収めた。
華奢な身体はすぐにも壊れてしまいそうな儚さを放っており、もう奪われたくない、そんな気持ちが込み上がって来た。
だが、その柔らかな身体は僕を安心させ、久しぶりの人の温かさを与えてくれた。教えてくれた。
僕は今、自然に笑えていないだろうか? いや、きっと心の底から笑え、自然と笑みが浮かんで来る。
僕はそっと上半身を離し、その瑞々しい唇を強引に奪った。
しかし、それを受け入れ、身を任せてくれた。
どれくらい、そうしていたのだろうか?
数秒だった気もするし、数分だった気もする。でも、そんなことはどうでも良かった。何も考えたくは無かった。ただ、彼女の温もりを感じていたかった。
しばらくして、名残惜しいが彼女の唇から自身のを離した。
あっ! しまった!
ここは病院な上に朝日が登り切って空が朱色ではない! まあ、起きた時点でもう澄んだ水色だったが。
全く、場所も時間もロマンチックではないな。そもそも、最初のが戦場の時点で求めるべきではないのかもしれないが。
まあ、良いか。正直、そんなのを考えている暇も余裕も無かった。
やはり、まだこうしていたい欲求が双方にあったのだろうか、どちらからは分からないが再び口を合わせていた。
こちらを覗く二人に気付かずに、長い時間僕達は二人の温もりを互いに感じ合っていた。
・修羅場
仏教において、阿修羅と帝釈天が闘争を繰り返す場の意。
戦乱や闘争で悲惨を極めている場所。
芝居や講釈などで、激しい戦いの場面。




