Seeing is Believing・第五十六話
・望月明衡 47歳
望月家現当主。
朧や月英の父親であり、現在は議会の議長を務めている。
玄羽=ヴァトリーの父親である秀羽とはパラディグマ学園での先輩・後輩の関係であり、仲は良好。しかし、政治については対立することもある。
プロミネンスの余波が吹き荒れた観客席。ただでさえ強い日差しがあったのにも関わらず熱波が観客を襲い、誰もが汗を部位を問わずに流していた。
エレメンター達は魔法を使えば、容易に防ぐことも可能であったが、五神祭の競技中は原則魔法の使用は禁止されている。
故に、非覚醒者、エレメンター問わず汗腺が開かれていた。
そんな中で、トイラプス帝国で最も影響力を持つ公爵家の嫡男である望月朧は、予期せぬ出来事に少し慌てていた。
もちろん、今日は少し暑いということが予想されていたため、暑さ対策はある程度してあった。しかし、まさかこの汗ばむ様な状況に拍車をかけてくるとは、推測などできなかった。
熱波が訪れた時は、教皇猊下の魔法を壊すことなどできはしないものの、完全に無効化されない程のものであったのには感心していた。だが、今はとにかく暑く、紅炎を使ってくれたのが少し恨めしかった。
手を団扇代わりにはしているが、その程度では当然涼める訳もなく、しかも風があまり強くないために、汗も身体の温度を下げることに一役買ってくれることはない。
自前のタオルは既にびしょ濡れであった。
どうしようか、もういっそのこと一度涼みに外に出るか、と彼が思ったその時、彼の手はいつの間にか新品のタオルを握っていた。
驚いて後ろを見てみると、そこには両目を布で覆い、眼を隠していた美少女が立っていた。全体的に黒い服装をしており、この暑さの中だと少し場違いの様な気もするが、ゆったりとし、通気性が良いその服は思いの外涼しいみたいだ。
まあ、黒は五行説では水に当たるから、そういう意味合いでもこのチョイスなのだろう。
まるで漆で塗られたかの様に艶やかな光沢を出す黒く長い髪を持ち、すらっと細長い体型だった。同年代のアスタグレンスや江月華と比べれば、少し痩せ気味かもしれない。
しかし、それは彼女の事情を考えれば仕方のないことだった。
その白くきめ細やかな肌は、彼女を佳人たらしめている美しい顔に更なる美貌を与えていた。
彼女は、アスタグレンス=リヴァインに勝らずとも美しい容姿をしており、周りの注目を引き付けるには十分だった。
まあ、朧が座っていた席は最後席であったためにあまり人目はそこに集まらなかったのだが。
そして、朧はタオルで汗を拭きながら静かに微笑し、「ここは暑いですね。兄上」と、涼しげに言った彼女に声を掛けた。
「驚いたな。まさか月英が来ているとは。どうして言ってくれなかったんだい?」
ちょうど空いていた、というのもこの暑さに耐えかねて出ていった人の、席に座った彼女は、
「すみません、兄上。少し驚かせたかったので。
ちょっとした悪戯心が働いてしまいました」
と、布で隠されていない顔の下半分を小悪魔的な笑みにしながら答えた。
顔の上半分の情報は無かったが、一度見ればその魅力にたちまち吸い込まれることになる様な笑みであった。
それに対し、朧は、
「仕方がない奴だな」
と、可愛らしい悪戯をした子どもを見つめるかの様な表情を浮かべて言った。
そう。眼を布で覆い隠す彼女は望月月英、朧の妹だった。
歳は、最近十六になったばかりで、朧にとっては、いやきっと彼の父親である明衡にとっても目に入れても痛くない存在であった。
二人は共に望月家宗家の当主である父と正妻との間の子であり、昔から仲が良い。というより、彼女はやや男所帯である望月家の中で、数少ない娘の一人であり、妹であるのだから、誰からも可愛がられており、彼女と仲が悪い人間は望月家にはいない。
やや男所帯というのは朧にとっての姉、つまり明衡にとっての長女や側室との間の三女がいるからである。と言っても、側室との間の娘である長女は既に他家に嫁いでおり、三女達も学園の寮で暮らしているため、実家にいるのは月英くらいだ。
ちなみに、この魔境では別に家を継ぐのは嫡男でなければいけないという決まりは存在しない。江月家の様に女性が当主を何代にも渡って務めているところもある。
しかし、朧の姉が家督を継ぐことを放棄し、他家に嫁いだのは予め正室と側室達との間でそういう契約があったからだ。
歴史を覗けば、家督争いで衰退した例には枚挙にいとまがない。家督争いだけでなく、次期当主が無能だったために滅びたという例もあるが、今回はそれを問題としては取り上げない。
それを始祖である望月春朝様は理解していた。まあ、本人が九人も妻を取り、子沢山だったというのだからその憂いも当然のものなのかもしれないが。
故に、望月家に嫁いだ女性達、もちろん彼女達と婚姻関係にある男も、家督やルールを話し合い、然る後に誓約書を書くことが歴代に渡ってされて来た。
その誓約においては、正室の長男もしくは長女が次期当主とされた。
だから、たとえ明衡の長女であったとしても、正室の長女ではなかったため、彼女は他家に嫁に行くこととなったのだ。
閑話休題。
「体は大丈夫なのか?」
落ち着いて来た朧は心配そうに月英に尋ねた。
「大丈夫ですよ。私も大分体力は付いて来ました。
それに、母上から少しくらい外に出なさいと言われてしまいましたから」
月英は微笑みながら問題ない、と答える。
実際、彼女が無理をしている様子もないし、苦に思っていない様だ。
成長したな、と思いつつ、朧は本題を聞いた。
「それで、父上に言われてここに来たのかい?」
もしかすると、あの件かもしれないと確信に近い予想をしていたが、彼女は少し困った様な表情を浮かべ、
「何を言っているんですか?
兄上がここに来い、とおっしゃったのではないですか」
と、呆れ気味で返された。
やはりあの件か、と思ったものの「月英に来い」といった趣旨では書いてなかったぞ、と思い返した。しかし、それに対する抗議は月英に妨げられる。
「ところで、兄上。私の婚約者候補様というのは、誰のことなんですか? 父上から全く聞かされずに送り出されてしまったので」
朧は、全て視えているくせに、と心の中で呟きながらも、彼女の疑問に答えることにした。
「あの玄羽=ヴァトリーの弟子の一人で、今年の二月に召喚されたばかりの日本人だよ。
能力としては、仙術を始めとする希少魔法の才能があってね・・・・・・」
「なるほど。我が一族の悲願ということですか」
「そうだね」
月英の言葉に朧は静かに同意した。
しかし・・・・・・強くなるための手段が目的になっていないか。
そう朧は感じたものの、それを言葉にすることはない。
理解はできるから。
何代にも渡って望月家は、強い者の血を取り入れ、エレメンターとして成長を続けている。それが、建国初期から現代まで無常観すら無視し、繁栄し続けている理由でもあるし、自分達の存在意義の一つでもある。
この世のものは、盛者必衰。しかし、自分達は暗黒世界との戦争の中で生まれた一族でもあり、奴等が撲滅されるまで滅びる訳にはいかない。
そういう想いが代々引き継がれ、強さの原動力の一つと化した。
その後、二千年という長い月日を経て、もはや望月家はほとんどの血を取り込んだ。だが、唯一神仙思想の仙人の血だけは流れていない。
仙術自体は地球の紀元前から存在するのに、望月家の最初期から狙い続けているのに、手に入れられることはなかった。
理由は明白だ。そもそも使い手が少ないことと、同じ公爵家であるヴァトリー家が統制しているから。
だからと言って、望月家はヴァトリー家を恨むことはない。
むしろ当然のことだと思っている。仙術の才能はとても貴重であるし、他の希少魔法と違って必ずしもかの才能が遺伝する訳ではない。簡単に使い手が俗世から消滅する可能性だってある。
故に、感謝こそすれ、ヴァトリー家を恨むことはない。
しかし、その希少な魔法を取り込みたいのは事実であり、そのチャンスが目の前にある。
望月家は、それを取り逃がす程のろまではない。
そして、選ばれたのが月英だ。
彼と同じ歳でもあるし、何より兄という立場を除いて見ても、彼女は美人だ。
目を隠している眼帯のせいで個人を識別する情報が少し欠落し、ミステリアスな雰囲気が醸し出されてはいるが、それもまた彼女の魅力の一つだろう。
彼女と結婚できると知った男の大半は、泣いて喜ぶことになるはずだ。
後は、月英の意思次第だったが、本人もいつまでもこのままで居られるとは思っていない様で、意外と乗り気に見える。
それとも、既に彼女にはそういうビジョンが視えているのか。
ともあれ、彼女自身が賛成しているなら、迷う必要はない。
どんな手段を使ってでも(常識の範囲内で)彼を望月家に迎え入れる。月英を嫁に出すのは、きっと父上が反対するだろうから、婿とすることになるだろう。
そう朧は脳内で今後の展開を描きながら、朧は話を続けた。
「ここで見ていれば、彼は直に出て来るよ。まあ、彼はおそらく最後に出るだろうから、それまでにフレア帝国側が全滅すれば出場せずに終わるだろうけどね」
「いえ、彼は出ますよ。兄上。そして、勝ちます」
月英は、既に試合が再開されていたフィールドを見ながら、確信を持って言った。
「そうか。お前がそう言うのなら、彼は勝つんだろうな。電影は使ってくれるかな?」
朧は、月英の言葉に少しの疑念も持たなかった。そして、彼女に望月家の家宝であった神格武器と共に彼が戦うのか尋ねた。
「さあ。どうでしょうか?
それは、お楽しみに取っておきましょう」
月英はふふっ、と微笑みながらそう答え、はぐらかした。
「まったく、困った子だ」
しかし、朧は優しい表情を浮かべ、βチーム同士の戦いに目を移した。
・望月月英 16歳
公爵家である望月家宗家の血筋で当主である明衡と正妻との間に次女(明衡にとって)として生を受ける。
魔力的遺伝性過敏症を患い、眼帯をしている。光沢がある黒く長い髪の毛を伸ばしている。




