第90話・南方人民共和国連合のスラム街にて
「敵の不幸を憐れむ気持ちには、とかく、善意よりも高慢さが強く働いているものだ。我々が相手に示すのは、こちらが優位に立っていることを見せつけるためである」
フランソワ・ド・ラ・ロシュフコー
その日、その街は大騒ぎだった。
北半球の帝国から珍しい飛行船が現れ、街の外れに降りたのだ。
飛行船の傍らには、血塗れの大きなドラゴンがあり、偶発的な戦闘があったことが伺える。
ちなみに、龍とドラゴンを同一視してはいけない。
そもそも、龍は東洋で神格を持つが、西洋のドラゴンは邪悪な存在だ。『ニーベルンゲンの歌』に登場する、ゲルマン民族の英雄ジークフリートが良い例だろう。
彼は、日本語では竜殺しと呼ばれることがあるが、そもそも「龍」は神と同格の存在であって、「ドラゴン」ではない。翻訳の関係上、龍を混同してしまうのは仕方のないことかもしれないが、それは理解しておかなければいけない。
さらに、そこにインド神話を加えると、また性質の違うものが出て来るだろう。
インド神話では、龍に近い存在はナーガ、つまるところ蛇、あるいは蛇神だろう。神鳥ガルーダを天敵とし、中国に輸入されると、「竜」と翻訳された。
よく作品で竜へと存在を昇華させる生き物に蛇がいるのは、インド神話の影響なのかもしれない。
他にも、登竜門のコイや、姿形あるいは恐竜のイメージからトカゲもいるが。
閑話休題。
魔境に生息している生き物、ドラゴン。
彼らは、魔力が公的に使われ、人間以外の生物にも浸透した魔境において、独自の進化を遂げた存在だ。
進化の系統によって、分類は分かれるが、人間のイメージによって魔力が影響を及ぼし、神話に登場するドラゴンあるいは龍の様な生き物になった。
一般的に、人に味方する、もしくは懐くのは竜と呼ばれるが、人を襲ってしまうのはドラゴンと呼ばれる。
故に、おそらく突発的な戦闘によって討伐されてしまった、竜の様な見た目の生き物はドラゴンとされ、地元の人々の間に伝わった。
見れば、飛行船にも牙や爪でできた様な傷があり、無傷で勝てた訳ではなさそうだ。
飛行船の修理のために急遽降りて来ることになった、そう考えるのが普通だろう。
しかし、地元の人間は両方のもの珍しさに騒ぎ立てるだけだが、官僚あるいは公務員は大変だ。
予定に無かった貴賓の訪問に慌て、ヒーヒー言いながらもてなしの準備をしているのだから。まあ、一番の苦労の要因は中央の上層部からの要請や圧力から生じたものだろうが。
だが、飛行船の搭乗者にしてみれば、それは要らぬ気遣いだった。
周囲に開けた所と、一応の拠点になりそうな所の両方が無かったために、仕方なくこの街を選んだだけで、特に何かを期待していた訳では無いのだから。
むしろ、この街にはスラム街が存在し、治安がかなり悪い所もある。国に仕えるべき者が私腹を肥やすために横領することは珍しくないし、警察組織が裏社会の人間と手を結ぶこともある。はっきり言って、行きたくない、要人を行かせられないというのが彼らの本音だった。
◆◆◆
その街のスラム街。
今日も今日とて弱者が食い物にされ、腕っぷしだけが自慢、または権力や金を持つ者が横暴を働いていた。
ほんの三十年程前はこんな感じではなかった。
昔は南半球最大の国、アリべシ王国の王都から幾ばくか離れているとはいえ、それなりに栄えていた。
しかし、社会主義国家である南方人民共和国連合が発足し、アリべシ王国が滅ぼされてから、運命は狂ったと言って良いだろう。
王族は全員処刑する意向だった国家主席、ヨシフによって残党を匿ったこの街は標的にされ、大半の人間は虐殺されてしまった。そして、戦争に赴いた傭兵やヨシフ側の兵士は幅を利かせ、それが、それら全てが現在の治安の悪さに繋がった。
力が無ければ男は殺され、女は犯され、子どもといえど殺されることもあれば、誘拐され、兵士・傭兵に訓練されることも、労働力として扱われることもある。
社会権どころか、人権すら、存在しなくなった。それが、この街だ。
とはいえ、それもここ十年で大分ましになり、ようやく行政が機能し始めて来たところだ。それでも、現代日本に比べれば地獄に感じる人間の方が多いだろうが。
そんな街で、正義感の強い少年は理不尽に抗っていた。
屈強な見た目の男たちを前に、少女を後ろにして戦闘態勢を取っていた。
どうやら、黒い髪を持つ少年の目の前で誘拐が行われそうになり、それを彼が一時的に阻止したらしい。
しかし、解決には至っていない。むしろ、外見的には被害者が増えた構図だ。
ここでの人身売買において、もはや男子の価値は低くなった。
戦争が絶えなかった時期は兵や労働力にするために、女子よりも男子の方が誘拐率が高かった。だが、戦争が一応の終結を見せた、南方人民共和国連合の勝利で終わった今、女子の需要の方が高いのだ。理由は言わない方が良いだろう。
昔なら、少年も誘拐されるだけで済んだかもしれない。命さえあれば、再び戻れる可能性も僅かにある。
しかし、今はもう役立たずとされれば殺されることもあるぐらいだ。何より、殺しが日常化したこの街では、面倒事を短絡的に殺しで解決しようとする風潮が強くなっていた。
そして、今まさにこの少年に死は迫ろうとしていた。
男たちはじりじりと少年との距離を詰め、彼の隙を伺う。
体格差はあったが、男たちは迂闊に近寄れない。警戒しているのだ、少年を。
彼は、男たちに一切気配を気取られず、奇襲を仕掛けることに成功した。そのおかげで少女はすぐに連れ去られず、男の内の一人を気絶させることもできた。
しかし、それで全員を無力化することには叶わなかった。
少し混乱した男たちもすぐに態勢を整え、そして悟った。
この少年は魔力を使う、覚醒者だと。
本来であれば、覚醒者と非覚醒者の戦いでは後者にあまり勝ち目はない。
だが、男たちの中には一人、アクションタイプの覚醒者がいた。
アクションタイプ故に、攻撃技はほとんど近接技だが、どうやらそれは少年も同じ様だった。
それならばと、覚醒者の男は考える。
アクション同士の戦いであれば、軍配が上がるのは体格に勝る自分だと。
それに、援軍もすぐに来て一対多数。
覚醒者の男は仲間に指示を出し、非覚醒者の者たちをまずは特攻させた。
少年は少女を守りながらでは不利になると考え、前に出て男たちを迎え撃つ。
非覚醒者の男は誘拐も視野に入れているのか、少年を掴もうと手を伸ばす。
少年は軽やかな動きでそれを避けつつ、壁を蹴り、高く跳び上がる。
素早い動きで翻弄された男は、一瞬少年を見失った。
その間隙を突き、少年は脚力を強化し、重力加速度も利用して男の頭部に強い衝撃を与えた。
脳を強く揺らされた男は脳震盪を起こし、地面に倒れた。
少年はこれで二人を倒した訳だが、如何せん相手の数が多かった。
すぐさま二人目が少年を制圧しにかかり、手を取られた。
しかし、相手の勢いを利用し、むしろ加速させ、男の腕をさらに伸ばさせた。
男は上半身の体勢を崩され、思わぬ反撃に一瞬気取られた。
少年は自由な方の手を滑らせる様にして、掴まれた手までスライドさせ、男の手を外した。
他の男の気配も感じ、倒すのは諦め、距離を取った。
再び、状況は膠着状態となった。
そこで、覚醒者の男は認識を改める。この少年は思った以上に危険だと。
誘拐は諦め、殺害に方針を転換する。
非覚醒者の男たちは懐からナイフを取り出し、じわりじわりとにじり寄る。
少年の額には汗が浮かび、場は極度の緊張状態に陥った。
男たちが足に力を入れ、少年に襲い掛かろうとしたその時だった。
「全く、幼い子どもに大の大人がそんな物騒なものを持って。恥ずかしくはないのかい?」
場にそぐわない、緊張感の欠片も無い声が少年の後ろから響いた。
見れば、少年と同じ黒髪の、地球の東洋系の顔立ちをした青年が近付いて来ていた。
「誰だ?」
覚醒者の男は誰何し、その青年を観察した。
標準的な体型、長袖で隠れてはいるが、見た感じ鍛えてはいるのだろう。ナイフに気後れもせず、自然体で近付く青年に男は警戒心を抱いた。
だが、覚醒者の気配は感じられず、それが男に違和感をもたらす。
「僕が誰なのかって?
残念だけど、君たちに教える程の価値を感じられないな。
聞きたいなら、力づくでやってみればいいじゃないか、下郎共。
どうせ、そうするしか能がないんだろ?」
「なんだと!!」
その言葉に激昂した男たちが青年に一斉に跳びかかる。
怒りに身を任せた男たちとは違い、青年は冷静だった。
一人目の突きを半身になることで容易に躱し、無防備だった腹に右手で一発加えた。
「ぐおっっっ!!」
思いの外強い衝撃に男は身悶え、地面に崩れ落ちる。
さらに、後ろから迫る二人目には回し蹴りを放ち、吹き飛ばす。
突進して来た三人目には、ナイフを持つ腕を左手で掴み、身体を回転させて右肘を顔に打ち込んだ。
勢いをそのまま利用された強打に三人目の男は意識を失った。
「ぐあっっっ!!」
ここで青年は地面に転がる一人目の男を蹴り上げ、瞬く間に三人を制圧してしまった。
「すごい」
声変わりも済んでいない高い声で、少年は青年の動きに感嘆していた。
少年とは反対に、仲間を全員青年に倒された覚醒者の男は苦虫を噛み潰した様な表情を浮かべていた。
「後はあんただけだな」
見下した様な表情で、いや少しの憐れみさえ伴って、青年はそう言って近付く。
それが、男のちっぽけなプライドを傷つけ、青年に殺意を抱かせた。
そして、魔力で身体能力を向上させ、得物を手にした。
「だめだよ!! そいつは!!」
魔力に気付いた少年が青年に注意しようとする。
「知っているさ。あの男は覚醒者なんだろう?
でも、負ける気はしないな。魔力を使わなくたって勝てるさ」
その言葉に少年は勘付いた。
この青年は実は覚醒者、しかも同類にそれを悟らせない程の実力者だと。
男は腰から刃渡り三十センチメートルの短剣を取り出し、青年との距離を詰めていく。
青年も油断なく男と対峙し、間合いに気を遣いながら双方共に距離を縮めていく。
そして、お互いの距離が三メートルになった所で、男は動き出した。
魔力で《スピードアップ》し、鋭い突きを青年の心臓に向かって突き出した。
時間にして、ゼロコンマ三秒の出来事。
もはや反射レベルの速度であったが、青年の胸に短剣を突き刺さることはなく、むしろその動きを予期していたかの様に、青年は軽く躱した。
「ぐっ」
すれ違いざまに眉間に左手の甲で一撃を入れ、男はそのあまりの痛さに怯む。
その隙を見逃さず、青年は短剣を持つ手の甲と肘を掴み、男の身体の後ろに回り、遠心力で地面に投げ飛ばす。
さらに、男の右脇に膝を置き、肘と甲を抑えながら地面に押し付けた。
男は痛みを我慢しながら立ち上がろうとするも、いくら魔力で強化してもびくともしなかった。
「な、なぜっ!?」
あっという間に魔力無しの相手に完封され、男は疑問符を受かべながらも必死に抜け出そうとするも、その姿は滑稽そのものだった。
「あまりにも弱すぎるな。
後ろの少年の方が、素質もあるし、あんたよりきっと強い。
嘆かわしいよ、こんな奴しかこの街にはいないのか。
まあでも、あんたも長期的に見れば一応は巻き込まれた人間なのか。不幸だったな」
そんな憐れんだ言葉を最後に、青年のかかと落としで、男の意識は刈り取られた。
数分も経ずに屈強な見た目の男たちを完封せしめた青年に、少年は感嘆するのみだった。そして、憧れた。
いつか、自分もあんな風になれるのだろうか。
人々を守れる、あんな姿になれるのだろうか。
と。
青年は振り返り、少年へと近付いて来る。
「君の名は?」
少年の目の高さに合う様に座り込み、然る後に少年に問いかける。
しばらくの間を置き、少年は答えた。
「・・・・・・ラザン、ただの羅山です」
その少年、羅山には、名字が無かった。
しかし、これは別に珍しいことでも無かった。
行政が停止して三十年の間、いや戦争が始まってから今まで、たくさんの人々が死んだ。その中には、子どもを残して他界する者も多く、名字が伝わらないことなど多々あった。
「そうか、良い名前だ。
僕は、山滉穎。
通りすがりのエレメンターさ」
その青年、滉穎は朗らかな表情を浮かべ、羅山の頭に手を置き、彼の勇気を称えた。
これが、山滉穎と羅山。
二人の初めての出会いだった。
追記(2023/07/11)
「夏のホラー2023」があったので、ホラー小説に挑戦してみました。
二千字程度の短い文章ですので、読んでいただいて、感想・評価をよろしくお願いいたします。
https://ncode.syosetu.com/n8430ih/
追記(2023/07/27)
アポカリプス編第壱章「三年後」で出た用語の解説を投稿しました。
https://ncode.syosetu.com/n7311hd/104/




