第89話・出立
追記(2023/07/29)
「用語解説(6)」を投稿しました。
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異世界、魔境。
魔境の中でも一際広い面積を誇るキトゥリノ大陸、そのほぼ中央に位置するフレア帝国で、その式典は行われていた。
三年前に開国した「魔族の国」。
その国と融和を図る意図も含めて、彼ら、成人(十八歳)前後の若者たちが交換留学生として今日、かの国へ飛び立つ。
それを祝う意味でも記念式典が催され、好奇心に駆られた民衆がそこかしこに集まっていた。
しかし、彼ら民衆は別に未来ある有望な若者に興味がある訳ではない。もちろん、そういう人間もいるだろうが、民草の注目を集めたのはただ一人のエレメンターだ。
フレア帝国現皇帝マーズ=リヴァインの娘、第三皇女であるアスタグレンス=リヴァインただ一人。
彼女は成人するまで、あまり表に出ず、その存在があまり知られていなかった。
だが、三年前から国事にも参加する様になり、また名門中の名門、ティマイオス学園を首席で卒業したことで、瞬く間にその名は人口に膾炙した。
何より、彼女の見目はとてつもなく麗しかった。
スラブ系の血も入ったアスタグレンスは輝く銀色の髪、儚さよりも力強さを感じる紅色の瞳、蠱惑的な唇、男を魅了して止まない身体を持っていた。その姿を一目見れば、彼女に視線が釘付けになってしまう、それ程の美しさが彼女にはあった。
実際、フレア帝国の国民の中にも彼女の笑みに心を奪われた者は多い。
今も、民は手を振るアスタグレンスに歓声を上げ、旅の無事を祈っている。
しかし、彼らの大半は知らない。
彼女に、恋人がいることを。
◆◆◆
「良いのかい? 滉穎。
殿下の近くに行かなくて」
言ったのは、ルクス・カンデラ。
山滉穎の兄弟子であり、滉穎に目をかけている。
元はフレア帝国の貴族であったが、滉穎の師匠、玄羽=ヴァトリーにある事件をきっかけに心酔し、トイラプス帝国に戸籍を移した。
今は特別諸般対策考案部隊(SVMDF)の諜報を主に担当し、実行部隊にも属する滉穎とタッグを組むことも多い。
そんな彼に、物陰からアスタグレンスを見守る滉穎は身体の向きを変えると、
「良いんです。僕はまだ実績を上げられていない。
民衆からの人気も高い彼女と釣り合う男になっていないのに、図々しくその隣に並べませんよ。
まだ、時期ではありません」
そう言って、またアスタグレンスがいる方向に身体を向けた。
「そうか。だけど、殿下は寂しそうだよ」
「行かなくて良いのかい?」と再び声をかけるも、滉穎は「これで良いんです」と少し罪悪感を帯びた声色で応えるのみで、ずっと視線はアスタグレンスに釘付けだった。
交錯した思いを抱える弟弟子にルクスは肩を竦め、優しい目でそんな彼を見ていた。
しかし、もう出発の時刻までそんなに時間が無いため、さっさと本題に入ることにした。
「滉穎。魔族の国で一つ、注意しておきたいことができた」
すると、滉穎は後ろを向き、真剣な面持ちでルクスの話を待った。
「魔族の国に、暗黒世界の者が密入国した。
それだけならまだ想定内だったんだが、その中に波俊水明がいるかもしれない」
その瞬間、滉穎の身体が強張った。
波俊水明、地球では虎武龍司という名前で、滉穎の義理の親だった男だ。
だが、彼らの間にはもうかつての信頼関係は無い。ある事件によって決定的な決別が成されたからだ。龍司の死によって。
しかし、異世界魔境で龍司は生きており、水明に名を変えていた。
ルクスは続ける。
「確証は無い。
だが、水明の部下とされる蚩游が目撃されたそうだ」
「そう、ですか」
見れば、滉穎の顔は険しいものになっていた。
「魔族の国は、一波乱ありそうですね」
「そうだな」
二人の声色は決して明るくはなかった。
◆◆◆
その後、滉穎たちを乗せた飛行船は飛び上がり、南へと向かって進み始めた。
ルクスは一人飛行場に残り、彼らの旅立ちを見守っていた。
彼としては、魔族の国にまで付いて行きたかったが、暗黒世界との戦争の足音がする中、彼には役目がある。
密偵として、師匠である玄羽の元から離れる訳にはいかなかった。
空は旅立ちの時に相応しい快晴。と、思えたが、太陽の周りには暈があった。いわゆる、ハレー現象。
ルクスは先の民衆と同じ様に、彼らを信じ、その無事を祈るだけだった。
・ハレー現象
太陽の周りに虹のような光の輪が現れる現象のこと。 雲の中にある氷の粒に太陽の光が屈折してできる。
低気圧や前線が接近して天気が崩れる前触れと言われている。




