吼天氏・第四十九話
・plant control
植物操作。有機物の扱いを専門とする木属性の魔法の中でも修得が意外と難しい。
修得には、化学(有機化合物・高分子化合物)、生物学を修めることが最低限必要である。
また、"plant"には多くの意味がある。
試合開始の合図である機械音が高く鳴り響くと同時に、木村捷は動き出した。
まず、捷は所定位置から最も近い樹木、樫の木に向かって走り出し、そのおそらくは若い樹木に触れた。
会場の観客の大半は、エレメンターではなく非覚醒者であるためか、彼が何をしているのか推測は少しできても、本当はどういう意図なのかは分からなかった。
ギャラリーの多くが疑問符を浮かべる中、捷は他のことには目もくれず、若く、太いであろう樹木に目を付け、片っ端から樫に手を添えていた。
一方、石田魁は所定位置から一歩も動いてはいなかった。
彼は、左手を正面に伸ばし、小さく、しかし鋭く、
「"吼天氏"」
と、言の葉を解き放った。
すると、彼を中心にして上昇気流が発生し、やがてその一部は巨大な鼬の姿を模したものへと変化していく。
気流によって、辺り一帯の光沢を持つ葉はまるで舞でも踊るかの様に、彼の周囲を翔んだ。本来であれば風、つまり空気に色などあるはずはないのだが、この時だけは、その気流は新緑の匂いを放ち、黄緑色に輝いている様に感じられた。
風によって生み出された鼬は、彼の正面まで移動し、淡く光り始めると同時に、一目瞭然に武器へとその姿を変えていく。
鼬の胴体は強靭と思える盾となり、鼬の尾は鋭利に感じられる剣へと変化し、その剣は盾の中へと収まった。その瞬間、魁の左手はずっしりと盾剣の重み、頼りがいのあるその重さを感じていた。
しばらくして、彼を中心にした気流が止まり、樫の葉はその舞を止め、静かに地面へと降下を始めた。
魁は徐に盾を右に傾け、右手で地面と平行になった剣の柄を掴んだ。そこからゆっくりと剣を盾から引き始め、最後に目に見えない程の速さで抜剣した。
その瞬間、辺りをひらひらと落ちていた新緑の葉は中心から来た風を受けたかの様に四方へと拡散した。
こうして、魁は自身の神格武器「吼天氏」を完全現界させた。
場所は変わって、山滉穎達の控室。ここで、滉穎を始めとするトイラプス帝国βチームの四人は捷と魁の試合を液晶を通して観戦していた。
「やはり、吼天氏は風属性の神格武器か。鼬が見えたからおそらくは魔獣である鎌鼬を素材にしているんだろうな」
滉穎はそう独り言の様に呟いた。
ちなみに、彼らが相手の神格武器の性能を知らないのはルール上、一人が使える神格武器は一つであり、その名前は明かされてはいるのだが、その詳細は一切公開されないからだ。
事前に能力を知っていた神格武器なら対策も取れるだろうが、既に魔境は神格武器がありふれており、それは困難を極める。
故に五神祭においては、アスタグレンス=リヴァインが行った様に相手の情報収集を常にしておく、というのが鉄則でもある。
まあ、そもそも神格武器の名前はかなりその能力や由来に則ったものが多いから、滉穎の様に名前を聞いただけで属性などが推測も可能なのだが。
そして、周りの三人はしっかりとその独り言が耳に入り、反応した。
「やはりって、まあ風属性かもしれないとは山から聞いたけど、そもそも何でそう思ったんだよ」
と、滉穎の判断理由を問いた。
「吼天氏って、天でほえるもの、の意から、風の別名なんだよ。
もしかしたら、違う意味も込められているかもしれないから、断定はできなかったが、杞憂だった様だ」
「へぇ~。本当に色々知っているな、山」
稲垣翔祐が感心した様子で言った。
「まあな。伊達に辞書で読書はしていないからな」
そう滉穎が言うと、翔祐を含めた小栗臥龍、松尾冬輝の三人は呆れとも感嘆ともとれる声を漏らした。
しかし、陽気に言った滉穎の表情は険しいものになっていた。理由は、
「しかし、まずいことになったな」
「どういうことだ?」
滉穎の様子を訝しんだ冬輝が聴いた。
「まず、風属性ということから石田は多分、真空を扱えるだろう。そうなると、小栗の音属性は無効化されるだろうから小栗を石田に当てることはできない。
逆に圧縮空気や大気の操作もできるだろうから、電気属性の稲垣も不利だ。まあ、そもそも稲垣はオルターと戦わせたいしな」
滉穎がそこまで言うと、二人は少し悔しそうな顔を浮かべた。
二人も召喚されて一ヶ月経った頃から、この大会に向けて努力を毎日続けていた。それなのに、初戦の冒頭から、極端に言えば戦力外通告をされたのだ。
もちろん、滉穎にその意思はないし、人には相性があるのだから、こういう事態が存在するのもある程度は仕方がないことだ。しかし、それを含めて目の前に、液晶の先に自分達では手も足も出ない相手がいるという事実が彼らにとっては耐え難いことでもあった。
だが、滉穎はそんなことはお構いなしに解説を続けた。
「次に、武器の形態が盾剣であることから、石田は攻防一体で戦うスタイルなんだろう。それだと、もともと戦闘には向いていない木村には厳しいものがある。
せめて、攻撃または防御一辺倒なら木村にもやりようはあるんだけどな。
・・・・・・さて、そろそろ頃合いかもしれないな。松尾、準備を頼むよ」
「分かった」
滉穎が頼むと、冬輝は席を立ち、準備運動を始めた。
滉穎の表情は先程よりも険しくはなかったが、その内心は落ち着きを見せてはいなかった。
頼んだぞ、松尾。俺は厄介な神格武器を使うイヴァンと戦わなければいけないし、他の三人も攻防共に強いであろう石田には不利だ。
松尾ならば、素早く、小回りが利く動きで牽制と同時に攻撃も避けられるだろうし、攻撃に関しても、まあ、「墨竹」は未だに解放できてはいないけど、「六花」は十分強い。
できれば、「紅蓮地獄」を使わずに勝って欲しいが、多分無理だろうな。
と、声には出さないが、滉穎は心の内ではそう考え、珍しく緊張が高まっていた。
無論、彼らは風属性に対する備えも十全にして来たし、魁が出て来たのも予想通りだった。
それでもこの時、滉穎の胸中では言い知れない焦燥感が渦巻いていた。
魁は自身を覆い被さる程大きい褐色に染まった盾を自分に引き寄せると、目を閉じた。
「吼天氏。《目陰》」
魁はそう聖句を唱え、盾を正面に構えた。
すると、彼の目には盾を通して数百メートル先の光景もくっきりと見え、さらには《目陰》の効果ではないが、嗅覚も鋭敏になっていた。
なるほど。お互いの位置を互いに知り得ない試合の冒頭では、適した人選であった。
魁は辺り一帯の匂いを嗅ぎ分け、人がいそうな範囲を絞り、《目陰》によってその範囲を捜索していた。
そこに、樫の木を背に何か動いている影を見つける。こんなところで蠢く影など、人影以外にはありえない。
魁は見つけると同時に、その重厚そうな盾を左手に、予想とは反する速度でその影に接近する。
その影は十メートル以内に入っても、彼の接近に気付かず、というのも彼が風を操り浮く様に移動し、足音がほとんどないからである。そのために、もはや魁の間合いにその影は入ってしまった。
魁は刀身に風を纏わせ、油断なくその剣を影の首筋に振り下ろした。
決まった。
魁を含めて会場の誰もがそう思ったが、待ち受けていたのは予想を裏切る光景であった。
その影、捷は彼の攻撃をまるで予定調和であったかの様に回避したのだ。そして、次の瞬間には捷は《plant control》を発動させ、魁の身体を近くにあった樫の木に拘束させた。
まさに、攻撃の瞬間は最大の隙と言える様であった。魁は焦りを覚え、会場の観客は予想と反する結果に興奮を覚え、歓声を上げた。
しかし、残念なことに当の本人はそのことに歓喜すらせず、まあ戦いの最中に歓喜するなど愚の骨頂ではあるのだが、静かにその姿を光の粒子に包ませ、森から姿を消した。
捷は理解していた。
己が持つ攻撃方法では魁にダメージを与えられても、勝つまでには至らないことを。
最悪、彼の盾に攻撃を阻まれ、その剣が己の身体を貫くという未来の光景も見えていた。
だから、ここは自分ではなく、全てを凍らせる力を持つ彼に託そう。
そう考えて、静かに試合から彼は一旦身を引き、控室に戻っていた。
捷が消えたその場所に立っていたのは、二本の剣を携えた松尾冬輝だった。
・目陰
吼天氏の聖句の一つ。
遠視するときに使う特殊な部類に入る聖句で、盾の目と同調することで、より広い視野と遠いところまで見渡す力を持つ。
・目陰の意味 『大辞林』より
遠くを見るときに、手を額に翳して光線を遮ること。
疑う様な目つきをすること。
手を額に翳して物を見る動作を、「鼬の目陰」と言う。イタチが後ろ足で立ち、前足をかざすような動作をするという俗信から。




