鬣犬と獅子・第四十五話
・魔法の系統
魔法は魔力の行使を一括した言葉である。神々の派閥、つまり宗教は、魔境では一般的に流派とされる。
ある宗教の魔法が使えるからと言って、そのエレメンターが信者であるとは限らない。魔境では、魔境五神認可特別措置法により、宗教が拡がらない。
故に、宗教はただの魔法の流派であり、使用者は信仰者とイコールではない(使用者であることは信仰者であることの必要条件であるが、十分条件ではない)。
また、流派により使用言語にも違いがあるが、他の言語でも発動できない訳ではない。しかし、サピア・ウォーフによれば、言語により世界の認識、世界観の形成に差ができるので、専用の言語を用いることが推奨されている。
結局、殿下の我儘に付き合うことになってしまった僕と殿下の護衛である阿僧恒河は得物をそれぞれ握り締め、対極な位置に立った。
心なしか、彼の口角が僅かに上がった気がした。彼もまた戦闘本能を理性で隠した人間なのだろうか。
ちなみに、僕の得物は相変わらずの六尺棒であり、対する阿僧さんは腰に携えていた独鈷杵や三鈷杵、もちろん五鈷杵も使わずに、普通に木剣を持っていた。
どうやら剣術の心得もあるらしい。
殿下は僕達の真ん中に立ち、この試合の勝利条件をおっしゃった。
「ルールは武器を相手の顔や首以外のどこかに当てたら勝ち、ということにしましょう。私が審判を務めますので、お二人は怪我をしない程度に本気を出していただければ」
「「承知しました」」
「では、私が笛を鳴らしますのでそれを合図に試合を始めて下さい。終了や中止の合図も同様です。それでは・・・・・・」
甲高い笛の音が辺り一帯に鳴り響いた。
俺は《perfect vision》を発動させる。
その瞬間、周りの動きが例外なく、ゆっくりとなる。
百メートル近く離れていた恒河は空気を体内にあらん限り詰め込んでいた。
おそらくは《獅子吼》。まあ、想定はできていた。仏教系統の魔法を使うのであれば、この技で先制し、相手の動きを封じようとするのは常套手段だ。音属性に対する防御策が無ければ、不可避の技であるが、あいにくと身近にその使い手はいる。
だから、防ぐのは容易だ。
音波の速度は、今日の気温は約20度だから秒速344メートルぐらい。ここまで到着するのに0.3秒もかからない計算だ。
魔法でならばタイムラグなしに発動するので対抗はできるだろうが、この技を防ぐ魔法を俺は持ち合わせていない。
故に、魔術だ。脳内に魔法陣を展開し、前に波俊水明が見せた《遮音結界》を発動させた。
その10刹那後、周囲が明らかに振動を始めた。音を、というか振動を遮断しているので、もちろん俺の耳には一切音が入らず、己の心音しか聞こえていない。
しかし、この獅子吼の威力が小栗のそれよりも高いことは明白だった。多分、獅子吼ではなく、その上位互換の《獅吼》だろう。
かくして、小手調べと言う名の殺し合いが始まった。
試合が始まって一秒も経たない内に二人の攻防は激しさを増して来た。
その様子を審判として見ていたアスタグレンス=リヴァインは滉穎の魔術に感心していた。
もちろん、彼女は十八番としている音属性の魔法を使い、難無く獅子吼いや獅吼を無効化している。
彼女が滉穎の魔術に感心した理由は、主に3つ。
一つ目は、魔術の展開速度だ。
普通、魔術を行使しようとすれば、世界の理を射影した魔法陣(魔術陣とも)を精緻に思い浮かべなければならないのだが、この単純とも思える作業が意外に時間がかかる。
一般的には約ニ秒から十秒で速いとされている。しかし、今さっき滉穎は一瞬、正確には十五刹那(0.2秒)で展開し、精霊を通して現象化した。《perfect vision》を使えば、何ら不思議ではないのだが、それでも滉穎の展開速度はもはや速いの次元ですらなかった。
まあ、一瞬で魔術を展開できるエレメンターは意外と多いから、感心する程度で終わってしまうのだが。
それに、種明かしをしてしまうと、滉穎は実はフライングをしていた。エレメンター同士でも気付かれにくいというのが、魔術の特徴の一つ、隠密性の高さであった。
二つ目は、魔術を脳内展開したことだ。
先程説明した様に、紙などの媒体に魔術を書くことと脳裏に思い浮かばせるのでは難易度が遥かに違う。
その理由の一つは、座標の設定だ。地面や紙に書けば、座標というものは相対的に決定できる。しかし、脳を通して行使する場合、神々が定めた基準(絶対的座標)を理解して演算し、式に表さなければならない。これにより、相対的に座標を決定できる媒体を用いた魔術よりも難しくなる。
滉穎は学校で習う教科の中で数学が最も得意であった。その能力を活かした訳だが、それは魔術のレベルを考えると、中学ではなく高校、下手すると大学レベルのものである。故に、アスタグレンスは展開速度よりも脳内展開により一驚していた。
最後に、魔術習得までに要した時間だ。
滉穎達が魔境に召喚されたのは約四ヶ月前。一般的には言語や数学の基礎があったとしても、完全習得に最短でも一年かかるとされている。それを考えれば、ラテン語や魔法と同時に学んだのにも関わらず、この短期間で実戦のレベルにまで魔術を使える様になった滉穎に驚くのも無理はない。
まあ、滉穎は完全に魔術理論を理解した訳ではない。例えれば、数学のニ次方程式の解の公式を理屈を知らずに使用する様なものだ。それもより高速に、より正確に、暗算で。
だから、滉穎は五神祭が終了したら改めて魔術の勉強をすることになるだろう。
以上の理由で、アスタグレンスは滉穎の魔術に感嘆していた。
しかし、ここで本当に賞賛されるべきは、強力な《獅吼》を放った恒河ではなく、それを魔術で華麗に防いだ滉穎でもなく、魔術だと一瞬で見分け、その真価を冷静に分析したアスタグレンスだろう。常人であれば、先程の魔術を魔法と誤解し、見当違いの考察をするのだから。
ちなみに、彼女も魔術を一通り理解しているが、それに要した時間はたったの半年だった。彼女もまた、天才とされているエレメンターなのだ。
既に試合が開始されて三十秒が経過していた。
恒河と滉穎の二人は既に接近戦へと突入し、剣術と槍術の応酬が続いていた。いや、滉穎の場合は槍術というよりは棒術と言うべきだろう。
背丈を越える長さ1.8メートルの六尺棒を用い、自慢のスピードで間合いを恒河に詰めさせなかった。それに対して、スピードで劣る恒河は卓越した剣術とその巨躯から繰り出される強烈な力で滉穎に主導権を渡さず、拮抗状態が続いていた。
しかし、この戦いは開始から一分前後で決着が付くこととなる。
恒河はいきなり大きく後ろに飛び退くと、
「《飛天光触閃》」
魔を滅するかの如く、鋭い光が天使の姿を模して滉穎に迫り来る。本来であれば、光速の攻撃はたとえエレメンターであっても避けられるものではない。
しかし、ルクス=カンデラに光属性に対抗する方法や事前に回避する仕方を教えられた滉穎は、光の見え方や熱の動きから攻撃地点を予測し、躱していた。それでも、完全ではなく、皮膚を掠めてしまったが。
だが、恒河の《飛天光触閃》はそれのみではなく、急に光の天使が滉穎の近くで止まったかと思った後、フラッシュが滉穎を襲った。
たまらず、滉穎は目を腕で光から守ったが、その凄まじい光によって視覚は一時的に閉ざされてしまった。
加えて、視覚の代わりとなりそうな聴覚も《獅吼》の存在によって鋭敏にすることは叶わない。むしろ、一秒も経たずに襲うであろうこの技のために、聴覚は封印するしかない。実質、滉穎は視覚と聴覚の両方を使えなくなっていた。
本来、ここで既に勝敗は決するものではあるが、滉穎はこんな事態も想定して、触覚と嗅覚を活かして戦闘はできる。本当は、第三の眼も使えるが、この試合では使わないと予め滉穎は決めていた。
案の定、フラッシュに続けて《獅吼》が発動されたが、聴覚を封じ込めていた滉穎には体に激しい振動が襲ったのみで、この技本来の効果が発揮されることは無かった。
しかし、それは相手にとっても想定内。すぐさま木剣が滉穎を襲う。
それをガイン=エルグから盗んだ技術である気流の動きの読み取りと、第六感により感知した滉穎はギリギリのラインで避け、反撃の《電撃》を繰り出した。
これには、六尺棒で応戦すると考えていた恒河も想定外であったが、
「《双鶴林》」
手にしていた木剣が恒河を覆う様に変形し、滉穎の電撃からその身を守った。すると、その盾は激しく発火し、二人の間に炎の壁ができた。
しかし、その壁も恒河が指を鳴らすと白い灰へと変化し、火は瞬く間に消え去った。さらには、その灰に触れた六尺棒すらも白く朽ち果て、滉穎は強制的に得物を奪われることになった。
恒河は障害物がなくなったのを良いことにすぐさま距離を詰め、滉穎へとその手を伸ばした。
未だに視界が回復しておらず、少なからず六尺棒の急な灰化に動揺している滉穎は、温覚によって先程の熱を感知していたのみで、無抵抗にその腕を恒河に掴まれてしまう。
ライオンの様な巨躯を持つ獅吼の使い手にパワーで勝てる訳もなく、滉穎は腕を掴まれたまま、その背中を地面に叩き付けられた。
その瞬間、試合終了のホイッスルが鳴った。
「負けました」
僕は阿僧導師との戦いにあっけなく負けてしまった。視覚をまんまと奪われてから、聴覚を実質的に封じられ、あろうことか六尺棒すらも消されてしまった。
僕はまだまだだな。召喚者の中では試合をしても誰かに負けたことは無かったし、一応実戦もそれなりに積んで来た。
しかし世には、魔境には師匠をはじめとして僕よりも強いエレメンターが数え切れない程いる。暗黒世界にも、非覚醒者の中にもいるだろう。自分が井蛙だったことを改めて思い知った気がする。
「僕もまだまだ努力が必要ですね」
「しかし、強かったです。私は獅吼の次で決着させるつもりでしたが、あの状況から電撃で反撃するとは、予想外でした。さすがです」
「それを言うなら、不意を突いたにも関わらず、導師は見事に電撃を防いだ上に僕をまるで赤子の様に制したじゃないですか」
その刹那、阿僧導師の体がびくりと硬直し、その目は険しいものになった。
その不可解な反応に僕が訝しんでいると、
「私は何かを教える立場の人間ではないのですが、何故導師と?」
と僕の導師発言に対して質問を口にした。
ああ。そうか。僕は無意識の内に阿僧さんのことを導師と言ってしまったのか。しかし、妙だな。導師は指導者だったかな? 導師は僧のことを指して言ったつもりだったが。それとも、道士と捉えたのだろうか? 道士の場合は仏教に関連する意味が少ないが。
「あっ、すみません。何となく導師っぽく感じてしまい、意識せずに言いました。気に障ったのであれば謝罪致します」
「いえ、別に怒っているという訳ではないので、心配ご無用です。お気になさらず」
「分かりました。ありがとうございます」
そして、思惑通りに事が運び少し満足そう、というのも僕が負けてしまったから少しなのだろうが、殿下や対照的に疲れた様な顔の阿僧導師とも別れ、宿に戻る。
少し試合で疲れた僕はそのまま部屋のベッドに寝転がると、小栗に三十分後に起こす様に伝えて、その目を閉じた。
こうして、滉穎や恒河にとって思わぬイベントが発生した訳だが、この時のやり取りが後に滉穎の助けになったとは、この三人は知る由もなかった。
・魔術
言語記号または音声により、精霊を通して情報改変を起こす。前者が所謂魔術とされているが、後者は別に詠唱魔術とも言われる。魔法の劣化版とされるが、汎用性が高いので多くの人間が用いる。
前者の場合、魔法陣(魔術陣とも)で情報改変の過程を紙などの媒体に記す必要があり、理解には言語学(記号学)、数学(幾何学)、その他改変に必要な知識を要する。そのため、魔法よりも習得に時間がかかる。
しかし、「精神の中間世界」の存在が契約精霊(英霊・守護霊など)により裏付けされることで、脳内で魔術を展開することも可能となる。この際、情報改変を起こす上での座標は相対的に決定できなくなるため、神々が定めた規格を理解しなければならない。また、媒体を使用する時と同様に一切の間違いなく思い浮かべなればならないので、媒体使用時よりも難易度が高くなる。




