Shooting star・第七十六話
恐れずに今、過去に怯えていた私をこの手で解き放て。明日を信じて、錆び付いていた心の扉を打ち破れ。心に芽生えた感情が、この闇夜を切り裂く様に。
by アスタグレンス=リヴァイン
テロリスト集団「カーリー」との戦いに辛くも勝利を収めた山滉穎とアスタグレンス=リヴァインはゆっくりと森の中を進んでいた。
未だに銃声は進む方向と反対側に聞こえ、残党狩りが行われている事が分かった。
その戦いに巻き込まれない様に、滉穎とアスタグレンスはひっそりと、すっかり破壊されてしまった洋館の側から離れていた。
しばらくして、アスタグレンスは互いに身体を支え合っていた滉穎の異変に気付いた。
「滉穎。貴方、身体が熱くはありませんか?」
「えっ?」
アスタグレンスの急な質問に、滉穎は素っ頓狂な声を上げた。だが、その声は彼が思うよりも弱々しく、アスタグレンスはやはり、という表情をした。
「少し止まって下さい」
アスタグレンスは滉穎の額に自身の額を合わせた。
アスタグレンスの急な行動に滉穎は一驚し、熱のせいか、それとも彼女のせいか顔を赤くしていた。
「・・・・・・滉穎、やはり異常に熱いですよ」
しかし、恥ずかしさで熱くなったとしても余りある異常な熱さに、アスタグレンスはある種の危機感を抱いた。
もしも、ここで滉穎の体調が崩れたとしても、自分も彼を運ぶ様な力は残っていない。救援に来てくれたエレメンター達は残党狩りで居ないし、そもそも彼らに頼ろうとすればテロリスト達に狙われる。
ここは森の中であるから当然まともな設備は無いし、気を休められる場所は無い。
では、どうすれば良いのか?
アスタグレンスは悩んだ。
そうこうしている内に、滉穎の足取りは徐々に重くなり、声を掛けても弱々しい返答しかなく、まともな返事が出来ているとは思えなかった。
熱い部分はどうやら先程まで稲妻紋様が通り、青白く発光していた部分であり、《雲蒸竜変》の反動だ、とアスタグレンスは正解を導き出した。
しかし、原因が分かったとしても、ここら辺にはそれを解決出来る様な手段が無い。
滉穎の息は荒くなり、もはや意識を保つのも限界に近くなっていた。その額は滝の様に汗を流し、そして端から全て蒸発をし、ひたすらにそれを繰り返していた。
二人を少し離れた場所から見守っていた江月華は、滉穎の異変に気付くとすぐに二人に近付いた。
「誰!?」
アスタグレンスは華の気配を察知し、誰何する。
攻撃態勢に入ろうとしていたアスタグレンスであったが、華の姿を認めるとそれを解いた。
華は先程の光景を見ていた事を言及される可能性が有るのに漸く気付き、一瞬どうしようか困惑した。
しかし、アスタグレンスはその事を気に掛ける余裕も無いのか、華に対して藁にもすがる思い、まさにそんな様子で助けて欲しいと頼んだ。
「お願いします、華。彼をどこか安全な場所まで運びたいのです。私一人ではできません。助けて下さい」
その姿が華には衝撃的だった。
何故なら、華の目に映っていたアスタグレンスはどの様な状況であろうとも誰の助けを借りる事はなく、その圧倒的な才覚で以て独力で解決する、そんな人であったから。しかし、そんな人が慌てた様子で、本当に心配した様子で、必死な様子で自分に助けを求めたから。
もちろん、華にはそれを拒否する様な理由は無い。
華は徐に頷くとアスタグレンスから滉穎を預かり、その華奢な背に担いだ。
十文字槍型の「月華」は依然として彼女の右手にあり、月華の能力を利用して華は二人を安全な範囲にまで連れて行く。
しばらくして、戦闘が有った範囲から逃れ、木々が密集する場所に到達する。
華は右手の月華を前に翳し、月華を通して強化した魔法を唱えた。
「《植物操作》」
すると、周囲の木々があり得ない方向にその背を伸ばし、姿形を変えていく。
僅か数十秒で簡易ではあるが家の形となり、華は背中に背負った滉穎をその中の葉っぱの布団に寝かせた。
滉穎は既に高熱により意識を失い、だらんとその手足を地面に置かれているのみであった。
よくよく考えれば上半身裸であった彼を直視してしまった華は少し恥ずかしそうに頬を赤くするも、アスタグレンスの言葉で我に帰る。
「何とか、滉穎の身体を冷まさないと」
しかし、ここには氷もなければ道具の類も無い。あるのは神格武器と植物、肥えた土に自分達の服、そして・・・・・・自身の身体のみであった。
アスタグレンスは羞恥心によるものか、その美しい顔を紅潮させ、華にお願いする。
「ありがとうございました、華。その・・・・・・申し訳ありませんが、しばらく外で見張りを頼んでも良いですか?」
華は一瞬意味が分からなかったが、彼女の恥ずかしそうにする様子と、この状況からその真意を悟ってしまった。
華は狼狽して、彼女に止める様に言う。
「いえ、殿下がその様なことをせずとも、魔法で・・・・・・」
華は言いかけて止まってしまった。魔法での治癒は難しいからだ。
そもそも、治癒魔法というものはこの魔境において定義されていない。大衆が便宜上、そう呼んでいるだけであり、存在はしていないのだ。
何故なら、人体というものが強く、複雑であると同時に繊細であるからだ。魔法で治癒しようと考えれば、まず人体の構造を学ばなければならない。そうしなければ、直そうとして掛けた魔法が反って人体を壊しかねない。念じれば治るという訳ではないのだ。
次に、その人自身の抵抗力がある。抵抗力とは、自身の意思とは無関係の魔力的な作用による現象改変に無意識の内に抗う力のことであり、一般的に自我や自尊心が高い者が抵抗力も強い傾向にある。もし、その抵抗力が高い相手が昏睡状態の時に、その相手の体内の事象改変を行う魔法を掛ければ、その高い抵抗力によって打ち消されてしまう。特に、滉穎の様な抵抗力が高い人間には、治癒魔法は逆効果となってしまうのだ。
それに、アクションタイプに分類されるエレメンターは基本的に自然治癒力を魔力によって無意識下で上昇させている。レジストによって余計な力を使わせるよりも放置しておいた方が彼らにとっては良い場合が多いのだ。
では、今回の場合はというと、当然ながら滉穎の抵抗力が高いために魔法を掛けるのは下策。前提として、華は人体については基礎程度しか知識が無いから、仮に魔法を使えるとしても危険度が高過ぎて使用することはできない。
アスタグレンスも解剖学を習ったことはあっても、治癒に到底応用できるレベルには至っていない。
「分かって下さい、華。私にしか彼を救えないんです。
彼は私を護ってくれました。初めてでした。嬉しかったです。しかし、護られてばかりは嫌です。私も・・・・・・私も、彼を護りたい。
これは、私がやるべきことなんです!!!」
華はもしかしたら初めて見たかもしれなかった。アスタグレンスが自分の意志で、誰かを救おうとしているのを。
「分かりました、殿下。私は見張りをさせていただきます。
それと、これをお使い下さい。決して、無茶はしないで下さい」
そう言って華がアスタグレンスに差し出したのは、緑色をしたドロドロの液体が詰まった瓶であった。液体は霊液と呼ばれるこの魔境でポーションの役割を果たす物であり、飲めば中枢神経を活性化させ、脳が更なる負荷に耐えられる様になる。
しかし、一時的に魔力量を回復できるとは言え、過度の摂取は身体に神経障害をもたらす。故に、使えるのは安全性を考えても一回が限度であった。
「ありがとうございます」
瓶を華から受け取ったアスタグレンスはその緑色の液体を全て飲み干し、その苦さに顔を歪めた。
そして、服を脱ぎ始める。
彼女はそのきめ細やかな肌を顕にさせても恥ずかしがることなく滉穎の方に向かっていき、むしろ見ている華の方が恥ずかしさに耐えられずに外へと飛び出していた。
《植物操作》で入口を塞ぎ、外からの侵入ができない様にし、アスタグレンスの言った通りに周囲を警戒していた。中で行われていることから意識を逸らすためにも、真剣に。そう、真剣に。
一方、アスタグレンスは上半身に一糸纏わぬ姿となり、胸を手で覆い隠しながら滉穎の隣に膝を付いた。
不幸中の幸いと言うべきなのか、滉穎の身体が異常なまでに発熱し、今すぐ冷まさなければいけない危険域にまで達しているのは彼の上半身だけだった。もし、下半身まであのリヒテンベルク図形が通っていれば、彼女は彼の下半身の服を脱がせ、自身も下半身の衣服を脱がなければならず、完全な裸体にならなければならなかった。
「《冷却》」
アスタグレンスは自身の身体に熱を奪う魔法を掛けた。思わず、彼女はその冷たさに身を震わせた。それは、かつて真っ暗な夜に悲しみが背中を包み込み、心が凍える錯覚を覚えた時の様な、そんな冷たさであった。
しかし、彼女は別にマゾヒストという訳ではない。この行動には理由がある。
アスタグレンスはその冷たくなった身体で滉穎に抱き付き、二人の裸体を密着させた。
こうすることで、相手に魔法を掛けずとも間接的ではあるが相手の身体の熱を下げることができるのだ。
「温かい・・・・・・」
《冷却》によって身体の温度を下げていたアスタグレンスではあったが、どうやら滉穎の熱の方が勝っている様で、《冷却》の効果を上げなければ追い付けなかった。
アスタグレンスはますます冷えさせた身体を煮え滾った様な熱を持つ滉穎の身体にくっつけた。日頃の訓練の賜物か、彼の肉体は殊の外筋肉質であり、まるで鋼の様な硬さを誇っていた。
それが、彼女にとっては頼もしく、彼女の心を安心させた。
あの時、自身の天災によって黒雲が発生し、光を遮り、辺り一帯を闇夜へと化した。
しかし、そんな黒雲も、闇さえも彼の力によって支配されてしまった。
瞋恚の炎は掻き消され、後に残ったのは蒼白の軌跡。それが彼女にはさながら「流星」に見えた。青白い光の残滓は夜を駆け巡り、自分に害意を抱く敵を尽く打ち倒した。闇を照らしながら自分に希望を与えてくれた。
しかし、もしもそれが光のみを与える存在であったのであれば、「流星」や「月影」ではなく、「日光」であったのであれば彼女の心は開けなかったのかもしれない。
今まで彼女に光を齎そうとしてくれた人間は多く居た。無自覚に光を照らす人もいた。例えば、華の様な。
でも、それらの大半は「日光」であった。強い光を自身に照らし、希望というものを強制的に見せ付けて来る。だが、彼女はその度に苦しめられた。日光によって創り出された闇が、希望と同じくらい絶望を彼女に与えていたから。
しかしながら、彼はそうではなかった。夜を支配し、闇を肯定し、そして光を与えてくれた。
そして今は、冷え切ってしまった心に熱を与えてくれている。瞋恚の炎を燃やせども、彼女の心が温かくなることはなく、むしろその炎は何もかもを燃やし尽くし、後には何も残らない。灰では何も生まれない。炎はやがて無機質な空間の中で燃え尽き、夜が来れば凍える様な寒さがやって来る。
しかし今、彼はその灰で新たな木々を育み、火とは違う、そう生命の温もりを教えてくれた。
漸く滉穎の熱が収まった時には、二人の温度は一体となり、その温もりに、安心感に、アスタグレンスはゆっくりとその意識を手放した。
彼女は初めて、悪夢に魘されない安眠を得た。
・治癒魔法
魔境では、治癒魔法は便宜上名付けられただけのものであり、明確な定義はされておらず、体系化もされていない。
一般的な認識としては、怪我や病気などを治せる魔法のことであるが、使いこなせるエレメンターは非常に少ない。また、そういった者を「ヒーラー」と呼ぶことがある。
治癒魔法が市民権を得ていないのは理由がある。
まず、他の魔法と同様に専門的な知識を要するのだが、求められる水準が医学部レベルのものであるからである。基礎的な知識が有る者は多いが、そこまで徹底的に詰め込んだ者はいない。故に、使えたとしても擦り傷や切り傷くらいにしか使えない。
次に、魔法を使う対象の抵抗力によってその魔法が打ち消されてしまうからである。基本的に、魔法を他者に使う場合はその人自身に備わる魔力的な事象改変に抗う力、抵抗力を越えなければいけない。もし、抵抗力が高い人物に治癒魔法を使おうとすると、その人物よりも高いレベルで魔法を行使しなければならず、非常に効率が悪い。
故に、怪我や病気を治そうとすれば、自分の魔法によってか、魔力に頼らない方法、つまり医学に頼る他ない。
ちなみに、前者の場合はアクション型の魔法に分類され、治癒魔法とは呼ばれない。
加えて、魔境は魔力の存在があり、呪術的医療や形而上的科学に基づく医療が主流だった。
そのため、魔境において医学のレベルに関しては地球のレベルを越えたことはない。




