Rising・第六十九話
・現実態
魔法・魔術の発動段階の一つ。可能態で改変した事象を現象として発動させる段階。しかし、この段階では現象はまだ完全に物理法則には則っておらず、不完全な状態である。
望月朧が洋館への襲撃を開始する少し前。その洋館の地下での事だった。
「ここは・・・・・・?」
薄暗く広い部屋の中で、二人の少年少女が一本の柱に繋げられていた。両足を鎖によって縛られ、手は太い縄によって柱に結ばれていた。互いの様子は後ろを振り向かないと見えないが、その気配は互いに感じ取っていた。
「詳しい状況は分かりませんが、おそらくはカーリーに捕まって今は拘束されているのだと思いますよ。滉穎」
アスタグレンスは背中の向こうにいる山滉穎に周りの様子を窺いながらそう応えた。
「殿下・・・・・・すみません。僕は、貴女を守り切れませんでした」
滉穎は自分達が置かれた状況を理解すると、結局アスタグレンスを危険な目に晒してしまった自分を責める様に、彼女に謝罪した。
「何故滉穎が責任を感じる必要があるのですか? 別に気にしていませんよ。
それと、公式の場ではないのですから、グレンスと呼んで下さい」
しかし、当のアスタグレンスはその事に特に興味を示さず、周りの観察に注力している様だった。
地下の様な薄暗く、ジメジメした空間にアスタグレンスと滉穎の二人のみ。監視は外でトラブルでも有ったのだろうか、誰もいない。
壁には魔力感知センサーが付けられており、魔法の行使は難しそうだ。まあ、魔力感知とは言っても、感知できるのは情報体である「魔力」ではなく、エレメンターによって情報を付加された物質に近い「魔力」であるから、魔法の発動段階の一つ、現実態までは無理やりできるだろうが。
そして、アスタグレンスは柱の上を見上げた。
「ところで滉穎。
貴方は登り棒とかは得意でしたか?」
「はい?」
唐突な質問に疑問符を浮かべた滉穎であったが、自身が縛られている柱の上を観察すると、得心した様子を見せ、
「はい。最近はしたことはありませんが、得意な部類だとは思います」
その返答に、アスタグレンスは嬉しそうな表情をその美しい顔に浮かべた。
「では、滉穎。
この柱を上って下さい」
その言葉は既に予測済みだったのか、滉穎は一瞬思案する様子を見せつつも、
「承知しました。申年に生まれたこの山滉穎、今こそその本領を発揮しましょう」
と、戯けた調子で応えた。
そして今、僕は僕達が縛り付けられていた柱を上っている。幸い、足まで柱に連結されていた訳ではないし、縄も少しだけ動かす猶予が有ったから何とか摩擦を利用して上れている所だ。
もしもこれが摩擦が限りなくゼロに近い柱であったら始めた瞬間に断念していた所だった。
背中を柱に密着させ、手と足で身体を柱に擦り付けながら上に持ち上げる。今はそれを延々と繰り返していた。
上る前に見て推算した結果によると、柱の長さはおよそ四メートル程度。どうやらこの柱は建物を支えるための柱ではなかった様で、柱の上は天井に繋がっていない。
既に三メートルは越え、下を見ると中々の高さのため見ない様にしておき、上だけを見てとにかくがむしゃらに上っていた。
今はまだ監視が来ていないし、戻る気配は見せないが、油断は大敵だ。出来るだけ早く上り切らねばなるまい。
そうして、遂に頭が柱の頂上を捉えた。
俺は手を柱の角に置き、勢いを付けて身体を上に浮かせ、その勢いのまま柱の上に足を着地させる。
我ながら見事な一回転を果たした俺はすぐさま縄を解き、下に戻って殿下の拘束も解こうとした所だった。
「全く、見張りとかめんどくせえなぁ。どうせ、動けないのによ」
何と、見張り役なのだろうか、一人の男がこの陰湿な空間の中に入って来たのだ。
幸い、薄暗いおかげか頭上に居る俺には気付いていない。入口に対して、俺の座って居た場所も丁度柱に隠れていたために、消えていることにも勘付かれてはいない。
グレンスは見張りが戻っ来た時点で気絶した振りをしている。
見張り役は一人か。
ならば、気付かれる前にさっさと無力化するのが得策だな。
そう思った俺は、息を潜めてそのタイミングを待った。
見張り役と思われる男はグレンスを舐め回す様な下品な目で観察した後に、柱を回って俺が居た所を見た。
「なっ!? 何処に行った!?」
男が狼狽した所で、上から飛び降りその首を自身の腿で挟んだ。
そこから、前方に身体を傾け、勢い付けて男の身体を柱へと叩き付けた。
「ぐはっ!?」
衝撃でカエルが潰れた様な気色の悪い悲鳴を出した男だったが、すぐさま俺は腿で首を圧し折った。
確実に即死だった。
男の懐から銃を取り出した俺は自分の足にその銃口を向け・・・・・・発砲した。
すると、金属製の俺の足に付いていた鎖は破壊され、漸く足が自由になった。
その後、グレンスに近付き、その拘束を俺は解いていく。
「さすが滉穎。見事な手際でしたね。私一人では、柱を上って脱出する段階で断念していましたよ」
そう言って美しい微笑みを浮かべたグレンスに、不覚にも胸を高まらせてしまったが何とか抑え込み、
「ありがとうございます。
それと、帰ったら一緒に師匠に訓練を施してもらいますか? 僕がやった芸当など当然に出来る様になりますよ?」
少し冗談のつもりで言ったつもりだったのだが、その言葉にグレンスは少し悲しそうな表情を見せた。
「いえ、彼もお忙しいでしょうし、すみませんがそのお誘いは遠慮しておきます」
「そう・・・・・・ですか」
そして、僕も何故か彼女の言葉を聞いて、残念だ、そう思っていた。
しかし、彼女は師匠の名前が出た途端にその表情に翳りを見せたな。
そう言えば、イオパニックの前も姿を消していたが、あれは用が済んだからではなくて、師匠に会わないためなのではなかろうか。
でも、師匠と不仲とは聞かないし、むしろ彼女にとって師匠は命の恩人の様な存在であるはずだ。実際、彼女の口から師匠に対する罵詈雑言は聞いたことがないし、それこそ師匠への賛辞を前に口にしていた。それに、師匠から直々に感型の魔法を伝授された時期も有ったはず。嫌っているのであれば、そんな事はできるはずがない。
ならば一体、彼女の先程の表情は何の感情に起因しているのか?
そこで僕は一つの可能性に思い至ったが、この非常時だ。その思考は隅に追いやり、現実へと引き戻した。
思案しながらでも彼女の拘束は上手く解けていたそうで、僕が思考を中止した段階で彼女の両手足は自由になっていた。
「ありがとうございます、滉穎」
感謝の念を告げる彼女の微笑みは、妖艶さが伴っていたが、どこか物悲しい雰囲気が漂っていた。
・可能態
魔法・魔術の発動段階の一つ。まだ現実化していない潜在的な状態であり、情報改変の途中。魔法の内容、すなわち形相を練り上げている段階。




