開祭十日前(3)・第四十一話
・山滉穎ー名前の意味
名字の山には、もちろん山脈に囲まれて暮らしていた祖先達に由来するが、彼自身は『論語』における仁者の象徴たる山を思い描いている。
名前の滉穎には、滉には「ひろい」という意味が有り、穎には「知識が深い」という意味が有る。故に、「知識が深く広い」という意にとれるこの名前は知者を思わせている。
すなわち仁者と知者を兼ね備えている、彼にとって理想の人物をこの名前は連想させる。
大剣を持つ覚醒者はもう一人の拍手をしながら出て来た男が現れると、大剣を地面に突き刺し、膝を地に付け臣下の礼をとった。
「・・・・・・波俊水明」
山滉穎は壁が破壊された民家から出て来た男を長年の敵を見るかの様に、鋭く睨みつけながら名前を呟いた。
「いやー、嬉しいね。ちゃんと覚えていてくれたのか。もう忘れられたかと思っていたよ」
拍手を止めた水明は嬉しいと言ったが、滉穎には何の感情も見えなかった。水明は隣の江月華に視線を移し、
「隣にいるお嬢さん、はじめまして。私の名は波俊水明です。今後ともどうぞよろしく」
と紳士の礼をとったが、そこには何も込められていない無味乾燥の礼だったためか、華にはとても不気味で不快感があるものに感じられた。
滉穎は彼女を水明の視線から覆い隠す様に一歩前に出た。そして、低い声で言い放つ。
「あんたとは今後も関わり合いたくないし、用がないならこの場から、オリンピアから、フレア帝国から、キトゥリノ大陸から出て行け」
すると、水明は肩を竦めて見せ、
「酷いなぁ。でも、良いのかい? イオパニックの首謀者を捕まえずに野放しにして」
「場所を考えろ。そこにいるあんたの家臣と俺が戦ったら被害がどれだけ出ると思っている」
滉穎は水明の隣にいる男に視線をやりながら言った。
まあ、戦いと言ってもおそらく一方的だろうな。俺達が確実に負ける。二人がかりでも厳しい相手とは。厄介な奴を駒にしたものだ。
と滉穎は心の中で呟く。
滉穎は大剣の男の実力を冷静に分析していた。その結果、出した結論は自分達の敗北だった。
事実、水明は手持ちの駒の中で最も強い覚醒者を連れて来たのだ。もしも、大剣の男ではなく先日の天魔であれば滉穎は躊躇なく攻撃するところだった。
それを理解した上で、水明は大剣の男を率いて来たのだ。
「変な事に好奇心を持つ前に暗黒世界にでも行ってく・・・・・・違うな。帰れ」
その瞬間、今まで水明達の動作を観察し、戦闘態勢に入っていた華の目が揺れ動く。彼女は既にイオパニックの首謀者として指名手配された水明のことを彼らの師匠からも滉穎からも聞いてはいたが、この情報は初耳だった。いや、実際には予測はしていたし、十中八九そうだと考えてはいたのだが、未だに暗黒世界の敵とは一度も遭ったことがない華はその可能性には目を伏せていた。
テロリストではなく、暗黒世界の者だという最悪の可能性に目を瞑っていたかったのだ。
しかし、目の前の男はそれを肯定する。
「さすがだね。まあ、これくらいは予想も容易かな?」
「そもそも隠す気ないだろ。あのテンマという覚醒者は思いっ切り《時間加速》を使ってくれたし、イオパニックで魔物や魔物使いが出て来た点でほぼ確定。
まあ、テロリストに対して暗黒世界が援助をしているというのはあんたが魔境に来る前からだから、ただのテロリストの一員という線もあったが今確信したよ」
「ほお? 何故?」
「俺達を尾行してきた追尾者七人、あれおそらくだが精神魔法に侵食されかかって・・・・・・いやされているよな。あんたみたいに感情を感じられなかったし、目も半分イッてる。傍目ではただの充血だが、あれは精神魔法に抗い切れていない人間の状態に似ている」
かつて読んだ暗黒世界の魔法について書かれた書物の内容を呼び起こしながら、滉穎は答えた。
水明はうっすらと笑みを浮かべ、大剣の男の方を見た。
その瞬間、男は水明の意図を察し、地面に突き刺さっていた大剣を引き抜いた。
滉穎達は咄嗟に防衛の構えをとったが、予想に反し、大剣は滉穎達には刃を向けず、地の上で伸びていた追尾者の首を身体から切断した。
首は大量の鮮血を伴いながら宙を舞い、滉穎の肩を通り過ぎた。そして、血の舞を踊った首は小さな音を静寂の空間に鳴り響かせて地に落ちた。滉穎の肩には追尾者の血が付いていた。
その首を横目に見ていた滉穎は、咎める様に水明を見る。
「何やっている? 一応は味方だろうに」
水明は大剣の男を下がらせると、
「みかた? 味方か。まあ、表面上は間違いではないが、厳密には少し違うね」
「それはあんたの俺への用と関係有るのか?」
滉穎には分かっていた。あの男が何の用もなく、わざわざこんなところまで来るはずがないと。もちろん、時折意味不明な行動を起こすことはあるが、好奇心という観点から見るとその行動全てが意義を持つ。
故に、山賊の時も今回も滉穎達にとっては意味が理解できないものでも、水明にとっては今後の布石となる動きであるのだ。
そうしたことを踏まえた滉穎の発言であった。
「相変わらず君は話が早くて助かるよ。
無駄話が過ぎたね。じゃあ、私の目的を話そうか」
そう言うと、水明は指を鳴らし、《遮音結界》を周囲に張った。
「単刀直入に言うとね、君の協力が欲しいんだよ」
「はっ!?」
滉穎は思わず素っ頓狂な声を出してしまった。水明が他人の都合も感情も気にせずに何かを提案したり、命令したりしてくるのは今に始まったことではない。
しかし、今回は一体何故自分に助力を求めるのか、理由も意図も理解が追いつかなかった。
水明はいかにも優しそうな笑みを顔に貼り付け、
「実はね。我々は君が予想した通り暗黒世界の配下という立ち位置でね、任務はテロリストへの支援なんだが。いやはや困ったことに最近彼らが我々の言うことを聞かないんだよ。特に、エノクの隠し子で現カーリーの指導者悠牙君を筆頭にね」
華は滉穎の後ろでニ人の会話を聞きながら、この水明という男に一驚していた。彼女がまだ重要な情報を扱える立場にないということもあるが、彼女、少なくとも江月家が知らない情報をまるで友に話すかの様に軽く言ったからだ。普通ならば、それらの情報を売る代わりに協力を確約させたり、何かを要求したりするはずである。
それにも関わらず、目の前の水明という男はそれをしない。むしろ、今なら何を問い質しても答えてくれそうな雰囲気までも醸し出している。
まあ、実際のところは華や滉穎には本当に重要なことは教えず、逆に誘導尋問されてしまうので、華が何も聞かなかったのは最適解ではある。
滉穎はそのことを承知しているので、水明の言葉に嘘がないということを知りつつも、適当に話を受け流すことが多い。
しかし、今回は彼にとって無視できそうな話ではなかったようだ。
「当たり前だろ。奴等はあんたらの下部組織じゃないんだからな。それで? あんたは俺に何を望む?」
「簡潔に言うと、カーリーを潰して欲しい」
「そんなのは、言われずともだ。だが、それは暗黒世界からの命令じゃないな。多分、あんたの勝手気ままな望みだろう」
「さすがだよ。よく分かっているね。
そうだよ。我々というのは暗黒世界のことではない、私達のことだ」
そう言って、水明は大剣の男を見て、天魔の名を出す。
「そして今回のテロ、五神祭を狙った彼らの動きは私達にとっては不都合だ」
さらっと、テロの情報を流した水明に対し、滉穎は訂正を加える。
「あんたらの都合ではなく、あんたの好奇心だろ?」
滉穎の言葉に、水明は微笑しただけだった。
「まあいいぜ、今回はまあ俺とあんたの利害が一致したということで協力してやる。してやるから、情報を提供しろ。それと、何故彼女を狙った?」
滉穎は水明の提案を承諾すると、矢継ぎ早に水明を問い質す。
「そう焦るな。
そうだね。テロの日時については何とも言えないね。私はあまり悠牙君や交渉役の破沙羅君に信用されていないようでね」
この時滉穎は、意外に見る目があるな、と上からの態度でカーリーの指導者や交渉役への評価を上方修正した。そして、情報の少なさに呆れて水明への評価を下方修正した。
「あと、そこのお嬢さんを狙ったのは謝罪しよう。
まあ、私にとっては用が有るのは滉穎君だけだから、特に君がどうなろうと構わなかったわけだが。
私は悠牙君に後詰めとして頼まれただけで、本命は君達が倒した追尾者達だからね。もっとも、精神魔法を使って彼らの思考能力を下げてあげたと言っても過言ではないからね、君は私に感謝しても良いんだよ?」
謝罪して舌の根が乾かぬ内に感謝しても良いという発言で、全く謝罪の念がないことは華と滉穎に伝わった。
何言っているんだか。そこの大剣使いには本気で襲わせたくせに。殺せれば、後々有利になるし、殺せずとも俺の協力が殺せた時よりも得やすい、いや確実に得られるとでも考えたんだろうな。
と滉穎は思い、華も同様に感じてはいたがこの男に何を言っても無駄なのは分かっていることなので何も言わなかった。
最後に、水明は用が済んだと言い、背中を一度向けたが、
「あっ! そうだ。星!」
と言って滉穎達の後ろを人差し指で指し、次に親指と人差し指で弾いた。
華は指された方向に思わず視線を移してしまったが、そこには何も無い、強いて言うなら首と胴体がいつの間にか離れている追尾者達の光景だけだった。
滉穎は水明の意図に気付いたのか気付いていないのか、指した方向を見なかった。
水明は続けて、
「天災に巻き込まれないようにね」
と言い残し、煙の様に消えていった。大剣の男はその後に続き、音も立てずに消え去った。さらに、何処からか血で身体を濡らしていた波俊天魔も現れ、今回もまた滉穎を睨みつけ、彼らの後を追っていった。
静寂の空間に残された華と滉穎の耳には徐々に喧騒が届き、後ろを見ると追尾者達の死体どころか争った形跡すら残っておらず、人通りが増加していく。
華は狐に化かされた様な、そんな感じを覚え、一抹の不安を抱え始めた。
・波俊水明ー名前の意味
波俊は、「過去の亡霊(3)」でも言及した様に仏法を妨げる欲界の第六天である悪魔、天魔波旬に由来する。
水明は綺麗な川から連想されており、川は『論語』において知者の象徴である。故に、水明という熟語が持つ意味に加えて知者の意がこの名に込められている。また、水という物質は老荘思想や孫子の兵法においても「上善は水の若し」の様に言及されており、特に兵法書における柔軟性や「柔よく剛を制す」も意識している。




